第132話 古龍を越えた日
玲奈が蓮を見る。
「《超越者》を手に入れた直後に?」
「……うん」
蓮が意識を取り戻したあと、古龍は、まだ百階層にいた。
ただ、先ほどまでとは、明らかに様子が違っていた。
「……警戒してた」
「古龍が?」
「……うん」
《無限成長》と、《生存適応》。二つのスキルが融合した時、蓮の魔力は、一気に膨れ上がった。
百階層を揺らし、地面を砕き、岩壁に亀裂を走らせるほどの魔力。
それを感じた古龍が、蓮を見据えたまま、わずかに、後退した。
「さっきまでとは、反応が違った?」
玲奈が聞く。
「……うん」
「どんな感じ?」
「……もっと、警戒してた」
古龍にも、分かったのだろう。先ほど倒したはずの人間が、もう、同じ状態ではないことを。
「蓮自身は、何が変わったか分かった?」
「……すぐ分かった」
「どんな感じ?」
蓮は少し考える。
「……全部、分かりやすくなった」
「全部?」
「……音とか」
空気の流れ。地面の僅かな振動。周囲を流れる魔力。
それまでも、感じ取ることはできた。けれど、《超越者》を得たあとは、そのすべてが、以前とは比べものにならないほど、鮮明になっていた。
「……古龍の魔力も見えた」
「見えた?」
「……どこに集めてるか、分かった」
攻撃する直前、どの場所へ、どれだけの魔力を集めているのか。
身体の動き。筋肉の僅かな変化。魔力の流れ。
それらを感じ取ることで、次に何をしてくるのか、以前より、遥かに分かるようになっていた。
ひなたが息を呑む。
「予測できるようになったってことですか?」
「……近いと思う」
さらに、魔力の扱いも、変わっていた。
黒月へ魔力を流せば、以前より、遥かに自然に、思った場所へ、思っただけの魔力が流れる。
「それで、もう一度?」
「……うん」
古龍が、先に動いた。巨大な身体が、一気に蓮へ迫る。振り下ろされる爪。
さっきまでなら、避けるために、全神経を集中させていた攻撃。
けれど。
「……遅く見えた」
玲奈が目を見開く。
「さっきまで苦戦してた相手が?」
「……うん」
大きく避ける必要すらなかった。一歩。半歩。僅かに身体をずらす。
それだけで、爪は、蓮の横を通り過ぎる。
もう一撃。避ける。尾。避ける。噛みつき。
それも、当たらない。
「一回も?」
「……当たらなかった」
玲奈が言葉を失う。
ついさっきまで、真正面から受ければ、身体ごと吹き飛ばされていた。避けるために、全神経を集中させなければならなかった。
その古龍の攻撃が、《超越者》を得たあとの蓮には、はっきりと見えていた。
古龍が、大きく翼を広げる。空へ、一気に舞い上がった。
そして、上空から、巨体そのものを武器にするように、急降下する。
「それも?」
「……避けた」
古龍が、地面へ激突する直前。蓮は、僅かに横へ動いた。
巨大な身体が、地面へ突き刺さる。百階層が、大きく揺れる。
その横を、蓮が走り抜ける。黒月を振るう。刃が、古龍の鱗を、深く裂いた。
「……前より、簡単に斬れた」
「《超越者》になる前は?」
「……硬かった」
「それが?」
「……普通に斬れた」
古龍が、明確な苦痛の声を上げた。
玲奈は、黙って蓮を見る。一度、本当に殺されかけた相手。その相手との力関係が、僅かな時間で、大きく変わっていた。
「……それから」
蓮が続ける。
「古龍が、今までと違う攻撃を使った」
「違う攻撃?」
「……三つの属性を、一緒に使ってきた」
「三つ?」
「……火と、風と」
少し間を置く。
「……雷」
玲奈の表情が変わる。
「三属性を同時に?」
「……うん」
古龍の周囲へ、膨大な魔力が集まった。炎。風。雷。
三つの属性。それらを、古龍が操る。
混ざり合った魔力は、先ほどまでとは、比べものにならないほど大きな、破壊の力へ変わっていった。
「さっき蓮を倒した攻撃より?」
「……強かったと思う」
