46.生まれ変わったエリス
地球儀の表面を雨粒がなぞる。地面に落ちる。ぽたぽたとしたそれが血跡の上へ垂れた。
入り口の真黒の四角が口に見え、地球儀は頭、涎を垂らしているようだ。
「行きましょう」
エレノアが惑わず、中へ入る。俺たちも中へ。
中は見覚えがある。真暗に冷たい廊下。
足に何か当たった。衛兵の死体だ。
「間違いなさそうだね」セラフィナは灯玉を浮かべた。
「フロウドが魔物? 馬鹿な」キノコはまだわかっていなかった。
「ん? なんか揺れてねえか――うおっ?!」
足元がぐらつく。建物全体が揺れている。
青味かがっていた壁や床が赤く変わっていく。明るくなった感じだ。辺りがよく見えるようになった。
どこからともなく声がした。
「ようこそ。案外早かったな」
「どこにいやがる! ぶっ飛ばしてやるから出てきやがれ!」
「そうはいかない。むしろそうしたくない。だから君たちはもう私と出会うことはない」
「支離滅裂だね。人の真似はもうできなくなったのか?」セラフィナが煽る。
「そうだといいな」
フロウドの声が消え
――ぐにゃり。廊下が捻じれた。
赤い花がそこら中から生えてきた。
「魔境じみてきたな」
「フロウド……」
「あんまり落ち込んでんじゃねえよ!」
「――来ます。構えてください!」
タカタカ……捻じれた先に四足歩行の何かがいる。
狼か? よく見えねえ。あれは翅か?
だんだんと音が大きくなってきた。
タカタカタカ……タカタカタカタカ!!
巨大な蠅。三匹。
「ようし、ここらで準備体操と行くか!」
「魔物か。先生。出番です」
「はいはい!――おっと!」
セラフィナが魔術を唱える前に、エレノアが蠅の魔物へ斬りかかった。
瞬く間に光刃が三匹を切り刻んでしまった。
「急ぎましょう。行方不明の生徒もいるはずです」
「そうだね」
捻じれる廊下を駆け抜けていく。
赤い花が花粉を飛ばしてきて、鼻がムズムズする。あとふつうに臭い。
カタカタ……蠅がまた来るみたいだ。前と後ろ。
翅の音が後ろからミシミシ、前からはギシギシ。
耳障りだ。耳からゲロが出そうだ。
黒い塊が前方、後方はまだ廊下の赤色が群れの後ろに透けている。
「今度は多いな」
「前は私がやります。背後は任せました」
「あいよ」後ろに回れ右。
「エレノア、私たちも手伝うよ」
蠅が一、二、三……七匹。ちょっと多いな。
でもこの狭い廊下で大剣は幅がある。だからエーテルを込めて、大振り。
「どーんと! 一掃だぜ!」
虫は所詮は虫。腹を見せて藻掻くうちに動かなくなった。
気持ち悪い生き物だぜ。蹴飛ばした。
すでに前はもう終わっていた。
「十匹か。多かったね」
「すいません。一気に処理しきれませんでした」
「一匹だけさ。変わんないよ」
「ガタガタ」震える非戦闘員キノコ。
「……」
走って蠅を倒して。
ところで道が合っているのか。さっきから同じところをぐるぐるしている気がする。
「エレノア。道あってんのか?」
「こっちから気配がします」
「うーん。それって蠅のじゃないかな?」
「そんなことありません。こっちです!!」確信のノア。
「待て。風の音がする。こっちだ」
キノコがキノコの生えた壁を押した。すると、
――それは実体のない壁だった。キノコは転んだ。
隠し道だか正規通路なのかわからねえが、先は沼地みてえだ。下にドロドロした紫の液がたっぷりある。
「わかってると思うけど。触っちゃダメだよ」
「向こう岸に道がありますね。奥に繋がっていそうですね」
距離にして25mってところ。そこまでの足場は無い。
「どうやったらあっちに行けるのでしょうか。空を飛ぶ魔法とかあったりしますか?」
「無い。」
「無いね。」
「じゃあ詰みだな」
「そうだ。魔法を使えない脳筋ならな」
「誰が脳筋だ」
「私は魔法使えます!」
「私は見ているだけでいいのかい。キノコ君」
「はい。これくらい学生でなくともできる」
「なんだと?」
いちいち挑発に引っかかってちゃ疲れるぜ。
キノコの両手から白い靄が出て足下へ漂う。ひんやり冷たい。
キノコは両手を前へ向けた。すると靄が真っすぐ走り、固まった。氷の橋となった。まるでどっかのアナの女王様みてえだ。
「まぁこんなものだ」からのドヤ顔。
「わー。すごーい。でもこれくらい先生ならできて当たり前ですよねー」トコトコ。
「おい。それって俺に言ってんのか?」トコトコ。
「ちょっと強度が弱いね。魔力の練度がまだまだだね」トントン、トコトコ。
「……なんともないさ」氷が解けるようにいつもの顔。
歩いて次の部屋へ。
暗く見えない底なしから大きなキノコがまちまちに生えている。向こうにまた次の部屋への入り口があった。一言で言えばマリオだ。
「髭でもつけたいもんだぜ」ぴょんぴょん。
「ちょっと当たり前みたいに先へ行かないでくださいよ」
「お~凄い跳躍力だ。カルロスも研究したいねえ!」
「!」ダッシュ。三段ジャンプ。逃げるようにてか逃げてる。
「キノコが不規則にあるから真っすぐ橋を作ることができないか。どうしますか、先生」
「考え方を変えるといいんじゃない?」
「というと?」
「今のヒントだったんだけどね。じゃあ、やっちゃうか!」
よいしょ。旗はねえが、ゴールについた。あっちは?
