第206話 友人
蓮が話し終えたあと、しばらく誰も口を開かなかった。
十五歳で偶然あの場所へ入り、出口を失ったこと。十年間、一人で生きていたこと。百階まで進み、最後にはLv600の古龍を倒したこと。
クロフォードにとっては、どれも想像していたUnknownの姿とは大きく違っていた。
「黒瀬」
「はい」
クロフォードが静かに蓮を見る。
「話してくれて、ありがとう」
「…………」
蓮が少し目を瞬く。
「俺の方が言うんじゃないんですか?」
「何を?」
「聞いてくれて、ありがとうございますって」
「…………」
クロフォードが僅かに笑った。
「それなら、お互い様ということにしておこう」
「……分かりました」
蓮も少しだけ笑う。
クロフォードは、それ以上ダンジョンについて聞かなかった。古龍についても、蓮の現在の能力についても、装備についても聞かない。
蓮が自分から話したところまで。そこで止めていた。
「…………」
蓮はそれが少し嬉しかった。
◆
その後、食事の席には再び穏やかな空気が戻った。
玲奈が料理を追加し、ひなたがそれを見て「まだ食べるの?」と笑う。美月も会話に加わり、クロフォードも時々笑いながら答えていた。
さっきまで十年間の話をしていたとは思えないほど、空気は柔らかくなっていた。
「そういえば」
玲奈がクロフォードを見る。
「クロフォードさんって、いつまで日本にいるんですか?」
「まだ決めていない」
「そうなんですか?」
「ああ。急いで帰る必要もないからな」
「じゃあ、しばらくいるかもしれない?」
「その可能性はある」
「へえ」
玲奈は頷き、それ以上は聞かなかった。
蓮もクロフォードを見る。
「帰ったら、またダンジョンですか?」
「おそらくな」
「鍛錬も?」
「ああ」
「…………」
「何だ?」
「本当にずっと鍛えるんですね」
「昨日も今日も、その話をしている気がするが」
「そうでした」
クロフォードが苦笑する。
「ただ」
一度、言葉を止めた。
「昨日の模擬戦で、新しく考えたいことも増えた」
「俺と戦ったから?」
「ああ」
「…………」
「今までのままでは、次も同じ結果になる」
クロフォードは淡々と言った。
負けたことを引きずっているようには見えない。けれど、忘れてもいない。
「だから、次は変える」
「次?」
蓮が聞き返す。
クロフォードは少しだけ笑った。
「また戦ってくれるだろう?」
「…………」
蓮は少し考える。
「また会った時?」
「ああ」
「どこで会うかは分からないけど」
「場所はどこでもいい」
クロフォードが答える。
「次に会った時でいい。その時、もう一度頼みたい」
蓮はクロフォードを見る。
昨日、初めて戦った時。世界二位がどれほど強いのか知りたかった。
実際に戦ってみて、強いと思った。そして、クロフォードはこれからも強くなると言っている。
「……いいですよ」
「本当か?」
「はい」
蓮は少しだけ考えてから続ける。
「次に会った時、また戦いましょう」
「…………」
クロフォードの表情が僅かに緩む。
「ああ」
短い返事だった。
けれど、嬉しそうだった。
◆
食事も終わりに近づいた頃。
「黒瀬」
「はい」
「一つ、いいか?」
「何ですか?」
クロフォードは少し考えてから言った。
「いつまでクロフォードさんと呼ぶつもりだ?」
「…………」
蓮が止まる。
「駄目ですか?」
「駄目ではない」
「じゃあ」
「ただ」
クロフォードが少し笑う。
「ここまで話して、また戦う約束までしたんだ」
「…………」
「エイドリアンでいい」
蓮が目を瞬く。
「名前?」
「ああ」
「…………」
蓮は少し考えた。
「エイドリアンさん?」
「できれば、さんもいらない」
「…………」
玲奈が笑いを堪えている。
「蓮、難しそうな顔してる」
「だって」
蓮はクロフォードを見る。
「年上ですよね?」
「そうだな」
「世界二位だし」
「順位は関係ないだろう」
「…………」
「少なくとも、今ここではな」
蓮はさらに少し考える。
呼び捨て。
慣れていない。
けれど。
「……エイドリアン」
「ああ」
クロフォードが頷く。
蓮は少しだけ違和感を覚えた。
でも。
嫌ではなかった。
「では」
クロフォードが続ける。
「私も蓮でいいか?」
「俺?」
「ああ」
「…………」
蓮は美月たちを見る。
「なんでこっち見るの?」
玲奈が笑う。
「自分で決めなよ」
「…………」
蓮はクロフォードへ視線を戻した。
「いいですよ」
「分かった」
クロフォードは少しだけ笑う。
「蓮」
「…………」
名前で呼ばれる。
さっきまでとは、少し違って聞こえた。
「エイドリアン」
「ああ」
今度は、さっきより自然に呼べた。
◆
店を出る頃には、外は少し暗くなっていた。
五人で歩きながら、蓮は隣にいるエイドリアンを見る。
最初に会った時は、世界二位という印象しかなかった。七年間、自分の下にいた人。自分に会うために日本へ来た人。それだけだった。
けれど今は少し違う。
一緒に話した。剣を交えた。食事をした。自分の十年間についても話した。そして、また会った時に戦う約束もした。
「蓮」
「ん?」
「次は負けない」
「…………」
隣を歩くエイドリアンが言った。
蓮は少し考える。
「俺も」
「?」
「次も負けるつもりはないです」
「…………」
エイドリアンが笑う。
「ああ。それでいい」
蓮も少しだけ笑った。
世界一位と世界二位。
そんな順位とは関係なく。
蓮は隣を歩くエイドリアンを見る。
たぶん。
こういう相手を。
友人と呼ぶのだと思った。