美月の表情が強張る。
「それを……どうしたの?」
「……斬った」
「え?」
玲奈が聞き返した。
「今、斬ったって言った?」
「……うん」
「その攻撃を?」
「……うん」
古龍が、口を開く。次の瞬間、炎。風。雷。
三つの属性を含んだ、巨大なブレスが、百階層を埋め尽くすように、蓮へ迫った。
逃げ場は、ほとんどない。
けれど、蓮は、逃げなかった。黒月を構える。刀身へ、魔力を集中させる。
「……前より」
蓮が言う。
「魔力が、ちゃんと言うこと聞いた」
一本の刃へ、魔力を、極限まで凝縮する。
そして、振る。
一閃。
巨大なブレスが、真ん中から、二つに裂けた。
玲奈が、完全に黙った。ひなたも、何も言えない。
「……本当に?」
美月が尋ねる。
「……うん」
「古龍のブレスを?」
「……斬った」
左右へ分かれた、巨大な魔力の奔流。その間に、蓮は、無傷で立っていた。
「……そこからは」
蓮が続ける。
戦況は、完全に変わった。
古龍が、爪を振るう。避ける。蓮が斬る。鱗が裂ける。
古龍が、尾を振るう。避ける。また、斬る。
古龍が攻撃するより、蓮の方が、先に動く。
「《自己再生》は?」
玲奈が聞く。
「……動いてた」
「じゃあ、また傷が治る?」
「……治る前に斬った」
「……え?」
古龍の傷が、塞がり始める。その前に、次の傷を作る。
再生する。さらに、斬る。また、再生が始まる。
その速度より、さらに速く、攻撃を重ねる。
「再生速度を上回ったの?」
「……うん」
一撃。さらに、一撃。もう一撃。
古龍の鱗が裂ける。血が流れる。傷が増える。
再生が、追いつかない。古龍は、反撃する余裕すら、次第に失っていった。
玲奈が、小さく呟く。
「さっきまで……蓮の方が死にかけてたんだよね?」
「……うん」
「それが《超越者》を手に入れたあとには……」
蓮は、静かに答えた。
「……俺の方が強かった」
古龍が、それでも、立ち上がろうとする。
蓮は、黒月を構えた。そして、最後の一撃を、振り抜いた。
古龍の巨体が、大きく揺れる。そのまま、地面へ、崩れ落ちた。
巨大な音が、百階層に響く。それきり、古龍は、動かなかった。
「……倒した」
蓮が言う。
玲奈も、ひなたも、しばらく、何も言わなかった。
美月は、静かに蓮を見る。あの日、蓮が、手のひらへ出して見せた、巨大な魔石。
その持ち主が、今、蓮が話した、この古龍だった。
「……あの魔石」
美月が呟く。蓮が、美月を見る。
「……うん」
「古龍のだったんだね」
「……うん」
玲奈が、美月を見る。
「待って」
「うん?」
「美月、古龍の魔石見たことあるの?」
「……ある」
「ある!?」
玲奈が声を上げる。ひなたも、驚いて美月を見る。
「蓮が前に、見せてくれたの」
「古龍の魔石を!?」
「……うん」
玲奈は、ゆっくり蓮を見る。
「……あんた」
「……?」
「古龍倒して、その魔石まで持って帰ってきたの?」
「……うん」
「……そっか」
玲奈は、それ以上、何も言えなくなった。
世界ランキング一位。Unknown。今日まで、その名前だけが、世界中に知られていた。
けれど、その強さが、どこで、どうやって作られたのか、誰も知らなかった。
今、玲奈とひなたは、ようやく、その一端を、知った。
十年間、一人きりのダンジョンで、蓮が、本当に、死ぬ寸前まで戦い、それでも生き残り、最後には、古龍すら倒したことを。
玲奈が、しばらくしてから尋ねる。
「……百階で古龍を倒して」
蓮を見る。
「それで、終わりだったの?」
「……うん」
蓮は頷いた。
「……戦うのは、そこで終わり」
「じゃあ……」
「……あとは」
蓮は、少しだけ視線を落とす。
「……帰った」
美月が、静かに蓮を見る。
「地上に?」
「……うん」
十年間、一人で進み続けたダンジョン。その最後の敵を倒して、蓮は、ようやく、地上へ帰ることになった。