セラフィナが手から炎を出している。炎がうねうねとまがって、俺のほうに。俺のほうに?
「ってあぶね!」
「あーごめんごめーん! で、これを」
今度はセラフィナの手から青い光の粒がパラパラと出てきた。さっきまで生えていた炎の輪郭をその青が纏わりついていく。
セラフィナが手を閉じる。それが氷に変わった。曲がりくねった氷の道がセラフィナたちとこっちまでを繋いだ。
「炎で道筋をつくり、氷に変性する。さすが先生です」
「えへへ。それほどでも」
「す、滑る……」トコトコノア。
古くせえアスレチックを越え、次の部屋へ。
そこは緑生い茂る。樹海が広がっていた。
「テーマパークに来たみてえだぜ。テンション上がるな~」呆れ顔。
「ふざけないでください」
ふざけねえとやってらんねえんだよな。お前の殺気がずっとヤバくて。
「石の狭い廊下にいたはずなのに開放感溢れる樹海。不思議だね」
「ええ。これもフロウドの魔術でしょう。しかし」
「うん。どういう原理か。わからない」
「博物館気分かよ」
「そうだけど、力量の話でもある」
誤魔化してるだけだろ。
腰に手を付け顎を摩って、興味深そうに辺りを観察してはこの葉はなんだとか、植生はどうとか。セラフィナがキノコと話す、
――その上を小さな黒点がうねうねと動いていた。
エレノアがそれを不潔がって光を飛ばそうとする横を、黒い膜が駆け抜けていった。そのスンスンと這える音が耳障り。
それに光を放とうとすれば、またどこからともなく別の群れが。
コバエの群れだ。
それが四人の辺りをスンスンと煩く回っていく。
カルロスがいよいよ大剣を振り回したところ、まるで効果は無いが、コバエは樹海の空に黒い雲をつくった。
「ごきげんよう」
コバエがどこからともなく集まっていく。形を作っていく。
その黒とは真逆の白衣。それを偽の日光に輝かした細い男になっていく。
「フロウド」
目を鋭くするセラフィナを嘲笑い、フロウドは宙にぷかぷか浮かんでくつろいでいた。
「ごきげんよう。どうかな。私のダンジョンは。楽しんでもらえたかな?」
「ああ。あとはお前をぶっ殺せば最高って感じだぜ!!」
会話文だってぶった斬る勢い。
フロウドは宙にいる。跳んでも届かねえ距離だが、高い木がいくらでもある。俺はそいつを蹴って、大剣でフライを真っ向から!
「上から見てんじゃねえぜ、クソ野郎!」
――斬った。
――つもりが、枯れ葉を叩いていた。
フロウドはコバエになって刃を躱した。
フロウドは向こう。俺は木の上から、一度ダメならもう一度と跳ぼうとする。
「礼儀が無いだけでなく、学習能力のない人間だ。まずは私の話を聞いたらどうだ?」
「うるせえ!」
斬ろうとするも同様。
すばしっこい。秋夏の部屋を駆け回る蠅みてえでムカつく。てか蠅なんだけど。
「カルロス、体力の無駄だよ」セラフィナが見上げる。
「そうみたいだな」
「フロウド……で合っているのか?」キノコは向こうを見上げた。
人の形をした、人では到底できない空中に居る男は、三人を見下していた。
キノコがほんとに、樹海に生えるキノコに見えているのか、舌を舐めた。
「お前たちはそう呼んでいたな。そしてフライとも。名前など虚数のようなもの。合ってないようなものだ。だがこういうのはどうだ。フロウド・フライ。どうかな? いや――どうかしら!」
聞いたことのある声色。
見たことのある角度のあるキモい笑み。
フロウドの身体が膨れ上がっていく。メキメキと背から腕が四本、生えてくる。
さらに図体が太くなっていく。顔が腫れたように膨らんで、鼻が尖って、だんだんと化け物の姿になっていく。
飛び散る血が赤から黒に。それがもうコバエかなんか見分けがつかない。
「ああ! 祝福を!!」
黒く羽化。翅まで生やせば、それをブンブン動かして空を漂う。
完全に正体が割れた。
「フロウド・フライ! お前の目的はなんだ!」セラフィナは杖を振る。
「目的? 今から死ぬ人間なんかに教えても意味無いけれど、いいわ。教えてあげる。これは慈善活動なの。生まれ持った才能、貴族のプライド。それから来る孤独感と不安。私はそういった困った子たちにちょっとだけ魔法をかけて、生まれ変わらせてあげているの」
「生まれ変わる。前もそう言っていたようだね。じゃあ聞くけどさ。誘拐した生徒はどうなったのさ?」
フロウド・フライの口角が顔を壊して上がっていく。
分厚く艶やかな唇の、血のように赤い唇が全てを物語っていた。
フライは大きく手を広げた。
