第204話 十年間
「俺がそこに入ったのは、十五歳の時です」
「十五歳?」
クロフォードの表情が僅かに変わった。
「はい」
蓮は頷く。
「あの時は、まだダンジョンって言葉も知らなかったです。山を歩いてたら、たまたま洞窟を見つけて」
「洞窟?」
「はい。ただの洞窟だと思って、少しだけ入ったんです」
あの頃のことを思い出す。家に戻る気になれず、当てもなく歩いているうちに街を離れ、気づけば山の中まで来ていた。そこで偶然見つけたのが、岩壁に開いた洞窟だった。
「中に入って、少し進んだら地面が揺れて」
一度、言葉を止める。
「振り返った時には、出口がなくなってました」
「…………」
「さっきまで入口だったところが、岩壁になってたんです」
クロフォードは何も言わなかった。
「叩いても、押しても駄目で。携帯も電波がなくて」
「それで、奥へ?」
「はい」
蓮は頷く。
「外へ戻れないなら、他に出口があるかもしれないと思って」
最初は、それだけだった。どこかへ進めば外へ出られる。そんなふうに考えていた。
けれど、出口はすぐには見つからなかった。
代わりにいたのは魔物だった。食べるものを探し、水を探し、眠れる場所を探した。襲われれば戦い、勝てなければ逃げた。
「……一人だったのか?」
クロフォードが聞いた。
「はい」
「最初から?」
「ずっとです」
「…………」
その返事を聞いた瞬間、クロフォードが黙った。
玲奈とひなたも何も言わない。美月だけが蓮を静かに見ている。彼女たちはすでに知っている話だったが、こうして蓮自身の口から改めて聞くと、やはり軽い話ではなかった。
「その場所には、他の人間はいなかった?」
「見たことないです」
「…………」
「十年間、ずっと」
クロフォードの眉が僅かに動いた。
「……待ってくれ」
「?」
「今、十年間と言ったか?」
「はい」
蓮は頷く。
「十五歳で入って、外に出られたのが二十五歳だったので」
「…………」
「十年です」
個室が静かになった。
クロフォードは蓮を見たまま、すぐには言葉を返さなかった。自分がずっと疑問に思っていた七年間の空白よりも、さらに長い。
「十年間……ずっと、その中に?」
「はい」
「一人で?」
「はい」
「…………」
クロフォードは一度視線を落とした。
「外のことは?」
「何も知らなかったです」
蓮は淡々と答える。
「ダンジョンが世界に出てきたことも、冒険者がいることも、ランキングがあることも知りませんでした」
「…………」
「クロフォードさんのことも知らなかったです。Unknownって呼ばれてたことも」
クロフォードがゆっくり息を吐いた。
七年間、自分はランキングの一番上にいるUnknownを見てきた。その正体が誰なのか。どこで何をしているのか。なぜ誰も見つけられないのか。
答えは、想像していたものとはまるで違っていた。
「……君は」
クロフォードが言う。
「私たちがランキングを見ていた七年間も、その中にいたのか?」
「たぶん」
蓮は少し考える。
「ずっと中にいました」
「…………」
「外で何が起きてるかなんて、何も知らないまま」
その言葉で、クロフォードはようやく理解した。
なぜ活動の記録がほとんどないのか。なぜ誰もUnknown本人を見つけられなかったのか。なぜ世界一位でありながら、外の世界で姿を見せなかったのか。
そもそも、黒瀬蓮は外の世界にいなかった。
◆
「……怖くなかったのか?」
クロフォードが聞いた。
蓮は少し考えた。
「怖かったです。最初は特に」
何も分からなかった。振り返れば出口は消えている。助けを呼んでも誰も来ない。携帯も繋がらない。食べ物も水もなく、その先には見たこともない魔物がいた。
「帰りたかったし、死にたくなかったです」
「…………」
「だから、その日を生きることだけ考えてました」
クロフォードは黙って聞く。
「気づいたら、それを十年続けてました」
「…………」
クロフォードはすぐには答えなかった。
笑って済ませられる話ではない。けれど蓮にとっては、それが十年間の日常だったのだろう。特別なことではなく、生きるために必要だった毎日の積み重ね。
「黒瀬」
「はい」
「よく、生きて帰ったな」
「…………」
蓮が目を瞬く。
「そうですか?」
「ああ」
クロフォードは真っ直ぐ答える。
「十五歳から十年間、一人だったんだぞ」
「…………」
「それだけでも、私には簡単に想像できない」
蓮は少しだけ黙った。
自分自身、あの十年間を特別なこととして考えることはあまりなかった。生きるしかなかったから、生きた。ただそれだけだった。
「…………」
クロフォードは蓮を見ていた。
七年間、世界中が探しても正体の分からなかったUnknown。その理由は、ようやく分かった。
けれど、今度は別の疑問が残った。
十五歳から二十五歳まで。
十年間。
たった一人で。
そんな場所を。
黒瀬蓮は、どうやって生き残ったのか。




