第215話 押し出された魔物たち
第三調査区画を離れた四人は、来た道を戻りながら、魔物の遭遇数が増えている区画へ向かっていた。
地図にはいくつか赤い印が付けられている。その中でも、三つの調査区画に比較的近い場所を最初に確認することにした。
「こっちだね」
美月が分岐で地図を確認する。
「この先から、最近の遭遇数が増えてる」
「減ってたところから移動してきたのかな」
蓮が聞く。
「その可能性を確かめるために来たんだよ」
「そっか」
美月が地図をしまい、四人は再び進み始めた。
先頭は玲奈。その後ろに蓮、美月、ひなたと続く。
しばらく歩いていると、最後尾のひなたが周囲へ意識を向けた。
「……多い」
「魔物?」
玲奈が聞く。
「うん。さっきまでと全然違う」
蓮も《魔力感知》を広げる。
確かに多かった。正面だけではない。少し離れた横道にも、その先にも、いくつもの魔力反応がある。
「本当だ」
蓮が言った。
「資料通りだね」
美月も少し表情を引き締める。
「ここからは、できるだけ刺激しないように進もう」
「避けられるのは避ける?」
「うん。戦うと余計に状況が分かりにくくなるから」
「分かった」
玲奈が速度を落とした。
◆
魔物の数が増えている区画へ入ると、違いはすぐに分かった。
遠くから何種類もの鳴き声が聞こえる。岩壁には新しい爪痕が増え、床には形の違う足跡がいくつも重なっていた。
「これ」
ひなたが足元を指差す。
「第二調査区画にあったのと似てる」
「同じ種類?」
「たぶん」
美月が記録を確認する。
「大きさも近いね」
蓮は周囲を見る。
魔物がいなくなった区画。
そこから外へ続いていた足跡。
そして今、その先にある場所では魔物の数が増えている。
「やっぱり、こっちに来た?」
「かなり可能性は高そうだね」
美月が答えた。
さらに進むと、岩陰から低い唸り声が聞こえた。
「止まって」
ひなたが言う。
四人はすぐに足を止める。
「前に四体。その少し奥にもいる」
「こっちには気づいてる?」
美月が聞く。
「たぶん、まだ」
「じゃあ迂回しよう」
玲奈が前方を確認し、脇へ続く細い通路へ視線を向ける。
「こっちなら通れそう」
「行こう」
四人は静かに進路を変えた。
今回の目的は魔物を倒すことではなく、何が起きているのかを確かめることだ。戦う必要がない相手まで倒す理由はない。
蓮も、もうそのことをいちいち意識して考える必要はなかった。
◆
細い通路を抜けた先で、四人は再び足を止めた。
今度は、魔物同士の唸り声が聞こえている。
「……争ってる?」
蓮が言った。
少し先の広い空間。そこでは、種類の違う二組の魔物が向かい合っていた。
一方は灰色の毛を持つ四足の魔物。もう一方は、岩のような皮膚を持つ小型の魔物が三体。互いに一定の距離を保ったまま、激しく威嚇している。
「これ、普通?」
蓮が小声で聞く。
「この二種類が同じ場所にいること自体はあると思うけど……」
美月は少し考える。
「こんなに近くで縄張りが重なるのは珍しいかも」
「場所が足りなくなってる?」
玲奈が言った。
「ありえるね」
ひなたが周囲を見る。
「この辺、足跡も多すぎる」
美月はその様子を記録していく。
三つの調査区画から魔物が移動し、その結果、もともとこの辺りにいた魔物と縄張りが重なり始めている。
「押し出されたみたい」
蓮が呟いた。
「押し出された?」
「うん。奥にいたのが、こっちに来てるから」
美月は少し考えてから頷いた。
「表現としては近いかもしれないね」
蓮は二組の魔物を見る。
「じゃあ、奥に戻ればいいのに」
「戻らない理由があるんだろうね」
「……やっぱり、何か嫌なのかな」
「その可能性は高そう」
美月はそう答えた。
「でも、何を嫌がってるのかはまだ分からない」
「うん」
