第142話 地上にはない素材
「……見る?」
「ぜひ」
支部長の返事は早かった。
だが、蓮がその場でアイテムボックスへ手を伸ばそうとすると、支部長が慌てて止める。
「少々お待ちください」
「……?」
「ここで出されるおつもりですか?」
「……うん」
「できれば場所を移しましょう」
「……なんで?」
支部長が会議室を見回した。
「Lv250前後の魔物の素材ですよね?」
「……たぶん」
「何が出てくるか分からない以上、通常の会議室で確認するものではありません」
「……そうなの?」
「そうです」
玲奈が横から頷く。
「私もそっちがいいと思う」
「……分かった」
◆
四人は支部長に案内され、ギルド内部の素材査定室へ移動した。
大型の魔物素材にも対応できるよう、天井は高く、床も広い。壁際には計測器や鑑定用の設備が並び、支部長から連絡を受けた数名の職員も集まっていた。
「こちらなら大丈夫です」
「……はい」
蓮は部屋の中央まで歩いていった。支部長が確認する。
「黒瀬さん。先ほど、Lv250前後の魔物の素材をお持ちだと?」
「……うん」
「どの魔物のものか分かりますか?」
蓮は少し考えた。
「……今は覚えてない」
「分からないということですか?」
「……鑑定したら分かる」
「鑑定で?」
「……うん」
支部長は一瞬黙ったが、それ以上は追及しなかった。
玲奈が蓮を見る。
「ちょっと待って」
「……?」
「Lv250くらいの素材って、一体分じゃないの?」
「……うん」
「じゃあ、どのくらいあるの?」
蓮は少し考える。
「……何体分もあると思う」
「…………」
素材査定室が静かになった。
「何体分も?」
「……うん」
支部長が確認するように聞く。
「Lv250前後と思われる魔物の素材が、複数の個体分あるという意味ですか?」
「……はい」
「正確な数は?」
「……分かんない」
「分からない?」
「……その辺の階層の素材、いっぱいあるから」
「その辺の階層……?」
「……うん」
玲奈が額に手を当てる。
「その言い方だけで嫌な予感するんだけど」
「……?」
「まあいいや。とりあえず出してみて」
「……うん」
蓮はアイテムボックスの中を確認し、その中から一つを選ぶ。
「……じゃあ、これ」
次の瞬間、床の上に、大きな素材が現れた。
分厚い黒色の皮。人間の腕ほどもある巨大な爪。鋭く湾曲した牙。太い骨。そして、それらとは別に大きな魔石。
「…………」
誰もすぐには口を開かなかった。
最初に動いたのは、素材担当の職員だった。
「これは……」
慎重に近づき、手袋を着けて素材を確認していく。
ただし、その状態はギルドで普段扱われている素材とは少し違っていた。皮の切断面は不揃いで、ところどころ余分な肉や筋が残っている。
骨にも刃物を何度も入れたような跡があり、牙や爪の根元も専門家が処理したように綺麗ではない。
「……これは、一体分でしょうか?」
玲奈が蓮を見る。
「これ、全部同じ魔物?」
「……うん」
「もしかして、蓮が解体したの?」
「……うん」
「自分で?」
「……必要だったから」
素材担当者が皮の端を確認する。
「なるほど……」
美月が尋ねる。
「何か変なんですか?」
「いえ。むしろ納得しました」
担当者は切断面を見る。
「専門的な解体処理ではありません。素材を綺麗に仕上げるというより、必要な部位を取り出すことを優先した切り方です」
玲奈が蓮を見る。
「ずっとこんな感じでやってたの?」
「……途中まで」
「途中まで?」
「……後の方は、自分でやってない」
「後の方?」
「……アイテムボックスに入れたら、自動で解体されるようになった」
「…………自動で?」
玲奈が固まる。ひなたも目を丸くした。
その横で、美月だけが少しだけ苦笑した。
――それ、蓮言うんだ。
そんな顔だった。
「美月?」
「ううん、なんでもない」
「……?」
蓮は分からないまま首を傾げる。玲奈が美月を見る。
「美月、知ってた?」
「うん。前に蓮から聞いたよ」
「聞いてないんだけど」
「話す機会なかったから」
「それで済ませていい機能じゃない気がする」
支部長も驚いてはいたが、それ以上は踏み込まなかった。
「アイテムボックスの機能については、詳しく伺わないことにしましょう」
