43.青春に潜む者
昼休み。試験を明日に控え、食堂には緊張感が漂っていた。生徒たちは教科書や問題集を眺めながら食事をしている。教員らは目にくまができていた。
一方、俺は元気だった。
「色々食ってみたが、やっぱりカレーが一番だ。暖かいし美味い」
「呑気だな。明日、試験だというのに」うどんを啜るキノコ。
「べつに俺は受けるわけじゃねえし。キノコもそうだろ」
「ああそうだ。問題が出来てない。先生の研究と昨日の騒動のせいでな。お前はもうできたのか?」
「できてるぜ。多分」
「多分?」
「俺は学長が作ったのを配るだけだぜ」
「なるほど。お前なんかじゃ一問だって作れないだろうからな」
「なんだと!」
そろそろり。ザザーッ。ドン! 青いシャツがはち切れんまでに膨らんでいる。ムキムキ体育教師がキノコの隣へ座った。相変わらず凄い筋肉してんな。
「キノコさん。うどんばかりじゃなくて肉を食べないと大きくなれないぞ♡」
「べつに研究者に筋力は必要ない」
「今日もクール♡ あれ、今日もアレンちゃんいないの?」
「風邪だ」
「そうなの。ラッキーかも♡」
「おい。キノコ。こいつ、オカマってやつか?」
「オカマなんて死語だぞ。カルロス。俺はロック。という性別だ」ガッハッハ。
「なんか面倒くさそうなやつだってことはわかった」
「失礼な男。モテないぞ?」性別ロック。
「あー。羨ましいぜーモテる男はぁー」棒読み。
「失礼するよ。僕は忙しいので」
キノコは逃げるように片付けして食堂から出ていった。
おい待て。そうなるとこの、ロックと二人きりかよ。気まずいぜ。
なんかギラギラした目で見てくるし。
「カルロス。さっき聞いたんだが、学長が試験を作るってのは本当か?」ゴリ声。
「あー。なんのことだ? 世界的権威、地理のカルロス大先生だぜ? ちょちょいと問題ぐらい作っちまうだけだぜ」
「嘘ね」
「なんで俺が嘘をつく必要があるんだ? おっとカレーを食べ終えちまった。お、次の授業の準備があったな。急がねえと!」ガブガブ。
「それも嘘ね。次はどのクラスも地理の授業が入っていないわ」
「……間違えた。研究だった!」
カルロスは逃げるように皿を投げて片付けて食堂から飛び出した。
「気持ち悪い青シャツだぜ!」
ロックはカルロスを引き締まった尻を眺めつつ、ステーキを舐め回すようにして口に入れた。転がすように肉を味わうと、引き千切るように強く噛み砕いた。そして妖艶な笑みを浮かべた。ロックの脂付く唇はつやつやと、偽りの光を纏っていた。
その視線は金髪のおてんば娘のほうへ向いた。ちょうど食堂へやってきたエレノアとメアリーだ。
「やっぱり混んでるね。ごめん。私が先生に質問したから」
「いいえ。気にしないでください。勉強を頑張るのは正しいことですから」
「それならいいけど」
「ほら。さっさと食事を済ませて少しでも多く勉強をしますよ!」
「気合入り過ぎ……」
「明日なんですから当然です! 当然です!」
「なんで二回言ったんだろ」
「さぁさぁ!」
メアリーに手を引っ張られながら列へ並んだエレノアだった。
年頃の少女たちを美味しそうに眺め、ロックは誰かに聞こえるかもしれないに呟いた。
「若いって良いわね♡」
今度は黄色いパスタを唾液に絡めるように食べるロックだった。青いシャツは依然として、今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。
グラウンド。今日はほとんど誰もいない。皆勉強しているからだろう。
その端のベンチ。カルロスは今にも吐きそうな顔をして座っていた。
「まだ気分が悪いぜ。なんだあのオカマ。青シャツ。即刻トラウマだぜ。あんなのに好かれてるとかキノコは大変だな。ざまぁみろ」
そんな暇な男を物陰から眺める女子が二人。一人は瞬きの多いどこかのお姫様。もう一人は笑った目つきの銀髪パーマ。
「ねぇ。いかないのー?」
「た、たいみんぐって言うものがあるのよ!」もじもじ。
「早くしないと昼休み終わっちゃうよ?」
「わかってるわよ! でも、まだダメなの」
「マリーちゃん。かわいい~」
「むかつく」
「おっと手が滑っちゃった!」
「きゃあっ!」
どん! ドレイクの陰謀によりマリーが物陰から飛び出した。
カルロスのクビになりたくないセンサーはその小さな悲鳴を察知。マリーのところまで一目散に走っていた。
ピタリ。なんともない。ので、カルロスは転ぶマリーを眺めていた。
「そこまで来たのなら止めなさいよっ!」
「まさか転ぶのもダメだったのか! ほら」手を伸ばした。
「え、ええ(あ。意外と手が柔らかい)」ドキドキ。
マリーは真っすぐと自分のほうを見てくるカルロスに目を合わせられずにもじもじした。
マリーがもじもじして何も言って来ない。カルロスは何かを要求されているのかとだんだんと不安になってきた。
「(な、なんだ何を待っているんだ? まだ何かしなきゃいけねえのか?)」
「(う、うわ。気まずいかも。でもちょっとドキドキしてしゃべれない)」ちらちら。
「あれ? もしかして私、邪魔かも~? 今日は誰もグラウンドにいないし、魔法ぶっぱなすか~!」
「ちょ、ちょっと! 一人にしないでよ! もう!」
「一人じゃないだろ。俺がいるんだから」真顔。
「えっ」
ドキッ。マリーの心境。
――カルロスの芋臭かった顔が今、世界一のイケメンに見えちゃう!
