第124話 世界が見つけた日
玲奈の声が止まった。
封鎖線の向こうでは、報道陣の声がさらに大きくなっていく。
「黒瀬蓮さん!」
「Unknown本人というのは本当ですか!」
「世界ランキング第一位の名前が変更された件について、説明をお願いします!」
「行方不明の十年間どこにいたんですか!」
「Sランク変異ダンジョンを攻略したという情報は事実ですか!」
カメラが一斉に向けられる。ライトが眩しい。
マイクを持った記者たちが、警備の冒険者越しに前へ出ようとしていた。
玲奈は、ゆっくりと蓮を見る。そして、美月を見る。
「ちょっと待って」
声が震えていた。
「Unknownって……あのUnknown?」
美月は黙っていた。けれど、その沈黙が答えだった。
ひなたも口元を押さえる。
「世界ランキング……第一位……」
玲奈はもう一度、蓮を見た。
蓮は報道陣の声を聞いて、少しだけ眉を寄せている。だが、本人はその意味をほとんど理解していないようだった。
「美月の幼なじみが?」
「……うん」
「十年ぶりに帰ってきたっていう?」
「……うん」
「世界一位?」
「……たぶん」
「たぶんじゃないでしょ!」
玲奈の声が裏返った。
ひなたも茫然としている。
「蓮さんが……Unknown……」
Unknown。その名は、冒険者なら誰でも知っていた。
七年間。世界ランキングの頂点に表示され続けた、正体不明の存在。
所属不明。年齢不明。国籍不明。
顔も。声も。経歴も。
何一つ分からない。
ただ、ランキングの一位に存在し続けた名前。
冒険者たちは噂した。
本当に人間なのか。どこかの国が隠している秘密兵器なのか。そもそも実在しているのか。
誰も知らなかった。誰も会えなかった。誰も届かなかった。
そのUnknownが。今。
目の前にいる。
美月がずっと探していた幼なじみとして。何も分かっていないような顔で。
「情報量が多すぎる……」
玲奈は頭を抱えた。
ひなたも小さく頷く。
「私も……整理できません……」
蓮は二人を見る。
「……Unknownって、何」
玲奈が固まる。
「本人が一番分かってないの?」
「……うん」
「うんじゃないって」
玲奈は思わず言ったが、すぐに言葉を失った。
そうだ。蓮は知らない。
十年間、ダンジョンにいた。外のランキングなど見ていない。
自分が七年間、Unknownとして世界中に知られていたことも。自分が冒険者たちにとって、どれほど異常な存在だったかも。
知らない。
蓮にとっては。ただ、生き残っただけ。
ただ、美月を助けに来ただけ。それだけなのだ。
報道陣の声は止まらない。
「黒瀬蓮さん!」
「一言お願いします!」
「神崎美月さんとの関係は!」
「Unknownの名前が黒瀬蓮に変わったのは事実ですか!」
「冒険者登録は本日だったという情報があります!」
「本日登録で、即Sランク変異ダンジョンを攻略したんですか!」
蓮は少しだけ後ろへ下がった。
魔物ではない。敵意もない。
だが。多すぎる。
声が。視線が。質問が。
十年間。
ダンジョンの中には、人の声などほとんどなかった。
聞こえていたのは、魔物の咆哮。刃が肉を裂く音。骨が砕ける音。
血の匂い。死の気配。
そういうものだけだった。
目の前の人々は、蓮を殺そうとしているわけではない。それは分かる。
けれど。どう返せばいいのか分からなかった。
「……美月」
蓮が小さく呼ぶ。
美月はすぐに気づいた。
蓮の表情。わずかに寄った眉。困ったような目。
それを見た瞬間、美月は前へ出た。蓮と報道陣の間に立つように。
「すみません」
美月の声が、夜の空気に通った。
「今は救助直後です。私たちも状況確認と検査が必要です。取材対応は、ギルドを通してください」
記者たちはなおも声を上げる。
「神崎さん!」
「黒瀬蓮さんとはどういう関係ですか!」
「彼がUnknownだと知っていたんですか!」
「今回の救助を依頼したのはあなたですか!」
美月の表情が少しだけ硬くなる。だが、下がらない。
蓮を背中に隠すように、一歩も動かなかった。
玲奈はその横顔を見た。
美月は、蓮を守ろうとしている。Sランク変異ダンジョンを攻略した男を。