「……いいの?」
「はい。黒瀬さん個人の能力や所有物に関する情報ですから」
「……ありがとうございます」
蓮は小さく頷いた。
十年間の最初から、自動で解体されていたわけではない。それ以前は、蓮自身が魔物の遺体を解体していた。
食べるため。使えるものを残すため。
誰かに教わったわけでもない。何度も繰り返すうちに、必要な部分を取り出せるようになっただけだった。
そして、長いダンジョン生活の後半。アイテムボックスに入れた魔物が、自動で素材ごとに分けられるようになった。
支部長は素材担当者へ視線を向ける。
「確認を」
「はい」
担当者が慎重に皮や牙を調べていく。別の職員は魔石を専用の台へ載せた。
しばらくして。
「……支部長」
「どうですか?」
「少なくとも、当ギルドで通常取り扱っている魔物素材とは明らかに違います」
「具体的には?」
「魔力含有量が高すぎます。それに、皮の強度も……」
測定器を見た職員が眉を寄せる。
「通常の測定範囲を超えています」
「こちらの牙もです」
別の担当者が続ける。
「加工できる設備があるかどうかから検討が必要かもしれません」
玲奈が小さく呟いた。
「そんなに……」
蓮は並んだ素材を見る。
「……珍しくなかったけど」
「何が?」
玲奈がすぐに聞き返した。
「……その辺の階層にいたから」
「その辺って、どの辺?」
蓮は少し考えた。
「……七十階層くらい」
「…………」
玲奈の表情が止まる。支部長も反応した。
「七十階層前後、ですか?」
「……たぶん」
「先ほどからLv250前後とおっしゃっていますが、この魔物の正確なレベルをご記憶なのですか?」
蓮は首を横に振った。
「……覚えてない」
「では、なぜLv250前後だと?」
「……七十階層くらいの魔物」
「はい」
「……だいたい、そのくらいだったから」
「…………」
支部長が黙った。素材担当者も蓮を見る。
玲奈がゆっくり聞き返す。
「待って」
「……?」
「その魔物だけがLv250くらいだったんじゃなくて?」
「……うん」
「七十階層辺りにいた魔物が?」
「……だいたい、そのくらい」
「…………」
再び静かになった。
美月だけは、蓮から聞いた十年間の話を思い出していた。階層を下りるたびに、魔物は強くなった。それでも蓮は、さらに先へ進み続けた。
目の前に並んでいる素材も、その途中で戦った魔物の一体から得たものにすぎない。
だが、地上では違う。一般的な冒険者は、Lv50前後で成長の壁にぶつかる。Lv100を越えられる者ですら、世界でもごく僅か。
そして、知られている人間の中にLv200を越えた者はいない。
そんな世界で、Lv250前後の魔物が、一体だけではなく、同じ階層帯に何体も存在していた。
「……黒瀬さん」
支部長の声が少し低くなる。
「そのレベル帯の魔物とは、何度も戦ったのですか?」
蓮は少し考える。
「……通るから」
「通る?」
「……先に行くのに」
「…………」
「……邪魔だったら倒す」
玲奈が目を閉じた。
「やっぱり蓮に聞くと感覚がおかしくなる……」
「……?」
「褒めてないからね」
「……そうなの?」
「そう」
支部長はさらに聞きかけたが、途中で止めた。
「……失礼しました」
「……?」
「黒瀬さんの過去について、詳しく伺わないというお話でしたね」
「……はい」
「これ以上、そこへ踏み込むつもりはありません」
「……分かりました」
そこで、支部長は少し迷うように黙った。そして、もう一度蓮を見る。
「……ただ、黒瀬さん」
「……はい」
「一つだけ、伺ってもよろしいでしょうか」
蓮が首を傾げる。
「……?」
「先ほど申し上げたことと矛盾するようで申し訳ありません。黒瀬さんの過去について、無理に聞くべきではないことは承知しています」
美月が支部長を見る。支部長は続けた。
「ですので、答えたくなければ答えていただかなくて構いません」
「……はい」
「先ほど買い取りのお話をさせていただいた、あの魔石についてです」
「……十億の?」
「はい」
以前、美月が持ち込んだ巨大な魔石。初期査定だけでも十億円。
現在のギルドでは、正確な価値すら決められていない魔石だった。
