第138話 残らなかった報酬
会議室には、まだ古龍の話の余韻が残っていた。
Lv600。HP三十五万。筋力三十万。防御三十五万。
先ほどまで、人類の到達領域を大きく越えた存在として見ていたヴァルゼイン。Lv258。それだけでも十分すぎるほどの怪物だった。
だが、蓮が百階層で戦った古龍は、そのさらに上にいた。
だから、蓮にとってヴァルゼインは、古龍に比べれば、弱かった。その意味を、ギルド側もようやく理解していた。
支部長が小さく息を吐く。
「……ありがとうございます。五十階層での戦闘については、これでかなり把握できました」
「……はい」
記録担当者も、端末へ入力した内容を確認していく。
その時、ダンジョン管理担当が何かに気づいたように顔を上げた。
「……黒瀬さん」
「……はい」
「もう一点だけ、確認してもよろしいですか?」
「……はい」
「ヴァルゼインを討伐したあと、その遺体はどうされましたか?」
蓮が首を傾げる。
「……遺体?」
「はい」
担当者が少し身を乗り出す。
「魔物は討伐後も遺体が残ります。まして、今回の相手はLv258の《魔公》です」
「……はい」
「もし遺体、あるいは一部でも回収されているのであれば、ギルドとして調査させていただきたいのですが」
「……置いてきた」
「…………え?」
担当者の動きが止まった。
「置いて……きた?」
「……はい」
「回収していないんですか?」
「……してない」
会議室が静かになる。
「なぜ……?」
蓮は少し考えた。
「……食べられそうになかったから」
「…………」
「あと」
さらに思い出す。
「……使えそうなところも、なかった」
職員たちは何も言えなかった。玲奈がゆっくり蓮を見る。
「……いやいや」
「……?」
「Lv258の魔公だよ?」
「……うん」
「普通、とりあえず持って帰ろうとか思わない?」
蓮は少し考える。
「……何に使うの?」
「それは……」
玲奈も言葉に詰まった。
蓮にとって、魔物の遺体を持ち帰るかどうかの基準は昔から変わっていない。
食べられるか。武器や防具、道具として使えるか。
十年間、必要な素材は自分で解体し、自分で使ってきた。逆に、必要のないものを持ち歩く理由はなかった。
地上でどれほど高値がつくのか。研究資料としてどれほど貴重なのか。そんなことを考える習慣そのものが、蓮にはない。
支部長が美月たちを見る。
「神崎さんたちも、回収はされなかったのですか?」
「……はい」
美月が答える。
「正直、そこまで頭が回ってませんでした」
ひなたも小さく頷く。
「私もです」
玲奈が息を吐いた。
「美月が四十五階層で一回死んで、私たちも戦えないくらいになって……そこから五十階層まで降りたんですよ」
「……はい」
「そのあと目の前で、あんな戦い見せられて」
玲奈は少し遠い目をする。
「終わった時は、もう『帰れる』ってことしか考えてなかったです」
美月も苦笑する。
「私も同じです」
「……そうですか」
ダンジョン管理担当が、露骨に残念そうな表情を浮かべた。
「Lv258の魔物の遺体……」
記録担当者が呟く。
「研究できていれば、とんでもない資料になったでしょうね……」
蓮が聞く。
「……欲しかったの?」
「欲しかったです」
即答だった。
「……そうなんだ」
「そうなんです」
玲奈が額を押さえる。
「そこからなんだ……」
支部長は苦笑しかけたが、すぐに表情を戻した。
「いずれにせよ、現在はダンジョンそのものが消滅しています。回収は不可能でしょう」
「はい」
美月が答える。
そこで、玲奈が何かを思い出したように、ぽつりと呟いた。
「……そういえばさ」
「どうしたの?」
美月が見る。
「ダンジョン、クリアしたんだよね?」
「うん」
「でも、あの時……宝箱、出なかったよね」
美月とひなたが顔を見合わせる。
「……確かに」
「出ませんでしたね」
ダンジョン管理担当も反応する。
「攻略報酬ですか?」
「はい」
玲奈が頷いた。
「最深部のボスを倒したのに、何も出なかったんです」
そして蓮を見る。
「蓮、あれってなんで?」
「……たぶん、魔力が足りなかったから」
