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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第111話 違和感

ダンジョンの中は、静かだった。


 地上から一歩入っただけで、空気が変わる。外の風も、人の声も、車の音も届かない。


 代わりにあるのは、湿った壁。薄暗い通路。そして、空間全体に満ちる魔力の気配。


 美月は杖を握り、周囲を見渡した。


「ひなた、索敵をお願い」


「はい」


 ひなたが短く答え、目を閉じる。淡い光が足元に広がり、通路の先へと流れていく。


 数秒後、ひなたは目を開けた。


「近くに魔物の反応があります。数は三体。記録通りなら、この階層に出るタイプです」


「了解」


 美月は頷き、玲奈を見る。


「玲奈、前衛お願い」


「任せて」


 玲奈が剣の柄に手を置き、前へ出る。三人は慣れた足取りで通路を進み始めた。


 Aランクダンジョン。全五十階層。危険度は高い。


 けれど、《アストラ》にとって未知の領域ではなかった。


 美月が魔力の流れを読み、玲奈が前線を支え、ひなたが索敵と支援を行う。三人の連携は、何度も実戦を重ねて作られたものだった。


 最初の階層は、ほとんど資料通りだった。通路の形。魔物の種類。魔力濃度。


 多少高めではあるが、異常と呼ぶほどではない。現れた魔物も、記録にあるものと同じだった。


 玲奈が前へ踏み込む。


「はっ!」


 一閃。


 魔物の体が斜めに裂け、その場に倒れ込む。続けて二体目。


 美月の魔法が放たれ、魔物の足元を凍らせる。


「玲奈!」


「分かってる!」


 玲奈が距離を詰め、剣を振り抜く。


 三体目はひなたの支援魔法で動きを鈍らせ、そのまま玲奈が仕留めた。


 戦闘は、すぐに終わった。


 床には、倒れた魔物の身体が残っている。だが、今回は素材回収が目的ではない。


 調査を優先するため、三人は周囲の安全だけを確認した。


「今のところは普通だね」


 玲奈が剣についた黒い体液を軽く振り払う。


「そうだね」


 美月は倒れた魔物を見つめる。


「ただ、油断はしないで」


「もちろん」


「魔力濃度はどう?」


 美月がひなたに尋ねる。


 ひなたは小さな魔道具を取り出し、数値を確認した。


「少し高めです。でも、ギルドの資料と大きな差はありません」


「分かった。予定通り進もう」


 三人はさらに奥へ向かった。


 一階層。二階層。三階層。


 五階層までは、大きな異常はなかった。地図とも一致している。魔物も記録通り。


 通路の崩れもない。通信具も問題なく反応している。


 玲奈は少しだけ肩の力を抜いた。


「この感じなら、二十階層まで行って戻るだけで終わりそうだけどね」


「そうだといいですけど」


 ひなたは慎重な表情のまま答える。


「魔力の流れが、少しだけ不安定です」


「不安定?」


 美月が振り返る。


「はい。大きな乱れではありません。でも、一定じゃないんです。流れが強くなったり、弱くなったりしています」


「昨日の監視記録と似てるね」


「そうですね」


 美月は通路の奥を見る。


 まだ、撤退するほどではない。けれど、ただの誤差として流すには、少し気になる。


「記録しておいて」


「はい」


 ひなたが端末に情報を残す。三人は慎重に進んだ。


 六階層。七階層。


 そのあたりから、少しずつ違和感が増え始めた。


 最初に気づいたのは、ひなただった。


「……待ってください」


 小さな声。けれど、緊張が混じっていた。


 美月と玲奈はすぐに足を止める。


「どうしたの?」


「魔物の反応が、変です」


「数が多い?」


「いえ。数ではなく、動きです」


 ひなたは目を閉じ、索敵範囲を広げる。淡い光が通路の奥へ伸びていく。


「この先に、複数の魔物がいます。でも、本来この階層では単独で行動する種類です。それが、まとまって移動しています」


 玲奈が眉をひそめる。


「群れてるってこと?」


「はい。それに……」


 ひなたの表情が曇る。


「こちらに向かってきているというより、奥へ逃げているように見えます」


「逃げてる?」


 玲奈の声が低くなる。


 魔物が逃げる。それ自体は珍しくない。だが、方向がおかしい。


 通常、浅層の魔物は階層内の縄張りを大きく離れない。まして、奥へ向かって移動することは少ない。


 美月は杖を握り直した。


「様子を確認する。戦闘になっても深追いはしない」


「了解」


「はい」


 三人は足音を抑えて進んだ。


 通路の先。曲がり角を越えたところで、魔物の群れが見えた。


