第113話 救助不能
冒険者ギルドの監視室には、警報音が鳴り響いていた。
監視水晶は赤く明滅し、内部に映る数値は何度も乱れている。
魔力濃度。危険域突破。構造変化。階層接続異常。通信障害。内部パーティー確認。
危険度――Sランク。
その表示を見た職員たちは、誰もすぐには言葉を出せなかった。
Aランクダンジョン。つい先ほどまで、そう判断されていた場所だった。
経験豊富なAランクパーティーであれば、調査可能。そう判断したからこそ、《アストラ》へ依頼を出した。
だが今、その判断は完全に覆っている。
「入口側からの報告は!」
支部長の声が飛ぶ。
職員が慌てて通信具を操作した。
「現在確認中です!」
その直後、通信具から雑音混じりの声が返ってくる。
『こちら入口管理班! 対象ダンジョン入口に強い魔力干渉を確認! 入口周辺の空間が不安定です!』
「入場は可能か!」
『不明です! 現在、警備員が接近を試みましたが、魔力の逆流で近づけません!』
監視室の空気がさらに重くなる。支部長は表情を険しくした。
「負傷者は?」
『一名、軽度の魔力障害。命に別状はありません。ただ、これ以上の接近は危険です!』
「無理はさせるな。入口周辺を封鎖し、一般人と一般冒険者を下がらせろ」
『了解!』
通信が切れる。
支部長は監視水晶へ視線を戻した。水晶の表面には、細いひびが入っている。
前夜の一時的な揺らぎとは違う。今は、ダンジョンそのものが異常な力を放っていた。
「救助隊の編成状況は」
「近隣のAランク冒険者へ連絡中です!」
「Sランクは?」
その問いに、職員の動きが一瞬だけ止まった。
「……現在、この都市近辺に即時対応可能なSランク冒険者はいません」
支部長は奥歯を噛む。
Sランク冒険者。それは、国単位でも数が限られる存在だ。
常に近くにいるわけではない。まして、変異直後のSランクダンジョンへ即座に突入できる者となれば、さらに限られる。
「他支部へ応援要請を出せ」
「すでに出しています。ただ、到着には時間がかかります」
「最短で?」
「早くても数時間……準備と移動を含めれば、それ以上になる可能性があります」
数時間。
その言葉が、重く落ちる。
中にいるのは《アストラ》だ。Aランク冒険者である美月と玲奈。Bランクながら支援能力に優れたひなた。
決して弱いパーティーではない。むしろ、通常のAランクダンジョンであれば、信頼して任せられる実力者たちだ。
だが、今のダンジョンは違う。
Sランクへ変異した。しかも、内部構造が変わり続けている。
地図は使えない。通信も届かない。入口さえ不安定。
助けに行きたい。だが、無理に突入させれば、救助隊まで失う。
「……くそ」
支部長の口から、低い声が漏れた。
そのとき、監視室の扉が勢いよく開いた。
「俺たちが行く!」
入ってきたのは、数人の冒険者だった。装備を見る限り、Aランク上位。
すでに異常を聞きつけ、駆けつけたのだろう。
「中に《アストラ》がいるんだろ!?」
「入口まで案内してくれ!」
「救助隊を待ってる時間なんてない!」
職員たちは戸惑う。
支部長は冒険者たちを見た。彼らの表情に、迷いはない。
助けたい。その気持ちは本物だった。
だからこそ、支部長はすぐに首を横に振った。
「駄目だ」
「なっ……!」
「なんでだよ!」
「助けに行くって言ってるんだ!」
冒険者の一人が声を荒げる。
支部長は怒鳴り返さなかった。ただ、低く言った。
「助けたいからといって、死にに行かせるわけにはいかない」
その言葉に、冒険者たちが黙る。
「入口周辺で魔力の逆流が発生している。内部構造も不明。魔力濃度はSランク相当だ。準備なしで入れば、お前たちも戻れない」
「でも!」
「分かっている」
支部長は拳を握る。
「分かっているんだ」
助けたい。今すぐにでも、誰かを送り込みたい。
だが、ギルドは冒険者を管理する場所だ。命を預かる場所だ。
感情だけで判断すれば、被害は広がる。それでも、時間は待ってくれない。
「突入可能な者を選別する。耐魔装備、通信補助具、回復要員、撤退用魔道具。すべて揃えろ」
「それじゃ遅い!」
「遅くても必要だ」
支部長は言った。
「無策で入れば、救助ではなく追加遭難になる」
誰も反論できなかった。その通りだったからだ。
監視室に、重い沈黙が落ちる。ただ、警報音だけが鳴り続けていた。
その頃。
ダンジョン内部。
