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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第143話 支部長の苦悩

「それじゃあ、今日はありがとうございました」


 美月が頭を下げた。


「こちらこそ。長時間ありがとうございました」


 支部長も応じる。玲奈とひなたも続いて頭を下げた。


 蓮は最後に、素材査定室に残された魔物素材を見る。


「……預けてていい?」


「はい。責任を持って保管します」


「……分かりました」


 そして四人は素材査定室を出ていった。扉が閉まる。足音が遠ざかっていく。


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 部屋の中央には、蓮が置いていった素材がある。


 Lv250前後。七十階層付近にいた魔物。


 それだけでも、今までギルドが扱ってきた常識から完全に外れていた。


 支部長は、ゆっくり職員たちを見回した。


「皆さん」


 素材担当者たちが顔を上げる。


「今日、この部屋で聞いたことについてです」


 先ほどまでとは違う。低く、真剣な声だった。


「黒瀬蓮氏に関する情報は、すべて内部機密として扱います」


 職員たちの表情が引き締まる。


「七十階層という話も、Lv250前後という数字も、九十一階層についてもです」


「……はい」


「アイテムボックスの機能についても同様です」


 支部長は一人ずつを見る。


「この部屋にいなかった職員へ話すことも禁止します」


「分かりました」


「家族、知人、他支部の職員にもです。雑談であっても口外しないでください」


「はい」


「記録は残します」


 記録担当者が顔を上げた。


「ただし、通常の素材データベースや一般閲覧できる報告書には載せません」


「では、別管理に?」


「はい」


 支部長は頷く。


「今回の情報は機密記録として保存し、閲覧権限を私と許可された担当者に限定してください」


「承知しました」


「特に、黒瀬氏の十年間の過去へ繋がる情報は厳重に扱ってください」


「はい」


 職員たちは、それぞれ頷いた。


「では、お願いします」


 支部長はそう告げて、素材査定室を後にした。


      ◆


 自分の執務室へ戻ったあと、支部長は椅子へ座った。


 机の上には、今日だけで作られた資料が積まれている。


 Sランク化したダンジョン。ヴァルゼイン。Unknown。黒瀬蓮。


 そして、新たに追加された、魔物素材。


「…………」


 どこから考えればいい。


 本気で、分からなかった。


 支部長は額を押さえた。


 昨日までなら、世界ランキング一位《Unknown》の正体が判明した。それだけで、数か月は対応に追われてもおかしくない大事件だった。


 だが今は、それが一番単純な問題にすら思える。


 まず、十億円規模と初期査定された魔石。正式な買い取りを行うことになった。


 それだけでも通常なら前例のない案件だ。


 だが今日、その魔石が。


「……九十一階層」


 思わず口に出る。


 しかも、元になった魔物は。


「……Lv300台後半……」


 その数字だけで頭が痛くなる。


 人類では、Lv100を越えられる者ですら、ごく僅か。Lv200を越えた人間など、知られていない。


 それなのに、Lv300台後半。そんな魔物から得た魔石を、今、自分たちは買い取ろうとしている。


「……どう査定するんだ」


 比較対象がない。


 十億円。それはあくまで、現在のギルドが持つ基準で無理やり出した初期査定にすぎない。


 元になった魔物の情報まで考えれば、本当に十億円でいいのか。十億円を大きく越えるのか。


 そもそも、金額を付けられるものなのか。分からない。


 そして、問題はそれだけではない。


 今日、黒瀬蓮は何でもないことのように言った。


 七十階層。そこにいた魔物はLv250前後だった。一体だけではない。その階層帯では、珍しくなかった。


「…………」


 支部長は椅子の背にもたれた。


