第150話 待つという戦い
《白樹の迷宮》。入口を抜けると、景色が変わった。
白い幹を持つ木々。天井は高く、枝葉の隙間から淡い光が差し込んでいる。地面には苔と短い草が広がり、一見すると森の中にいるようだった。
「…………」
蓮は周囲を見渡す。
「どう?」
美月が聞いた。
「……似てる」
「何に?」
「……俺がいたダンジョンにも、こういう場所あった」
「森の階層?」
「……うん」
蓮が十年間過ごしたダンジョンにも、木々が生い茂る階層はあった。だから。景色そのものが珍しいわけではない。
違うのは。ここが事前に調査されていること。
どんな魔物がいるのか。どこまで確認されているのか。何を調べるために入るのか。
それらが分かったうえで、ダンジョンの中を歩くことだった。
「……やっぱり変な感じ」
「何が?」
「……入る前から色々分かってる」
「ああ」
美月が納得したように頷く。
「蓮の時は何も分からなかったもんね」
「……うん」
入口の先に何があるのか。何階層あるのか。どんな魔物がいるのか。
そもそも。生きて帰れる場所なのかさえ。何も知らなかった。
それに比べれば。同じダンジョンでも、まるで違う場所のように感じる。
「じゃあ、ここからはいつも通りの隊列で行くよ」
美月が言う。
「先頭は玲奈」
「了解」
「ひなたは最後尾。周囲と後ろの警戒をお願い」
「はい」
「私はその前から全体を見る」
そして、美月が蓮を見る。
「蓮は玲奈の少し後ろ」
「……分かった」
「最初は前衛として動いてもらうけど、何か見つけても一人で先に行かないこと」
「……うん」
「本当に?」
「……たぶん」
「そこは『うん』って言って」
「……うん」
玲奈が笑った。
「不安しかないなあ」
四人は歩き始めた。
先頭を玲奈。その少し後ろを蓮。三番目に美月。そして最後尾をひなた。
ひなたは時折後ろを振り返りながら、周囲の気配と魔力反応を探っている。美月は三人すべての動きを確認できる位置から、隊列全体を見ていた。
蓮にとっては。それだけでも妙な感覚だった。
前に人がいる。後ろにも人がいる。自分以外の足音が、ずっと聞こえている。
「…………」
蓮が玲奈の背中を見る。
「何?」
視線に気づいた玲奈が振り返った。
「……前に人がいる」
「いるよ」
「……変な感じ」
「十年ずっと一人だったもんね」
「……うん」
「今日は勝手に追い越さないでね」
「……分かった」
再び進む。しばらくして。蓮の《気配察知》が反応した。
「…………」
前方。三つ。木々の間を移動している気配。魔物。
蓮は反射的に口を開きかけた。
「……」
だが。止める。
この前、美月に言われたことを思い出した。探索も。警戒も。全部自分一人で先回りしない。
蓮はそのまま歩いた。
「…………」
まだ。ひなたは何も言わない。
蓮が少しだけ後ろを見る。
「どうしました?」
ひなたが気づいた。
「……何でもない」
「?」
蓮は前へ視線を戻す。
三つの気配は近づいている。数も。位置も。進んでくる方向も。蓮には分かっている。
「…………」
それでも。何もしない。
敵がいることを知っているのに。そのまま歩く。
ダンジョンで過ごしていた時なら、あり得なかった。危険を察知したなら。位置を確認し。できるだけ早く排除する。
それが蓮にとって当たり前だった。
「……難しい」
小さく呟く。
「何が?」
玲奈が聞いた。
「……何でもない」
さらに少し進んだところで。ひなたが足を止めた。
「待ってください」
全員が止まる。蓮も止まった。
ひなたが前方へ意識を集中させる。
「前方に魔力反応があります」
「数は?」
美月が聞く。
「三体です」
「距離は?」
「もう少し先です。こちらへ向かってきています」
「……合ってる」
蓮が小さく呟いた。ひなたが蓮を見る。
「蓮さん」
「……?」
「答え合わせしなくて大丈夫ですよ」
「……だめ?」
「だめではないですけど……」
