第160話 お金って必要?
翌日。美月の家。
「…………」
蓮は。リビングのソファに座っていた。
昨日と。何も変わらない。
テレビを眺めて。テーブルに置かれた飲み物を飲む。
それだけ。
昨日。十五億円。そんな金額で。魔石の正式な買い取りが決まった。
けれど。蓮の生活は。何一つ変わっていなかった。
「本当に変わらないね」
「……?」
蓮が。玲奈を見る。
「何が?」
「何がって……」
玲奈は。向かいのソファから蓮を見る。
「昨日、十五億だよ?」
「……うん」
「十五億」
「……聞いた」
「なのに、何もしないの?」
「……何するの?」
「…………」
玲奈が黙る。隣では。ひなたが小さく笑っていた。
今日は。昨日の依頼も終わったため。四人とも休み。
玲奈とひなたも。昼前から美月の家へ来ていた。
「例えば」
玲奈が言う。
「欲しいもの調べるとか」
「……欲しいもの?」
「車とか」
「……ある」
「え?」
「美月の」
「私の車?」
キッチンにいた美月が振り返る。
「……乗れる」
「買うって意味だからね?」
「……?」
「自分の車!」
「……いらない」
「じゃあ家」
「……ここある」
「ここ美月の家だから!」
「……住んでる」
「そうだけど!」
ひなたが。とうとう笑った。
「玲奈さん、完全に振り回されてますね」
「振り回されてない!」
「……?」
「蓮は気にしなくていい!」
「……うん」
玲奈は。大きく息を吐いた。
「じゃあ」
もう一度。蓮を見る。
「十五億、何に使うの?」
「…………」
蓮は。少し考えた。
「……使わないと駄目?」
「駄目じゃないけど」
「……じゃあ、使わない」
「早い!」
「……?」
「いや……」
玲奈が額を押さえる。
「普通さ」
「……うん」
「お金って必要でしょ」
「……そう?」
「そうだよ!」
蓮が。首を傾げた。
「……なんで?」
「なんでって……」
「…………」
「お金ないと、生きていけないから」
「…………」
蓮が。玲奈を見る。
本気で。意味が分からないような顔だった。
「……なくなるの?」
「え?」
「……お金」
「そりゃ」
玲奈が答える。
「使ってたらなくなるでしょ」
「…………」
蓮が。少し考える。
「でも」
「うん?」
「……魔物、売れるよね?」
「…………」
三人が止まった。
「魔石も」
「…………」
「皮とか」
「…………」
「牙とか、爪とか」
蓮は。指を折るように続ける。
「……お金になるって」
「う、うん」
玲奈が答える。
「なるけど……」
「……じゃあ」
蓮が。首を傾げる。
「なくなったら、売ればいいんじゃないの?」
「…………」
部屋が静かになった。
玲奈が。ゆっくり蓮を見る。
「蓮」
「……なに?」
「まさかと思うけど」
「……うん」
「まだ持ってるよね?」
「……?」
「魔物の素材」
「……ある」
「どれくらい?」
「…………」
蓮が考える。
「……分からない」
「分からない!?」
「……数えてない」
「いやいやいや!」
玲奈が身を乗り出す。
「十五億の魔石が一個出てきたんだよ!?」
「……うん」
「他にもあるんでしょ!?」
「……いっぱい」
「いっぱいってどれくらい!?」
「……いっぱい」
「答えになってない!」
ひなたも。さすがに苦笑した。
「蓮さん、十年間でかなりの数を倒してますよね?」
「……うん」
「その素材が、まだ残ってるんですよね?」
「……全部じゃない」
「全部じゃないんですか?」
「食べたのもある」
「…………」
「使ったのもある」
「…………」
「でも」
蓮は。少し考えて。
「……まだいっぱいある」
「…………」
玲奈が。ソファへ背中を預けた。
「もう駄目だ……」
「玲奈?」
「私たちと金銭感覚を比べるところから間違ってた」
「……?」
◆
「でも」
玲奈が。もう一度顔を上げる。
「仮にだよ?」
「……うん」
「その十五億も」
「……うん」
「アイテムボックスに残ってる素材も」
「……うん」
「全部なくなったら?」
「…………」
蓮が。少し考えた。
そして。
「……ダンジョン行けばいい」
「なんで!?」
「……魔物いるから」