 四体。


 確かに、本来なら単独で行動するはずの種類だ。それが互いにぶつかるようにして、奥へ奥へと進んでいる。


 こちらには気づいているはずなのに、襲いかかってこない。まるで、何かから逃げているようだった。


「……変だね」


 玲奈が小さく呟く。


「うん」


 美月も同じ感覚を覚えていた。


 魔物たちの目は、こちらを見ていない。怯えている。


 いや。怯えさせられている。


 何かに。


「倒す?」


 玲奈が確認する。


 美月は少し考えてから首を横に振った。


「今はいい。目的は討伐じゃない。動きを記録して進もう」


「了解」


 ひなたが素早く記録を残す。三人は魔物たちを避けるように進んだ。


 八階層。九階層。十階層。


 違和感は、さらに形を持ち始めた。


 壁の一部が、わずかに波打つように見えた。一瞬だけだった。だが、美月は見逃さなかった。


「止まって」


 美月の声に、二人が足を止める。


「壁を見て」


 玲奈とひなたが視線を向ける。


 湿った黒い壁。一見、普通のダンジョンの壁だ。


 しかし、よく見ると、表面に走る魔力の筋が一定ではない。呼吸するように、ゆっくりと明滅している。


「……これ、動いてる?」


 玲奈が嫌そうに顔をしかめる。


「動いているというより、魔力が脈打っている感じです」


 ひなたが答える。


「こんな記録、資料にはなかったよね」


「ありません」


 美月は杖の先で壁に触れないよう、距離を取ったまま観察した。


 異常。そう言っていい。


 ただし、まだ危険度が急激に上がったと断定できるほどではない。


 美月は息を整える。


「ここで一度、ギルドに報告する」


「うん。それがいい」


 玲奈も真面目な表情で頷く。


 美月は通信具を取り出した。浅層から中層手前までは、通信が通る。


 多少ノイズは入るが、まだ使えるはずだった。


「こちら《アストラ》。十階層まで到達。記録にない魔物の群れ行動、壁面の魔力脈動を確認。魔力濃度は上昇傾向。現時点で戦闘継続に問題はありませんが、警戒を強めます」


 少しの沈黙。


 通信具から、かすかな雑音が混じった声が返ってきた。


『こちらギルド。報告を確認しました。危険を感じた場合は即時撤退してください』


「了解。予定通り二十階層まで確認し、そこで撤退判断を行います」


『了解しました。無理はしないでください』


「はい」


 通信を切る。


 美月は二人を見た。


「進む。ただし、撤退を優先する」


「分かった」


「はい」


 三人は再び歩き出した。


 十一階層。十二階層。


 そこから、空気が少しずつ重くなった。


 呼吸が苦しくなるほどではない。けれど、肌にまとわりつくような圧がある。


 ダンジョン内の魔力が濃くなっている。美月はそれを、身体で感じていた。


 玲奈も、いつもの軽さが少しずつ消えていく。


「さっきより、魔物の動きが速い」


 戦闘後、玲奈が剣についた黒い体液を振り払った。


「記録より強い?」


「少なくとも、浅層の動きじゃないね」


 美月は倒れた魔物の身体を見る。


 今の魔物は、記録上では十階層前後に出るものだった。だが、動きが明らかに鋭かった。


 力も強い。魔力に影響されているのかもしれない。


「ひなた、怪我は?」


「大丈夫です。支援も問題ありません」


「通信は?」


 ひなたは通信具を確認する。


「少しノイズが増えています。でも、まだ繋がると思います」


「分かった」


 美月は慎重に判断する。ここで戻る選択肢もある。


 だが、調査範囲は二十階層まで。ギルドへも報告済み。


 この異常がどこまで続いているのか、確認する必要がある。


 ただし。


 美月は心の中で線を引いた。


 二十階層まで。そこを確認したら、引き返す。


「十五階層まで進んだ時点で、もう一度状態を確認する」


「了解」


 十三階層。十四階層。十五階層。


 そこで、ひなたが足を止めた。


「……通信が、乱れています」


 通信具から、細かな雑音が聞こえていた。完全に途切れてはいない。しかし、音が不安定だ。


 美月はすぐに通信を入れる。


「こちら《アストラ》。十五階層到達。魔力濃度の上昇、魔物の強化傾向、通信状態の悪化を確認。予定通り二十階層まで進み、そこで撤退します」


 返答まで、少し時間があった。


『……こちら……ギルド……確認……撤退判断を……優先……』


 声が途切れがちに届く。


 ひなたが表情を硬くする。


「これ以上進むと、通信はかなり厳しいかもしれません」


「うん」


 美月は通信具をしまう。


「二十階層まで行ったら、すぐ戻る」