美月たちは、歪んだ通路を進んでいた。
上へ戻る道を探している。だが、どの通路も途中で塞がっていた。
あるいは、下へ向かっている。地図はすでに役に立たない。
ひなたの索敵も、乱れる魔力のせいで精度が落ちていた。
「右、魔物反応……二体……いえ、三体です!」
「玲奈!」
「分かってる!」
玲奈が前へ出る。
通路の奥から、魔物が飛び出してきた。資料にあった魔物とは違う。
体格も、動きも、魔力も。本来なら、もっと深い階層で出るはずの種類だった。
玲奈が剣を振るう。刃が魔物の肩口を裂く。
だが、魔物は止まらない。
「硬い!」
玲奈が歯を食いしばる。
魔物の爪が振り下ろされる。美月が即座に魔法を放った。
「氷壁!」
玲奈の前に氷の壁が立ち上がる。爪が氷壁を砕いた。
その隙に、ひなたの支援魔法が玲奈を包む。
「今です!」
「おおっ!」
玲奈が踏み込み、魔物の脚を斬る。体勢が崩れたところへ、美月の炎が撃ち込まれた。
魔物が床に倒れる。だが、残りの二体がすぐに迫ってきた。
「長引かせない!」
美月は杖を構え直す。魔力を練る。
だが、その瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
魔力が扱いにくい。空間に満ちる濃すぎる魔力が、自分の魔法の流れに干渉してくる。
それでも、美月は乱れを押さえ込んだ。
「貫け!」
光の槍が放たれる。一体の腹部を貫く。
玲奈がもう一体を引きつけ、ひなたが足止めを入れる。
三人の連携は崩れていない。だが、余裕は確実に削られていた。
数分後。
通路には、三体の魔物の死骸が残った。黒い体液が床に広がっている。
玲奈は肩で息をしていた。
「……一戦ごとに、重いね」
「うん」
美月も息を整えながら頷く。
「戦闘は避けたい。でも、向こうから来る」
ひなたは壁に手をつきながら、索敵を続けている。
「魔物の反応が、奥から増えています。上の方は……ほとんど塞がっています」
「完全に戻れない?」
「分かりません。でも、今の索敵範囲では、上へ続く安定した道が見つかりません」
玲奈が悔しそうに舌打ちする。
「下に行けってこと?」
「誘導されてるみたいだね」
美月は通路の奥を見る。暗い道。下へ続く道。
そこから、濃い魔力が流れてきている。
本能が告げていた。進めば危険だ。
けれど、止まっていても危険。戻る道がない以上、少しでも安全な場所を探さなければならない。
「ひなた、体力は?」
「まだ大丈夫です。でも、魔力の消耗が早いです」
「玲奈は?」
「動ける。まだ全然いける」
玲奈はそう言ったが、額には汗が浮かんでいた。強がりだ。美月には分かる。
それでも、その強がりに救われることもある。
「休める場所を探そう」
美月は言った。
「戦いながら上を探すのは危険すぎる。一度立て直す」
「了解」
「はい」
三人は再び歩き出した。その足取りは、さっきより少しだけ重かった。
地上。
ギルドでは、さらに情報が集められていた。
「入口周辺、封鎖完了!」
「一般冒険者の立ち入り制限を開始しました!」
「報道機関から問い合わせが入っています!」
「他支部から返答。Sランク冒険者の派遣調整中、到着時刻は未定!」
職員たちの声が飛び交う。
支部長は、次々と報告を受けながら判断を下していく。
「まず周辺住民へ避難勧告。混乱を避けるため、発表文を作れ」
「はい!」
「報道には、Aランクダンジョンで変異発生、現在封鎖対応中と伝えろ。内部パーティーの名前は、家族確認と方針が決まるまで伏せる」
「了解しました!」
「救助隊候補者には、必ず危険説明をしろ。志願だけで入れるな」
「はい!」
命令を出しながらも、支部長の視線は監視水晶から離れなかった。
水晶の内部に、かすかな光点が三つ映っている。内部パーティー反応。《アストラ》の三人。
だが、その光は安定していない。魔力干渉のせいで、位置もはっきりしない。
二十階層付近にいたはずなのに、今はどの階層にいるのかも確定できない。
「生体反応は?」
「三名分、確認できます。ただし、非常に不安定です」
「消えてはいないな?」
「はい。まだ、消えていません」
まだ。
その言葉に、支部長の表情がさらに険しくなる。
まだ生きている。だが、それがいつまで続くかは分からない。
Sランクダンジョンへ変異した内部で、通信もなく、地図もなく、三人だけ。
