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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第163話 言葉にするということ

それから、しばらくして。


 四人の間には、また少しだけ穏やかな空気が戻っていた。


「…………」


 蓮はソファに座ったまま、さっきの話をまだ考えていた。


 家族。怖い。安心。いなくなってほしくない。


 少し前までなら、どれも自分の中にあるものだとは分からなかった。今は少しだけ分かる。


 けれど、分かったからといって、すぐに言葉にできるわけではなかった。


      ◆


「蓮」


「……?」


 美月が隣から呼ぶ。


「さっきから、何考えてるの?」


「…………」


 蓮が止まる。


「……何」


「うん」


「…………」


 考えている。それは分かる。


 でも、何をどう考えているのか聞かれた瞬間、言葉が出てこなくなる。


「…………」


「蓮?」


「……分からない」


「分からない?」


「……うん」


 玲奈が少し首を傾げた。


「でも、何か考えてたんでしょ?」


「……考えてた」


「じゃあ、それを言えばいいんじゃない?」


「…………」


 蓮が玲奈を見る。


「……どうやって?」


「え?」


「…………」


「どうやってって」


 玲奈が少し止まる。


「普通に?」


「……普通」


「…………」


「分からない」


 今度は玲奈が黙った。


      ◆


 美月が少し考える。


「蓮」


「……なに?」


「もしかして」


「…………」


「頭の中では、もっといろいろ考えてる?」


「……うん」


「でも」


「……?」


「それを言葉にするのが難しい?」


「…………」


 蓮は少し考えた。


「……それも」


「それも?」


「……うん」


「じゃあ、他にもある?」


「…………」


 蓮は自分の中を探す。


 さっき、美月がいなくなるのは嫌だと思った。怖いとも思った。家族を、もう失いたくないとも思った。


 けれど、そこまで辿り着くのにかなり時間がかかった。


「……その前に」


「うん」


「…………」


「自分が」


 少しだけ言葉を止める。


「……何を思ってるのか」


「…………」


「分からない時がある」


 美月は静かに蓮を見る。


「感情が?」


「……たぶん」


「うん」


「それが分かっても」


「…………」


「どう言えばいいか」


 蓮は少しだけ眉を寄せる。


「……分からない」


      ◆


「なるほど」


 玲奈が腕を組む。


「じゃあ」


「……?」


「蓮の中では二段階あるんだ」


「……二段階?」


「まず」


 玲奈が指を一本立てる。


「自分が何を感じてるのか分からない」


「……うん」


「で」


 もう一本。


「分かったとしても、それをどう言葉にすればいいか分からない」


「…………」


 蓮は少し考えて。


「……たぶん」


「そりゃ」


 玲奈が少し困ったように笑う。


「会話短くなるよね」


「……短い?」


「短い」


「…………」


「かなり」


 ひなたも小さく頷く。


「質問したことには答えてくれるんですけど」


「……うん」


「そこで終わること、多いですよね」


「…………」


 蓮は少し考える。


「……必要なこと」


「はい?」


「答えてる」


「うん」


「…………」


「でも」


 蓮は不思議そうに三人を見る。


「それじゃ駄目?」


      ◆


「駄目じゃないよ」


 美月がすぐに答えた。


「短いことが悪いわけじゃない」


「……うん」


「ただ」


 少しだけ考える。


「蓮が本当はもっと思ってることがあるなら」


「…………」


「それが私たちには分からないこともある」


「…………」


 蓮が美月を見る。


「例えば」


「うん」


「この前の《白樹の迷宮》」


「……うん」


「帰ってきてから、楽しかったって言ったでしょ?」


「……言った」


「でも」


 美月が少し笑う。


「最初は、それだけだった」


「…………」


「あとから聞いていったら」


「……うん」


「四人で行ったのが楽しかったとか」


「…………」


「また行きたいとか」


「……うん」


「いっぱい出てきた」


「…………」


 蓮は少し止まる。


「でも」


「うん?」


「最初は」


「…………」


