第164話 次はいつ行く?
数日後。
朝。
「蓮」
「……?」
美月の声に、蓮が顔を上げる。美月は出かける準備をしていた。
「今日、ギルド行ってくるね」
「……ギルド」
「うん」
美月は鞄を持ちながら続ける。
「次の依頼、そろそろ見に行こうかなって」
「…………」
「お昼過ぎには帰ってくると思う」
「……うん」
「もし遅くなるようなら連絡するね」
「…………」
蓮は少しだけ止まった。
以前なら、ここでどこに行くのか、何時に帰るのか聞いていた。けれど今日は、美月の方から全部先に伝えてくれた。
「…………」
「じゃあ、行ってくるね」
美月が玄関へ向かう。
「……うん」
いつもなら、それだけだった。けれど蓮は少しだけ考える。
「…………」
「美月」
「ん?」
「……いってらっしゃい」
「…………」
美月が少しだけ目を見開く。それから、柔らかく笑った。
「うん」
「いってきます」
玄関の扉が閉まる。
「…………」
蓮はしばらく、その扉を見ていた。
どこに行くのか分かっている。何時頃に帰ってくるのかも分かっている。遅くなれば、連絡が来る。
「…………」
それだけで、前より少しだけ落ち着いていた。
◆
昼を過ぎて、しばらくした頃。
「ただいま」
玄関から美月の声がした。
「…………」
蓮がすぐに顔を上げる。
「……おかえり」
「うん。ただいま」
美月は靴を脱ぎながら笑った。
「ちゃんと言ったでしょ?」
「……うん」
「帰ってきた」
「…………」
蓮は少しだけ頷く。
「……帰ってきた」
それを聞いて、美月は何も言わず、少しだけ笑った。
◆
午後。
玲奈とひなたも、美月の家へやってきた。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
「……いらっしゃい」
蓮が答える。
玲奈が靴を脱ぎながら、蓮を見る。
「お」
「……?」
「今、ちゃんといらっしゃいって言った」
「…………」
「玲奈」
美月が少し笑う。
「いちいちチェックしないの」
「いや、前なら『……うん』とかだったじゃん」
「……そう?」
「そう」
蓮が少し考える。
「…………」
「……いらっしゃい」
「二回目はいらないって」
ひなたが小さく笑った。
◆
「それで」
四人がリビングに集まる。
「いくつか良さそうなのあったよ」
美月がスマートフォンを取り出す。
「依頼書?」
「写真撮ってきた」
「……写真」
「うん」
美月が画面を開く。ギルドで気になった依頼票を何枚か撮影してきたらしい。
「依頼そのものは持って帰れないからね」
「……他の人、見れなくなる」
「そういうこと」
美月がテーブルの中央にスマートフォンを置く。
「候補は三つ」
画面を一枚ずつ切り替えていく。
「まずこれ」
Bランク。指定魔物討伐。管理ダンジョン内に出現している、指定個体の討伐。
「次」
Bランク。魔石と指定素材の回収。
「最後が」
Aランク。管理ダンジョンの巡回調査。
玲奈が画面を見る。
「Aランクでもいいんじゃない?」
「私は大丈夫だけど」
美月がひなたを見る。
「ひなたは?」
「私も大丈夫です」
「…………」
美月が最後に蓮を見る。
「蓮はどうしたい?」
「…………」
蓮が画面を見る。
三つ。どれでも自分一人なら問題はない。
「……なんでも」
そこまで言って、止まった。
「…………」
三人は何も言わない。
蓮は少しだけ、この前のことを思い出す。
本当は、もう少し思っていることがあるなら、途中で諦めなくていい。
「…………」
もう一度、三枚の写真を見る。
「……これ」
「どれ?」
美月が画面を見る。
「Bランクの討伐?」
「……うん」
玲奈が少し意外そうに蓮を見る。
「Aランクじゃなくていいの?」
「……うん」
「なんで?」
「…………」
蓮が止まる。すぐには言葉が出てこない。でも今度は、三人とも待っていた。
◆
「前」
蓮がゆっくり口を開く。
「……白樹の迷宮で」
「うん」
美月が頷く。
「みんなに合わせて」
「…………」
「戦った」
「うん」
「…………」
少し考える。
「もう一回」
「……?」
「……やってみたい」
玲奈の表情が少しだけ変わる。
「パーティーで?」
「……うん」
蓮はもう一度、依頼票の写真を見る。
「この依頼なら」
「うん」
「……四人で」
少し止まる。
「戦えそうだから」
「…………」
三人が蓮を見る。
「だから」
蓮が少しだけ言葉を足す。
「……これがいい」
玲奈が一瞬黙った。それから、口元を緩める。
「めちゃくちゃ分かりやすかったじゃん」
「……そう?」
「うん」
美月も笑って頷く。
「蓮がどうしたいのか、ちゃんと分かった」
「…………」
蓮は少し考える。
「……伝わった?」
「伝わったよ」
「…………」
小さく頷く。
「……じゃあ」
画面を見る。
「これ」
「決まりだね」
◆
美月が依頼内容をもう一度確認する。
「指定魔物の討伐だから」
「うん」
「前みたいに二十階層全部巡回する依頼じゃない」
