第103話 伝えたい気持ち
夜。
美月が眠ったあと。
蓮は一人、リビングにいた。
部屋の明かりは消している。窓の外には、街の光が広がっていた。
「…………」
蓮はソファに座ったまま、静かに外を見る。
地上へ戻ってきてから――
まだ、それほど時間は経っていない。
けれど。その短い時間だけでも、蓮は何度も美月に助けられていた。
帰る場所がなかったとき。家へ迎えてくれた。食事を用意してくれた。服を買ってくれた。
スマートフォンも用意してくれた。身分証を作るのも手伝ってくれた。銀行口座まで作った。
そして――
今もこうして、自分の生活を支えてくれている。
「…………」
蓮は自分の手を見る。
ダンジョンでは。何でも一人でやってきた。
食べるものも。寝る場所も。戦うことも。怪我をしても。
誰かに助けてもらうことなんて、一度もなかった。
それが――
地上へ戻ってきてからは、ずっと美月に助けてもらっている。
「…………」
なのに。
自分は――
いつも短い返事ばかりだった。
「……うん」
「……分かった」
「……そう」
美月が話しかけてくれても。ほとんどそれだけ。
別に、嫌なわけではない。
むしろ――
感謝している。助けてもらっていることも分かっている。
けれど。それをどう伝えればいいのか分からなかった。
「…………」
蓮は目を伏せる。
十年間。誰とも話していない。
モンスターと戦うことはできても。生きることはできても。
人と話すことだけは――
何も分からなくなっていた。
何を話せばいいのか。どんな言葉を返せばいいのか。相手が何を求めているのか。
そんなことを考えているうちに――
結局、短い言葉しか出てこない。
「…………」
蓮は小さく息を吐く。
このままではダメだ。そう思った。
美月は、自分のためにいろいろしてくれている。それなのに。自分は何も伝えていない。
ありがとう。助かっている。嬉しい。
そんな簡単な言葉すら――
ちゃんと伝えられていない。
「…………」
蓮はしばらく考える。
そして――
「……話そう」
明日。美月に自分の気持ちを伝える。
うまく話せるかは分からない。途中で言葉に詰まるかもしれない。
それでも。ちゃんと伝えようと思った。
◇
翌朝。
美月がリビングへやってくる。
「……おはよう、蓮」
「……おはよう」
いつもの朝。
けれど――
「……美月」
「ん?」
「……話がある」
美月が少し驚く。
「話?」
「……うん」
蓮は少しだけ緊張していた。
「……座って」
「分かった」
美月が向かいのソファに座る。蓮も座る。
しばらく――
何も言えなかった。
「…………」
「…………」
美月は黙って待っている。
蓮は一度、深く息を吸った。
「……ごめん」
「……え?」
美月が目を見開く。
「……今まで」
蓮はゆっくりと言葉を続ける。
「ずっと、助けてもらってるのに」
「…………」
「……そっけない態度をとってた」
美月は黙って蓮を見る。
「……悪いと思ってた」
「蓮……」
「……でも」
蓮は少し言葉に詰まる。
「……どう話せばいいのか、分からない」
「…………」
「十年間」
蓮は俯く。
「……ダンジョンにいた」
「…………」
「その間、誰とも話してない」
静かな声だった。
「だから……」
蓮は言葉を探す。
「……何を話せばいいのか分からない」
「…………」
「美月が嫌なわけじゃない」
「…………」
「助けてもらってるのも分かってる」
「…………」
「……感謝してる」
最後の言葉だけは――
はっきりと言った。
「…………」
美月の目から――
一筋の涙がこぼれた。
「……美月?」
蓮が驚く。美月は慌てて涙を拭う。
「……ごめん」
「…………」
「嬉しくて……」
また涙がこぼれる。
「……ずっと、蓮は何を考えてるのか分からなかったから」
「…………」
「私が何かしても……」
美月は涙を拭きながら笑う。
「いつも『うん』とか『分かった』ばっかりで」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ」
美月は首を横に振る。
「大丈夫だから」
「…………」
「ゆっくりでいいよ」
美月は涙を浮かべたまま、蓮を見る。
「十年間も一人だったんだもん」
「…………」
「すぐに昔みたいに話せなくても、当たり前だよ」
そして――
優しく笑う。
「私は、いくらでも待つから」
「…………」
「だから、無理しなくていいよ」
「…………」
「少しずつでいい」
蓮は黙って美月を見る。
胸の奥が――
少しだけ軽くなった気がした。
「……ありがとう」
蓮が言う。
今までとは違う。短い言葉。
それでも――
今度は、自分の気持ちを込めて言えた。
「うん」
美月は笑った。涙を流しながら。
「……こちらこそ」
◇
十年間。
蓮は一人で生きてきた。
だから――
人との接し方を忘れていた。
何を話せばいいのか。どう笑えばいいのか。どう気持ちを伝えればいいのか。
まだ分からない。
それでも。
今日。
蓮は初めて――
一歩を踏み出した。
生きるためではなく。
誰かと一緒に生きるために。




