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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第112話 変異

美月たちは、来た道を走っていた。


 まずは十九階層へ戻る。そこから十八階層へ。さらに上へ戻り、地上を目指す。


 通信が途切れた以上、直接戻ってギルドへ報告するしかない。


 美月の判断は早かった。迷いはなかった。


 これ以上は進まない。二十階層で確認した異常を持ち帰る。


 ただ、それだけだった。


「玲奈、前!」


「分かってる!」


 玲奈が先頭に出る。剣を抜き、通路の先を警戒しながら走る。


 その後ろを美月が続き、ひなたが最後尾で索敵を維持する。


 だが、数十歩進んだところで、玲奈の足がわずかに鈍った。


「……あれ?」


「どうしたの?」


「この道、さっき通った?」


 玲奈が前を見たまま言う。


 美月は周囲を確認した。壁。床。通路の幅。


 見覚えがあるようで、ない。


 さっき通った十九階層への道は、もう少し広かったはずだ。それに、この先に曲がり角はなかった。


「ひなた、地図」


「はい!」


 ひなたが端末を開く。表示された地図と、現在位置を照合する。


 けれど、すぐに表情が強張った。


「……合いません」


「位置ずれ?」


「いえ。現在位置は二十階層のままです。でも、通路の形が地図と一致しません」


 玲奈が舌打ちする。


「やっぱり変わってるじゃん」


「足を止めない」


 美月は短く言った。


「上へ戻ることを優先する」


「了解」


 三人は再び走り出した。


 壁の魔力が、脈を打つように光っている。青白い光。それが少しずつ濃くなっていく。


 通路全体が、生き物の体内のように見えた。


 ひなたの呼吸が少し荒くなる。


「魔力濃度、上昇しています」


「どのくらい?」


「さっきより、かなり速いです」


「危険域?」


「まだ……でも、この上昇速度は普通じゃありません」


 美月は唇を引き結ぶ。


 普通ではない。それはもう、分かっていた。


 だが、分かっていたからこそ、今すぐ戻るしかない。


 通路の先に、階段が見えた。十九階層へ戻るための階段。


 美月はわずかに安堵しかけた。


 けれど、次の瞬間。その安堵は消えた。


「……待って」


 階段の形が、おかしい。


 本来なら上へ続いているはずの階段。だが目の前にあるそれは、途中で途切れていた。


 上へ向かう段差の先が、黒い壁に飲み込まれている。まるで、ダンジョンそのものが道を塞いだかのように。


 玲奈が立ち止まる。


「……階段が、ない」


 ひなたが息を呑む。


「そんな……」


 美月はすぐに近づいた。杖の先を向け、魔力を流す。壁の反応を見る。


 ただの壁ではない。新しく生まれた壁。しかも、強い魔力で固められている。


 即席の魔法で破れるようなものではなかった。


「美月、壊せる?」


 玲奈が聞く。


 美月は壁を睨みながら答えた。


「時間がかかる」


「時間かけたら?」


「その間に、もっと変わるかもしれない」


 言い終える前に、足元が揺れた。


 ゴォン――。


 低い音が響く。さっきよりも強い。


 床が震え、壁の魔力が一斉に光った。


「っ……!」


 ひなたが膝をつきかける。美月がすぐに支える。


「ひなた!」


「大丈夫です……でも、魔力が……!」


 ひなたの手にある測定用の魔道具が、細かく震えていた。


 数値が跳ね上がっている。安定しない。


 通常値。警戒値。危険域。


 その境目を、一気に越えようとしている。


「美月」


 玲奈の声が低くなる。


「これ、Aランクじゃない」


 美月は否定できなかった。


 空気が変わっている。浅層で感じた重さとは違う。


 これは、圧力だった。ダンジョン全体が、三人を押し潰そうとしているような圧。


「撤退を最優先」


 美月は言った。


「別の上り道を探す。戦闘は避けるよ」


「了解」


「はい……!」


 三人は階段から離れた。


 地図が使えない。通信も使えない。上へ戻る階段は塞がれている。


 それでも、まだ手はある。


 ダンジョン構造が完全に変わったわけではない。どこかに戻る道が残っている可能性はある。


 美月はそう考えた。そう考えるしかなかった。


 だが、その考えを嘲笑うように。


 通路の奥から、重い足音が響いた。


 ズン。ズン。ズン。


 玲奈が剣を構える。


「来る」


 暗い通路の奥。そこから現れたのは、巨大な魔物だった。