ひなたが苦笑する。
「ちょっと緊張します」
「……そっか」
「でも、最初から分かってたんですか?」
「……うん」
「いつくらいから?」
蓮が少し考える。
「……結構前」
「結構前?」
玲奈が振り返る。
「……気配があったから」
「やっぱり《気配察知》EXは全然違うんだ……」
玲奈が呟く。美月は蓮を見る。
「でも、ちゃんと待てたね」
「……うん」
「ひなたが見つけるまで動かなかった?」
「……言わない方がいいって言ったから」
「うん」
美月が笑った。
「それでいいよ」
「……何もしてない」
「今日は、それも練習だから」
「……そっか」
蓮は少しだけ不思議そうに答えた。
その時。玲奈が剣を抜く。
「来るよ」
美月の表情も切り替わった。
木々の奥から。三つの影が現れる。
四足。白灰色の体毛。鋭い牙。狼型の魔物。
《白牙狼》。《白樹の迷宮》の浅い階層で確認されている魔物だった。
「三体。記録通りね」
美月が言う。
「玲奈」
「了解」
玲奈が一歩前へ出る。蓮も無意識に《黒月》へ手をかけた。
「蓮」
「……うん」
「まだ」
「…………」
蓮は手を止める。
一体目の《白牙狼》が玲奈へ飛びかかった。玲奈が半歩ずれる。
牙をかわし。横から剣を振るう。刃が胴を裂いた。
二体目が玲奈の横へ回り込む。
「玲奈、右!」
「見えてる!」
身体を捻り。迫った爪を剣で受け流す。
その瞬間。
「《補助魔法》」
ひなたの魔法が玲奈を包む。動きが僅かに鋭くなる。
玲奈が一体目へ踏み込み。首元へ剣を叩き込んだ。
一体。地面へ倒れる。
「…………」
蓮は見ていた。
自分なら。三体が姿を見せた時点で終わらせられる。
けれど。玲奈は戦えている。ひなたも支援している。美月も戦況を見ている。
蓮が手を出さなくても。戦いは進んでいた。
「……ちゃんと戦える」
蓮が呟いた。
「聞こえてるからね!」
玲奈が二体目の攻撃をかわしながら叫ぶ。
「私Aランクだから!」
「……うん」
「そこで納得しないで!」
美月が少し笑った。
だが。残った一体が。突然、玲奈から離れる。
狙いを変えた。後方。美月とひなた。
「来ます!」
ひなたが声を上げる。《白牙狼》が地面を蹴った。
「蓮!」
美月が声を上げる。
「後ろに回った一体、お願い!」
「……うん」
蓮が《黒月》を抜く。
属性は纏わせない。《身体強化》も使わない。《封魔の手袋》もそのまま。
今の能力値は、玲奈たちと大きく離れていない。
飛び込んでくる《白牙狼》。蓮は一歩だけ動いた。
そして。刃を振るう。ただ、それだけ。
《白牙狼》の勢いが止まった。首元に一本の斬線が走る。魔物の身体が地面へ落ちた。
「…………」
玲奈が戦いながら一瞬だけ蓮を見る。
「ちょっと待って」
「……?」
「今の何?」
「……斬った」
「それは見れば分かる!」
その隙に二体目が玲奈へ襲いかかる。
「玲奈!」
「分かってる!」
玲奈が攻撃をかわし。剣を返す。
最後の一体も倒れた。静かになる。三体の《白牙狼》の死体が地面に残った。
「ふう……」
玲奈が剣を払う。そして、すぐに蓮を見る。
「ねえ」
「……?」
「今、身体強化使った?」
「……使ってない」
「魔法?」
「……使ってない」
「《黒月》の属性は?」
「……つけてない」
「《封魔の手袋》は?」
「……そのまま」
「…………」
玲奈が蓮の剣を見る。
「じゃあ、本当に今のステータスだけで?」
「……うん」
「なんであんな簡単に倒せるの?」
蓮は少し考える。
「……首が空いてたから」
「そういう話?」
玲奈が美月を見る。
「美月、そういう話?」
「たぶん違う」
ひなたが苦笑する。
「《剣術》EXの差じゃないですか?」
「やっぱりそこかあ……」
玲奈が肩を落とした。
蓮は倒した《白牙狼》を見る。
力任せに斬ったわけではない。速さで押し切ったわけでもない。
飛び込んでくる軌道を読み。最小限の動きで。最も刃が通りやすい場所を斬った。