「楽しかった、しか」


 少し考える。


「……分からなかった」


「うん」


「あとから」


「…………」


「考えたら出てきた」


      ◆


 ひなたが静かに口を開く。


「十年間」


「……?」


「ずっと一人だったんですもんね」


「…………」


「話す相手も」


「……いなかった」


「そうですよね」


 蓮は少しだけ視線を落とす。


 十年間、人と話していない。


 誰かに今日あったことを話すことも、何が嫌だったか、何が怖かったか、何を考えたか説明することも、一度もなかった。


「ダンジョンでは」


 蓮が小さく言う。


「……話す必要なかった」


「うん」


「魔物に」


「…………」


「説明しても意味ない」


 玲奈が思わず少し笑う。


「それはそう」


「…………」


「でも」


 蓮が続ける。


「考えてはいた」


「どんなこと?」


「……魔物の位置」


「うん」


「強さ」


「…………」


「次に何してくるか」


「うん」


「どう倒すか」


「…………」


「逃げるなら、どこ」


「…………」


「食べ物」


「うん」


「水」


「…………」


「寝られる場所」


 蓮の言葉は淡々としていた。


「そういうのは」


「……うん」


「ずっと考えてた」


      ◆


「じゃあ」


 玲奈が少し興味を持ったように聞く。


「戦ってる時とか」


「……?」


「頭の中では、結構いろいろ考えてるの?」


「……うん」


「例えば?」


「…………」


 蓮が少し考える。


「右に二体」


「うん」


「奥に一体」


「…………」


「右の一体が先に動く」


「うん」


「奥は魔力溜めてる」


「…………」


「先に右倒したら」


「うん」


「残った一体が左に回る」


「…………」


「そこを避けて」


「うん」


「奥を先に斬る」


「…………」


 玲奈が目を瞬く。


「それ」


「……?」


「普通にめちゃくちゃ考えてるじゃん」


「……うん」


「パーティーでそれ言うなら?」


「…………」


 蓮は少し考える。


「……右」


「短っ!」


 玲奈の声が部屋に響いた。


「情報量削りすぎでしょ!」


「……?」


「今の説明、全部どこ行ったの!?」


「…………」


「頭」


「そういうことじゃない!」


 ひなたが口元を押さえて笑う。美月も少しだけ笑っていた。


      ◆


「でも」


 美月が言う。


「分かった気がする」


「……何が?」


「蓮」


 美月が蓮を見る。


「考えることと」


「……うん」


「人に伝えることが」


「…………」


「十年間、完全に別になってたんだね」


「…………」


 蓮は少し考える。


「……別?」


「うん」


「ダンジョンでは」


「…………」


「考えれば、それでよかった」


「……うん」


「誰かに説明する必要がなかった」


「…………」


「だから」


 美月がゆっくり言う。


「頭の中ではいっぱい考えてても」


「……うん」


「口に出すところまでいかないんじゃないかな」


「…………」


 蓮はしばらく黙った。そして。


「……たぶん」


 小さく頷いた。


      ◆


「じゃあ」


 玲奈が少し笑う。


「練習してみる?」


「……練習?」


「会話」


「…………」


 蓮が警戒するように玲奈を見る。


「なんでそんな顔するの」


「……何する?」


「別に難しいことしないって」


「…………」


「美月」


「私?」


「何か聞いてみて」


「急だなあ」


 美月は少し考える。そして。


「じゃあ」


 蓮を見る。


「今日」


「……うん」


「玲奈とひなたが遊びに来て」


「…………」


「どうだった?」


「…………」


 蓮が止まった。


      ◆


 どうだった。


 また、その質問。


 蓮は自分の中を探す。


 玲奈がいる。ひなたがいる。美月がいる。四人で話した。アイスを食べた。自分のことを、たくさん話した。


「…………」


 何を感じている。


「……嫌じゃない」


 玲奈が僅かに眉を上げる。


「そこから?」


「玲奈」


 美月がすぐに止める。


「いいの」


「でも」


「待とう」


「…………」


「蓮」


「……うん」


「続き、ある?」


「…………」


 蓮はまた考える。


「……帰ってほしいとも」


「うん」


「思ってない」


「…………」