「いや、そうだけど!」
「倒したら」
蓮が続ける。
「……また売れる」
「…………」
「食べるなら」
「……?」
「魔物いる」
「…………」
「水も」
少し考える。
「……水場ある」
「…………」
「寝る場所も」
「…………」
「岩場とか」
「…………」
「だから」
蓮は。本当に分からないように。三人を見る。
「……困る?」
「…………」
誰も。すぐには答えなかった。
蓮の中では。話が成立していた。
お金がなくなる。なら。魔物の素材を売ればいい。
それもなくなる。なら。ダンジョンへ行けばいい。
魔物を倒せば。素材になる。食料にもなる。
水もある。眠れる場所も探せる。
そして。蓮なら。それができる。
「蓮」
玲奈が。ゆっくり言った。
「それ」
「……?」
「蓮だからできるんだからね?」
「……そう?」
「そう!」
「……冒険者は?」
「冒険者だって毎回そんな簡単に稼げないから!」
「……?」
「魔物を倒すだけでも危険だし」
玲奈は。指を折りながら説明する。
「装備代もかかる」
「…………」
「回復薬もいる」
「…………」
「ダンジョンまでの移動にもお金かかる」
「…………」
「怪我したら治療費だっている」
「…………」
「そのうえ、毎回無事に帰れる保証なんてない」
「…………」
蓮が。少しだけ考える。
「……でも、倒せばいい」
「それが普通は簡単じゃないの!」
「……そっか」
「そう!」
ひなたが。小さく笑う。
「蓮さんの場合、自分を基準にしちゃ駄目なんだと思います」
「……俺?」
「はい」
「…………」
◆
「蓮」
美月が。キッチンから戻ってきた。蓮の向かいへ座る。
「たぶんね」
「……うん」
「蓮は、お金が大事じゃないって思ってるだけじゃないんだと思う」
「……?」
「お金がないと困るっていう感覚自体が、よく分からないんじゃないかな」
「……困る?」
「うん」
「…………」
美月は。少し考える。
「例えば」
「……うん」
「明日のご飯を買うお金がない」
「……ダンジョンに――」
「うん」
美月は。否定しなかった。
「蓮なら、そうするよね」
「……うん」
「魔物を倒して食べる」
「……そう」
「素材を売れば、お金にもなる」
「……うん」
「だから、お金がなくても困らない」
「……そう」
蓮が。頷く。
「……やっぱり、お金いらない?」
「…………」
美月は。しばらく蓮を見た。
そして。
「じゃあ蓮」
「……なに?」
「十年前は?」
「…………」
蓮が止まる。
「十年前?」
「うん」
「…………」
「覚えてない?」
「……何を?」
美月が。少しだけ笑った。
「一緒にアイス買ったこと」
「…………」
「漫画買って読んでたこと」
「…………」
「コンビニに寄ったり」
「…………」
「食べたいもの買ったり」
蓮は。黙った。
「蓮」
「……うん」
「十年前の蓮だって、お金使ってたよ」
「…………」
「生きるためだけじゃなくて」
美月は。ゆっくり続ける。
「食べたいからアイス買って」
「…………」
「読みたいから漫画買って」
「…………」
「私と出かけた時だって、お金使ってたでしょ?」
「…………」
蓮の中に。遠い記憶が浮かぶ。
十年前。まだ。ダンジョンへ入る前。
店に並んだアイスを見て。どれにするか迷った。
読みたい漫画があって。買った。
美月と。何かを食べた。
「……あった」
蓮が。小さく言った。
「うん」
「……アイス」
「覚えてる?」
「……少し」
「漫画も?」
「……読んでた」
「でしょ?」
「…………」
蓮は。少しだけ。眉を寄せた。
「……なんで」
「うん?」
「……今」
自分でも。上手く分からない。
「……いらないって思うんだろ」
「…………」
三人が。静かになる。
美月は。すぐには答えなかった。
「たぶん」
「……うん」
「十年間、必要なかったからじゃないかな」
「…………」
「ダンジョンでは」
美月が続ける。
「お金があっても、アイス買えなかったでしょ?」
「……うん」
「漫画も」
「……なかった」
「お店もない」
「……うん」
「欲しいものがあったとしても」