ダンジョンで生き延びるために。何度も繰り返してきた動きだった。
「でも」
美月が言う。
「今のは良かったよ」
「……?」
「私が頼むまで動かなかったでしょ」
「……うん」
「ひなたが敵を見つけるのも待てた」
「……うん」
「それに、ちゃんと指示した相手だけ倒した」
「……一体だけ」
「そう」
美月が笑う。
「最初としては十分」
「……そうなの?」
「そうだよ」
蓮は少し考える。
魔物を倒したことではない。すぐに動かなかったことを。一体だけで止めたことを。褒められた。
「……変なの」
「これから慣れて」
玲奈が苦笑する。
「むしろ蓮は、そっちを覚える方が大変そう」
「……うん」
「認めるんだ」
ひなたが笑う。美月が前を見る。
「じゃあ――」
そこで。美月が地面に倒れている三体の《白牙狼》へ視線を向けた。
「その前に、回収していこうか」
「……回収?」
蓮も死体を見る。玲奈が頷く。
「魔石と素材。この依頼、回収も入ってるでしょ」
「……ああ」
「普通ならここで解体するんだけど」
玲奈が言いかけたところで。蓮が《アイテムボックス》を開く。
「……入れればいい?」
「蓮の場合は、それで終わるんだっけ」
「……うん」
蓮が最初の《白牙狼》へ手を向ける。死体が《アイテムボックス》へ収納された。
続けて二体目。三体目。すべてを収納する。
そして。内部で自動解体が行われた。
魔石。毛皮。牙。爪。肉。
使える部分が、それぞれ分けられた状態で収納されていく。
「……終わった」
「早いなあ……」
玲奈が苦笑した。
「普通なら、ここからが結構大変なんだけど」
「……そうなの?」
「そうだよ。魔石を取り出して、使える素材を傷つけないように分けて」
ひなたも頷く。
「三体分なら、それなりに時間かかりますよ」
「……自分でやるんだ」
「普通はそうですよ」
蓮は少しだけ《アイテムボックス》へ視線を落とした。
「……じゃあ、やっぱり便利」
「そこは昔から分かってたでしょ」
玲奈が言う。
「……うん」
「蓮、自動で解体できるようになる前は自分でやってたんだもんね」
「……ずっとやってた」
「それなら便利さは誰より分かってそう」
「……楽になった」
美月が思い出したように言う。
「自動で解体できるようになったのは、ダンジョンで過ごしてる途中からだったんだよね」
「……うん」
「昔はちゃんと解体できてたの?」
玲奈が聞く。蓮は少し考えた。
「……使えるところ取るだけ」
「綺麗に?」
「……たぶん、綺麗じゃない」
「だと思った」
「……食べられればよかったから」
「基準が完全に生存なんだよね……」
玲奈が苦笑する。
蓮にとって。魔物の解体は商品にするための作業ではなかった。
肉を取る。使えそうな皮や牙を取る。魔石を取り出す。
生き延びるために必要な物だけ確保する。それで十分だった。
「今は綺麗に分かれてるんですよね?」
ひなたが聞く。
「……うん」
「なら、依頼の指定素材も確認しやすそうですね」
「帰ってから必要なものを分ければいいね」
美月が言う。
「蓮、そのまま持っておいてくれる?」
「……分かった」
「じゃあ、今度こそ進もうか」
「うん」
「はい」
蓮も《黒月》を鞘へ戻す。
「……うん」
再び四人で歩き始める。
ダンジョンの中を歩くことも。魔物と戦うことも。蓮にとっては、何度も繰り返してきたことだった。
けれど。仲間の後ろを歩き。仲間が敵を見つけるのを待ち。仲間の指示で剣を抜く。
倒した魔物を。依頼のために回収する。
そんな戦い方は。初めてだった。
仲間と戦うというのは。自分ができることを。全部やることではない。
誰かに任せる。必要な時だけ動く。そして。同じ目的のために、一緒に進む。
ダンジョンで一人、生き延びるために戦っていた頃とは違う。
今は。《アストラ》の一員として。四人で戦っている。
蓮にとって。それは。魔物を倒すことよりも、ずっと新しいことだった。




