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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第118話 四十五階層

爆音が、深い階層に響いた。


 美月の放った魔法が、通路の奥から迫っていた魔物の一体を吹き飛ばす。黒い角を持つ巨体が壁に叩きつけられ、鈍い音を立てて崩れ落ちた。


 だが、終わらない。


 残った二体が、地面を揺らしながら迫ってくる。


「玲奈、右!」


「分かってる!」


 玲奈が前へ出る。剣を握る手には力が入っていた。


 腕の傷はひなたの回復で塞がっている。けれど、痛みが消えたわけではない。


 踏み込むたびに、表情がわずかに歪む。それでも玲奈は止まらなかった。


 魔物の腕が振り下ろされる。


 玲奈は横へ滑るように避け、その足元を斬りつけた。硬い皮膚に刃が食い込む。


 だが、浅い。


「硬っ……!」


 魔物が身体を捻る。太い腕が玲奈を薙ぎ払おうとした。


「させない!」


 美月が結界を張る。透明な壁が、魔物の腕を受け止めた。


 衝撃が走る。結界に細い亀裂が入った。


「くっ……!」


「美月さん!」


「大丈夫! ひなた、支援を!」


「はい!」


 ひなたが杖を握り、玲奈へ補助魔法を重ねる。


 身体強化。反応速度強化。最低限。


 それでも今の玲奈には必要だった。


「助かる!」


 玲奈がもう一度踏み込む。今度は魔物の膝裏へ剣を入れた。


 巨体が傾く。その瞬間、美月が魔法を撃ち込む。


 雷光が走り、魔物の頭部を貫いた。巨体が床へ倒れる。


 床が揺れた。


 最後の一体が咆哮する。通路全体が震えた。


 魔力を含んだ声が、身体の内側を直接揺さぶってくる。


「っ……!」


 ひなたが膝をつきかけた。


 美月は即座に振り返り、ひなたの前に結界を張る。


 その一瞬の遅れを、魔物は見逃さなかった。


 巨体が突進する。狙いは、美月。


「美月!」


 玲奈が叫ぶ。


 美月は杖を構え直す。避ける余裕はない。


 なら、受けて、撃つ。


「来なさい」


 低く呟き、魔力を集中させる。


 魔物の腕が振り下ろされる。美月の結界が受け止めた。


 亀裂。さらに亀裂。


 だが、割れない。


 美月は歯を食いしばり、結界越しに魔法を放った。


 至近距離からの爆発。魔物の胸部が砕ける。


 黒い体液が床に散った。巨体がゆっくりと倒れる。


 そして、動かなくなった。


「……はぁ……はぁ……」


 玲奈が肩で息をする。ひなたも壁に手をつきながら、なんとか立っていた。


 美月は周囲を確認する。


 倒した魔物の死骸が、通路に転がっている。血の匂いと、濃い魔力の匂いが混ざっていた。


 長くここに留まれば、別の魔物を呼ぶ。


「進むよ」


 美月は言った。


「止まってる余裕はない」


「……これ、もう一回やれって言われたら、きついね」


 玲奈が苦笑する。


 声は軽くしようとしている。だが、疲労は隠せていなかった。


 美月はそんな玲奈を見て、短く答える。


「もう一回やらないために、進むの」


「……ほんと、美月らしい」


 玲奈は息を整え、剣を握り直した。


 ひなたが端末を見る。画面の数字は乱れていた。


 四十三。不明。四十四。不明。


 そして――。


 四十五。


 ひなたの顔が青ざめる。


「……美月さん」


「何?」


「階層推定……四十五です」


 玲奈の表情が固まった。


「四十五……?」


 このダンジョンは、元々Aランク。全五十階層。


 四十五階層は、本来なら最深部に近い危険区域だった。Aランク上位の冒険者でも、慎重に準備して進む場所。


 それが今は、Sランクへ変異している。その四十五階層。


 美月はそれを理解していた。だが、顔には出さなかった。


「端末の表示は乱れてる。確定じゃない」


「でも……」


「確定じゃない」


 美月はもう一度言った。


 ひなたは唇を噛む。それが慰めではないことは、分かっている。


 けれど、今はその言葉に縋るしかなかった。


 玲奈が前方を見る。


「戻る道は?」


 ひなたが端末を操作する。だが、答えはすぐに出た。


「ありません。後方の通路は閉じています。別経路も……全部、下へ向かう反応です」


「また下か」


 玲奈が小さく吐き捨てる。


 美月は前を見た。


 通路の奥。そこから、重い魔力が流れてくる。


 進めば危険。止まっても危険。戻る道はない。


 なら、選択肢はひとつしかない。


「行くよ」


「了解」


「はい……!」


