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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第161話 感情の名前

四人で。アイスを買って。美月の家へ戻った。


「…………」


 蓮は。ソファに座り。買ってきたアイスを食べている。


「どう?」


 玲奈が聞いた。


「……?」


「アイス」


 蓮が。もう一口食べる。


「……美味しい」


「そっか」


「……うん」


 玲奈も。自分のアイスを食べる。


 それから。何気ない調子で聞いた。


「じゃあさ」


「……なに?」


「今、楽しい?」


「…………」


 蓮の手が。止まった。


「……楽しい?」


「うん」


「…………」


 少し。考える。


「……分からない」


「え?」


 玲奈が。蓮を見る。


「さっきアイス買いに行った時、楽しそうだったけど」


「……そう?」


「少なくとも、嫌そうではなかったよ」


「……嫌じゃない」


「じゃあ楽しいんじゃない?」


「…………」


 蓮は。また考える。


「……分からない」


 今度は。美月も蓮を見る。


「蓮」


「……なに?」


「楽しいっていう気持ちそのものが分からない?」


「…………」


「それとも」


 美月が。少し考える。


「自分が今、楽しいのかどうかが分からない?」


「…………」


 蓮は。しばらく黙った。


「……たぶん」


「うん」


「……そっち」


「自分の気持ちの方?」


「……うん」


      ◆


 美月は。少しだけ。表情を変えた。


「《白樹の迷宮》の時は」


「……うん」


「楽しかったって言ってたよね」


「……言った」


「あの時は分かったの?」


「…………」


 蓮が。少し考える。


「……終わってから」


「終わってから?」


「……うん」


 四人で。同じ敵を見る。


 玲奈が前に立つ。ひなたが探知する。美月が指示を出す。


 自分も。その中で動く。


 ダンジョンを出て。帰る途中。


 そこで。ようやく。


 自分の中に残っているものが。いつもとは違うと気づいた。


「……その時」


 蓮が言う。


「……楽しいって」


「分かった?」


「……たぶん」


「そっか」


 美月は。それ以上。すぐには言わなかった。


 ひなたが。静かに蓮を見る。


「蓮さん」


「……なに?」


「ダンジョンにいた時って」


「……うん」


「楽しいって思うこと、ありました?」


「…………」


 蓮が止まる。長い。沈黙。


「……覚えてない」


「一度も?」


「…………」


「……分からない」


 ひなたが。少しだけ表情を曇らせる。


 美月が。ゆっくり聞いた。


「じゃあ」


「……うん」


「悲しいって思ったことは?」


「…………」


 また。蓮は考える。


「……分からない」


「寂しいは?」


「…………」


 その言葉には。少しだけ。反応があった。


「蓮?」


「…………」


 蓮の視線が。テーブルへ落ちる。


「……最初は」


「うん」


「……あったと思う」


      ◆


 十年前。十五歳。


 突然。誰も知らない場所へ。一人で落ちた。


 出口は見つからない。周りに。人はいない。


 聞こえるのは。自分の足音と。魔物の気配。


「……帰りたいって」


 蓮が言う。


「……思ってた」


「うん」


「……怖かったし」


「…………」


「……一人だったから」


 美月は。何も言わずに聞いていた。


「……美月のことも」


「私?」


「……うん」


「…………」


「……家のことも」


 思い出した。何度も。何度も。帰りたいと思った。


 でも。


「…………」


 蓮の眉が。僅かに寄る。


「……考えても」


「うん」


「……何も変わらなかった」


「…………」


「帰りたいって思っても」


「……うん」


「出口、出なかった」


「…………」


「寂しくても」


「…………」


「誰も来なかった」


 玲奈が。黙る。ひなたも。何も言わない。


「怖くても」


 蓮が続ける。


「……魔物、止まってくれない」


「…………」


「お腹も減るし」


「…………」


「寝ないと動けないし」


「…………」


「怪我したら」


 自分で。どうにかするしかなかった。


「だから」


 蓮が。小さく言う。


「……考えなくなった」


「何を?」


 美月が聞く。


「…………」


「帰りたいとか」


「……うん」


「寂しいとか」


「……うん」


「悲しいとか?」


「…………」


 蓮は。少し考えて。


「……そう」


「怖いも?」


「……たぶん」


      ◆


「考えなくなったって」


 玲奈が。ゆっくり聞く。


「そんな簡単にできるの?」


「…………」


 蓮は。玲奈を見る。


「……分からない」


「…………」


「でも」


 少しだけ。考える。


「……考えてる暇、なくなった」


「暇?」


「……次」


「次?」


「……次の魔物」


「…………」


「次の階層」


「…………」


「食べ物」


「…………」


「水」


「…………」


「寝る場所」


 そして。


「……どうしたら」


 蓮の声が。僅かに低くなる。


「……死なないか」


 部屋が。静かになった。


「そればっかり?」