 ありえない。そう言いたかった。


 だが、目の前に、その素材がある。


 通常の測定器では測り切れない魔力。現在の設備で加工できるかすら分からない強度。


 作り話で済ませることはできない。


 さらに、九十一階層。Lv300台後半。


 そして、その先、古龍。


「……Lv600」


 以前の事情聴取で、蓮は確かにそう言った。


 Lv600の古龍を倒した。その古龍のステータスまで聞いている。


 HP三十五万。筋力三十万。防御三十五万。魔力二十八万。


 ヴァルゼインを見て、蓮が。


『……古龍に比べたら』


『……弱い』


 そう言った意味も、今では分かる。


 分かってしまった。


「……いや」


 支部長は額を押さえたまま呟く。


「分かる方がおかしいだろう……」


 Lv258の《魔公》を、弱いと言える人間。


 Lv250前後の魔物がいる階層を通り抜け、Lv300台後半の魔物がいる九十一階層を越え、最終的には、Lv600の古龍を倒している。


 そして、自分たちは、その人物のステータスを知らない。スキルの全容も知らない。十年間、どのように生きてきたのかも、ほとんど知らない。


 知りたい。当然だった。


 ギルドに所属する人間として、世界ランキング一位の冒険者が、どれほどの力を持っているのか。何ができるのか。どうやってそこまで強くなったのか。


 本音を言えば、聞きたいことはいくらでもある。


 だが。


「……聞かない方がいい」


 支部長は小さく呟いた。


 美月が最初にはっきり線を引いた。蓮の十年間。能力。スキル。所持品。


 それらは、今回のダンジョン災害の原因究明に必要な範囲を越えている。ギルドも、それを了承した。


 もちろん、蓮本人が自分から話してくれるのであれば別だ。


 だが、こちらから無理に聞き出すことはしない。それは約束だから。


 そして、それ以上に。


「……嫌われる方が、よほどまずい」


 支部長は椅子の背にもたれた。


 言い方は悪い。だが、それが現実だった。


 世界ランキング一位。Lv258の《魔公》を単独で倒し、Lv600の古龍すら倒した人間。


 そんな存在が、今、日本にいる。


 それだけで、どれほど大きな意味を持つのか。まだ正確に計ることすらできない。


 昨日のようなダンジョン災害が再び起きた時。人類の既知の戦力では対処できない魔物が現れた時。


 日本に黒瀬蓮がいる。それだけで、状況そのものが変わる可能性がある。


 しかも、本人は先ほど、はっきり言った。海外を拠点に活動するつもりはない。日本で暮らしたい、と。


 その理由が美月だったとしても、今のところ、蓮自身が日本を離れようとはしていない。


「…………」


 なら、こちらから余計なことをして、その関係を壊す理由がどこにある。


 ステータスを知りたい。スキルを知りたい。十年間のすべてを知りたい。


 その好奇心のために、蓮から信用を失う。ギルドを警戒される。


 最悪の場合、日本そのものに居づらさを感じさせる。そんな危険を冒す価値があるのか。


「……ないな」


 答えは簡単だった。


 情報一つを得るために、世界ランキング一位との信頼関係を失う。割に合うはずがない。


 むしろ、今やるべきことは逆だ。


 蓮の情報を無理に集めることではない。蓮が、日本なら安心して暮らせる。ギルドなら信用できる。


 そう思える環境を作ること。その方が、長い目で見れば、日本にとっても、ギルドにとっても、遥かに大きな意味がある。


「……約束を守るだけでいい」


 支部長はそう呟いた。


 聞かなくていいことは聞かない。本人が話したくないことは守る。必要以上に干渉しない。


 そのうえで、困った時には頼ってもらえる関係を作る。


 世界ランキング一位を、管理するのではない。利用するのでもない。


 ただ、信用を失わない。


 今は、それが何より重要だった。


 支部長は机の上にある報告書を一つ手に取った。


 まず分けなければならない。今回のSランク災害に関する情報。


 そして、蓮個人の十年間に関する情報。


 この二つは、同じではない。


 ヴァルゼイン。Lv258。そのスキル。今回の異常の原因。蓮が単独で討伐したこと。


