第159話 正式な買い取り
支部長が。新しい資料を机の上へ置いた。
「こちらが、正式な買い取り価格です」
「…………」
美月。玲奈。ひなた。
三人の視線が。同時に数字へ向く。
そして。
「…………え?」
最初に声を漏らしたのは。玲奈だった。
資料に記されている金額。
【魔石・正式買い取り価格】
十五億円。
「じゅ……十五億?」
玲奈が。もう一度数字を見る。
「一、十、百、千……」
「玲奈さん」
ひなたが小さく言う。
「数えなくても、十五億って書いてあります」
「分かってるけど!」
「…………」
美月も。さすがに言葉を失っていた。
以前。最初に聞いた評価額は。十億円規模。
それだけでも。十分すぎるほど異常な金額だった。
それが。さらに五億円。上がっている。
蓮は。
「…………」
資料を見る。
「……十五億」
「はい」
支部長が答えた。
「これが、最終的に承認された買い取り価格です」
「……そっか」
「反応それだけ?」
玲奈が蓮を見る。
「……?」
「十五億だよ?」
「……うん」
「さっき五千万でも同じ反応だったけど!」
「……大きい」
「大きいどころじゃないから!」
玲奈の声が。部屋に響いた。
◆
「どうして、最初より上がったんですか?」
美月が聞いた。支部長が頷く。
「そこもご説明します」
資料を一枚めくる。
「最初の十億円という数字は、あくまで暫定評価でした」
「暫定?」
「はい。正式な評価にあたって、複数の専門部署と上部機関で再検査を行っています」
「結果は?」
「まず、魔力量」
支部長が資料を見る。
「これまで国内で確認された魔石とは、比較にならない量です」
「…………」
「さらに、内部の魔力密度と安定性。こちらも極めて高い」
そして。
「最も評価を押し上げたのが、研究資料としての希少性です」
「研究?」
玲奈が聞く。
「はい」
支部長が頷いた。
「これほど高密度の魔力を、安定した状態で保持している魔石は、現在ほとんど確認されていません」
魔石は。ただ。魔力を蓄えているから高いわけではない。
魔道具。研究。各種設備。魔力を利用する技術。
用途によって。その価値は変わる。
「それらを総合した結果」
支部長が。机の上の資料を見る。
「十五億円という評価になりました」
「…………」
美月が。少し考える。
「支部長」
「はい」
「蓮が前に話したことも、査定に使われているんですか?」
「いいえ」
支部長は。すぐに否定した。
「魔石の出所に関する詳細は、正式な査定資料には記載していません」
「……そうなんですか?」
ひなたが聞く。
「はい」
支部長の視線が。蓮へ向く。
「黒瀬さんから伺った情報のうち、必要のないものは上層部にも伝えていません」
「…………」
「九十一階層」
三人の視線が。支部長へ向く。
「そして、その魔石の持ち主だった魔物が、レベル三百台後半ほどだった可能性があること」
支部長は。静かに続ける。
「どちらも報告していません」
「じゃあ……」
玲奈が資料を見る。
「十五億って、この魔石だけを調べて決めた金額なんですか?」
「その通りです」
「…………」
「上層部へ提出した情報は、極めて高位の魔物から得られた魔石であること。そして、検査によって確認された魔石そのものの性質だけです」
魔力量。密度。安定性。希少性。
それだけで。十五億円。
「黒瀬さんがどこで手に入れたのか」
支部長が続ける。
「どのような魔物から得たのか」
「…………」
「そこまで明かさなくても、この魔石には十五億円の価値があると判断されました」
美月が。小さく息を吐く。
「ちゃんと、伏せてくれたんですね」
「お約束しましたから」
「ありがとうございます」
「いえ」
支部長は。それから。少しだけ表情を変えた。
「ただ」
「?」
「黒瀬さん」
「……うん」
「一つ、確認しておきたいことがあります」
蓮が支部長を見る。
「もし黒瀬さんが望まれるのであれば」
一度。言葉を区切る。
「魔石の出所に関する情報を、正式な査定資料へ追加することもできます」
「…………」
「九十一階層で得たものであること」
そして。
「魔物のレベルが三百台後半だった可能性が高いこと」