世界ランキング第一位を。守る必要などないほど強いはずの蓮を。
それでも。今、この場所では。
美月が蓮を守っていた。
玲奈は小さく息を吐く。
「……なるほどね」
ひなたが玲奈を見る。
「どうしたんですか?」
「美月が最近、早く帰ってた理由」
「あ……」
ひなたも気づく。
帰る場所。待っている人。
美月がずっと大切にしていた人。それが、今ようやく繋がった。
報道陣がさらに前へ出ようとした瞬間。
支部長が片手を上げた。
「封鎖線を越えるな」
低い声だった。それだけで、周囲の空気が変わる。
警備の冒険者たちが前へ出た。
「下がってください!」
「ここから先は立入禁止です!」
「救助対象者への接触は認められません!」
記者たちは押し戻される。それでもカメラは蓮を追っていた。
支部長は報道陣へ向き直る。
「ここはまだ安全確認中のダンジョン区域だ。関係者以外の接近は許可しない」
「ですが、Unknownが――」
「正式発表はギルドから行う」
強い声。
「今は救助者と救助対象者の安全確認が最優先だ」
その言葉に、報道陣の勢いがわずかに弱まる。だが、完全に静まるわけではない。
封鎖線の向こうから、ざわめきは続いていた。
「本当にUnknownなのか……」
「あの若さで?」
「世界一位が、今まで無登録だったってことか?」
「今日登録して、今日Sランクを攻略?」
「ありえないだろ……」
蓮はその声を聞いても、ほとんど意味を理解できなかった。
ただ一つ。自分が見られている。
それだけは分かる。あまり、心地よくはなかった。
支部長が蓮へ向き直る。
「黒瀬蓮」
「……うん」
「詳しい事情は、後で聞かせてもらう」
「……うん」
「だが今は、まず全員の安全確認が先だ」
蓮は美月を見る。
「……美月も?」
「もちろんだ」
支部長が答える。
「《アストラ》三名は医療班の検査を受ける。君もだ」
「……俺も?」
「当然だ」
「……怪我してない」
「怪我がないことを確認するのが検査だ」
蓮は少し考えた。それから美月を見る。
「……検査」
「うん。受けるよ」
「……一緒に行く」
美月は一瞬だけ驚いた。それから、柔らかく笑う。
「うん。一緒に来て」
玲奈が小さく呟く。
「世界一位、完全に美月しか見てないじゃん」
ひなたも小さく笑った。
「でも……それが蓮さんらしい気がします」
「もう分かってきたの?」
「少しだけ」
玲奈は肩をすくめる。
「私はまだ全然分かんない」
そう言いながらも。玲奈の表情は、少しだけ緩んでいた。
蓮がどれほど異常な存在でも。世界一位でも。Unknownでも。
今ここで、美月を気にしている蓮の姿だけは分かりやすかった。
医療班が四人を誘導しようとする。
だが、蓮は一歩進んだところで止まった。
封鎖線の向こう。報道陣。冒険者。ギルド職員。
すべての視線が、自分に向いている。
蓮は少し困った顔をした。
そして。美月へ小さく聞いた。
「……帰っていい?」
その場にいた何人かが、言葉を失った。
今。世界が自分を見ている。
Sランク変異ダンジョンを攻略した直後。Unknownの正体が判明した直後。
報道陣が押し寄せ。冒険者たちが騒然としている。
その中心にいる本人が。帰っていいかと聞いた。
美月は一瞬だけ目を丸くする。
それから。少しだけ笑った。
「うん」
声が優しかった。
「帰ろう」
「……うん」
蓮は頷いた。
支部長が苦笑に近い息を吐く。
「検査と最低限の確認が終われば、すぐに休ませる。詳しい話は明日以降でいい」
美月が頭を下げる。
「ありがとうございます」
玲奈もひなたも、ようやく緊張を解いた。
夜の空気の中。投光器の光が、四人を照らしている。
黒瀬蓮。Unknown。世界ランキング第一位。
その正体が。ついに地上へ現れた。
報道陣が叫ぶ。冒険者たちが息を呑む。ギルド職員が慌ただしく動き回る。
けれど。その中心にいる蓮だけは。
何も分かっていないような顔で。ただ美月を見ていた。
世界が、黒瀬蓮を見つけた日。
蓮が望んだのは。名声でも。称賛でも。説明でもなく。
ただ一つ。
美月と一緒に、家へ帰ることだった。