 それらは事故調査の一部だ。上層部へ報告しなければならない。隠すことはできない。


 だが、七十階層。九十一階層。そこで戦っていた魔物のレベル。古龍へ至るまでの十年間。


 それは今回の事故とは別だ。蓮が自分の意思で話した、個人的な過去に属する情報だった。


「……そこまで全部、上に出す必要はない」


 支部長は呟いた。


 だが、そこで次の問題が出てくる。


 十億円規模の魔石。


「…………」


 支部長は別の資料を見る。


 正式な査定はまだ終わっていない。場合によっては、十億円を大きく超える可能性すらある。


 それほどの資産をギルドが正式に買い取るなら、支部だけで完結できる話ではない。当然、上申が必要になる。


 そして、必ず聞かれる。


『なぜ、これほど高額なのか』


「…………」


 答えはある。


 九十一階層。Lv300台後半の魔物。そこから得られた魔石。


 だが、それを書けば、次に聞かれることも分かっている。


『九十一階層とは何だ』


『黒瀬蓮は、なぜそこにいた』


『そこまでどうやって到達した』


『その先には何がいた』


『他に何を持ち帰っている』


 そして、その質問の先には、必ず、蓮自身へ向けられる関心がある。


「……まずいな」


 支部長が呟く。


 報告しなければならない。だが、報告しすぎてもいけない。


 蓮は犯罪者ではない。調査対象でもない。


 まして、国家の所有物でも、ギルドの所有物でもない。


 一人の人間だ。


 そして、ギルドは今日、彼のプライバシーを守ると伝えた。


 記者会見まで開いて、外部からの過剰な接触を抑えると約束した。そのギルド自身が、内部で情報を広げるわけにはいかない。


「……必要最小限」


 支部長は呟いた。


 報告するべきこと。報告しなくていいこと。それを分けるしかない。


 世界ランキング一位《Unknown》が黒瀬蓮である。昨日のSランク災害を解決した。


 Lv258の《魔公》ヴァルゼインを討伐した。非常に高い戦闘能力を持つ。


 本人は日本での生活を希望している。現時点で海外を拠点に活動する意思はない。


 そして、個人能力や過去の詳細については、本人の意向により非公表。


「……ここまでは必要だ」


 問題は、魔石だ。


 正式買い取りのために、どこまで説明する。


「…………」


 九十一階層という言葉を出さず、高位魔物由来の魔石とだけ報告するか。Lv300台後半という数字を伏せるか。


 あるいは、必要な権限を持つごく少数の上層部にだけ、機密として共有するか。


 どれが正しい。


「……簡単に決められる話じゃないな」


 支部長は小さく息を吐いた。


 さらに、Lv250前後の素材。これも同じだ。


 研究するなら、研究担当者が増える。関わる人間が増えれば、漏洩の可能性も増える。


 素材そのものが、蓮の過去を証明する証拠でもある。


「…………」


 Sランク災害の報告。ヴァルゼインの分析。Unknownの正式確認。海外からの問い合わせ。報道対応。


 蓮の個人情報保護。十億円級魔石の正式査定。Lv250級素材の研究。上層部への説明。


 そして、今後、黒瀬蓮とギルドが、どういう距離で付き合うのか。


 一つだけでも本来なら大問題だった。それが昨日から、全部まとめて押し寄せている。


「…………」


 支部長は天井を見る。しばらくそうしてから、小さく息を吐いた。


「……とりあえず」


 机の上にある資料を一つ引き寄せた。表紙には、黒瀬蓮。そう書かれている。


「……守るところからだな」


 本人が望んでいるのは、普通の生活。


 なら、少なくとも、ギルドがその邪魔をする側になってはいけない。


 知らなくていい人間には知らせない。聞かなくていいことは聞かない。必要な報告だけを、必要な相手へ。


 それでも、これから、世界中が黒瀬蓮を放っておくとは思えなかった。


「……世界一位か」


 支部長は、もう一度だけ額を押さえた。


「……頭が痛いな」


 その呟きを聞く者は、誰もいなかった。

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