第210話 四人で行くために
ギルドを出たあと、蓮たちは明日の調査に必要なものを揃えるため、いくつかの店を回っていた。
今回の目的は討伐ではなく調査だ。普段の依頼で使う装備に加えて、地図への記録用具や予備の照明、魔物の痕跡を持ち帰るための採取道具も必要になる。
「これもいるかな」
ひなたが棚から小さな箱を手に取った。
「何それ?」
蓮が覗き込む。
「採取用の容器。毛とか鱗とか、何か見つけた時に入れるの」
「そのまま持って帰ったら駄目なの?」
「物によるかな。毒があったり、触ると危ないものもあるから」
「なるほど」
蓮が頷く。
十年間いたダンジョンでは、必要なものは基本的に自分で判断して持ち帰っていた。危険そうなら触らない。必要なら布に包む。
それで済ませていた。
地上では、同じ調査でもやり方が随分違う。
「蓮、それ持って」
玲奈がいくつかの道具をまとめて蓮へ渡してくる。
「これ?」
「そう。記録用の道具と採取用の容器。蓮の分」
「分かった」
蓮は受け取ると、そのままアイテムボックスへ収納した。
「……やっぱり便利だよね、それ」
玲奈が消えた道具を見ながら言う。
「玲奈たちのも入れようか?」
「それは駄目」
「なんで?」
「また全部蓮に預けることになるでしょ」
「でも、必要になったら出せるよ」
「蓮と離れた時に使えないじゃん」
「……ああ」
そこで蓮は納得した。
一人なら、必要なものを全部アイテムボックスへ入れておけばいい。けれど四人なら違う。戦闘で位置が分かれたり、何かの理由で一時的に離れたりする可能性もある。
その時に必要なものが蓮のところへ集中していれば、他の三人が使えない。
「だから、自分で使うものは基本的に自分で持つ」
美月が言う。
「蓮はアイテムボックスがあるから、自分の分はそこに入れておけばいいよ」
「分かった」
蓮は素直に頷いた。
「水は?」
ひなたが聞く。
「蓮の分も用意する?」
「俺は大丈夫」
蓮はアイテムボックスへ手を伸ばす。
次の瞬間、手の中に透明に近い青色の結晶が現れた。
「これがあるから」
「ああ」
ひなたが思い出したように頷く。
「水を作れるやつだっけ?」
「うん」
蓮は結晶を見る。
原初ダンジョンの三十階層。そのボスを倒したあと、宝箱から手に入れた《水属性魔力結晶》。
魔力を注げば、水属性魔力へ変換され、飲用可能な水を作ることができる。
「魔力を入れれば、水は作れる」
「蓮の場合、水切れの心配はなさそうだね」
玲奈が苦笑する。
「たぶん」
「たぶんじゃなくて、ないと思う」
美月が笑う。
「じゃあ、蓮の飲み水はそれでいいね。私たちは自分の分を持っていこう」
「みんなの分もこれで作れるけど?」
「必要になったらお願いするかもしれないけど、最初から全部蓮任せにはしないよ」
「離れた時に困るから?」
「そう」
「分かった」
蓮は結晶を再びアイテムボックスへ収納した。
自分の分なら、それで十分だ。
けれど、美月たちが使うものまで全部自分が持つ必要はない。
十年間、一人で生きてきた時は、何でも自分でやるのが普通だった。
今は違う。
四人で行動するなら、それぞれが自分でできる準備をする。
それも、パーティーで動くということなのだろう。
◆
必要なものを揃えたあと、四人は蓮の家へ戻った。
次に確認するのは、《封魔の手袋》だった。
蓮はリビングで手袋を装着し、ゆっくりと魔力を流していく。
この手袋は、能力値を一つずつ指定して下げるものではない。流す魔力によって、自分の力全体を段階的に抑える装備だ。
以前、《アストラ》で依頼へ行った時にも使っている。
「このくらい?」
蓮が手袋を見ながら聞く。
「カード見てみよう」
美月が答える。
蓮は冒険者カードを取り出した。
表示されているレベルは変わらない。
Lv651。
けれど、その下に並ぶ能力値は本来のものより大きく抑えられている。
「前より少し抑え方を弱くしてるんだね」
ひなたがカードを覗き込んだ。
「うん」
「今回はAランクダンジョンだから、これくらいでもいいと思う」
美月が確認する。
「玲奈は?」
「私もいいと思うよ」
玲奈は蓮のカードを見て頷いた。
「前より少し動けても、普通に合わせられるでしょ」
「うん」
蓮自身もそう思う。
以前は、どこまで力を落とせば三人と同じように動けるのか、それ自体がよく分からなかった。
今は違う。
