第156話 楽しかった
帰り道。四人は《白樹の迷宮》の入口へ向かって歩いていた。
行きと同じ道。白い木々。地面を這う太い根。
時折。遠くから魔物の気配も感じる。
けれど。行きとは。少しだけ違っていた。
「…………」
蓮は先頭を歩く玲奈の背中を見る。その少し後ろ。今日一日。何度も歩いた位置を進んでいる。
さらに後ろには美月。最後尾にはひなた。
同じ隊列。なのに。ダンジョンへ入った時より。ずっと自然に感じた。
「前方、反応なしです」
ひなたの声。
「了解。そのまま行こう」
美月が答える。
「…………」
蓮も。前方に魔物がいないことは分かっている。
だが。何も言わない。
それを。我慢しているとも思わなくなっていた。
ひなたが探る。美月が判断する。玲奈が前を歩く。
必要なら。自分が動く。
それでいい。
「蓮」
玲奈が歩きながら声をかけた。
「……なに?」
「静かだね」
「……いつも静か」
「まあ、それはそうなんだけど」
玲奈が笑う。
「なんか考えてる?」
「…………」
蓮は少し考えた。
「……分からない」
「何が?」
「……さっきの」
「白樹巨獣?」
「……うん」
正確には。白樹巨獣そのものではない。
戦いが終わった後。胸の中に残った感覚。
一人で戦っていた頃には。なかったもの。
生き残った安堵でもない。強くなった実感でもない。
何なのか。まだ。うまく言葉にできない。
「まあ、帰りながら考えればいいんじゃない?」
「……うん」
玲奈は。それ以上聞かなかった。
◆
その後も。何度か魔物の気配はあった。
けれど。ひなたが進行方向を確認し。美月が避けられるものは避けた。
第20階層の指定区域の調査は。もう終わっている。
帰り道で。わざわざ戦闘を増やす必要はない。
「…………」
蓮も。もう。魔物がいる方へ向かおうとはしなかった。
戦える。倒せる。
それでも。今は。帰る。
それが目的だから。
しばらくして。前方に。見覚えのある場所が見えてきた。
「入口です」
ひなたが言う。
「やっと戻ってきたー」
玲奈が肩を回した。
「そんなに疲れた?」
美月が聞く。
「いや、体力はまだあるけどさ。やっぱり二十階層まで行って戻ると、それなりに長いよ」
「それはそうだね」
「蓮は?」
玲奈が少し後ろを見る。
「……なに?」
「疲れた?」
「……全然」
「聞いた私が悪かった」
「……?」
玲奈が笑う。ひなたも小さく笑った。
「今日は能力を制限してましたけど、それでも私たちよりずっと余裕ありましたからね」
「……うん」
蓮は自分の手を見る。《封魔の手袋》。
今も。能力を抑えたまま。
それでも。今日一日。危険だと思うことはなかった。
以前なら。そんな戦いに。意味を感じなかったかもしれない。
強くなるためでもない。生き残るためでもない。ぎりぎりまで。自分を追い込むわけでもない。
なのに。
「…………」
また。あの感覚が残っている。
◆
四人はダンジョンの入口を抜けた。外。傾き始めた陽の光が。蓮の目に入る。
「終わったー!」
玲奈が大きく伸びをする。
「まだギルドに報告するまでが依頼だよ」
美月が言った。
「分かってるって」
「素材の確認もありますしね」
ひなたが続ける。
「素材なら」
蓮が言う。
「……ある」
「それは心配してないです」
ひなたが笑う。
「むしろ綺麗に分かれすぎてます」
「……自動だから」
「普通はそれがないんですよ」
「……うん。覚えた」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶんなんだ」
玲奈が笑った。
「…………」
蓮は三人を見る。
玲奈が笑っている。ひなたも笑っている。美月も。少し呆れながら笑っていた。
その光景を見ながら。また。胸の中に。何かが残った。
「蓮」
「……なに?」
玲奈が声をかける。
「そういえばさ」
「……うん」
「初めてだったんでしょ?」
「……何が?」
「こういうの」
玲奈が。今出てきたばかりのダンジョンを指す。
「普通の依頼」
「…………」
蓮は考える。
冒険者として登録してから。初めて受けた。
誰かを助けるためではない。異常が起きたダンジョンでもない。
ただ。四人で依頼を選び。準備をして。同じ目的でダンジョンへ入った。