「魔物の種類や能力、どこでどのように戦ったのか。そのようなことを伺うつもりはありません」
支部長は慎重に言葉を選ぶ。
「可能であれば――元になった魔物のレベルだけでも、教えていただけないでしょうか」
「……レベル?」
「はい」
「……査定のため?」
「それもあります」
支部長が頷く。
「今確認しているLv250前後の素材と比較する上でも、あの魔石がどの程度の魔物から得られたものなのか分かれば、大きな参考になります」
「……そっか」
蓮は少し考えた。
「あれ……」
記憶を辿る。
「……九十一階層だったと思う」
「…………九十一?」
「……うん」
支部長の顔が僅かに強張る。玲奈も蓮を見る。
「九十一階層の魔物?」
「……うん」
「レベルは?」
蓮は少し考えた。
「……正確には覚えてない」
「おおよそで構いません」
「……300台後半くらいだったと思う」
「…………」
誰もすぐには反応できなかった。支部長がゆっくり聞き返す。
「……Lv300台後半、ですか?」
「……うん」
素材担当者たちの視線が、一斉に蓮へ向く。玲奈が額を押さえた。
「待って待って」
「……?」
「今のLv250が七十階層くらいだったよね?」
「……うん」
「九十一階層で、300台後半?」
「……うん」
「じゃあ、その先って……」
言いかけて、玲奈が止まった。蓮の過去へ踏み込みすぎる。それに気づいたのだ。
支部長も、それ以上は聞かなかった。
「……ありがとうございます」
「……これだけでいいの?」
「十分です」
支部長ははっきり答えた。
「むしろ、十分すぎるほどです」
七十階層前後。Lv250前後。
九十一階層。Lv300台後半。
そして、そのさらに先に、蓮がすでに倒したと聞かされている、Lv600の古龍がいた。
目の前の数字だけでも、蓮が十年間を過ごした場所が、地上の常識からどれほど外れていたのか。十分すぎるほど伝わっていた。
素材担当者はまだ目の前の素材を調べ続けている。
「支部長」
「はい」
「現時点では、価格を出せません」
蓮が見る。
「……売れない?」
「逆です」
担当者は即座に首を横に振った。
「比較できる取引例がありません」
「……?」
「この水準の素材を、いくらで評価すべきなのか判断するための前例がないんです」
「……そうなの?」
「はい」
牙。爪。皮。骨。魔石。
どれも、現在の地上では簡単に価格を決められるものではない。
「研究資料としても非常に価値があります」
支部長が蓮を見る。
「黒瀬さん」
「……はい」
「お願いがあります」
「……?」
「この素材の一部を、詳しく調査させていただくことは可能でしょうか?」
「……いるの?」
「ぜひ」
また即答だった。
蓮は少し考える。
「……じゃあ、欲しいの持っていっていいよ」
「それはできません」
「……なんで?」
今度は支部長が即答した。
「所有者は黒瀬さんです」
「……うん」
「価値もまだ分かっていない素材を、ギルドが勝手に選んで持ち帰るわけにはいきません」
「……また?」
玲奈が笑う。
「十億の魔石と一緒」
「……難しい」
「地上ではそういうところちゃんとするの」
「……そっか」
支部長も苦笑した。
「まずは黒瀬さんの所有物のまま、一部を調査用としてお預かりする形がよいでしょう」
「……預ける?」
「はい。調査内容も記録し、素材を使用する必要がある場合は事前に黒瀬さんへ確認します」
「……分かりました」
「その上で、もし黒瀬さんに売却の意思があるのであれば、改めて相談させてください」
「……はい」
玲奈が蓮を見る。
「今度は勝手に『あげる』って言わないでよ」
「……言ってない」
「さっき『持っていっていい』って言ったでしょ」
「……同じ?」
「ほぼ同じ」
「……そっか」
ひなたが笑った。
素材担当者たちは、目の前に並ぶものから目を離せない。
Lv250前後。それだけでも異常なのに、蓮のアイテムボックスには、七十階層前後で戦った同じレベル帯の魔物から得た素材が、まだ何体分も眠っている。
そして、十億円という初期査定がついた魔石は、九十一階層のLv300台後半の魔物から得たものだった。
それでも、そこはまだ、最深部ではない。
蓮だけが、そんな周囲の反応を不思議そうに見ていた。