 玲奈が今度は黙って聞く。


「…………」


「まだ」


 蓮が三人を見る。


「……一緒にいてもいい」


 ひなたが何か言おうとする。


「それって――」


「ひなた」


 美月が優しく止める。


「言わないであげよう」


「……はい」


「…………」


 蓮が少し不思議そうに見る。


「なんで?」


「蓮が自分で探した方がいいから」


「……自分で」


「うん」


      ◆


 蓮はまた、自分の中を探す。


 帰ってほしくない。まだ一緒にいてもいい。それなら、何なのか。


「…………」


 さっき話したことを思い出す。


 美月がいると安心する。玲奈やひなたがいなくなるのも嫌。


 なら、今三人がここにいることを、どう思っている。


「…………」


 長い沈黙。


 けれど、三人は何も言わなかった。待っている。急かさない。答えを教えない。


「…………」


 そして、蓮が小さく口を開く。


「……一緒にいたい」


「…………」


 三人が蓮を見る。


「たぶん」


 蓮は少しだけ考えて。


「……今は」


「…………」


「三人と」


 ゆっくり。


「……一緒にいたい」


 美月が柔らかく笑った。


「うん」


「…………」


「今、ちゃんと伝わったよ」


「……伝わった?」


「伝わった」


「…………」


 蓮は少しだけ、不思議そうな顔をした。


      ◆


「これ」


 蓮が聞く。


「……合ってる?」


 美月は少し笑う。


「またそれ聞く」


「……?」


「前も言ったでしょ」


「…………」


「感情には」


 美月が蓮を見る。


「正解も不正解もないよ」


「……うん」


「一緒にいたいって思ったなら」


「…………」


「そう伝えればいい」


「……それだけ?」


「それだけ」


「…………」


 蓮は考える。


 ダンジョンでは、間違えれば死ぬことがあった。判断には正解が必要だった。


 でも、誰かに自分の気持ちを伝えることには、正しい答えがない。


 まだ、それが少し不思議だった。


      ◆


「じゃあ」


 玲奈が楽しそうに笑う。


「もう一個」


「……まだやる?」


「やる」


「…………」


「今度は簡単」


「……何?」


「今日、何食べたい?」


「……焼肉」


「早っ」


「…………」


「そこは出るんだ」


「……食べたいから」


「はい」


 玲奈が指を立てる。


「そこで終わらない」


「……?」


「もう一個」


「…………」


「なんで焼肉食べたいの?」


「…………」


 蓮が考える。


「……美味しいから」


「もう一個」


「…………」


「玲奈」


 美月が笑う。


「追い込みすぎ」


「いや、いけるって」


「…………」


 蓮は少しだけ考え続ける。


 焼肉。


 地上に帰ってきてから、美月と二人で食べに行ったことがある。


 目の前で肉を焼いて、美月が「それ、もう食べられるよ」と教えてくれた。


 久しぶりに食べる、魔物以外の焼いた肉。温かいご飯。美月と向かい合って食べた。


 あの時間を、蓮は覚えていた。


「…………」


「……前に」


「うん」


 蓮が美月を見る。


「美月と食べた」


「焼肉?」


「……うん」


 美月も思い出したように笑う。


「美味しかった?」


「……うん」


「それで焼肉?」


「…………」


 蓮は少し考える。


「……また食べたい」


「うん」


 そこで、いつもなら終わっていた。


 けれど蓮は、もう少しだけ自分の中を探す。


 今は、美月だけではない。玲奈がいる。ひなたもいる。


「…………」


「今度は」


「うん?」


 蓮が三人を見る。


「……四人で」


「…………」


「食べてみたい」


 一瞬、玲奈が黙った。それから。


「それ!」


「……これ?」


「それ!」


 ひなたも笑う。


「すごく分かりやすいです」


「……分かりやすい?」


「はい」


 美月も嬉しそうに笑った。


「じゃあ、今度四人で行こっか」


「…………」


 蓮が少しだけ考えて。


「……うん」


 頷く。そして。


「……行きたい」


 さっきよりも、一つだけ言葉が増えた。


      ◆


「でも」


 蓮がぽつりと言う。


「……時間かかる」


「いいよ」


 美月が答える。


「……でも」


「待つから」


「…………」


「玲奈も」


「もちろん」


「ひなたも」


「待ちます」


「…………」


 蓮は三人を見る。


