第203話 話してもいいと思った
蓮は目の前のクロフォードを見ていた。
少し前まで、自分にとっては世界ランキング二位という印象が一番大きかった。七年間、自分の下にいた人。自分に会うために日本まで来た人。そんなふうに見ていた。
けれど、今は少し違う。
最初に七年間の空白について聞かれた時、蓮は「今は話したくない」と答えた。クロフォードはそれ以上聞かなかった。その後も、模擬戦で蓮が力を抑えていると気づいていながら、どれだけ抑えていたのかも、その方法も聞かなかった。
そして今日も、自分のことは話したのに、蓮が話さなかったことには一度も触れなかった。
「…………」
蓮は少し考えてから、口を開いた。
「クロフォードさん」
「何だ?」
「この前」
一度、言葉を止める。
「俺が話さなかったこと、覚えてますか?」
「…………」
クロフォードの表情が僅かに変わった。
「ああ」
「七年間のこと」
「覚えている」
それだけ答えて、クロフォードは黙った。
何があったのかとは聞かない。話すのかとも聞かない。ただ、蓮が次に何を言うのかを待っている。
「…………」
その態度を見て、蓮はやっぱり話してもいいと思った。
「そのこと」
「ああ」
「……話してもいいですか?」
「…………」
クロフォードが一瞬だけ目を見開いた。
玲奈たちも蓮を見る。美月も何も言わなかったが、少しだけ驚いているようだった。
「もちろん」
クロフォードは静かに答えた。
けれど、すぐに続ける。
「ただ、黒瀬」
「はい」
「無理に話す必要はない」
「…………」
「この前、話したくないと言ったことを、私が聞きたいから話す必要はないという意味だ」
蓮は少し考えてから頷いた。
「大丈夫です」
「そうか」
「俺が、話してもいいと思ったので」
「…………」
クロフォードは数秒、蓮を見ていた。
やがて、小さく頷く。
「分かった」
それ以上は何も言わなかった。
◆
「でも」
蓮は少し迷ってから続けた。
「全部は、まだ話さないと思います」
「ああ。それでいい」
「どこまで話すかも、たぶん途中で決めます」
「構わない。君が話したいところまででいい」
クロフォードの返事は早かった。
「それに、ここで聞いたことを私から誰かに話すつもりもない」
蓮が顔を上げる。
「ギルドにも?」
「君の許可がなければ話さない」
「…………」
蓮は少しだけ安心した。
「ありがとうございます」
「だから、礼は必要ない」
クロフォードが小さく笑う。
蓮も僅かに笑った。
「昨日も言ってましたね」
「同じことを何度も言わせるからだ」
「……すみません」
「謝る必要もない」
「…………」
玲奈が横で小さく笑った。
「なんか二人、昨日からそれ繰り返してない?」
「そう?」
「蓮がありがとうって言って、クロフォードさんが礼はいらないって言って、今度は蓮が謝って」
蓮は少し考える。
「じゃあ、何も言わない方がいい?」
「そういう話じゃないよ」
ひなたが笑い、美月も小さく笑った。クロフォードも少しだけ表情を緩める。
その空気のおかげで、蓮の中にあった僅かな緊張も少しだけ薄れた。
◆
「…………」
蓮はしばらく黙っていた。
クロフォードも急かさない。何も聞かず、ただ待っている。
美月たちも同じだった。
何から話すのか。どこまで話すのか。それを決めるのは蓮自身だと分かっている。
「急がなくていい」
クロフォードが静かに言った。
「……はい」
蓮は一度、ゆっくり息を吐いた。
話すことは多い。
あの日のこと。
あの場所のこと。
外へ戻れなくなったこと。
そして、その中で過ごした時間のこと。
美月たちには、すでに多くを話している。けれど、クロフォードに話すのは初めてだった。
「…………」
蓮は自分の手を見る。
それから、顔を上げた。
「クロフォードさん」
「ああ」
「七年前の俺が、どこにいたのかって聞きましたよね」
「聞いた」
「その時」
蓮は少しだけ言葉を探す。
「俺は、外にはいませんでした」
「…………」
クロフォードは黙ったまま蓮を見る。
「正確には」
蓮は続けた。
「外に出られなかった」
「…………」
クロフォードの表情が僅かに変わる。
それでも。
何も聞かない。
続きを待っている。
「…………」
蓮はその顔を見ながら、もう一度だけ考えた。
そして。
今度は迷わなかった。