調査して。魔物を倒して。素材を回収して。
そして。一緒に帰ってきた。
「……うん」
「じゃあ」
玲奈が笑う。
「どうだった?」
「…………」
蓮は答えなかった。美月も。ひなたも。蓮を見る。
「どうって?」
「初めての四人での普通の依頼」
玲奈が言う。
「楽だったとか、面倒だったとか、難しかったとか。なんでもいいけど」
「…………」
蓮は考える。
楽だった。それは間違いない。
今の自分からすれば。白樹巨獣も。途中で出会った魔物も。脅威ではなかった。
面倒だったか。
「…………」
待つのは。最初は慣れなかった。
斬れるのに斬らない。分かっているのに言わない。
自分でできることを。誰かに任せる。
これまでの蓮には。必要のないことばかりだった。
けれど。嫌ではなかった。
玲奈と一緒に前に立つ。美月の指示を聞く。ひなたの補助を受ける。
自分が敵の向きを変えれば。玲奈が斬る。
玲奈が崩せば。美月の魔法が入る。
ひなたが支えれば。その動きがさらに繋がる。
そして。必要な時には。自分が斬る。
「…………」
一人なら。もっと早い。一人なら。もっと簡単。
それでも。今日。一人でやればよかったとは。一度も思わなかった。
むしろ。終わってしまったことが。少しだけ。惜しい。
「蓮?」
美月が呼ぶ。
「…………」
その時。ようやく。蓮の中で。
胸に残っていたものと。一つの言葉が繋がった。
「……楽しかった」
三人が黙った。
「…………」
蓮は三人を見る。
「……何?」
「いや」
玲奈が真っ先に笑った。
「いい答えだなって思って」
「……?」
「うん。すごくいい答え」
ひなたも。柔らかく笑う。
「私もそう思います」
「……そっか」
美月は。何も言わず。嬉しそうに蓮を見ていた。
「…………」
蓮が美月を見る。
「……美月?」
「何でもない」
美月が笑う。さっきよりも。ずっと嬉しそうに。
「そっか。楽しかったんだ」
「……うん」
それだけ答えて。四人は再び歩き始めた。
◆
少し歩いた頃。
「…………」
蓮は。前を歩く玲奈を見る。
その少し後ろに。自分。
さらに後ろには。美月とひなた。
この前。Sランクへ変異したダンジョンでも。三人と同じ場所を進んだ。
けれど。あの時は。一緒に冒険していたわけではない。
三人を助けるために。蓮が先頭に立った。
危険があれば倒す。三人を守る。地上へ帰す。
考えていたのは。それだけだった。
今日は。違った。
同じ依頼を受けた。仲間として。三人と一緒に歩いた。
同じ場所を調べ。同じ敵と戦い。同じ目的のために進んだ。
待った。任せた。任された。
そして。一緒に帰ってきた。
「…………」
楽しかった。
もう。その感覚が何なのか。分かっている。
蓮は少しだけ歩みを緩めた。
「……美月」
「ん?」
後ろから美月が答える。蓮は。少しだけ振り返った。
「……三人と行ったのが」
「…………」
「……楽しかった」
今度は。誰かに聞かれたわけではない。
蓮が。自分から言った。
美月が少し目を見開く。玲奈も。前を歩きながら振り返った。ひなたも。蓮を見る。
「…………」
蓮は。三人の反応を見て。少し首を傾げた。
「……何?」
「何でもないよ」
美月が笑う。さっきよりも。ずっと嬉しそうに。
「私も楽しかった」
「私も」
玲奈が言う。
「はい。私もです」
ひなたも笑った。
「……そっか」
蓮は前を向く。少しして。また口を開いた。
「……また行く?」
美月が答える。
「ダンジョン?」
「……うん」
「もちろん」
「……玲奈も?」
「行くに決まってるでしょ」
「……ひなたも?」
「はい」
ひなたが笑う。
「私も行きます」
「……そっか」
蓮は少し考える。そして。ほんの少しだけ。笑った。
「……また行きたい」
「うん」
美月が答えた。
四人は。ギルドへ向かって歩いていく。
《アストラ》として。初めての普通の依頼も。あとは。ギルドへ報告するだけだった。
十年間。蓮にとって。ダンジョンは。生き残るための場所だった。
戦い。強くなり。次へ進む。
この前は。大切な人たちを助けるために。ダンジョンを進んだ。
そして。今日。初めて。
仲間と一緒に歩くことそのものを。楽しいと思えた。
ダンジョンという場所に。蓮の中で。新しい意味が。一つ増えた。




