第196話 届かない剣
クロフォードが踏み込む。
一歩。それだけで、二人の間にあった距離が消えた。
「…………」
蓮の首元へ剣が迫る。身体を沈める。頭上を刃が抜ける。
クロフォードは止まらない。そのまま身体を回し、風に押されるように次の一歩へ繋げる。
右。左。正面。
一つの斬撃が終わる前に、次の動きが始まっている。
「…………!」
蓮が《黒月》を添える。
ギィン――!
正面からは受けない。剣先を僅かにずらし、そのまま横へ抜ける。
クロフォードはすぐに追った。踏み込み。加速。斬撃。その境目は、ほとんどない。
「…………」
それでも、まだ、届かない。
◆
「……まだ、一回も当たってない」
玲奈が小さく呟く。
さっきまでより速い。明らかに強い。自分なら、一度目の踏み込みに反応できるかどうかも分からない。
なのに、蓮は避け続けている。
「でも、蓮もさっきまでとは違うよ」
ひなたが言った。
「うん」
美月も頷く。
《天嵐剣》が始まってから、蓮はほとんど正面から剣を受けていない。避ける。流す。位置を変える。それまでより明らかに動く量が増えている。
クロフォードの剣が、それだけの対応を蓮にさせている。
けれど、それでもまだ、刃は蓮へ届いていなかった。
◆
「…………」
クロフォードは攻撃を続けながら、蓮を見る。
右へ踏み込む。蓮が動く。途中で身体を切り返す。風がその動きを支え、反対側へ回る。
斬る。避けられる。
次。
今度は斬撃へ入る直前に角度を変える。それも避けられる。
「…………」
速さだけでは駄目だ。単純に軌道を変えるだけでも届かない。
クロフォードはさらに間合いを詰めた。蓮が後ろへ動く。追う。一歩。剣を振る。蓮が避ける。さらに追う。
一度でも足が止まれば。一瞬でも判断が遅れれば。届く。
そう思っていた。
けれど。
「…………」
遅れない。
蓮は必要以上に動かない。刃が届く場所から、ほんの少しだけ外れる。それだけ。
大きく逃げれば追える。だから、大きく逃げない。
正面から受ければ押し込める。だから、必要な時だけ《黒月》を触れさせて軌道を外す。
「……なるほど」
クロフォードが小さく呟く。
速さだけで避けているわけではない。
見ている。自分の剣を。《天嵐剣》を。
◆
「…………」
蓮も、少しずつ見えるものが増えていた。
最初は、一歩から斬撃までが全部繋がっていて、どこを見ればいいのか分かりにくかった。
今も、全部が分かるわけではない。次の動きを完全に読めるわけでもない。
それでも、何度も見るうちに、少しずつ、クロフォード自身の動きが見えてくる。
風が身体を補っていても、剣と移動が一つに繋がっていても、剣を振るのは、クロフォード自身だ。
身体の向きは変わる。重心も移る。肩も動く。足を置く場所もある。
「…………」
消えたわけではない。全部が、今までよりずっと滑らかに繋がっているだけ。
「……少しだけ」
蓮が呟く。
「何がだ?」
クロフォードが聞く。
「さっきより」
蓮は《黒月》を構え直した。
「見えるようになってきました」
「…………」
クロフォードの目が僅かに変わる。
「もうか?」
「全部じゃないです」
「…………」
「まだ、分からないところもあります」
クロフォードは数秒、蓮を見た。そして、僅かに笑った。
「それでも十分早い」
姿勢を沈める。
「もう一度だ」
「……はい」
クロフォードが踏み込んだ。
一歩で距離が消える。
右から剣。蓮が避ける。クロフォードがそのまま左へ切り返す。蓮も動く。
続く一歩。下から剣が跳ね上がる。
「…………」
蓮はそれを見る。
肩。腰。足。身体の向き。
今までより、ほんの少しだけ、次が見えた。
蓮が剣を避ける。そして、今度は下がらなかった。
「……!」
クロフォードの目が僅かに見開かれる。
蓮が一歩入る。クロフォードの斬撃が通り過ぎた、その直後。
《黒月》が動いた。
「――!」
クロフォードがすぐに剣を戻す。
ギィン――!
二本の剣がぶつかった。
「…………」
クロフォードが蓮の《黒月》を受け止める。
蓮はそのまま押し込まない。一撃を受けさせると、すぐに一歩離れた。
静かになる。
「…………」
クロフォードが僅かに目を見開く。
今度は、自分が受ける側だった。
「……今なら」
蓮が言う。
「入れると思ったので」
「…………」
クロフォードは蓮を見る。
ほんの少し前まで、蓮は避けるだけだった。流すだけだった。
それが今、《天嵐剣》の中へ、一度だけ、自分から入ってきた。
「そうか」
クロフォードが小さく息を吐く。そして、剣を構え直した。
「なら」
その目から、笑みが消える。
「もう一度、試そう」
「……はい」
蓮も《黒月》を構える。
まだ、《天嵐剣》のすべてが分かったわけではない。
それでも、さっきまで見えなかったものが、少しずつ、見え始めていた。




