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10年ぶりに帰った俺、世界最強のUnknownになっていた  作者: 神崎昴
第二部 10年ぶりの日常、そして再び

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第109話 異変の始まり

翌朝。


 蓮はいつものように、早く目を覚ました。


 部屋の外へ出ると、リビングから小さな物音が聞こえてくる。美月が朝食の準備をしていた。


「……おはよう」


 蓮がそう言うと、美月が振り返る。


「おはよう、蓮」


 テーブルの上には、焼いたパンと卵料理、温かいスープが並んでいた。


 蓮は椅子に座る。それから、少しだけ美月を見る。


「……今日も仕事?」


 その言葉に、美月は一瞬だけ目を丸くした。


 以前の蓮なら、自分からそう聞くことはほとんどなかった。聞かれたことに答える。必要なことだけを話す。


 そんな蓮が、少しずつ変わってきている。美月はそれが嬉しくて、小さく笑った。


「うん。今日はギルドで玲奈とひなたに会う予定」


「……依頼?」


「まだ分からないけど、何かあれば受けるかも」


「……そう」


 蓮は頷き、スープを口に運ぶ。しばらくしてから、また口を開いた。


「……何時に帰る?」


「夕方くらいかな。遅くなるようなら連絡するね」


「……分かった」


 短い会話。けれど、それだけでも美月には十分だった。


 蓮が少しずつ、普通の会話をしようとしている。誰かと暮らすことに、慣れようとしている。美月はその変化を、静かに受け止めていた。


「蓮は今日はどうするの?」


「……少し、部屋を片付ける」


「そっか」


「……あと」


「ん?」


「……本、読む」


 テーブルの端には、料理の本が置かれている。昨日までよりも少しだけ開き癖がついていた。


 美月はそれを見て、柔らかく笑う。


「また何か作るの?」


「……まだ決めてない」


「楽しみにしてるね」


「……うん」


 蓮は少しだけ目を伏せる。


 照れているのか、考えているのか。美月には、まだ全部は分からない。けれど、以前より少しだけ分かるようになってきた気がした。


 朝食を終え、美月は出かける準備をする。上着を羽織り、鞄を持つ。


「じゃあ、行ってくるね」


「……うん」


 蓮は玄関まで見送りに来た。美月が靴を履く。


「何かあったら、スマホで連絡してね」


「……分かった」


「本当に、何かあったらだからね?」


「……うん」


 美月は笑って、ドアノブに手をかける。


 そのとき、蓮が小さく言った。


「……いってらっしゃい」


 美月の手が、少しだけ止まる。それから、嬉しそうに笑った。


「うん。行ってきます」


 ドアが閉まる。部屋の中に、静けさが戻った。


 蓮はしばらく玄関を見つめていた。それから、リビングへ戻る。


 テーブルの上に置かれた料理の本を手に取り、ゆっくりとページをめくった。


 美月に、何かしてあげたい。その気持ちは、まだ言葉にするのが難しい。


 けれど、蓮の中には確かにあった。


 その頃。


 美月は冒険者ギルドへ向かっていた。


 朝のギルドは、すでに多くの冒険者で賑わっている。依頼掲示板の前には人が集まり、受付には順番待ちの列ができていた。


 美月が中へ入ると、すぐに声がかかる。


「美月!」


 振り向くと、玲奈が手を上げていた。その隣には、ひなたもいる。


「おはよう、美月さん」


「おはよう、玲奈、ひなた」


 三人は自然に集まる。それだけで、周囲の冒険者たちがちらりと視線を向けた。


 Aランク冒険者、神崎美月。Aランク剣士、水野玲奈。Bランクながら支援と探索に優れた、小川ひなた。


 三人パーティー《アストラ》。


 ギルド内でも、その名を知らない者は少ない。


「今日はどうする?」


 玲奈が依頼掲示板を見ながら言う。


「急ぎの依頼がなければ、軽めのやつでいいんじゃない?」


 美月も頷いた。


「そうだね。今日は無理しなくても――」