「言ったでしょ? 生まれ変わったの!!」
エレノアの表情から雄姿が崩れた。
同時に樹海が大きく揺れ始めた。
地震だ。いや違う。揺れがだんだんと大きくなる。何かがこっちに来る。
樹が次々となぎ倒されていく。緑の闇がだんだんと平らになっていく。
するとそうしている正体が見えてきた。
――四足歩行。地を這う。獣のような5メートルの図体には昆虫のような光沢ある翅がついている。でもそれは下半身。
獣の頭の部分から人型が生えている。その根元から人型の臍くらいまでに大きな口がある。フライに似た分厚い唇。似ない鮫のような牙がずらりと並んでいる。口は大きすぎて、恐らく塞がらない。ずっと開いたままだろう。
人型には外から見て右側に二本の鎌のような腕、左に一本の女のように細い腕。乳が丸出しだ。垂れ下がっている。
蠅のような翅が背中から生えている。
顔はフライのような爛れたような尖った鼻がある。ふたつある。
耳は同様にして尖がっている。目はどこが目か分かんねえが、鼻の上に深淵じみた谷のような線がある。それか額に二つ、どこ向いてるかわかんなのがついてる。
それと、
「うぇえあ……」
呻き声。若い女の呻き声だ。
どこをとっても気持ち悪い魔物だぜ。
そんなやつが鎌のような腕を振るい、樹木をなぎ倒しながらこっちに迫っていた。
「フライ。君はやっぱり魔物なんだね」
「さぁ! ここは実験棟だ! 楽しもうじゃない!!」
フライは不気味な笑みを浮かべながらコバエになると、速やかにエレノアの背後をとって、杖でエレノアを殴った。
――しかしエレノアはそれを読んでいた。剣で叩きつける。
ゆえに鍔迫り合い。
フライは目を見張った。エレノアは少女ではない。
毅然とした表情でフライから目を逸らさなかった。
怒り。復讐。そういったものがエレノアの瞳に宿っていた。
ゆえにフライはさらに笑った。
「勇者!」
「打ち滅ぼす!!」
エレノアはフライとやってくれそうだ。
となると俺はそこまできて一心不乱に伐採している蠅の魔物をぶちのめせば良さそうだ。
ん。キノコとセラフィナが俺のところまで上がってきた。
「なんだよ。邪魔する気か?」
「いいや。彼女はカルロスに任せるよ。あれ、奥から蠅が来てる」
「ざっと三四十匹か」
「そっちは私たちが対応する」
「死んじゃねえぞ。あんなに風になりたくねえだろ?」
「クソ野郎め」
「あ?」
キノコが木から下りて走っていった。
セラフィナもそうしようとしたが、足が止めた。
なんとなくわかった気がする。
「エリスなんだろ。あの蠅の魔物」
「やっぱり言わない方がいいかなって思ったけど気づいちゃったみたいだね。恐らくそうだよ。魔力の波が少女だ。嘘みたいにはっきりとね」
セラフィナの顔は見えねえがキツそうだ。さっきのキノコみたいに。
「どうした?」
「……実は学長の資料にはもう一つ、失踪者に特徴があったんだ。それは――いや、今は考えないほうが良さそうだ。魔力の練度が下がる」
「構わねえぜ。エリスだろ。さっさと成仏させてそっちに助太刀してやるよ」
「君は本当に人間じゃないみたいだ。羨ましいよ」
「あ?」
セラフィナは女々しい声でそう言い捨てるとキノコを追っていった。
俺は木から降りてエリスへ近づいて行く。
さて。こっちは生徒の後始末か。
「うぇえ……あぁ……」
「抑えてんのか? 最後の授業だぜ。本気でやれよ」
「あぁ……アアアアアアアアアア!!」
手慣れていねえからだろうな。四つ足の癖に芋虫みたいに這って突撃してきやがる。
スピードはそこそこ。
左手の鎌で俺を叩き切るつもりだな。
「アアアアアアアアアアアア!」
見え透いている。弱いってのはつまらねえ。確かにセラフィナにああは言ったけどよ。
「じゃあな」
大剣にエーテルを注ぎ込む。大剣に描かれた紋様に青い稲妻が走る。それは刃に纏わりつき、振りかざすと
――雷と共にエリスは、人かわからねえ上半身と虫みたいな下半身、真っ二つになった。
「ああぁ……あああぁ……」
泥のように溶けていく。雷はそのままエリスを灰にする。
いくつもなぎ倒された樹。たたっぴろくなった空間。赤い天井から木の葉が落ちてきた。それが雷の刃に触れて消えた。
「これも自然の摂理だってか?」
まだ残るエリスの化け物の細い手が俺の足を掴もうとした。それを蹴り飛ばした。
頭に剣を突き刺した。それがエリスが完全な灰となり、風に散るまでの間の墓だった。
俺は確かに殺した。その亡骸がどこにも無くとも。