 玲奈が聞く。


「……うん」


「十年間?」


「…………」


「……ほとんど」


 美月の手が。膝の上で。僅かに握られた。


      ◆


「でも」


 玲奈が言う。


「蓮って、いろんなこと試してたんでしょ?」


「……?」


「魔法とか」


「……うん」


「《生存適応》がどうしたら伸びるとか」


「……うん」


「自分で検証してたって」


「……した」


「それって」


 玲奈は。少しだけ言いにくそうに続ける。


「そういうのが好きだったからじゃないの?」


「…………」


 蓮は。すぐには答えなかった。


 そして。


「……違う」


「違う?」


「……うん」


「じゃあ、なんで?」


「…………」


 蓮は。少し考える。


「《生存適応》」


「うん」


「……死にかけた時」


「…………」


「強くなった」


「うん」


「それが分かったから」


 次も。試した。


 どの程度まで。追い込めば。強くなるのか。


 どのくらいの敵なら。成長できるのか。


 魔法は。どう使えば。生き残れるのか。


「……調べた」


 蓮が言う。


「でも、それってやっぱり――」


「……好きだったわけじゃない」


 玲奈の言葉を。蓮が遮った。


「…………」


「……そうしないと」


「うん」


「……次で死ぬと思ったから」


「…………」


 玲奈の表情が。止まった。


「逃げることは?」


 ひなたが。静かに聞く。


「…………」


「戦わないで、避けるとか」


「……した」


「じゃあ――」


「でも」


 蓮が続ける。


「……ずっとは無理」


「…………」


「下に行けば」


「……うん」


「もっと強いのがいる」


「…………」


「今の敵から逃げても」


「…………」


「次で」


 少しだけ。言葉を区切る。


「……もっと強いのに会う」


「…………」


「今、強くならないと」


 蓮は。淡々と言った。


「……いつか死ぬ」


 誰も。すぐには言葉を返せなかった。


「だから」


 強くなるしかなかった。


 危険を。好きだったわけではない。


 死に近づきたかったわけでもない。


 むしろ。逆だった。


「……《封魔の手袋》も?」


 ひなたが聞く。


「……うん」


「わざと自分を弱くして」


「……うん」


「ギリギリの戦いをしてたのも?」


「……そう」


「怖くなかったんですか?」


「…………」


 蓮が。少し考える。


「……怖かったかもしれない」


「かもしれない?」


「……覚えてない」


「…………」


「でも」


 蓮は。自分の手を見る。


「……強くなりたかったんじゃない」


 三人が。蓮を見る。


「……死にたくなかった」


「…………」


 美月が。ゆっくり息を吐いた。


      ◆


 世界ランキング一位。Unknown。世界最強。


 その言葉だけを見れば。誰よりも。強さを求め続けた人間に見える。


 けれど。違った。


 蓮は。世界最強になりたかったわけではない。


 誰かを超えたかったわけでもない。強さを証明したかったわけでもない。


 ただ。次の日も。生きていたかった。


 そのために。強くなるしかなかった。


「蓮」


 美月が。静かに聞く。


「世界ランキング一位って知った時」


「……うん」


「嬉しくなかった?」


「…………」


 蓮が。少し考える。


「……最初」


「うん」


「……ランキング自体、知らなかった」


「そうだったね」


「……うん」


「じゃあ」


 美月が続ける。


「もしダンジョンの中で、自分が世界一位だって知ってたら?」


「…………」


 蓮は。少し考えた。


「……別に」


「別に?」


「……うん」


「一位だよ?」


 玲奈が聞く。


「……一位になりたかったわけじゃない」


「…………」


「一位でも」


 蓮は言う。


「……次の魔物に負けたら死ぬ」


「…………」


「だから」


 蓮にとって。世界一位という数字には。意味がなかった。


 強いかどうか。それすら。本当は。重要ではない。


 生きられるか。死ぬか。


 判断基準は。それだけだった。


      ◆


「じゃあ蓮」


 美月が聞く。


「強くなること以外は、何も考えてなかったの?」


「…………」


 蓮が。少しだけ首を振る。


「……強くなるのも」


「うん」


「……生きるため」


「…………」


「だから」


 少し。言葉を探す。


「……他のこと」


「…………」


「考える余裕なかった」


 美月が。目を伏せる。


 昨日。お金の話をした時。


 十年前の蓮は。アイスを買っていた。漫画を読んでいた。


 そう話した。


 でも。蓮が。十年間で考えなくなったのは。


 欲しいものだけではなかった。


 楽しい。悲しい。寂しい。怖い。


 そういうものも。考えている余裕がなかった。


 それらを考えても。目の前の魔物は消えない。


 空腹も。怪我も。次の階層も。なくならない。


      ◆


「だからかもしれないね」


 美月が。静かに言った。


「……なに?」


 蓮が見る。


「蓮が」


「……うん」


「自分の気持ちを、すぐに分からないの」


「…………」


「感情がなくなったわけじゃないと思う」


「……そう?」


「うん」


 美月は。少しだけ。言葉を選ぶ。


「ただ」


「…………」


「自分が何を感じてるのか考えることを」