玲奈がどのくらいの速さで動くのか。美月がどのタイミングで魔法を使うのか。ひなたがどこまで周囲を見ながら支援するのか。
これまで一緒に依頼へ行ったことで、おおよその感覚は分かるようになっていた。
「これくらいなら大丈夫」
蓮が言う。
「本当に?」
美月が念を押す。
「うん。前より分かるから」
「何が?」
「三人がどのくらいで動くか」
「……そっか」
美月が少しだけ目を細める。
「じゃあ、それでいこう」
「うん」
蓮は手袋を外さず、そのまま何度か手を開いて閉じた。
力を抑えて戦うこと自体には、昔から慣れている。
原初ダンジョンでも、《封魔の手袋》で自分を弱体化させ、《重力の靴》と合わせて身体へ負荷をかけながら鍛錬を続けていた。
実戦でも同じだった。危険な相手には重力を通常へ戻し、《封魔の手袋》の弱体化も相手に合わせて調整する。余裕がある相手なら、あえて自分を弱くした状態で戦うこともあった。
そうやって、自分を追い込みながら少しずつ強くなってきた。
けれど、今は目的が違う。
あの場所では、自分を鍛え、さらに強くなるために力を抑えていた。
今は――三人と同じ場所で、同じ戦場に立ち、一緒に戦うために力を抑えている。
使っている手袋は同じでも、その意味はまるで違っていた。
「蓮」
「ん?」
ひなたが聞く。
「何かあった時は、すぐ元に戻せるんだよね?」
「うん」
「それなら安心かな」
「そんなに心配?」
「ちょっとはするよ」
ひなたは当然のように答えた。
「調査依頼だから、大きな危険はないって言われてるけど、何があるか分からないし」
「俺がいるから大丈夫だよ」
「そういう意味じゃなくて」
「?」
「蓮も含めて、四人とも無事に帰りたいの」
蓮は少しだけ黙った。
ひなたは特別なことを言ったつもりはないらしい。そのまま明日の荷物を確認している。
けれど、蓮の中にはその言葉が少し残った。
四人とも無事に帰る。
それは当然のことのようで、十年間の蓮には存在しなかった考え方だった。
自分が帰る。
それだけだった。
今は違う。
「うん」
蓮は小さく頷いた。
「四人で帰ろう」
「うん」
ひなたも笑った。
◆
その後、美月はテーブルへ地図を広げた。
「最後に、明日の動きを確認しよう」
三人も集まる。
今回の調査対象は、魔物の減少が特に大きい三つの区画だ。まずは入口から最も近い区画へ向かい、そこから順番に奥へ進む予定になっている。
「基本はいつも通り」
美月が地図を指でなぞる。
「先頭は玲奈。その後ろを蓮。私は三番目で、ひなたが最後尾」
「分かった」
蓮は頷いた。
以前、《白樹の迷宮》へ入った時と同じ隊列だ。
先頭の玲奈が前衛として敵を受け止める。その後ろを蓮が進み、状況に応じて前にも後ろにも動く。
三番目の美月は全体を見ながら判断し、魔法で援護する。最後尾のひなたは周囲を警戒しながら、回復と支援を担当する。
蓮にとっても、もう見慣れた並びだった。
「ただし今回は討伐が目的じゃないから、無理に全部の魔物と戦う必要はないよ」
「避けられるなら避ける?」
「そう」
美月が頷く。
「できるだけダンジョンの状態をそのまま見たいから」
「倒したら、それだけでも分布が変わるもんね」
ひなたが言う。
「そういうこと」
蓮は地図を見る。
魔物が減っている区画。
その周囲へ移動したように見える魔物たち。
何か理由がある。
それが何なのかは、まだ誰にも分からない。
「蓮」
「ん?」
「また考えてる」
玲奈が笑う。
「うん」
「そんなに気になる?」
「気になる」
「顔に出てるよ」
「そう?」
「かなり」
蓮は自分の頬に触れた。
美月とひなたが笑う。
「明日になれば見られるよ」
美月が地図を畳む。
「今日はちゃんと休もう」
「分かった」
蓮は頷いた。
準備は終わった。
装備も、荷物も、《封魔の手袋》も。
あとは実際にダンジョンへ向かうだけだ。
十年間、ダンジョンの奥へ進むことを楽しみだと思ったことなど、一度もなかった。その先にあるのは、いつも生きるか死ぬかだったからだ。
けれど今は違う。
明日は美月がいる。
玲奈がいる。
ひなたがいる。
そして自分もいる。
蓮は畳まれた地図へ目を向けた。
魔物が避けているように見える、青い印の多い場所。
そこに何があるのか。
まだ分からない。
だからこそ。
蓮は、少しだけ明日を楽しみにしていた。