 そのときだった。


「神崎さん」


 受付側から、ギルド職員が歩いてくる。表情は落ち着いている。けれど、どこか硬い。


「少しよろしいですか?」


「はい」


 美月が返事をすると、職員は玲奈とひなたにも視線を向けた。


「《アストラ》の皆さんに、確認していただきたい依頼があります」


 玲奈が眉を上げる。


「私たちに?」


「はい。通常の討伐依頼ではありません。調査依頼です」


「調査……」


 美月は少しだけ表情を引き締める。


 職員に案内され、三人は受付奥の説明室へ移動した。


 小さな部屋の中。机の上には、資料が数枚置かれている。


 そこには、一つのAランクダンジョンの名前が記されていた。


 市外にある、五十階層規模のダンジョン。危険度はAランク。これまでにも何度か攻略隊が入り、地図や魔物情報もある程度整っている場所だった。


「このダンジョンで、数日前から異常な反応が確認されています」


 職員が資料を開く。


「異常?」


 玲奈が聞き返す。


「はい。魔力濃度が通常より高い数値を示しています。ただし、現時点では危険度を変更するほどではありません」


 ひなたが資料に目を落とす。


「魔力濃度の上昇……」


「それだけではありません。一部の魔物の行動が、通常記録と異なっています。群れない種類の魔物が複数で行動していたり、逆に縄張りを離れて深層側へ移動していたり」


「地形変化は?」


 美月が尋ねる。


「一部で報告があります。通路の形が前回調査時と微妙に違っていた、と。ただ、大きな崩落や階層構造の変化は確認されていません」


 玲奈が腕を組む。


「それで、私たちに見てこいってこと?」


「はい。目的は原因調査です。戦闘が主目的ではありません」


「危険度はAランクのままなんですよね?」


 ひなたが確認する。職員は頷いた。


「現時点では、Aランクです。ですが、異常が続いている以上、経験のあるパーティーに確認していただきたいと判断されました」


 美月は資料を見つめる。


 魔力濃度の上昇。魔物の行動変化。地形のわずかな変化。


 ひとつひとつは、ただちに危険だと断定するほどではない。けれど、放置していいものでもなかった。


「調査範囲は?」


「まずは二十階層まで。異常が強ければ、無理に進まず撤退してください」


「了解しました」


 美月が頷く。玲奈も軽く肩を回した。


「調査だけなら問題ないでしょ」


「油断はしないでくださいね」


 ひなたが玲奈を見る。


「分かってるって」


 玲奈は笑う。


 美月も二人を見て、小さく頷いた。


「受けます」


 その言葉に、職員はほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます。出発は明日でお願いします」


「明日ですね」


「はい。詳細な資料は本日中にまとめてお渡しします」


 説明を終え、三人は部屋を出た。ギルドの喧騒が戻ってくる。


 さっきまでと変わらない、いつもの朝。


 けれど、美月の胸には、ほんの小さな引っかかりが残っていた。


 危険度はAランク。調査は二十階層まで。撤退判断も許可されている。


 無茶な依頼ではない。


 それでも――


「美月?」


 ひなたの声で、美月は顔を上げる。


「大丈夫ですか?」


「うん。大丈夫」


 美月は笑う。


「少し気になっただけ」


「まあ、異常調査だしね」


 玲奈が言う。


「でも、私たちなら問題ないでしょ」


「そうだね」


 美月は頷いた。


 《アストラ》なら大丈夫。そう思った。


 そう思えるだけの経験も、実力もある。これまでも何度も、危険な依頼を乗り越えてきた。


 だから、このときの美月はまだ知らなかった。


 その小さな違和感が。やがて取り返しのつかない異変へ変わることを。


 夕方。


 美月は家へ帰った。


「ただいま」


 玄関を開けると、リビングのほうから蓮が顔を出す。


「……おかえり」


 その言葉に、美月は自然と笑った。


「うん。ただいま」