「……うん」


「十年間、ほとんどしなかったんじゃないかな」


「…………」


「楽しいのか」


「…………」


「悲しいのか」


「…………」


「寂しいのか」


「…………」


「そういうことを確かめる余裕がなかった」


 蓮は。静かに聞いていた。


「だから今は」


 美月が続ける。


「分かるまで、少し時間がかかるのかもしれない」


「…………」


「たぶんだけどね」


「……そっか」


 蓮は。少しだけ考えた。


      ◆


「でも」


 ひなたが。小さく手を上げた。


「一つありますよね」


「……?」


「《白樹の迷宮》」


「……うん」


「終わったあと」


 ひなたが笑う。


「蓮さん、自分で楽しかったって言いました」


「…………」


「そうだったね」


 玲奈も。少しだけ笑った。


「しかも」


「……?」


「誰にも聞かれてないのに」


「…………」


「三人と行ったのが楽しかったって」


「……言った」


「覚えてる?」


「……うん」


「じゃあ」


 ひなたが言う。


「少しずつ、自分の気持ちに気づけるようになってきてるんじゃないですか?」


「…………」


 蓮が。止まる。


 美月が。少しだけ笑った。


「そうかもしれないね」


「…………」


「十年間」


「……うん」


「考える余裕がなかったものを」


 蓮を見る。


「今は、少しずつ考えられるようになってる」


「…………」


 蓮が。少し考える。


「……戻ってる?」


 美月の表情が。柔らかくなる。


「そうだといいね」


「…………」


「でも」


「……?」


「無理に十年前と同じに戻らなくてもいいと思う」


「…………」


「今の蓮が」


 美月は。静かに言う。


「一つずつ、自分で分かるようになればいいから」


「…………」


 蓮は。少し考え。


「……うん」


      ◆


 その時。外から。車のドアが閉まる音がした。


「…………」


 蓮の視線が。一瞬で。窓へ向いた。


 玲奈たちは。何も反応していない。


 ただの。家の外の物音。それだけ。


「蓮?」


 美月が呼ぶ。


「…………」


「……なんでもない」


 蓮は。また。アイスへ視線を戻した。


 ここに。魔物はいない。突然。襲われることもない。


 頭では。もう分かっている。


 それでも。物音がすれば。先に意識が向く。


 誰かが動けば。位置を確認する。


 眠る前には。無意識に。周囲の気配を探る。


 十年間。続けてきたこと。


 身体だけではない。心の奥にも。まだ。その癖は残っていた。


      ◆


 玲奈が。テーブルの上に残っている。蓮のアイスを見る。


「じゃあ」


「……なに?」


「もう一回聞くね」


「……うん」


「そのアイス、美味しい?」


 蓮は。一口食べる。


「……美味しい」


「じゃあ」


 玲奈が。自分。美月。ひなた。四人へ。視線を動かす。


「今、四人でこうしてるのは?」


「…………」


 蓮は。すぐには答えなかった。


 自分の中に。何があるのか。考える。


 玲奈が。騒いでいる。ひなたが。笑っている。美月が。目の前にいる。


 アイスを食べている。


 さっき。外で音がした。反射的に。そちらを見た。


 それでも。今。ここから。逃げたいとは思わない。


 むしろ。もう少し。このままでいたい。


「…………」


 蓮が。ゆっくり口を開く。


「……楽しい」


「そっか」


 玲奈が笑った。


「…………」


 蓮は。少し迷ってから。玲奈を見る。


「……合ってる?」


「え?」


 玲奈が止まる。美月が。蓮を見る。


「蓮」


「……なに?」


「それは」


 少しだけ。笑う。


「私たちには決められないよ」


「…………」


「合ってるとか」


「……うん」


「間違ってるとかじゃないの」


「…………」


「蓮が楽しいって感じたなら」


 美月が言う。


「それが、蓮の気持ち」


「…………」


 蓮は。黙って。その言葉を聞く。


 敵には。正解があった。


 倒せる方法。生き残れる方法。魔法の使い方。動く順番。


 間違えれば。死ぬ。


 だから。ずっと。正しい答えを探してきた。


 けれど。これは。違うらしい。


「……正解」


「うん」


「……ない?」


「ないと思う」


「…………」


「少なくとも」


 美月が微笑む。


「蓮の気持ちを、私が決めることはできないよ」


「……そっか」


「うん」


 蓮は。もう一口。アイスを食べた。


      ◆


 十年間。生きるために。考えなくなったもの。


 欲しいもの。行きたい場所。楽しいこと。悲しいこと。寂しいこと。


 蓮は。それらを。完全に失ったわけではないのかもしれない。


 ただ。生き残るために。考える余裕を。なくしていただけなのかもしれない。


 身体は。もう。地上に帰ってきた。


 けれど。物音に反応し。周囲の気配を探し。いつでも動けるようにしてしまう。


 心の一部は。まだ。十年間の中にいる。


 それでも。


「…………」


 楽しい。


 蓮は。もう一度。心の中で。その言葉を繰り返した。


 さっきより。少しだけ。自分のものになった気がした。


 十年間。生きるために。置いてきたもの。


 蓮は今。一つずつ。拾い直し始めていた。

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