玲奈が。僅かに目を見開く。
「それを言ったら……どうなるんですか?」
「再評価になります」
「再評価……」
「はい」
支部長が。十五億と書かれた資料を見る。
「率直に申し上げれば」
そして。蓮を見る。
「最初からその二つを正式な情報として提出していれば、この金額では収まらなかったでしょう」
「…………」
「十五億より?」
ひなたが聞く。
「間違いなく」
支部長が答えた。玲奈が。固まる。
「まだ上がるの……?」
「はい」
「どこまで?」
「現時点では分かりません」
「…………」
「九十一階層という、現在の冒険者たちが到達したことのない領域」
支部長の声が。僅かに低くなる。
「そして、レベル三百台後半という、現在知られている人類の水準を遥かに上回る魔物」
「…………」
「その二つが正式な由来として加われば」
資料へ視線を落とす。
「研究価値も、資料価値も、今とはまったく違う評価になります」
美月が。蓮を見る。
「蓮」
「……うん」
「どうする?」
「…………」
蓮は。十五億円と書かれた紙を見る。
少しだけ。考えた。
「……いい」
「え?」
玲奈が蓮を見る。
「いいって?」
「……今のままでいい」
「でも、もっと上がるんだよ?」
「……うん」
「十五億より?」
「……うん」
「…………」
支部長が聞く。
「正式な情報の追加は、希望されないということでよろしいですか?」
「……うん」
「理由を伺っても?」
「…………」
蓮は。少しだけ考える。
十五億円。それより。もっと高くなる。
そう言われても。蓮の中では。答えは変わらなかった。
「……また」
「はい?」
「……家の前、騒がしくなるの嫌だから」
「…………」
三人が。黙った。
蓮がUnknownだと判明したあと。家の周囲には。多くの人間が集まった。
報道。野次馬。自分を見ようとする人間。
外へ出るだけでも。周囲を気にしなければならなかった。
ようやく。少しずつ。普通に外を歩き。美月たちと。普通の時間を過ごせるようになってきた。
蓮にとっては。数億円増えることより。そちらの方が。ずっと大事だった。
「……今くらいでいい」
蓮が言う。
「…………」
美月の表情が。少しだけ柔らかくなる。
「うん」
玲奈も。さっきまでの驚いた表情から。少しだけ力を抜いた。
「まあ……蓮ならそう言うか」
「黒瀬さんにとっては、そっちの方が大事なんですね」
ひなたが言う。
「……うん」
支部長も。静かに頷いた。
「分かりました」
「……うん」
「では、九十一階層という情報も、魔物の推定レベルについても、これまでどおり外部には公開しません」
「……お願いします」
「承知しました」
十五億円。それでも。魔石の本当の由来まで含めた価値ではない。
蓮が。十年間。どこまで進み。何と戦ってきたのか。
そのすべてを明かすことなく。魔石そのものを評価した金額。
それが。十五億円だった。
◆
「それと」
支部長が。改めて資料を見る。
「買い取り後の情報管理についても、確認しておきます」
「はい」
美月が答える。
「この魔石の出所に関する非公開情報」
「…………」
「黒瀬さんのアイテムボックスに関する情報」
そして。
「現在お預かりしている、高位魔物の素材についても同様です」
「素材?」
玲奈が。支部長を見る。
「はい」
支部長が頷く。
「以前、黒瀬さんからお預かりした、レベル二百五十前後と見られる魔物の素材です」
「…………」
蓮が。小さく頷く。
「……あれ」
「現在も調査を続けています」
「まだ分からない?」
「少しずつ判明していることはあります」
支部長が。資料へ視線を落とす。
「ただ、通常取り扱っている魔物素材とは性質が大きく異なります」
「…………」
「正確な評価を出すには、もう少し調査が必要です」
「……そっか」
「結果がまとまり次第、改めてご説明します」
「……分かった」
玲奈が。蓮を見る。
「十五億の魔石の次に、レベル二百五十の素材が待ってるの……?」
「…………」
「蓮、それ他にもあるんだよね?」
「……うん」
「…………」
玲奈が。額を押さえる。
「考えないようにしよ」
「玲奈さんが聞いたんじゃないですか」
ひなたが。小さく笑った。
