第105話 初めての料理
翌朝。
蓮は、いつものように早く目を覚ました。
ベッドから起き上がり、リビングへ向かう。
「……おはよう、蓮」
「……おはよう」
美月は朝食の準備をしていた。
蓮はテーブルの上に置かれたものへ目を向ける。
そこには――
昨日、本屋で買った料理の本が置かれていた。
「…………」
蓮が料理の本を手に取る。
「それ、昨日買ったやつ?」
「……うん」
ページを開く。料理の写真。材料。作り方。
細かく書かれている。
「……料理」
「興味ある?」
「……うん」
「作ってみたい?」
「…………」
蓮は少し考える。
「……やってみたい」
「本当?」
「……うん」
美月は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今日は一緒に作ってみようか」
「……いいのか?」
「もちろん」
◇
朝食を終えると、二人は外へ出た。
「まずは材料を買おう」
「……スーパー?」
「そう」
スーパーへ向かう。
店内に入ると、様々な食材が並んでいる。
野菜。肉。魚。調味料。
「……多いな」
「そう?」
「……うん」
蓮は棚を見ながら歩く。
十年前。地上で暮らしていた頃には、何度も見たことがある。
けれど――
今は、どこか新鮮だった。
「今日は何を作る?」
美月が料理本を見る。
「これにしようか」
美月が指差したのは――
ポークソテー。
「……肉」
「好き?」
「……うん」
「じゃあ、これにしよう」
美月が豚肉を選ぶ。蓮は、その肉を見る。
「……これ、魔物じゃないんだな」
「え?」
「……普通の肉」
「ふふっ」
美月が笑う。
「そうだよ」
「……そうか」
蓮は少しだけ不思議そうに肉を見る。
ダンジョンでは。肉と言えば、魔物だった。
食べられるものを選び。自分で解体して。火を通して食べる。
生きるために必要な作業だった。
けれど――
今は違う。
店に並んでいる肉を買えばいい。
「……普通の肉か」
「うん」
美月は笑う。
「今日はこれを料理しよう」
「……分かった」
◇
買い物を終え、家へ戻る。キッチンに食材を並べる。
「じゃあ、まず野菜を切ろうか」
「……うん」
美月が包丁を渡す。
「これ、使える?」
「……使える」
蓮が包丁を握る。
そして――
野菜を切り始めた。
トントントン。
一定のリズム。
「…………」
美月が蓮を見る。
切る。切る。切る。
大きさが、ほとんど揃っている。
「……蓮」
「……ん?」
「包丁、上手だね」
「……そうか?」
「うん」
「……昔からナイフ使ってたから」
「昔?」
「……ダンジョンで」
「ああ……」
美月は納得する。
蓮は十年間、ダンジョンで生きてきた。その中で、食べられる魔物を何度も自分で解体してきた。
もちろん、今は違う。現在の蓮のアイテムボックスには、魔物を自動で解体する機能がある。だから今では、自分で解体する必要はない。
けれど――
その機能が付いたのは、ずっと後のことだった。
それまでは。手に入れた魔物を、自分で捌くしかなかった。
皮を剥ぎ。肉を切り分け。食べられる部分を取り出す。
それを何度も繰り返してきた。
長年の積み重ね。
だから――
蓮の包丁さばきは、普通の人とは比べものにならないほど上手かった。
「じゃあ、次はお肉」
「……うん」
蓮は豚肉をまな板に置く。包丁を入れる。
迷いのない動き。肉の厚さも、ほとんど均一だった。
「…………」
美月は思わず見入る。
「……蓮、本当に上手だね」
「……そうか?」
「うん」
蓮は首を傾げる。
本人にとっては、特別なことではない。
ただ――
十年間。生きるために身につけた技術だった。
◇
下ごしらえを終える。
「じゃあ、焼こうか」
「……うん」
フライパンを温める。豚肉を乗せる。
じゅうっ――。
肉が焼ける音が、キッチンに響く。
蓮がフライパンを見る。焼けていく肉を、じっと見つめている。
「……そんなに真剣に見なくても大丈夫だよ」
「……美月にも食べてもらう料理だから」
「……うん?」
「……失敗したくない」
「…………」
美月の動きが、少しだけ止まった。
「……そっか」
美月は小さく笑う。
「じゃあ、頑張らないとね」
「……うん」
蓮は頷く。そして、もう一度フライパンへ視線を戻した。
やがて肉に火が通り、ソースをかける。
「できた」
皿に盛り付ける。
ポークソテー。そして、付け合わせの野菜とスープ。
「……完成」
「うん」
美月が笑う。
「じゃあ、食べよう」
「……うん」
二人でテーブルについた。
「いただきます」
「……いただきます」
蓮がポークソテーを口に運ぶ。
「…………」
しばらく黙っている。
「どう?」
美月が少し不安そうに聞く。蓮はもう一口食べる。
「……うまい」
「よかった」
美月が笑う。
「初めて作った料理にしては、いい感じだね」
「……美月が教えてくれたから」
「……そっか」
美月は少し嬉しそうに笑った。
蓮はもう一口、ポークソテーを食べる。
「……また作る」
「うん」
蓮は少し考える。
「今度は……一人で」
「……うん」
美月が頷く。
蓮は少しだけ料理を見る。
「……それで」
「……?」
「今度は……美月に食べてもらう」
「…………」
美月の動きが止まった。
「……私に?」
「……うん」
蓮は頷く。
「……美月に、食べてもらいたい」
「……そっか」
美月は少しだけ頬を緩める。
「じゃあ、楽しみにしてるね」
「……うん」
蓮も小さく頷いた。
「じゃあ、次は味付けも蓮がやってみようか」
「……分かった」
◇
食事を終える。
蓮は料理本を手に取る。
そして――
次に作る料理を探し始めた。
ページをめくる。一つ。また一つ。
今まで知らなかった料理が、そこにはたくさん載っている。
ダンジョンにはなかったもの。生きるためには必要なかったもの。
けれど――
今の蓮には。
少しずつ、必要になってきた。
誰かと一緒に食べること。誰かと一緒に暮らすこと。
そして――
自分で何かを作ること。
十年間。蓮にとって、料理とは生きるための作業だった。
食べられるものを見つけ。自分で解体し。火を通して食べる。
それだけだった。
けれど今は――
何を食べるかを選ぶ。誰かと一緒に作る。そして、次に何を作るかを考える。
蓮は料理本をめくる。
そして――
次に作りたい料理を見つけた。
「……これ」
蓮が指差したのは――
ハンバーグだった。
「ハンバーグ?」
「……うん」
「作ってみたい?」
「……うん」
美月は笑う。
「じゃあ、次はハンバーグだね」
「……うん」
蓮も小さく頷いた。
十年間。料理は、生きるための作業だった。
けれど今は違う。
何を食べるかを自分で選び。誰かと一緒に作り。
そして――
誰かに食べてもらうことを考える。
蓮は料理本を手にしたまま、次の料理を見つめていた。
ほんの少しだけ。
楽しそうに。




