第10話 知らない世界
さらに時間が過ぎた。
蓮は、少しずつダンジョンでの生活に慣れていった。
食べられる植物。
飲める水。
安全な寝床。
危険な場所。
そして、魔物。
最初は何も分からなかった。
今では、歩いているだけで周囲の様子が分かる。
「……今日は静かだ」
蓮は通路を歩きながら呟いた。
魔物の気配が少ない。
足音も聞こえない。
それだけで、いつもより少しだけ安心できる。
しかし、蓮は油断しなかった。
ここで何度も学んできた。
静かな場所ほど危険なことがある。
蓮は槍を手にしたまま、ゆっくりと進んでいく。
◇
しばらく歩いたところで、蓮は壁に手を触れた。
「……?」
いつもと違う。
壁の奥から、わずかに振動が伝わってくる。
蓮は手を離す。
もう一度触れる。
やはり感じる。
「何だろう……」
蓮は周囲を見回した。
壁には淡い光を放つ苔。
その間に、細い亀裂が走っている。
蓮は亀裂に顔を近づけた。
風が流れている。
「……風?」
このダンジョンに、風がある。
ということは。
どこかに空間が繋がっているかもしれない。
「もしかして……出口?」
蓮の胸が高鳴った。
槍を置き、両手で亀裂を調べる。
石を使って周囲を削る。
少しずつ。
本当に少しずつ。
岩を取り除いていく。
けれど。
「……駄目か」
しばらくして、蓮は手を止めた。
亀裂の先には細い空間がある。
しかし、人が通れるほどではない。
それでも。
蓮は嬉しかった。
「外に繋がってるかもしれない」
確証はない。
ただの風かもしれない。
それでも。
出口を探している蓮にとっては、大きな発見だった。
◇
それから蓮は、その場所を何度も調べた。
岩を削る。
周囲を探す。
別の通路がないか確認する。
しかし、簡単には進めない。
力任せに壊せば、崩落する可能性もある。
だから慎重に進める。
蓮は少しずつ学んでいった。
力があれば何でも解決できるわけではない。
考えること。
観察すること。
待つこと。
逃げること。
それも、生き残るために必要だった。
◇
ある日。
蓮は一匹の魔物を追っていた。
以前なら、魔物から逃げていた。
今は違う。
その魔物の動きを知りたかった。
どこへ向かうのか。
どこに戻るのか。
何を食べるのか。
どこで眠るのか。
蓮は距離を保ちながら観察する。
魔物が岩陰へ入る。
蓮も少し離れた場所から覗く。
そこには、小さな巣があった。
「……ここが寝床なんだ」
蓮は記憶する。
そして、もう一つ気づいた。
魔物が通る道には、決まった場所がある。
足跡が残っている。
爪の跡もある。
匂いも残っている。
「……」
蓮は周囲を見渡す。
ダンジョンは、ただの迷路ではない。
魔物にも生活がある。
水場がある。
食料がある。
縄張りがある。
そして。
それぞれの場所には意味がある。
「……覚えたら、もっと安全に歩ける」
蓮はそう考えた。
それから。
蓮は魔物を倒すだけではなく、観察するようになった。
どこにいるのか。
何を食べるのか。
どこを通るのか。
どんな動きをするのか。
一つずつ覚えていく。
◇
さらに時間が過ぎた。
蓮は、自分が少しずつ変わっていることに気づいていた。
以前より身体が軽い。
長く歩いても疲れにくい。
傷も早く治る。
暗い場所でも、以前より周囲が見える。
遠くの音も聞こえる。
魔物の気配にも気づける。
それでも。
蓮は、それを特別なことだとは思わなかった。
ここで生きるために必要だから。
身体がそうなった。
ただ、それだけだと思っていた。
夜。
蓮は岩陰に戻った。
淡い光を放つ苔を眺めながら、今日覚えたことを頭の中で整理する。
「水場は三つ」
「安全な寝床は二つ」
「この辺りには小さい魔物が多い」
「奥には大きい魔物がいる」
蓮は一つずつ確認する。
そして最後に。
「……出口は、まだ分からない」
少しだけ俯く。
けれど、諦めない。
「明日も探そう」
蓮は横になる。
この場所で生きるために。
そして、いつか帰るために。
少年はまた眠りについた。
その日も。
外の世界で何が起きているのかを、蓮は何も知らないまま。