「魔力?」
「……うん」
ダンジョン管理担当の表情が変わる。
「どういうことですか?」
蓮は少しだけ考えてから答えた。
「……ヴァルゼインを倒したあと、ダンジョンも《鑑定》した」
「…………ダンジョンを?」
「……はい」
また、職員たちが固まった。
「ダンジョンそのものを《鑑定》できるのですか?」
「……できた」
「何が見えたんです?」
「……ダンジョン自体の魔力が、かなり減ってた」
「ダンジョン自体の魔力が?」
「……はい」
蓮は、見えていた情報を思い出しながら続ける。
「……ヴァルゼインが、《魔力侵食》と《魔公の領域》で吸い取ってた」
支部長の表情が変わる。
「先ほど話していた二つのスキルですね」
「……はい」
「では、ヴァルゼインがダンジョン内へ放出していた高濃度の魔力は――」
「……ダンジョンの魔力も使ってた」
「なるほど……」
ダンジョン管理担当が考え込む。
ヴァルゼインは、自身の魔力だけではなく、ダンジョンそのものが蓄えていた魔力まで利用していた。
「……だから」
蓮が続ける。
「……ダンジョンが、本来やることに使う魔力がほとんど残ってなかった」
「本来の機能……?」
「……宝箱を出したり」
玲奈が目を見開く。
「ああ……」
「……たぶん、報酬を出すほど残ってなかった」
ダンジョン管理担当がゆっくり頷く。
「確かに、それなら説明はつきます」
最深部のボスを討伐している。攻略そのものは完了している。
それにもかかわらず、攻略報酬が出現しなかった。
その理由が、ダンジョン側の魔力不足だった可能性。
ひなたが、そこで気づいた。
「……でも」
「どうしたの?」
「出口は出ましたよね?」
玲奈も蓮を見る。
「そうだ」
美月も思い出す。
「ヴァルゼインを倒したあと、帰るための出口はちゃんと出たよね」
「……うん」
蓮が頷く。
「……あれは、出てきてよかった」
「…………よかった?」
玲奈の顔が止まる。
「どういう意味?」
「……ダンジョンの魔力、かなり減ってたから」
「うん」
「……最低限の機能まで止まってたら」
蓮は淡々と言った。
「……出口も、出なかったかもしれない」
「…………え?」
三人の表情が固まった。
「ちょっと待って」
玲奈が身を乗り出す。
「じゃあ、あの時って……帰れない可能性もあったの?」
「……あったかも」
「聞いてないんだけど!?」
「……聞かれなかったから」
「そういう問題じゃないでしょ!」
玲奈の声が会議室に響いた。美月も蓮を見る。
「蓮。それは先に言って」
「……でも、出口出たから」
「結果論だよ」
「……そっか」
ひなたは胸を撫で下ろしている。
「今聞いても怖いです……」
玲奈が大きく息を吐いた。
「本当に出てよかった……」
「……うん」
蓮も、その時のことを思い返す。
「……ヴァルゼインを倒したあと、《魔力侵食》と《魔公の領域》は止まった」
「うん」
「……だから、残ってた魔力で最低限は動けたみたい」
「最低限って……」
「……出口を出すくらい」
会議室のギルド職員たちは、先ほどとは別の意味で言葉を失っていた。
ダンジョン管理担当が、今までの情報を整理する。
「つまり……ヴァルゼインは《魔力侵食》と《魔公の領域》によってダンジョン内部へ高濃度の魔力を放出しながら、同時にダンジョン本体の魔力まで利用していた」
「……はい」
「高濃度の魔力によって、内部の魔物の強化や階層構造の不安定化が発生した」
「……はい」
「そして、ダンジョン本体は魔力を大量に失い、攻略後に報酬を生成する余力まで失っていた」
「……たぶん」
「ただし、ヴァルゼインを倒したことで二つのスキルの作用が停止した。その結果、残っていた魔力で脱出経路を形成する最低限の機能だけは働いた」
「……はい」
支部長がゆっくり頷いた。
「これなら、今回確認された現象の多くに説明がつきます」
記録担当者も端末を確認する。
「AランクからSランクへの急激な変化。魔物の異常強化。階層構造と通路接続の不安定化。そして攻略後に報酬が出現しなかったこと……」
支部長は美月たちを見る。
「もちろん、正式な結論を出すにはこちらでも検証が必要です」