 資料にはない。少なくとも、二十階層付近に出る魔物ではない。


 四本の腕。岩のような皮膚。肩から伸びる黒い角。


 その全身に、濃い魔力がまとわりついている。


 ひなたが震える声で言った。


「……こんな魔物、記録にありません」


「下がって」


 美月が前へ出る。玲奈も横に並んだ。


「避けられる?」


「無理そう」


 玲奈が短く答える。


 魔物は通路を塞ぐように立っている。逃げるには、倒すしかない。


「短時間で仕留める」


 美月が杖を構えた。


「玲奈、足を止めて。ひなた、支援」


「了解!」


「はい!」


 ひなたの支援魔法が玲奈に重なる。


 玲奈が床を蹴った。一気に距離を詰め、魔物の脚へ斬りかかる。


 剣が硬い皮膚を裂いた。だが、浅い。


「硬っ……!」


 魔物の腕が振り下ろされる。玲奈は横へ跳んで避ける。


 床が砕けた。衝撃だけで、空気が弾ける。


 美月がすぐに魔法を放った。


「凍れ!」


 氷の鎖が魔物の脚に巻きつく。動きを止める。


 その隙に、玲奈が再び踏み込む。


「そこ!」


 今度は関節を狙った。刃が深く入る。


 魔物が咆哮した。耳を裂くような音。


 ひなたが顔を歪めながらも、支援を切らさない。


「美月さん、右腕!」


「分かってる!」


 美月は次の魔法を放つ。


 圧縮した光の弾が、魔物の右腕を撃ち抜いた。腕が大きく揺れ、玲奈の追撃が入る。


 剣が首筋を裂いた。魔物の巨体が、ゆっくりと傾く。


 最後に美月の炎が胸を貫いた。


 魔物は床に倒れた。重い音が、通路に響く。


 死骸が残る。黒い体液が床に広がっていく。


 玲奈は荒く息を吐いた。


「……倒したけど」


「強すぎます」


 ひなたが青ざめた顔で言う。


「この階層に出る魔物じゃありません」


 美月も同じ意見だった。


 今の魔物は、Aランクの浅中層に出ていい存在ではない。強化されている。


 いや。このダンジョンそのものが、別のものへ変わり始めている。


「移動する」


 美月はすぐに言った。


「長く止まらない」


「分かった」


 玲奈が剣についた黒い体液を振り払う。ひなたも息を整え、立ち上がる。


 三人は再び走った。


 だが、進むたびに通路は変わっていく。上へ戻る道を探しているはずなのに、道は少しずつ下へ傾いていく。


 壁の光は濃くなり、床には新しい亀裂が走る。地図はもう意味を失っていた。


「美月さん……!」


 ひなたが声を上げる。


「魔力濃度、危険域を超えました!」


 その瞬間。


 ダンジョン全体が、大きく揺れた。


 ゴォォォォン――。


 地鳴り。轟音。


 壁が膨らみ、通路が歪む。天井から細かな石片が落ちる。


 空気が一気に重くなる。呼吸が詰まる。肌が焼けるように痛い。


 美月は杖を床に突き立て、結界を張った。


「二人とも、こっち!」


 玲奈とひなたが結界の内側へ飛び込む。


 直後。外側を濃い魔力の波が通り過ぎた。


 触れれば、身体の内側から壊されそうなほどの魔力だった。


「なに、これ……!」


 玲奈が歯を食いしばる。


 ひなたは震えながら測定器を見た。だが、測定器はすでに数値を表示していなかった。


 表示されているのは、ただ一言。


 測定不能。


「測定器が……限界を超えています」


 美月は結界を維持しながら、周囲を見た。


 壁の形が変わっていく。通路が閉じる。新しい道が開く。


 階層そのものが、組み替えられている。


 これは、ただの異常ではない。ダンジョン変異。しかも、規模が違う。


 Aランクの範囲を、明らかに超えている。


「……Sランク級」


 美月の口から、低く言葉が漏れた。


 玲奈が振り向く。


「美月?」


「この魔力濃度は、Aランクじゃない」


 美月は結界の外を睨む。


「このダンジョンは、変わってる」


 その言葉を証明するように。


 遠くから、魔物の咆哮がいくつも重なって聞こえた。


 浅層の魔物ではない。中層の魔物でもない。


 もっと深い場所にいるはずの魔物。いや、もはや記録にある魔物かどうかも分からない。


 ひなたが唇を震わせる。


「どうしますか……?」


 美月は少しだけ目を閉じた。考える時間は短い。


 戻る道は塞がれた。通信は途絶えた。地図は使えない。


 魔物は強化されている。そして、ダンジョンは今も変異を続けている。


 ここで立ち止まれば、飲み込まれる。


「動くよ」


 美月は目を開けた。


「上へ戻る道を探す。なければ、安全な場所を確保する」


「下には?」


 玲奈が聞く。


 美月は即答しなかった。


 下へ進む。それは、本来なら避けるべき選択だ。