 三人は歩き出した。


 通路の壁は黒く脈打っている。まるで、ダンジョンそのものが生き物になったようだった。


 床には亀裂が走り、そこから青黒い光が漏れている。


 空気は重い。呼吸をするだけで、肺の奥が焼けるようだった。


 それでも、美月は歩く。玲奈も歩く。ひなたも、遅れまいと必死についてくる。


 少しでも止まれば、終わる。そんな感覚が、三人の背中を押していた。


 その頃。


 別の階層。


 蓮は、崩れた通路を駆け抜けていた。


 三十階層を越えてから、ダンジョンの歪みはさらに強くなっていた。


 壁が動く。床が沈む。通路がねじれる。階段が途中で途切れる。


 普通の冒険者なら、進路を失って立ち尽くす。


 けれど、蓮は止まらない。


 壁が塞げば壊す。床が崩れれば飛ぶ。魔物が現れれば、すれ違いざまに倒す。


 倒れた魔物の死骸が、後ろに残っていく。だが、蓮は振り返らなかった。


「……まだ下」


 蓮は呟いた。


 魔力の流れは、さらに深く沈んでいる。その中に、何度も乱れが混じっていた。


 魔物の魔力。ダンジョンの歪み。そして、戦闘による揺れ。


 遠くで誰かが戦っている。その気配が、わずかに流れてくる。


 美月かどうかは分からない。だが、この状況で戦い続けている者がいる。


 なら、そこへ向かう。


「……待ってろ」


 蓮の足元に風が集まる。


 次の瞬間、身体が低く沈み、弾けるように前へ飛んだ。


 三十二階層。三十五階層。三十八階層。


 階層の表示など、蓮には見えない。けれど、空間が変わっていく感覚は分かる。


 魔力が濃くなる。壁の質が変わる。出てくる魔物の強さが上がる。


 それでも、蓮の速度は落ちなかった。


 通路の奥から、巨大な魔物が現れる。


 四本の腕。岩のような皮膚。胸元には、黒い結晶のようなものが浮かんでいた。


 魔物が蓮を見つけ、咆哮する。


 蓮は止まらない。


 魔物が四本の腕を広げ、通路を塞ぐ。蓮はその正面から進んだ。


 拳を握る。


 一撃。


 轟音とともに、魔物の胸が砕けた。黒い結晶が割れ、巨体が後ろへ吹き飛ぶ。


 壁に叩きつけられ、動かなくなる。


 蓮はその横を抜けた。


 敵ではない。障害にもならない。


 蓮の頭にあるのは、美月だけだった。


「……美月」


 また、名前を呼ぶ。


 返事はない。だが、蓮は進む。


 その頃、美月たちは広い空間へ出ていた。


 天井が高い。壁は黒く染まり、ところどころに結晶のようなものが生えている。


 床には円形の模様が浮かんでいた。


 ただの広間ではない。魔力が集まり、渦を巻いている。


 ひなたが息を呑む。


「……ここ、まずいです」


「索敵は?」


「反応があります。前方に一体。かなり強いです」


 玲奈が剣を構える。


「一体なら、やるしかないね」


 ひなたは首を横に振った。


「後ろからも来ています。複数です」


「避けられる?」


「無理です。通路が閉じ始めています」


 美月は広間を見渡す。


 前には強い反応。後ろには追ってくる魔物。


 左右の壁は不安定で、いつ閉じてもおかしくない。逃げ道は限られていた。


 なら、答えは一つ。


「突破する」


 美月は言った。


「前の一体を抜けて、先へ進む」


「了解」


「はい」


 三人は構える。


 その瞬間、広間の奥で何かが動いた。黒い影。


 ゆっくりと立ち上がる。


 それは、これまでの魔物よりも大きかった。人型に近い。


 だが、人ではない。


 四本の腕。背中から伸びる黒い角。


 体表には魔石のような結晶がいくつも埋まっている。結晶が、周囲の魔力を吸い込むように光っていた。


「……何、あれ」


 玲奈の声が低くなる。


 ひなたの手が震える。


「魔力が……増えてます。周囲の魔力を吸ってる……」


 魔物が一歩踏み出す。広間が揺れた。


 それだけで、空気が重くなる。


 美月は杖を握り締めた。


「ひなた、防御支援」


「はい……!」


「玲奈、正面から受けないで。腕を狙う」


「分かった」


 魔物が動いた。


 速い。


 巨体に似合わない速度で、距離を詰めてくる。


 玲奈が横へ跳ぶ。魔物の腕が床を叩いた。


 床が砕け、破片が飛び散る。


 美月は即座に結界を張り、ひなたを守った。衝撃が結界にぶつかる。


「っ……!」


 重い。ただの攻撃ではない。


 魔力が乗っている。結界の表面が軋んだ。


「玲奈!」


「行く!」


 玲奈が魔物の横へ回り込む。剣が腕の一本を斬りつけた。


 だが、刃は弾かれた。


「硬すぎ……!」


 魔物の別の腕が玲奈を狙う。


