第190話 開始前
蓮は、《アイテムボックス》から取り出した《封魔の手袋》を両手にはめた。
「…………」
クロフォードの視線が、一瞬だけその手元へ向く。けれど、何も聞かなかった。
蓮は手袋へ魔力を流す。身体の内側に満ちていた力が、ゆっくりと遠ざかっていく。
前日に美月たちと確認したところまで。何度か調整した感覚を思い出しながら、力を抑えていく。
「…………」
やがて、蓮が魔力を止めた。
冒険者カードを操作し、現在の能力値を確認する。
前回、《アストラ》との依頼でAランク帯まで落とした時よりは、はるかに高い。それでも、元の自分から見れば大幅に制限されている。
昨日、美月たちと決めた状態とほとんど同じだった。
「大丈夫?」
美月が聞く。
「……うん」
「昨日と同じくらい?」
「うん」
「ならよかった」
クロフォードが二人の会話を聞いて、蓮の手袋をもう一度見る。
「力を調整しているのか?」
「……少し」
「そうか」
それだけだった。
どういう装備なのか。どこまで能力を落としているのか。クロフォードは聞かなかった。
蓮も、それ以上説明しなかった。
「では」
支部長が二人を見る。
「最終確認をしましょう」
「はい」
「分かりました」
二人が答える。
「今回はあくまで模擬戦です。勝敗は、どちらかが敗北を認めた場合、戦闘の継続が難しいと判断された場合、あるいはこちらが危険だと判断した場合に決定します」
クロフォードが頷く。蓮も続いて頷いた。
「相手へ致命傷を与えるような攻撃は避けてください」
「もちろんだ」
「……はい」
「それから、必要以上に周囲へ被害が及ぶような攻撃も控えてください」
「分かった」
「……気をつけます」
支部長が一瞬だけ蓮を見る。
「できれば、本当にお願いします」
「……はい」
少し離れたところで、玲奈が口元を押さえた。
「玲奈」
「何も言ってないよ」
「……笑ってる」
「気のせい」
「…………」
美月とひなたも小さく笑っている。支部長が軽く咳払いをした。
「武器の使用も認めます。ただし、致命傷につながる使い方は避けてください」
クロフォードが腰の長剣へ手を添える。
蓮も、《アイテムボックス》へ意識を向けた。取り出したのは、《黒月》。
黒い刀身を持つ、蓮が長く使ってきた魔剣。
「…………」
クロフォードの視線が、初めて少し変わった。
「それが、君の剣か」
「……はい」
「名前は?」
蓮は少し迷ってから答える。
「《黒月》です」
「黒月……」
クロフォードは、それ以上何も聞かなかった。
蓮は剣を軽く握る。
今日は属性を纏わせない。火も、風も、雷も、光も。まずは、ただの剣として使う。
それも前日に決めていた。
「黒瀬」
「……はい」
「準備はできたか?」
クロフォードが聞く。
蓮は自分の身体を確認する。《封魔の手袋》によって、能力は大きく制限されている。《身体強化》も、最初から使うつもりはない。
「……大丈夫です」
「そうか」
クロフォードも長剣を抜いた。
ゆっくりと鞘から現れた刀身を見て、蓮の目が僅かに細くなる。
構えた瞬間、さっきまでとは、明らかに雰囲気が変わった。
「…………」
無駄がない。力みもない。ただ剣を持って立っているだけなのに、どこからでも動けそうに見える。
面会の時に感じたものより、ずっと分かりやすかった。
この人は、やっぱり、強い。
「蓮」
美月の声が後ろから聞こえる。
「怪我しないでね」
「……うん」
玲奈も続く。
「ちゃんと見てるから」
「……分かった」
「二人とも頑張ってください」
ひなたが言う。
「……うん」
蓮は三人から視線を戻した。
正面には、クロフォード。世界ランキング二位。Lv154。
初めて会った時には、どれほどのものなのか分からなかった。今は違う。
少なくとも、地上の冒険者の中でどれほど高い場所にいるのかは分かっている。そして、もうすぐ実際の動きも分かる。
「…………」
蓮は《黒月》を構えた。クロフォードも剣を構える。
二人の間から、さっきまでの会話の空気が消えていく。
「準備はいいですね」
支部長が確認する。
「ああ」
「……はい」
支部長が二人を見る。そして、片手を上げた。
「それでは――」
蓮の視線が、クロフォードだけを捉える。クロフォードも同じだった。
「始めてください」
次の瞬間、クロフォードが地面を蹴った。
「…………!」
一気に間合いが縮まる。
速い。
蓮がそう思った時には、すでにクロフォードの剣が目の前まで迫っていた。