 部屋の中には、静かな生活の気配がある。テーブルの上には料理の本。流しには洗われた食器。


 蓮が一人で過ごした時間の跡が、少しずつこの家に馴染んでいた。


「今日はどうだった?」


 美月が聞くと、蓮は少し考えてから答える。


「……本を読んだ」


「料理の?」


「……うん」


「何か作りたいもの、見つかった?」


「……いくつか」


「そっか。楽しみにしてるね」


 蓮は小さく頷いた。


 夕食のあと。


 二人はリビングで向かい合って座っていた。テレビの音が小さく流れている。


 美月は湯気の立つお茶を手にしながら、ふと思い出したように口を開いた。


「明日、依頼に行くことになったよ」


 蓮の視線が、美月へ向く。


「……依頼?」


「うん。Aランクダンジョンの調査」


「……調査?」


「ちょっと魔力濃度が高くなってるみたいでね。魔物の動きも少し変わってるらしいの」


 蓮は黙って聞いている。美月は続けた。


「でも、危険度はAランクのまま。今回は二十階層まで調べるだけだから」


「……危ない?」


 蓮が短く尋ねる。その声には、ほんの少しだけ硬さがあった。


 美月はすぐに笑う。


「大丈夫だよ」


「……大丈夫?」


「うん。玲奈もひなたも一緒だし、無理はしない。危なかったらすぐ戻るから」


「……そう」


 蓮は小さく頷いた。けれど、完全に納得したわけではなさそうだった。


 美月はそれに気づき、優しく言う。


「心配してくれてるの?」


「…………」


 蓮は少し黙る。それから、小さく答えた。


「……少し」


 美月の胸が、温かくなる。


 以前なら、きっと言わなかった言葉。心配していても、それをどう伝えればいいのか分からなかったはずだ。


 でも今は、少しだけ言葉にしてくれる。


 美月は笑った。


「ありがとう。でも、本当に大丈夫」


「……うん」


「明日は、帰ったら連絡するね」


「……分かった」


 二人の間に、静かな時間が流れる。


 テレビの中では、何でもないニュースが流れている。街の出来事。天気予報。交通情報。


 当たり前の日常。


 美月はそれを見ながら、お茶を一口飲んだ。蓮は隣で、料理の本を開いている。


 その横顔は、少し前よりも穏やかだった。


 日常が、少しずつ形になっている。十年ぶりに帰ってきた蓮が。少しずつ、人と一緒に生きようとしている。


 美月はその姿を見て、静かに思った。


 この時間を守りたい。この生活を、壊したくない。


 けれど――


 その夜。


 冒険者ギルドの監視室。


 薄暗い部屋の中で、職員が一人、監視水晶の数値を確認していた。


 水晶には、各地のダンジョンの魔力反応が映し出されている。


 その中の一つ。明日、《アストラ》が調査に向かう予定のAランクダンジョン。


 表示されている魔力濃度は、高めではある。だが、まだ基準値の範囲内だった。


 異常警報を出すほどではない。


 職員は記録用紙に数値を書き込む。


「……昨日より少し高いな」


 そう呟いた直後。


 水晶の中の光が、一瞬だけ揺れた。


「……?」


 職員が顔を上げる。けれど、次の瞬間には表示は元に戻っていた。


 魔力濃度。基準値内。警告表示なし。


 職員はしばらく水晶を見つめる。


「……ノイズか?」


 監視水晶が一瞬だけ揺らぐことは、まったくないわけではない。魔力の流れが乱れれば、表示がぶれることもある。


 職員は念のため、記録用紙の端に小さく書き加えた。


 ――一時的な反応揺れあり。要経過観察。


 それ以上の異常は、確認されなかった。


 だから誰も、止めなかった。翌日、《アストラ》がそのダンジョンへ向かうことを。


 誰もまだ知らない。


 その小さな揺らぎが。明日、美月たちを飲み込む異変の前触れだったことを。

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― 新着の感想 ―
 さあ、救助フラグか……まさか退場は無いと思いたいが。
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