 けれど、通路が下へ向かっている。上へ戻る道がないなら、動ける道を進むしかない場面もある。


「今は生存優先」


 美月は言った。


「行ける道を確認しながら進む。無理に戦わない。二人とも、絶対に離れないで」


「了解」


「はい……!」


 三人は結界を解き、再び動き出した。


 その頃。


 地上。


 冒険者ギルドの監視室では、異変が起きていた。


 監視水晶が、激しく明滅している。前夜のような一瞬の揺らぎではない。


 水晶全体が震え、内部の光が荒れ狂っていた。


「数値が上がっています!」


 職員が叫ぶ。


「魔力濃度、危険域に到達! なお上昇中!」


「通信は!?」


「《アストラ》との通信、途絶しました!」


「入口側の警備員は?」


「連絡中です! 入口付近にも魔力の乱れが出ています!」


 監視水晶の表面に、細いひびが走った。


 ピシッ。


 小さな音。だが、その場にいた職員全員が凍りついた。


 監視水晶は、ダンジョンの状態を映すための魔道具だ。水晶そのものが破損するほどの魔力干渉など、普通は起こらない。


「支部長を呼べ!」


 誰かが叫んだ。


 すぐに扉が開く。支部長が監視室へ入ってきた。


「状況は?」


 低い声。


 職員が振り返る。


「対象Aランクダンジョンに急激な魔力上昇を確認! 構造変化の反応あり! 内部通信途絶! 現在、《アストラ》が調査中です!」


「入口は?」


「不安定です。外部からの入場反応も乱れています」


「危険度再判定は?」


「進行中です!」


 監視水晶の表示が切り替わる。


 魔力濃度。危険域突破。構造変化。階層接続異常。通信障害。内部パーティー確認。


 そして――


 危険度再判定中。


 支部長は、水晶を睨んだ。


 前日の報告。一時的な反応揺れ。魔力濃度の高止まり。魔物行動の異常。


 それらが、今になって一つの線につながる。


「……変異か」


 職員たちの顔が青ざめる。


 支部長はすぐに指示を出した。


「対象ダンジョン周辺を封鎖。一般冒険者の入場を全面禁止。救助隊の編成準備を始めろ」


「救助隊……入れますか?」


 職員の一人が声を震わせる。


 支部長はすぐには答えなかった。


 監視水晶に映る数値は、さらに上がっている。Aランクではない。


 明らかに、Sランク相当。いや、変異直後で安定していない分、通常のSランクより危険かもしれない。


「危険度をSランクへ引き上げろ」


 支部長が言った。


 室内が静まり返る。


 その言葉の意味を、誰もが理解していた。


 Sランク。それは、限られた冒険者しか挑めない領域。


 準備なしに入れば、Aランク冒険者でさえ命を落とす可能性がある。


「対象内部には《アストラ》がいる」


 支部長は続けた。


「救助を諦めるな。だが、無謀な突入は許可しない。入れる者を集めろ。情報を集めろ。入口の状態を確認しろ」


「はい!」


 職員たちが一斉に動き出す。


 その間にも、監視水晶のひびは少しずつ広がっていた。まるで、内部の異常を抑えきれないかのように。


 支部長は拳を握る。


「……間に合え」


 小さな声だった。誰に向けたものでもない。


 ただ、祈るような言葉だった。


 ダンジョン内部。


 美月たちは、歪んだ通路を進んでいた。


 上へ向かう道を探している。だが、どの道も途中で塞がっている。


 あるいは、下へ続いている。まるでダンジョンそのものが、三人を奥へ奥へと誘導しているようだった。


「また下り……!」


 玲奈が歯を食いしばる。


 ひなたの顔色は悪い。


「上へ向かう反応が、ほとんどありません……」


「焦らない」


 美月は言った。


 自分にも言い聞かせるように。


「必ず戻る道を探す」


「……美月」


 玲奈が横目で見る。


 美月は二人を見た。玲奈。ひなた。


 どちらも疲れが見え始めている。けれど、まだ折れてはいない。


 だから、美月も折れるわけにはいかなかった。


「生きて帰るよ」


 美月ははっきりと言った。


「三人で」


 玲奈が一瞬だけ目を見開き、それから笑った。


「当然」


 ひなたも震えながら頷く。


「はい……帰ります」


 その瞬間。


 背後の通路が、轟音とともに閉じた。


 逃げ道が、一つ消える。前方には、さらに下へ続く暗い道。


 美月は杖を握り直した。


 もう、これは調査依頼ではない。Aランクダンジョンでもない。


 生き残るための戦い。


 絶望の始まりだった。

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