第209話 魔物の偏り
翌日。
蓮たち四人は、昨日選んだ依頼を正式に受けるため、冒険者ギルドを訪れていた。
受付へ提出したのは、蓮が自分から「行ってみたい」と選んだ一枚の依頼書。
Aランクダンジョン内部調査。
内容そのものは、魔物の討伐でも、危険な個体の排除でもない。
最近になって確認され始めた、ダンジョン内部の魔物分布の変化。その原因を調べることが今回の目的だった。
「こちらですね」
受付職員が依頼書を確認し、別の資料を取り出した。
「昨日お渡ししたものより、こちらの方が詳しい調査記録になります」
「ありがとうございます」
美月が受け取り、テーブルの上へ広げる。
蓮たちもその周囲に集まった。
描かれていたのは、今回入るダンジョンの内部地図だった。
いくつかの区画には印が付けられている。
「赤が増えてる場所?」
蓮が聞く。
「そうみたい」
美月が資料へ目を落とした。
赤い印が付いているのは、以前より魔物の遭遇数が増えている区画。
反対に青い印が付いている場所では、魔物の数が減っていた。
「全体では増えてないんだね」
ひなたが言う。
「うん」
美月が頷く。
「ダンジョン全体で確認されてる魔物の数には、大きな変化はないみたい」
「じゃあ、やっぱり移動してるだけ?」
玲奈が地図を覗き込む。
「可能性は高いと思う。でも……」
美月の指が、地図の一角で止まった。
「ここ」
青い印がいくつも集中している。
周囲と比べても、魔物の減少が明らかだった。
「この辺だけ、特に少ない」
蓮も地図を見る。
その区画を中心にするように、周囲では魔物の数が減っている。
そして、そこから少し離れた場所に赤い印が増えていた。
「……逃げてる?」
蓮が呟いた。
三人が蓮を見る。
「どうしてそう思ったの?」
美月が聞く。
「分かんないけど」
蓮は地図を指差す。
「ここからいなくなって、こっちに集まってるように見えるから」
「確かに」
玲奈が腕を組む。
「何かを避けてるってこと?」
「それもまだ分からないみたい」
美月が資料をめくる。
魔物の種類に変化はない。
新しい種類の魔物が確認されたわけでもない。
強力な個体が現れた記録もない。
さらに、魔力濃度にも大きな変化は確認されていなかった。
「ランク変異の兆候は?」
玲奈が聞く。
「今のところなし」
美月はすぐに答えた。
「魔力濃度も安定してるし、出現してる魔物の強さも以前と同じ。ダンジョン自体の危険度が上がってるわけじゃないみたい」
「じゃあ、本当に分布だけなんだ」
「今のところはね」
美月の言葉に、蓮はもう一度地図を見る。
魔物がいる場所。
いなくなった場所。
その間に、何かはっきりした境界があるわけではない。
けれど、やはり偏っている。
「いつから?」
「最初に報告されたのが十日くらい前」
美月が答える。
「最初は偶然だと思われてたみたい。でも、その後に入った別のパーティーからも同じ報告があって、それでギルドが記録を確認したら、本当に分布が変わってた」
「十日……」
蓮は小さく呟いた。
一日や二日なら、魔物がたまたま移動しただけかもしれない。
けれど、十日近く同じ状態が続いている。
それなら、何か理由がある。
「気になる?」
ひなたが聞いた。
「うん」
蓮は素直に頷いた。
「昨日より気になる」
「増えてるじゃん」
玲奈が笑う。
「だって、理由が分かんないから」
「だから選んだんでしょ?」
「うん」
「やっぱり蓮らしいね」
「そうかな」
自分ではよく分からない。
ただ、理由の分からない変化をそのままにしておくのが気になった。
十年間いたダンジョンでも、そうだった。
いつもいる場所に魔物がいない。
昨日まで通れた場所が通れない。
見たことのない足跡がある。
そういう小さな変化を見逃せば、それが死につながることもあった。
だから蓮は、分からないものを見つければ確かめるようになった。
もっとも。
今は、あの頃とは違う。
一人で危険の中へ入っていく必要はない。
「調査範囲は?」
美月が受付職員へ聞く。
「今回お願いしたいのは、主にこちらです」
職員が地図の一部を指す。
「魔物の減少が特に大きい三つの区画。それから、その周辺です」
「原因が分からなかった場合は?」
「無理に突き止める必要はありません。現地の状況確認と記録が最優先です」
「分かりました」
「また、地図にない通路や、これまで報告されていない変化を発見した場合も、可能であれば記録してください。ただし、危険だと判断した場合はその場で引き返して構いません」
美月が頷く。
「了解です」
蓮はその言葉を聞きながら、地図を見ていた。
地図にない通路。
知らない場所。
その言葉に、少しだけ興味が向く。
「蓮」
「ん?」
「勝手に先へ行ったら駄目だからね」
美月に突然そう言われ、蓮は顔を上げた。
「行かないよ」
「今、ちょっと行きたそうな顔してた」
「してない」
「してたよ」
「してないけど」
玲奈が笑う。
「まあ、蓮なら地図にない道見つけたら気になりそうだけどね」
「玲奈まで」
「でも、今回は調査だから」
美月は冗談めいた表情から少しだけ真面目な顔に戻る。
「何か見つけても、まず四人で確認する。それからどうするか決めよう」
蓮は少しだけ考えた後、頷いた。
「分かった」
以前なら、自分で確認した方が早いと思ったかもしれない。
実際、今でも一人で行けば大抵のことには対応できると思っている。
それでも今は、《アストラ》として依頼を受けている。
自分だけが無事ならいいわけではない。
四人で入り、四人で調べ、四人で帰る。
それが今の蓮にとっても、当たり前になりつつあった。
「それじゃあ、正式に受注しますね」
受付職員が手続きを進める。
しばらくして、依頼が《アストラ》のものとして登録された。
「出発は?」
玲奈が聞く。
「明日の朝にしようと思う」
美月が答える。
「今日は必要なものを揃えて、地図も一度ちゃんと確認しておきたい」
「賛成」
ひなたが頷く。
「調査なら、記録用の道具も多めにあった方がいいよね」
「そうだね」
美月が蓮を見る。
「蓮も《封魔の手袋》、調整しておこうか」
「前と同じくらい?」
「今回はAランクダンジョンだから、前より少し余裕を持たせてもいいと思う」
「分かった」
もう、そのやり取りにも迷いはなかった。
蓮自身が《封魔の手袋》を使う理由も、以前とは少し変わっている。
ただ力を隠すためではない。
三人と同じ場所で、同じ依頼をこなすため。
一人ですべてを終わらせるのではなく、《アストラ》として動くための調整でもある。
手続きを終えた四人は、もう一度地図を見る。
赤い印。
青い印。
そして、その中心にある魔物の少ない区画。
今のところ、危険な兆候はない。
大事件でもない。
ただ、理由だけが分からない。
「明日か」
蓮が呟く。
「楽しみ?」
美月が聞いた。
「うん」
蓮は地図から目を離さずに答えた。
「何があるんだろ」
その時はまだ、四人とも知らなかった。
この小さな違和感が、これまで誰も記録していなかった場所へつながっていることを。