◆
「これらの情報については」
支部長が。話を戻す。
「必要のない職員には共有しません」
「分かりました」
美月が。小さく息を吐く。
蓮は。そんな美月を見る。
「……そんなに大事?」
「大事」
美月が即答した。
「十五億の魔石を持ってきた人が、他にも普通じゃないものを持ってるって知られたら、それこそまた大変だから」
「…………」
蓮の表情が。僅かに変わった。
「……それは嫌」
「でしょ?」
「……うん」
玲奈が苦笑する。
「お金より、そっちなんだ」
「蓮さんらしいですね」
ひなたも。小さく笑った。
◆
「では」
支部長が。改めて蓮を見る。
「最終確認です」
「……うん」
「こちらの魔石を、十五億円で正式に買い取らせていただきます」
「…………」
蓮は。机の上の資料を見る。
十億円と聞いていたものが。十五億円になった。
それでも。蓮にとって。そこは。それほど重要ではなかった。
この魔石を。ギルドへ渡す。
その約束については。すでに。美月とも。支部長とも話している。
「十五億円で問題ありませんか?」
「……うん」
蓮は頷いた。
「……お願いします」
「承知しました」
支部長も。深く頷いた。
◆
正式な手続きが進められる。
書類。本人確認。冒険者カード。振込先。
一つずつ。必要な確認が行われていく。
「金額が大きいため、通常の依頼報酬とは処理が異なります」
支部長が説明する。
「入金についても、正式な手続きを経て行われます」
「……分かった」
蓮は。言われた内容を確認していく。
その横で。玲奈が。まだ資料を見ていた。
「十五億……」
「玲奈さん、まだ見てるんですか?」
「だって十五億だよ?」
「分かりますけど」
「普通、一生働いても無理じゃない?」
「普通は無理でしょうね……」
「…………」
蓮が二人を見る。
「……そんなに?」
「そんなに!」
「……そっか」
「その反応やめて!」
美月が。思わず笑った。
◆
しばらくして。すべての確認が終わった。
「以上で、魔石の正式な買い取り手続きは完了です」
「……うん」
「ありがとうございました」
支部長が頭を下げる。
「…………」
蓮は。一瞬だけ。支部長を見る。
そして。
「……ありがとう」
支部長が。僅かに目を見開いた。
それから。穏やかに笑う。
「はい。こちらこそ」
「……うん」
蓮も。小さく頷いた。
これで。あの日。美月を助けるために。ギルドへ渡すと約束した魔石は。
正式に。ギルドへ渡ることになった。
十億でも。十五億でも。あの時の蓮には。関係なかった。
美月を助けられるなら。それでよかった。
今も。そこは変わらない。
「…………」
ただ。十五億円。そんな金額が。これから自分のものになる。
その実感だけは。まだ。ほとんどなかった。
「蓮」
「……なに?」
「これからどうする?」
美月が聞く。
「……帰る?」
「いや、お金の話」
「……?」
「十五億」
「…………」
蓮は。少し考えた。
「……何に使えばいい?」
三人が。同時に黙った。
「そこから?」
玲奈が言う。
「……うん」
美月が。小さく笑う。
「それは、ゆっくり考えればいいよ」
「……そっか」
「今すぐ使わなくてもいいんだから」
「……分かった」
蓮は。それ以上。考えるのをやめた。
十五億円。世界ランキング一位。Unknown。
そして。まだ調査中の。高位魔物の素材。
蓮の周りには。いつの間にか。自分でもよく分からないほど。大きなものが増えていた。
けれど。今。蓮の頭に浮かんだのは。もっと単純なことだった。
「……美月」
「なに?」
「……ご飯」
「え?」
「……お腹すいた」
「…………」
美月が笑う。
「うん。帰ろうか」
「……うん」
玲奈も立ち上がった。
「十五億の話した直後に夕飯なんだ」
「蓮さんらしいですね」
ひなたも笑う。
四人は。支部長へ挨拶をして。部屋を出た。
十五億円。それほど大きな話を終えた直後でも。蓮が気にしていたのは。今日の夕飯だった。
十年間。手に入らなかったもの。
誰かと食べる食事。帰る場所。仲間と過ごす時間。
今の蓮にとって。大切なのは。きっと。金額では測れない。
そんな。普通の時間の方だった。