どれほど優秀なパーティーでも、限界はある。
「救助隊の最低編成は?」
ギルドマスターが尋ねる。
職員が資料を見ながら答える。
「Sランク相当の前衛が最低一名。Aランク上位の支援二名以上。耐魔装備。通信補助。撤退用魔道具。入口突破用の魔力安定具も必要です」
「揃うか」
「……今すぐには難しいです」
職員の声が沈む。
「近隣だけでは戦力が足りません」
支部長は目を閉じた。
分かっていた。分かっていたが、現実として突きつけられると、重い。
救助したい。だが、救助できる戦力がいない。
準備をすれば時間がかかる。急げば全滅する。
どちらを選んでも、誰かを失う可能性がある。
「……できることを全部やれ」
支部長は目を開けた。
「人員、装備、情報、入口安定化。どれも止めるな」
「はい!」
職員たちは再び動き出した。
その間にも、外では騒ぎが広がっていた。
ダンジョン入口周辺は封鎖され、警備員が冒険者たちを遠ざけている。集まった冒険者たちは、不安そうに入口を見つめていた。
「Sランクに変わったって本当か?」
「中に誰かいるらしい」
「通信が途絶えたって……」
「救助隊は?」
「まだ入れないらしい」
ざわめきが広がる。
誰もが分かっていた。Sランクという言葉の重さを。
そして、その中に閉じ込められることの意味を。
やがて、ギルドの公式発表が準備された。
Aランクダンジョンにて大規模変異発生。危険度をSランクへ引き上げ。周辺区域を封鎖。
一般冒険者の立ち入り禁止。救助体制を準備中。
その情報は、少しずつ外へ流れ始める。
まだ大きなニュースにはなっていない。けれど、時間の問題だった。
ダンジョン内部。
美月たちは、ようやく小さな広間にたどり着いていた。
完全に安全とは言えない。だが、通路よりは見通しがいい。
美月はすぐに簡易結界を張った。
「ここで少しだけ休む」
「助かる……」
玲奈が壁際に座り込む。
ひなたも膝をつき、呼吸を整えた。
「回復、かけます」
「自分にもかけて」
美月が言う。
「ひなたが倒れたら、私たちはかなり厳しくなる」
「……はい」
ひなたは小さく頷き、自分と玲奈に回復魔法をかける。
淡い光が二人を包む。だが、その光はいつもより弱く見えた。
濃すぎる魔力が、魔法の流れを乱している。
美月は結界を維持しながら、通路の奥を見つめた。
上へ戻る道は見つからない。通信も繋がらない。魔物は強くなっている。
状況は悪い。それでも、絶望している時間はない。
「美月」
玲奈が声をかける。
「これ、外には伝わってると思う?」
「通信が途絶える前に報告はしてる。ギルドも異常には気づいてるはず」
「救助、来るかな」
ひなたが小さく呟く。その声には、不安が滲んでいた。
美月は二人を見る。
ここで曖昧な希望だけを言うべきではない。だが、心を折る言葉も言ってはいけない。
「ギルドは動いてくれる」
美月は言った。
「でも、すぐに来られるとは限らない」
玲奈も、ひなたも黙った。
「だから、私たちは助けを待つだけじゃだめ。生き延びる。戻る道を探す。休める場所を確保する。戦闘は避ける」
「……現実的だね」
玲奈が苦笑する。
「リーダーだから」
美月は少しだけ笑った。
ひなたも、小さく息を吐く。
「美月さんがそう言うと、少し安心します」
「安心していいよ」
美月は言った。
「絶対に、二人を帰すから」
玲奈が顔を上げる。
「二人を、じゃなくて三人でしょ」
「……そうだね」
美月は頷いた。
「三人で帰る」
その言葉に、玲奈とひなたも頷いた。
だが、その直後。
結界の外側で、何かが動いた。
重い足音。一つではない。二つ。三つ。
通路の奥から、魔物の気配が近づいてくる。
ひなたの顔色が変わる。
「魔物反応……複数です」
玲奈が立ち上がる。
「休ませてくれないね」
美月も杖を構えた。
結界の向こう。暗闇の中で、いくつもの目が光る。
まだ、戦いは始まったばかりだった。
地上。
監視室では、三つの光点が揺れていた。
弱く。不安定に。
それでも、まだ消えていない。
「まだ生きている」
支部長は、かすれた声で言った。
「なら、諦めるな」
職員たちは頷き、必死に手を動かす。
だが、その場にいる全員が理解していた。
助けたい。助けなければならない。
それでも――
今のギルドには、すぐに救える手段がない。
救いたくても、救えない。
それが、突きつけられた現実だった。




