第189話 模擬戦の日
模擬戦を受けると伝えてから、支部長は準備を進めた。
場所は一般には公開されない訓練施設。立ち会うのも、支部長と安全管理を担当する職員、それから《アストラ》の三人だけ。
報道関係者はもちろん、他の冒険者にも知らせない。
そして、勝敗についても事前に簡単なルールが決められた。
どちらかが敗北を認めた場合。戦闘を続けられない状態になった場合。あるいは、立会人が危険だと判断した場合。
その時点で模擬戦を終了する。
「……分かりやすい」
説明を聞いた蓮が言う。
「そう?」
玲奈が隣から見る。
「……うん」
「もっと細かいルールがあると思ってた?」
「分からない」
「そこからか」
玲奈が苦笑する。
蓮にとって、決められたルールの中で誰かと戦うこと自体がほとんどなかった。
原初ダンジョンでは、相手を倒すか、自分が倒されるか。それだけだった。
けれど今回は違う。相手を倒し切る必要はない。勝敗が決まれば、そこで終わる。
「蓮」
美月が見る。
「ちゃんと止まってね」
「……うん」
「模擬戦だから」
「分かってる」
「なら大丈夫かな」
蓮も小さく頷いた。
前日には、《封魔の手袋》でどの程度まで能力を制限するかも確認している。前回の《アストラ》との依頼ほどは落とさない。
まずは決めた状態で始めて、実際のクロフォードの動きを見ながら、その先を判断する。
蓮は、そう決めていた。
◆
そして、模擬戦の日。
蓮たち四人は、支部長から指定された施設へ向かっていた。
「…………」
「蓮」
「ん?」
「緊張してる?」
美月に聞かれて、蓮は少し考える。
「……少し」
「お」
玲奈が反応する。
「ちゃんと緊張するんだ」
「……するよ」
「昨日まで全然そんな感じじゃなかったから」
「今日は戦うから」
「そっか」
玲奈が少し笑う。
「私は結構緊張してるけどね」
「玲奈は戦わないよ?」
「分かってる!」
「……?」
「見る方も緊張するの!」
ひなたが隣で小さく笑った。
「私も少し分かるかも」
「ひなたも?」
「うん。世界一位と世界二位の模擬戦だもん」
「…………」
蓮は、その言葉を聞いて少しだけ考える。
世界一位と世界二位。やっぱり、その言い方にはあまり実感がない。
今日戦う相手は、エイドリアン・クロフォード。
話してみれば、思っていたより話しやすかった。強くなりたいとはっきり言う人だった。そして、《鑑定》で見た能力も高かった。
蓮にとっては、その方がずっと分かりやすい。
「……着いたよ」
美月の声で、蓮が顔を上げる。
施設の中へ入り、職員の案内に従って進んでいく。周囲はすでに管理されていて、廊下にも余計な人影はない。
やがて、支部長が待つ場所へ到着する。
「黒瀬君」
「……こんにちは」
「神崎君たちも、ありがとうございます」
「いえ」
美月が答える。
支部長は蓮を見る。
「体調に問題はありませんか?」
「……大丈夫です」
「力を抑えて戦う準備も?」
「……はい」
「分かりました」
支部長は、それ以上詳しく聞かなかった。
蓮が普段の力をそのまま使わず、能力を制限して戦うことだけは事前に伝えてある。
「クロフォードさんは?」
蓮が聞く。
「もう来ています」
「……そうですか」
「準備をしています。もう少ししたら、こちらへ来るでしょう」
「……はい」
蓮は自分の両手を見る。《封魔の手袋》は、まだつけていない。
昨日決めたところまで能力を落とすのは、実際に戦う直前でいい。
「蓮」
美月が小さく声をかける。
「ん?」
「勝ち負けより、怪我しないことを優先してね」
「……うん」
「クロフォードさんも、蓮も」
「分かってる」
「ならいい」
美月が小さく頷いた。
その時、廊下の奥から足音が聞こえた。
「…………」
蓮が顔を上げる。支部長も、そちらを見る。
やがて姿を現したのは、見覚えのある長身の男だった。
エイドリアン・クロフォード。
面会の時とは違い、今日は腰に一本の長剣を下げている。
「黒瀬」
「……クロフォードさん」
クロフォードが蓮の前まで歩いてくる。
「来てくれたんだな」
「……はい」
「ありがとう」
「いえ」
蓮は、クロフォードを見る。
面会の時と同じ人物。けれど、剣を持って立っているだけで少し印象が違う。
「…………」
クロフォードも蓮を見る。
「準備は?」
「できます」
「そうか」
蓮は小さく頷いた。
そして、《アイテムボックス》から《封魔の手袋》を取り出した。