 美月が雷撃を放つ。魔物の腕に直撃する。


 だが、止まらない。


 雷は体表の結晶に吸い込まれるように消え、魔物の動きはほとんど鈍らなかった。


「っ、効いてない……!」


 玲奈はかろうじて攻撃を避ける。足が床を滑った。


 ひなたが支援を重ねる。だが、息が荒い。


 魔力の残量が少ない。


 美月はそれを見ていた。


 ひなたに無理はさせられない。玲奈も長くは動けない。


 自分も、結界と攻撃を繰り返す余裕はもう少ない。


 それでも、やるしかない。


「合わせるよ!」


 美月が声を張る。


「ひなたは玲奈の補助! 玲奈は脚! 私は正面を撃つ!」


「了解!」


「はい!」


 三人の連携は、崩れていない。


 アストラ。三人で積み上げてきた戦い方。


 そのすべてを使って、魔物へ挑んだ。


 美月の魔法が広間を照らす。雷が走る。炎が重なる。


 玲奈が横から踏み込み、魔物の脚を狙う。ひなたの支援が、その動きを押し上げる。


 三人の呼吸は合っていた。


 判断も間違っていない。攻撃のタイミングも、狙う場所も、これ以上ないほど正確だった。


 だが――。


 届かない。


 美月の魔法は、魔物の胸に直撃した。爆音が響き、広間の空気が震える。


 けれど、魔物は揺らがなかった。


 体表に埋まった黒い結晶が、魔法の威力を吸い込むように鈍く光る。焦げ跡すら残らない。


 玲奈の剣が、魔物の膝へ叩き込まれる。金属が硬いものに弾かれる音が響いた。


「っ……!」


 玲奈の手が痺れる。


 刃は通っていなかった。皮膚を裂くこともできていない。


 ひなたの補助魔法を受けてなお、傷一つつけられなかった。


「嘘……でしょ」


 玲奈の声が漏れる。


 魔物は、ただ立っていた。攻撃を受けたことすら気にしていないように。


 美月は息を呑む。


 今のは、三人で出せるほぼ最大の連携だった。それでも、通じなかった。


 倒せない。削れない。止められない。


 その事実だけが、重く広間に落ちる。


 魔物の腕が、ゆっくりと持ち上がった。


 玲奈が動こうとする。だが、反応が遅れる。


 魔物の腕が振るわれた。


「玲奈!」


 美月が結界を張る。


 玲奈の前に、透明な壁が現れる。魔物の腕が結界に直撃した。


 轟音。結界が大きく軋む。


 玲奈は吹き飛ばされずに済んだ。だが、美月の身体が後ろへ滑る。


「美月さん!」


 ひなたが支えようとする。


 美月は踏みとどまった。


「大丈夫……!」


 大丈夫ではない。


 腕が重い。魔力が削られている。


 結界を維持するだけで、意識が揺れる。


 それでも、美月は下がらない。


 ここで下がれば、玲奈が死ぬ。ひなたが死ぬ。


 だから、下がれない。


 魔物が再び腕を上げた。今度は二本。


 結界を砕くための一撃。


 玲奈が立ち上がろうとする。だが、足が震えていた。


 ひなたが魔法を使おうとする。だが、魔力が足りない。


 美月は二人の前に立つ。杖を握る手に力を込める。


「下がって」


「美月!」


「下がって!」


 強い声だった。


 玲奈とひなたが息を呑む。


 美月は結界を広げる。二人を守るように。


 自分の後ろへ隠すように。


 魔物の腕が振り下ろされる。結界に衝撃が走る。


 亀裂が入る。細く。深く。


 広がっていく。


「っ……!」


 美月の膝が震えた。それでも、倒れない。


「美月さん!」


 ひなたの声が悲鳴に変わる。


 美月は歯を食いしばる。


「大丈夫……まだ、守れる」


 その言葉と同時に、魔物がもう一度腕を上げた。


 広間の魔力が、その腕へ集まっていく。黒い光。圧倒的な重さ。


 次の一撃は、今の結界では受けきれない。


 美月にも分かった。玲奈にも。ひなたにも。


 それでも、美月は動かなかった。


 逃げない。二人の前から、退かない。


 その頃。


 蓮は、深い階層の通路を駆け抜けていた。


 前方から、強い魔力の乱れが伝わってくる。


 戦闘。大きな衝撃。結界の揺れ。魔物の魔力。


 そして、誰かが必死に耐えているような、不安定な波。


 蓮の目が細くなる。


「……近い」


 風がさらに強くなる。蓮の速度が上がった。


 だが、まだ距離がある。


 階層は歪み、道は繋がり変わり、真っ直ぐには進ませない。


 それでも蓮は、壁を壊し、罠を抜け、魔物を踏み越え、進み続ける。


 四十五階層。


 美月たちは、限界に近づいていた。


 そして蓮は、まだ――。


 届いていなかった。

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