「はい」
「ただ、今回の異常の中心にヴァルゼインの《魔力侵食》と《魔公の領域》があった可能性は極めて高いと考えます」
美月が静かに頷く。
「原因が分かれば、次に繋げられますか?」
「必ず」
支部長は即答した。
「同様の異常が今後発生した場合、今回得られた情報は非常に重要な判断材料になります」
「なら、よかったです」
美月が答える。玲奈も椅子の背にもたれた。
「やっと終わった……」
「玲奈さん」
ひなたが小さく笑う。
「だって、昨日から濃すぎるでしょ」
「それは……そうですね」
美月も苦笑した。蓮だけは、三人を見ながら首を傾げている。
「……疲れた?」
玲奈が蓮を見る。
「誰のせいだと思ってるの?」
「……ヴァルゼイン?」
「半分くらいは蓮」
「……俺?」
「そう」
蓮は少し考えたが、理由は分からなかった。美月がそれを見て笑う。
「そこは今考えなくていいよ」
「……分かった」
支部長も、少しだけ表情を緩めた。そして、これまで使っていた資料を一つにまとめる。
「では」
四人が支部長を見る。
「今回のSランク化したダンジョンについての事情聴取は、これで終了とします」
美月が小さく息を吐く。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、長時間ありがとうございました」
支部長は頭を下げる。
「今回得られた情報はこちらで精査し、原因究明と今後の対策に役立てます」
「お願いします」
美月が答えた。
そこで、支部長が資料へ視線を落とした。
「それと、もう一点」
「はい?」
「今回の調査協力についての報酬です」
「報酬?」
玲奈が反応する。
「はい。今回は皆さんに、正式な調査協力としてお話を伺っています」
支部長は四人を見る。
「長時間の聞き取りに加え、五十階層の状況、ヴァルゼインの能力、ダンジョン異常の原因についても非常に重要な情報を提供していただきました」
「そういえば、調査依頼でしたね」
ひなたが言う。
「はい」
支部長が頷く。
「ですので、当然ですが報酬が発生します」
蓮が首を傾げる。
「……話しただけで?」
「話しただけではありません」
支部長は苦笑する。
「今回いただいた情報には、今後同様の異常が発生した際に、多くの冒険者の命を救う可能性があります」
「……そうなの?」
「そうなんです」
玲奈が横から言う。
「蓮、情報って結構大事なんだよ」
「……そっか」
「ただし」
支部長が続ける。
「金額については、この場ではまだお伝えできません」
美月が見る。
「これから決めるんですか?」
「はい。提供していただいた情報の内容を精査したうえで、正式な調査協力報酬を算定します」
「分かりました」
「決定後、改めて皆さんへご連絡します」
蓮が聞く。
「……俺も?」
「もちろんです」
「……なんで?」
「黒瀬さんから提供していただいた情報も、今回の調査には非常に重要なものだからです」
「……そっか」
蓮はまだ少し不思議そうだった。
支部長はさらに続ける。
「それと、こちらは今回の調査協力に対する報酬です」
「ということは?」
美月が聞く。
「皆さんが当初受けていたダンジョン依頼の報酬とは別です」
「別なんですか?」
「はい」
支部長の表情が少し真剣になる。
「加えて、本来Aランクとして管理されていたダンジョンが、皆さんの攻略中にSランクへ変化した件についても、別途補償を検討しています」
「補償……」
「今回の件は、通常の依頼遂行中に想定外の危険へ巻き込まれた形です。調査協力報酬と一緒に処理するものではありません」
美月が静かに頷く。
「それも後日ですか?」
「はい。依頼報酬、調査協力報酬、追加補償。それぞれ整理したうえで、改めて正式にご連絡します」
「分かりました」
「ありがとうございます」
支部長は頭を下げた。
「いえ。こちらが行うべきことです」
五十階層。ヴァルゼイン。突然のSランク化。そして、ダンジョンそのものに起きていた異常。
昨日から続いていた一連の出来事について。
ようやく、ギルドへの報告が終わった。