「…………」
「買える場所も、売ってくれる人もいなかった」
「…………」
「だから」
美月が。少しだけ言葉を選ぶ。
「生きるのに必要じゃないものを、考えなくなったんじゃないかな」
「…………」
蓮は。何も言わなかった。
十年間。食べるものを考えた。水を考えた。安全な寝場所を考えた。
魔物の強さを考えた。
自分が。どうすれば。次の戦いを生き残れるのか。
それを考えた。
アイスが食べたい。漫画が読みたい。何かを買いたい。
そんなことを。考えても。意味がなかった。
欲しいと思っても。手に入らない。
だから。いつからか。考えなくなった。
「……そっか」
蓮が。呟いた。
◆
「お金ってね」
美月が続ける。
「生きるためだけに使うものじゃないよ」
「……?」
「もちろん」
「……うん」
「家に住んだり」
「……うん」
「ご飯を食べたり」
「……うん」
「服を買ったり」
「……うん」
「そういう、生きるために必要なことにも使う」
「…………」
「でも」
美月は。少しだけ笑った。
「アイス食べたいから買うのもいい」
「…………」
「漫画読みたいから買うのもいい」
「…………」
「みんなで美味しいもの食べに行くのも」
玲奈が口を挟む。
「旅行とかもね」
「映画とかもありますよ」
ひなたも続く。
「…………」
蓮が。三人を見る。
「……生きるためじゃない」
「そう」
美月が頷く。
「必要じゃなくてもいいの」
「…………」
「蓮が、やりたいと思ったことに使っていい」
「……やりたいこと」
「うん」
蓮は。また少し考える。
「…………」
けれど。すぐには。何も出てこなかった。
「……分からない」
「それでいいよ」
「……いい?」
「うん」
「十年間」
美月は。蓮を見る。
「そういうことを考えなくてよかったんだから」
「…………」
「急に全部、十年前みたいには戻らないよ」
「……そっか」
「だから」
美月が。少しだけ笑う。
「また見つければいい」
「……何を?」
「蓮が欲しいもの」
「…………」
「食べたいものでも」
「……うん」
「行きたい場所でも」
「……うん」
「やりたいことでも」
「…………」
「何でもいい」
蓮は。静かに聞いていた。
◆
「じゃあ蓮」
玲奈が言う。
「今食べたいものは?」
「……今?」
「うん」
「…………」
蓮が考える。少し。長い。
「ほら」
玲奈が笑う。
「十五億の使い道より簡単でしょ?」
「…………」
蓮は。しばらく考え。
「……アイス」
「え?」
美月が。蓮を見る。
「……さっき聞いたから」
「…………」
「食べたいかも」
美月の表情が。少しだけ柔らかくなる。
「じゃあ買いに行こっか」
「……今?」
「うん」
「私も行く」
玲奈が立ち上がる。
「私もです」
ひなたも続いた。
「…………」
蓮は。三人を見る。
「……四人で?」
「四人で」
美月が答えた。
「…………」
少しだけ。蓮の表情が緩む。
「……行く」
◆
十年間。蓮にとって。生きるということは。死なないことだった。
食べる。飲む。眠る。戦う。強くなる。
必要なものを。手に入れる。
そして。次の日まで。生き残る。
それ以外のことを。考えても。意味はなかった。
アイスが食べたい。漫画が読みたい。どこかへ行きたい。何かが欲しい。
そんな気持ちは。生き残るためには。必要なかった。
だから。いつの間にか。考えなくなった。
けれど。十年前の蓮は。確かに。そういうものを。欲しいと思っていた。
「…………」
玄関へ向かう。
三人の後ろを歩きながら。蓮は。考える。
お金がなくても。ダンジョンなら。生きていける。
それは。今も変わらない。
でも。ダンジョンには。アイスはなかった。漫画もなかった。
そして。こうして。誰かと一緒に。買いに行くこともなかった。
「蓮?」
美月が振り返る。
「……なに?」
「置いてくよ」
「…………」
蓮は。少しだけ歩く速度を上げた。
「……待って」
その言葉に。美月が笑う。
蓮はまだ。お金の価値を。よく分かっていない。
けれど。生き残るためだけではないものを。もう一度。少しずつ。思い出し始めていた。