二組の魔物はしばらく牽制を続けたあと、一方がゆっくりと後退していった。
戦闘にはならなかった。
それでも、普段とは違う状況が起きていることは十分に分かった。
◆
さらに別の場所も確認する。
そこでも、魔物の密度は高かった。同じ種類だけではなく、本来なら少し離れた場所に縄張りを持つ魔物まで混ざっている。
「この辺まで来ると、かなり分かりやすいね」
玲奈が周囲を見ながら言った。
「奥から来た魔物が増えてる」
「うん」
美月が記録を見返す。
「ギルドの遭遇記録とも合ってる」
その時だった。
「前!」
ひなたの声が飛ぶ。
岩陰から一体の大型の四足獣が飛び出してきた。黒い体毛に覆われ、周囲の魔物から逃れるような勢いでこちらへ走ってくる。
玲奈がすぐに剣を抜いた。
魔物は玲奈の横を抜けようとする。
その先には、蓮と美月がいる。
玲奈が迷わず一歩動いた。
「こっち!」
自分から進路へ入り、剣の腹で攻撃を受け流す。
魔物の身体が横へ逸れた。
蓮もその瞬間に前へ出る。
倒す必要はない。
進路をさらに外へ向けるように、剣で軽く弾いた。
魔物は体勢を立て直すと、そのまま四人から離れるように走っていった。
「追わなくていい」
美月が言う。
「うん」
蓮は剣を下ろした。
玲奈も魔物が去った方向を確認してから剣を収める。
「大丈夫?」
ひなたが聞く。
「全然」
玲奈はいつも通りだった。
蓮はそんな玲奈を少しだけ見る。
今の魔物は、自分なら簡単に止められた。美月も対処できただろう。
それでも玲奈は、迷わず自分から前へ入った。
「…………」
「蓮?」
玲奈が気づく。
「また見てない?」
「見てる」
「そこは否定しないんだ」
「うん」
「何?」
蓮は少し考えてから首を振った。
「まだいい」
「何それ」
玲奈が笑う。
「変なの」
蓮はそれ以上何も言わなかった。
◆
しばらく周囲を確認したあと、美月が記録をまとめた。
「ここまでで、かなり分かったと思う」
「何が?」
蓮が聞く。
「三つの区画から魔物が減ったことと、こっちで増えてることは、たぶん別々の現象じゃない」
美月が地図を広げる。
三つの青い印。
そして、その入口側にある赤い印。
「奥にいた魔物が、こっちへ移動してきてる」
「だから数が増えた」
「うん。それで、もともとここにいた魔物と縄張りまで重なり始めてる」
玲奈が地図を見る。
「原因は奥にありそう?」
「可能性は高くなったと思う」
「でも、強い魔物はいない」
蓮が言った。
「そうなんだよね」
美月は小さく息を吐く。
魔力濃度に大きな変化はない。異常に強い魔物の反応もない。それでも複数種類の魔物が奥から離れ、入口側へ押し出されるように移動している。
「今日はここまで?」
ひなたが聞いた。
「うん。調査する予定だった場所は確認できたし、増えてる側の状況も見られた」
美月は地図を畳む。
「ここから先は、一度ギルドに報告してからにしよう」
「分かった」
蓮も頷いた。
原因はまだ分からない。
けれど、昨日依頼書を見た時よりは、ずっと多くのことが分かった。
魔物は消えたわけではない。自分たちで奥から離れ、入口側へ移動している。そして、そのせいで別の区画に魔物が集中し始めている。
残っているのは、なぜそこまでして奥を避けるのか。
「戻ろうか」
美月が言う。
「うん」
玲奈がいつものように先頭へ立った。
ただ、ダンジョンを出るまではまだ距離がある。
魔物の密度が上がっているこの区画を抜け、通常区域を通って入口まで戻らなければならない。
四人は再び隊列を整え、来た道を戻り始めた。
蓮は少し前を歩く玲奈の背中を見る。
何かあれば、一番前へ出る。
敵が後ろへ抜ければ、迷わず仲間との間へ入る。
それが玲奈にとっては、あまりにも自然だった。
蓮の中で、ひとつの疑問が少しずつ形になり始めていた。