「了解」


 玲奈の声にも、もう軽さはなかった。


 三人は進んだ。


 十六階層。十七階層。


 通路の形が、少しずつ地図とずれ始める。曲がり角の位置が違う。小部屋が一つ増えている。


 あるはずの通路が、少し狭い。大きな変化ではない。だが、確実に違う。


「……これ、ただの調査で済む感じじゃないね」


 玲奈が低い声で言った。


 美月は否定しなかった。


「二十階層を確認したら、戻る」


「今すぐ戻らなくていいの?」


 玲奈が聞く。


 その声は責めているわけではない。確認だった。リーダーの判断を確かめるための問い。


 美月は一度、周囲を見る。


 魔力濃度は上がっている。通信は不安定。地形にも変化がある。


 だが、帰路はまだ確保できている。戦闘も対応可能。


 そして二十階層は、もうすぐそこだった。


「二十階層まで確認する」


 美月は静かに言った。


「そこで状況を見て、すぐ撤退する。これ以上は進まない」


「分かった」


 玲奈は頷く。


「ひなたも、それでいい?」


「はい。今ならまだ戻れます」


「うん。だから、戻れるうちに戻る」


 美月はそう言って、前を向いた。


 十八階層。十九階層。


 魔物の姿が、さらに減っていく。それが逆に不気味だった。


 普通なら、階層が深くなるほど魔物の密度は上がる。だが今は違う。


 魔物たちはどこかへ移動している。あるいは、何かを避けている。


 奥へ。さらに奥へ。


 まるで、ダンジョンそのものに引き寄せられるように。


「……嫌な感じ」


 玲奈が呟いた。


「同感」


 美月は短く返す。


 ひなたは顔色を少し悪くしていた。


「魔力の流れが、下へ向かっています」


「下?」


「はい。二十階層よりさらに奥へ。何かに吸い込まれているみたいです」


 美月は足を止めなかった。


 もう二十階層は目の前だった。確認して、戻る。それだけでいい。


 そう判断した。


 やがて、三人は二十階層に到達した。


 そこは広い空間だった。天井が高く、壁には青白い魔力の筋が走っている。


 資料にも記載されている中継地点。


 本来なら、ここから先へ進む通路は一つだけ。そして、その通路は二十一階層へ続いている。


 だが――


「……何、これ」


 玲奈が足を止めた。


 美月も目を細める。ひなたが息を呑んだ。


 広間の奥。


 地図には存在しない通路が、開いていた。


 黒く、深い穴のような通路。壁の魔力がそこへ向かって流れ込んでいる。


 まるで、ダンジョンの奥に新しい道が生まれたようだった。


「……こんな通路、地図にはありません」


 ひなたの声が震える。


 美月はすぐに判断した。


「撤退する」


 迷わなかった。


 調査範囲は二十階層まで。その二十階層で、地図にない通路を確認した。


 これ以上進む理由はない。むしろ、進んではいけない。


「玲奈、後方警戒。ひなた、通信」


「了解」


「はい」


 ひなたが通信具を取り出す。


 だが、次の瞬間。


 ザザッ。


 激しい雑音が響いた。


「……繋がりません」


「もう一度」


「はい」


 ひなたが通信具を操作する。しかし、返ってくるのはノイズだけだった。


 美月は表情を引き締める。


「通信は諦める。戻って直接報告する」


「分かった」


 三人は来た道へ向き直った。


 そのとき。


 ゴォン――。


 低い音が、ダンジョンの奥から響いた。地鳴りにも似た音。


 空気が震える。壁の魔力が、一瞬だけ強く光った。


「……っ!」


 ひなたが思わず身をすくめる。


 玲奈が剣を抜いた。


「美月!」


「走るよ!」


 美月は即座に指示を出す。


 三人は来た道へ向かって駆け出した。


 まだ戻れる。まだ通路はある。


 十九階層へ続く道は、確かに目の前にある。


 だが、走り出した瞬間。


 背後の広間から、再び低い音が響いた。今度は、さっきよりも近い。


 空間そのものが歪むような音だった。


 美月は振り返らない。振り返る時間すら惜しい。


 戻らなければならない。今すぐ。


 そう判断した。


 その判断は、正しかった。無謀ではなかった。油断でもなかった。


 けれど――


 ダンジョンの異変は。


 美月たちの判断よりも、わずかに早く動き始めていた。

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― 新着の感想 ―
 まだ行ける、は……もう危ない、と過去の偉人も言っていたのに(嘘)。
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