第198話 全力ではない
模擬戦が終わった。
蓮とクロフォードは、互いに剣を下ろしたまま向かい合っていた。
「…………」
クロフォードは静かに息を整える。まだ身体の周囲には僅かに風が残っていたが、それも少しずつ消えていく。
蓮も《黒月》を下ろした。
「……終わった」
「ああ」
クロフォードが答える。その声には、戦っている最中の鋭さはもうなかった。
「黒瀬」
「……はい」
「さっきも言ったが」
クロフォードは剣を見て、それから蓮を見る。
「強かった」
「…………」
蓮は少しだけ困ったようにクロフォードを見る。
「クロフォードさんも、強かったです」
「ああ」
「本当に」
蓮はもう一度言った。
「……強かったです」
「…………」
クロフォードが僅かに笑う。
「二度も言ってもらえるとは思わなかったな」
「でも、本当にそう思ったので」
「そうか」
短く答える。けれど、その表情は少し嬉しそうだった。
◆
「蓮!」
玲奈の声が響く。三人が近づいてきた。
「お疲れ!」
「……うん」
「いや、うんじゃなくて」
玲奈は一度蓮を見て、それからクロフォードを見る。
「二人とも速すぎて、途中から何やってるのか分かんなかったんだけど」
「私も全部は追えなかったよ」
ひなたが苦笑する。
美月も蓮の前まで来ると、まず身体を見る。
「怪我は?」
「ないよ」
「本当に?」
「うん」
「クロフォードさんは?」
美月が尋ねる。
「私も問題ない」
クロフォードが答えた。
決着は《黒月》が首元へ届く前に止められている。互いに大きな怪我はない。
「なら、よかった」
美月が小さく息を吐いた。
「…………」
蓮は自分の手を見る。《封魔の手袋》は、まだ着けたままだ。模擬戦が始まる前に決めた制限も、そのまま。
最後まで、解除することはなかった。
◆
「黒瀬」
「?」
呼ばれて、蓮が顔を上げる。クロフォードがこちらを見ていた。
「一つだけ」
少し間を置く。
「聞いてもいいか?」
「……はい」
「今ので」
クロフォードは真っ直ぐ蓮を見る。
「君は全力だったか?」
「…………」
玲奈たちも黙る。蓮は少しだけ考えた。
そして。
「……違います」
答えた。
「…………」
クロフォードは驚かなかった。ただ、静かに蓮を見る。
「やはり、そうか」
「分かってたんですか?」
「確信はなかった」
クロフォードは答える。
「だが、そうではないかと思っていた」
「…………」
「君には、まだ余裕があった」
一度言葉を切る。
「少なくとも、すべてを出しているようには見えなかった」
蓮はクロフォードを見る。
「…………」
「ただ」
クロフォードが続ける。
「どれだけ残していたのかは聞かない」
「…………」
「どうやって力を調整していたのかもな」
蓮の視線が僅かに自分の手へ向く。クロフォードはそれ以上見なかった。
「そこまで聞くのは、今日の約束には入っていない」
「……ありがとうございます」
「礼を言われることでもない」
クロフォードは小さく笑った。
◆
「でも」
蓮が言う。
「?」
「クロフォードさんと戦って」
少し考える。
「最初より、ちゃんと戦うようになりました」
「…………」
「最後の方は」
一度言葉を止める。
「かなり集中してました」
クロフォードが少し目を見開く。
「それは」
小さく息を吐く。
「かなり嬉しい言葉だな」
「そうなんですか?」
「ああ」
全力ではなかった。まだ先がある。どれほど先なのかは分からない。
それでも、自分の剣が何も意味を持たなかったわけではない。
戦いの途中から、蓮は明らかに自分の剣を見る目を変えた。最後には、自分の動きを利用して、反撃まで入れてきた。
クロフォードにとっては、それで十分だった。
「…………」
玲奈が二人を交互に見る。
「なんか、クロフォードさん」
「何だ?」
「負けたのに嬉しそうですね」
「玲奈」
美月が止めようとする。けれど、クロフォードは笑った。
「悔しいよ」
「……やっぱり?」
「ああ。勝ちたかったからな」
そう言ってから、もう一度、蓮を見る。
「だが」
一度戦ったことで、七年間ずっと分からなかったものが、少しだけ見えた。
「来てよかったと思っている」
「…………」
蓮はその言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「俺も」
「?」
「戦ってみて、よかったです」
「…………」
「世界二位が」
蓮は少し考える。
「どれくらい強いのか、分かったので」
「そこか」
「……違いました?」
クロフォードが一瞬黙る。玲奈が吹き出した。
「蓮らしいけどね」
「…………」
クロフォードも、やがて小さく笑った。
「いや」
剣を収める。
「それでいい」
「…………」
そこで、美月が二人を見る。
「クロフォードさん」
「何だ?」
「明日って、何か予定ありますか?」
「明日?」
クロフォードが少し考える。
「いや。特には入れていない」
「だったら」
美月は蓮たちを一度見てから続けた。
「よかったら、一緒にご飯でもどうですか?」
「…………」
クロフォードが僅かに目を見開く。
「私も?」
「はい」
美月が頷く。
「せっかく日本まで来たんですし、今日もゆっくり話せてないですから」
「それに」
玲奈も口を挟む。
「ここまで蓮と会ったら、もう一回くらい普通にご飯食べてもいいですよね」
「玲奈、その言い方……」
ひなたが苦笑する。
「でも、私も賛成です」
「…………」
クロフォードは三人を見る。それから、蓮へ視線を向けた。
「黒瀬は?」
「俺?」
「ああ」
「…………」
蓮は少し考えた。
「明日は、普通にご飯ですよね?」
「…………」
クロフォードが一瞬黙る。
「ああ。そのつもりだ」
「なら、行きます」
「何その確認」
玲奈が吹き出す。
「だって今日は戦ったから」
「だからって明日も戦うわけないでしょ」
「分からないじゃん」
「分かるよ!」
クロフォードも小さく笑った。
「安心してくれ。明日は模擬戦をするつもりはない」
「分かりました」
「じゃあ決まりですね」
美月が笑う。クロフォードも頷いた。
「ああ。ぜひお願いしたい」
◆
模擬戦は終わった。勝ったのは蓮。
けれど、蓮にとっても、地上で初めて、実際に剣を交えて、はっきりと「強い」と思えた相手だった。
そして、明日はまた、クロフォードと会うことになった。
今度は、剣を交えるためではなく、一緒に食事をするために。