「毎回?」


 玲奈が笑う。


「毎回っていうか」


「……?」


「急いでる時は別だけど」


「…………」


「普通に話してる時くらい待つよ」


「はい」


 ひなたも頷く。


「蓮さんが言葉を探してるって分かれば」


「…………」


「待つのは全然嫌じゃないです」


「…………」


 美月も静かに頷く。


「だから」


「……うん」


「途中で諦めなくていいよ」


「…………」


「短くてもいい」


「……うん」


「でも」


「…………」


「本当はもう少し伝えたいって思った時は」


 美月が少しだけ笑う。


「ゆっくり探せばいい」


      ◆


 蓮は自分の手を見る。


 十年間、使わなかったもの。


 誰かに気持ちを伝えること。誰かに考えていることを説明すること。誰かが自分の言葉を待ってくれること。


 ダンジョンには、全部なかった。


「…………」


「俺」


「うん」


 美月が蓮を見る。


「……話せるようになる?」


「なるよ」


「…………」


「すぐじゃなくていい」


「……うん」


「十年使ってなかったんだから」


「…………」


「ゆっくりでいいよ」


「……ゆっくり」


「うん」


      ◆


 夕方。


 玲奈とひなたが帰る時間になった。


「じゃあ、またね」


「また来ます」


「……うん」


 蓮はいつものように、それだけ答えた。


 けれど、二人が玄関へ向かおうとした時。


「…………」


 少しだけ止まる。


「玲奈」


「ん?」


「ひなた」


「はい?」


「…………」


 二人が振り返る。


 蓮は言葉を探す。


「今日」


「うん」


「…………」


「来てくれて」


 少しだけ時間がかかる。


「……楽しかった」


 玲奈が笑った。


「うん」


 ひなたも柔らかく笑う。


「私もです」


「…………」


「また来るね」


「……うん」


 今度は、それだけでも十分だった。


      ◆


 二人が帰ったあと。


 家には蓮と美月だけが残った。


 美月がキッチンから戻ってくる。


「今日はどうだった?」


「…………」


 蓮はまた、その質問に止まる。


 いつもなら「楽しかった」。それだけで終わる。


「……楽しかった」


「うん」


 美月はそれ以上聞かず、待った。


「…………」


 蓮も少し考える。


「話すの」


「うん」


「……難しい」


「うん」


「自分が何思ってるかも」


「…………」


「まだ」


 言葉を探す。


「……分からない時ある」


「うん」


「分かっても」


「…………」


「どう言えばいいか」


「……うん」


「分からない」


「…………」


 美月は黙って聞いていた。


「でも」


「うん」


 蓮は美月を見る。


「……待ってくれるなら」


「…………」


「もう少し」


 少しだけ考える。


「……話せるようになりたい」


 美月がゆっくり笑った。


「うん」


「…………」


 蓮はまだ続けようとしていた。


 美月は何も言わず、待つ。


「俺」


「うん」


「…………」


「思ってること」


 少しだけ詰まる。


 それでも、今度は途中でやめなかった。


「……ちゃんと」


「…………」


「伝えられるようになりたい」


「うん」


 美月が小さく頷く。


「なれるよ」


「…………」


「一緒に練習しよ」


「……うん」


 蓮はそこで一度止まった。そして、もう一つ言葉を探す。


「……美月にも」


「え?」


「…………」


「ちゃんと」


 少しだけ時間をかけて。


「……伝えられるようになりたい」


「…………」


 美月は一瞬、何も言わなかった。それから、柔らかく笑う。


「うん」


「待ってる」


「…………」


 蓮は小さく頷いた。


 十年間、一人だった。


 考えることはたくさんあった。けれど、誰かに伝えることは一度もなかった。


 だから今はまだ、自分が何を感じているのか分からないことがある。分かったとしても、それをどう言葉にすればいいのか分からない。


 それでも今は、待ってくれる人がいる。聞いてくれる人がいる。伝えたいと思える人がいる。


 だから、少しずつ言葉にしていけばいい。


「…………」


 蓮は美月を見る。そして、さっきよりもほんの少しだけ自然に。


「……ありがとう、美月」


 そう言った。

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