「……うん」
「対象を見つけて討伐」
「…………」
「討伐後に証明になる素材と魔石を持ち帰る」
「……分かった」
「それと」
美月が蓮を見る。
「今回は」
「……?」
「できるだけ最初から四人で戦う」
「…………」
「蓮が一人で終わらせない」
「……うん」
玲奈がすぐに入る。
「そこ重要」
「……分かってる」
「ほんとに?」
「…………」
「玲奈」
「だって蓮だよ?」
「……俺?」
「蓮だよ」
「…………」
ひなたが小さく笑う。
「でも前回は、ちゃんと待ってくれましたよ」
「そうだけどさ」
玲奈が蓮を見る。
「今回もお願いね」
「…………」
蓮は少し考えて。
「……四人でやる」
「うん」
「俺も」
さらに少しだけ続ける。
「……その方がいい」
美月が小さく笑った。
◆
「日程は?」
玲奈が聞く。
「三日後なら全員空いてる」
「私は大丈夫」
「私もです」
美月が蓮を見る。
「蓮は?」
「……俺も」
そこで、いつものように終わりかける。
「…………」
蓮は少しだけ考える。
「……行きたい」
「…………」
玲奈が笑う。
「おお」
「……何?」
「いや」
玲奈が少しだけ楽しそうに。
「ちゃんと言ったなって」
「…………」
「前なら」
少し真似をする。
「『……うん』」
「…………」
「だけだったでしょ」
「……そうかも」
「成長してるじゃん」
「…………」
「蓮さん」
ひなたも柔らかく笑う。
「ちゃんと伝わってますよ」
「……うん」
蓮は少しだけ、安心したように頷いた。
◆
「あ」
玲奈が何かを思い出す。
「そうだ」
「……?」
「依頼終わったら」
蓮を見る。
「焼肉ね」
「…………」
蓮が少しだけ目を見開いた。
「……覚えてた?」
「そりゃ覚えてるでしょ」
「この前」
「……うん」
「四人で行きたいって言ったじゃん」
ひなたも笑いながら頷く。
「私も覚えてます」
「…………」
蓮は三人を見る。
自分が言ったこと。自分がしたいと言ったこと。それを三人が覚えている。
「…………」
ダンジョンではなかった。誰かに何かを伝えることも、その言葉を覚えていてもらうことも。
「…………」
「蓮?」
美月が声をかける。
「……ううん」
「どうした?」
「…………」
少し考える。
「焼肉」
「うん」
「……楽しみ」
「…………」
美月が僅かに目を見開いた。
「楽しみ?」
「……うん」
「まだ行ってないのに?」
「…………」
蓮が少し考える。
「行きたいって」
「うん」
「思ってる」
「…………」
「四人で」
少しだけ言葉を続ける。
「食べるの」
「……うん」
「楽しみだと思う」
美月の表情が柔らかくなる。
「そっか」
「……うん」
玲奈が嬉しそうに笑う。
「じゃあ絶対行こう」
「……うん」
今度のその返事は、それだけでも十分だった。
◆
同じ頃。
冒険者ギルド。支部長室。
「支部長」
「なんだ」
職員が厚い書類の束を机の上へ置く。
「また海外からです」
「…………」
支部長が目元を押さえる。
「今度は?」
「アメリカ支部」
「…………」
「フランス支部」
「…………」
「ドイツ支部です」
さらに職員が別の書類を出す。
「他にも、研究機関と報道機関から」
「内容は?」
「黒瀬蓮本人への取材依頼」
「…………」
「面会希望」
「…………」
「それから、各国ギルドからも問い合わせが来ています」
支部長が小さく息を吐く。
「本人の許可なく、こちらから個人情報は出すな」
「はい」
「住所も連絡先もだ」
「承知しています」
「《アストラ》を通して接触しようとするところもあるだろう」
「すでに何件か」
「…………」
支部長の眉間に皺が寄る。
「そっちも勝手に繋ぐな」
「はい」
Unknown。
七年間、世界ランキング一位に名前だけが存在していた正体不明の冒険者。その正体が、日本の黒瀬蓮だと判明した。
世界に知られているのは、まだ決して多くない。
黒瀬蓮という名前。日本人であること。《アストラ》に所属していること。そして、長年世界ランキング一位だったUnknown本人だということ。
それだけでも十分だった。世界中の人間が彼を知ろうとするには。
「まだあるのか?」
「……一件」
職員の声が少しだけ変わった。
「これは」
支部長が顔を上げる。
「問い合わせではありません」
「何?」
「来日の連絡です」
「…………」
職員が一枚の書類を支部長の前へ置く。
支部長がそこに書かれた名前を見る。
「…………」
その表情が変わった。
「本人が来るのか?」
「はい」
「目的は?」
「黒瀬蓮に」
職員が静かに答える。
「会いたい、と」
「…………」
支部長はしばらく、その書類を見つめていた。
世界ランキング一位、黒瀬蓮。その存在が公になったことで、これまで遠い国にいた者たちまで動き始めている。
その頃、本人はそんなことなど知らず、次の依頼と四人で食べる焼肉を楽しみにしていた。
蓮の知らないところで、世界は確実に動き始めていた。




