第212話 残された痕跡
第一調査区画へ入ってから、四人は歩く速度を少し落とした。
先頭を歩く玲奈も、さっきまでより慎重に周囲を見ている。
見た目だけなら、これまで通ってきた場所と大きな違いはない。同じ岩壁。同じように続く通路。壁に埋まった鉱石の淡い光も変わらない。
それなのに。
「静かだね」
ひなたが言った。
「うん」
美月も周囲を見る。
「ここまで静かだと、やっぱり分かりやすい」
入口からこの区画へ来るまでには、何度も魔物の気配を感じた。実際に戦った相手もいる。
けれど、ここへ入ってからは一度もない。
蓮は《魔力感知》を使いながら歩いていた。
反応はある。
ただし、かなり遠い。
しかもこの区画の中ではなく、その外側に集中している。
「やっぱり変」
蓮が言う。
「何か分かる?」
美月が聞いた。
「ここの周りにはいる」
「魔物?」
「うん。でも、この中にはほとんどいない」
「資料通りだね」
玲奈が前を見ながら言う。
「本当に場所だけ避けてるみたい」
四人はさらに進んだ。
途中、美月が地図と現在地を照らし合わせ、ひなたが周囲の痕跡を確認する。
「ここ、ちょっと待って」
ひなたが足を止めた。
「何かあった?」
玲奈が振り返る。
「足跡」
ひなたが通路の端を指差した。
薄く土が積もっている場所に、いくつもの跡が残っている。
蓮もしゃがみ込んだ。
「結構ある」
「うん」
ひなたが跡を一つずつ見る。
「古いのもあるけど、最近のもあると思う」
「何の魔物?」
「全部は分からないけど……」
ひなたが少し考える。
「少なくとも、一種類じゃないね」
大きさも形も違う。
四足の魔物らしい跡。
爪の長いもの。
丸みのあるもの。
いくつもの種類が混ざっていた。
玲奈もしゃがみ込む。
「ここには普通に魔物がいたってこと?」
「そうだと思う」
美月が資料を見る。
「もともとは、この区画でも普通に遭遇報告が出てるから」
「じゃあ、最近いなくなった」
「うん」
蓮は足跡を見つめた。
ただいなくなっただけなら、それほど不思議ではない。
魔物も移動する。
餌を探すこともある。
縄張りを変えることもある。
けれど。
「……これ」
蓮が一つの跡を指差す。
「どうしたの?」
「向き」
三人が蓮の指先を見る。
足跡は奥へ向かっていない。
反対だった。
「外に出てる?」
玲奈が言う。
「うん」
蓮は別の跡を見る。
それも同じ。
さらに少し離れた場所。
そこにある足跡も、区画の奥から外側へ向いている。
美月の表情が少し変わった。
「入ってきた跡は?」
「探してみよう」
四人は周辺を調べ始めた。
ひなたが床を見る。
玲奈は壁際。
美月は地図と痕跡の位置を描き込んでいく。
蓮も少し離れた場所まで確認した。
しばらくして。
「こっちも外向き」
玲奈が言った。
「私のところも」
ひなたが答える。
美月が記録へ目を落とす。
「入ってきた跡がないわけじゃない。でも、出ていく方が明らかに多いね」
「やっぱり逃げた?」
蓮が聞く。
「可能性はある」
美月はすぐに断定しなかった。
「でも、まだ分からないよ。別の場所に餌が増えただけかもしれないし、縄張りが変わった可能性もある」
「そっか」
「だから調べるの」
「うん」
蓮は立ち上がった。
◆
四人はさらに区画の奥へ進んだ。
魔物の気配はない。
代わりに、痕跡だけがいくつも残っていた。
爪で削られた岩。
古い毛。
食べかけの骨。
少し崩れた寝床のような場所。
「ここにもいたんだね」
玲奈が言う。
「かなり」
ひなたが頷く。
「生活してた跡は普通にある」
「でも今はいない」
蓮が周囲を見る。
「うん」
美月が記録を取る。
「それが一番重要かも」
魔物がもともと少ない場所ではない。
以前は確かにいた。
そこから、短い期間でいなくなった。
「死体はないね」
玲奈が言う。
「戦った跡も、ほとんどない」
ひなたが続ける。
「血の跡も見つからないし」
「誰かが大量に倒したわけじゃない?」
蓮が聞く。
「その可能性は低そう」
美月が答える。
「これだけの数が倒されてたら、何かしら痕跡が残ると思う」
蓮もそう思った。
戦えば、何かが残る。
血。
魔力。
破壊された壁や床。
死体。
少なくとも、これだけ綺麗にいなくなるのは不自然だ。
「じゃあ、自分で出ていった」
「今のところ、それが一番近そうかな」
美月が言う。
蓮は奥を見る。
「何かが嫌で?」
「それはまだ分からない」
「怖いものがいるとか」
「それも可能性の一つ」
玲奈が剣の柄へ軽く手を置いた。
「でも、そういう強い魔物がいるなら、ギルドの調査で何か引っかかってそうだけどね」
「魔力濃度も変わってないんだよね」
ひなたが言う。
「うん」
美月が頷く。
「少なくとも、今までの記録では」
蓮は何も言わず、《魔力感知》を少し広げた。
強い魔物の反応。
異常な魔力。
大きな変化。
どれも感じない。
「……分かんない」
蓮が呟いた。
「そうだね」
美月が答える。
「でも、一つは分かった」
「何?」
「ここにいた魔物たちは、少なくとも戦っていなくなったわけじゃない」
美月は足跡へ目を向ける。
「自分たちで、この区画から離れた可能性が高い」
「逃げたかどうかは、まだ分からないけど」
ひなたが続ける。
「うん」
美月が頷く。
「そこは次の区画も見てから考えよう」
蓮はもう一度、残された足跡を見る。
昔なら、分からないものを見つければ、自分で確かめるしかなかった。
今は三人もいる。
同じものを見て、それぞれ違うことに気づく。
そのことを、蓮は少しずつ当たり前のものとして受け入れ始めていた。
◆
第一調査区画を一通り確認したあと、四人は入口側へ戻った。
美月は途中で何度か立ち止まり、地図へ印を描き込んでいく。
「第一調査区画は、これでいいかな」
「何が分かった?」
蓮が聞いた。
美月が記録を見ながら答える。
「一つ目。以前は、ここにも普通に魔物がいた」
「うん」
「二つ目。最近になって、多くの魔物がこの区画から外へ移動してる」
「うん」
「三つ目。大量に討伐された形跡はない」
「じゃあ、原因は?」
「それがまだ分からない」
美月が少し笑った。
「だから、次」
玲奈が地図を覗き込む。
「第二調査区画?」
「うん」
第一調査区画からさらに奥。
そこも、最近になって魔物が減っている場所だった。
「同じだったら?」
蓮が聞く。
「その時は、共通点を探そう」
「違ったら?」
「違う理由を考える」
「なるほど」
蓮は頷いた。
答えはまだない。
けれど、少しずつ分かってきたことはある。
魔物は、ただ消えたわけではない。
何かの理由で、ここを離れた。
その理由を確かめるため。
四人は第二調査区画へ向かって歩き始めた。