それにこのキメ台詞。ずっと一緒に添い遂げたいってこと?
「先生。乱暴すぎ! わ、私は姫なのよ! そんなナンパみたいのなんかにぃ!」
ドカーン。グランド大爆撃。ドレイクの爆裂魔法が華々しい。カルロスがまるで軍艦に憧れる少年のように目を輝かせた。
スッとドレイクのほうへ走っていた。
マリーは目を閉じて照れたままもじもじ。
「で、でも先生なら! 先生なら私。私!!――あれ? いない?」
「今の魔法すげえな! あんなのエレノアでもできねえぜ? それで魔物なんかイチコロってか?」
「あーうん。そのつもりで練習しているんだけど。カルロス先生。こっちじゃなくて」
「もう一回見せてくれよ!」
「ふ……ふふ。しょうがないねぇ~このドレイクちゃんの爆裂魔法を見るがいい!! え~い!!」
ドカーン! さらにグラウンド大爆撃。
ドカンドカン! それも連続。
閃光がドレイクの自信にあふれたドヤ顔とカルロスの子供のような顔を照らす一方、爆風が整えた乙女の前髪を無残に崩した。
マリーは呆れてぼーっとしてしまった。
しかしすぐそっちへ走っていった。
「私だってそれくらいできるし! できるわっ!」カルロスへ必死に訴える。
「わかった。近い近い!」
「見せてやるわよ! この私の魔法を! 昨日は不意を突かれただけだから! いつもの私だったら!」
ドカーン!
「ほら。こんなもんよ!」
「おお。称号だけじゃないんだな。見直したぜ」
「!」きゅん。
「ふふ。大概のことはマリーに負けちゃうけど。爆裂だけは負けられないよ! おりゃぁあ!」
ドカーン!!
「どう? どう?」
「今ののほうが派手でいいな」
「むっ。私だって!」
ドカーン!!!
ドカーン!!!!
ドカーン!!!!!
……
こうして学院の昼休みは爆発音に包まれた。試験前ということで建物の中で勉強している生徒たちがガチギレした。革命が起きかねないので、学長がマリーたちを止めにいった。
「マリーさん! グラウンドで大規模な魔法は――」
「あ」
魔法発動の寸前。学長がマリーとドレイクの射程範囲に入ってしまった。
「私、学長ぉおおおおおおお!!」
学長が吹っ飛ばされた。
左遷ではない。
◇
五限目。六限目。放課後。時間はいつものように流れる。
時計が進むたびに、日が暮れるほどに、外が暗くなるほどに焦る肌を寒気がなぞる。
試験前日は講義室に居残って勉強をする生徒がちらほら。大抵夕方までは人がいるものだが、夜となるとほとんどいない。夕食後となるともっといない。
三人だけだった。参考書を見つめ、頭を抱えるエレノア。もはや諦めムードで外を眺めるレオン。レオンの頬を引っ張ったメアリー。
「休んでいる暇なんてありません! せめて赤点だけでも回避しないと。親御さんに合わせる顔がありませんよ!」
「そんなこと言ったってさ。俺無理だよぉ……」
「エレノアさんを見てください。頑張っていますよ!」
「自然数nに関する命題が、すべての自然数nに対して成り立つには、n=1のときにこの命題が成り立つ。n=kのときにこの命題が成り立つと仮定すると、n=k+1のときにもこの命題が成り立つ。ことを証明すればよい――じゃあm=yのときは!? なんでnとkだけなの! こんなの差別だよ!」
「ほら」うんうん。
「どこがだ? ふざけてんだろ」呆れ。
メアリーはまたざっとn=k+1 本だけの参考書を机に出した。
ペラペラペラ。ザッ。
「ちょっと私は席を外します。すぐ戻ってくるので、この問6を解いて待っておいてください」
「わかりました! メアリー先生!」やる気満々ノア。
「どこいくんだぁー?」
「聞かないでください!」ササッ。
「なんで怒ってんだよ」
「多分トイレだよ。察しないと嫌われるよ?」ナチュラル悪口ノア。
「そうだな。頑張ろ」
二人だけ。広い講義室に鉛筆のコトコトした音だけが響く。
わからない。わからない。
カーテンが揺れた。空いたままの窓から冷たい風が二人の固まった頭を撫でる。
「寒っ! 窓閉めておいてくださいよ」
「なんで俺が。まぁやるけど」ガラガラ。
「うーん。わかんないなー」
「俺もだ。あー」
なんとも言えない窮屈なそれでいて殺風景な空気が漂う。
わからない。わからない。
エレノアの貧乏ゆすりが机を揺らすばかり。
「やばいなぁ。今まではどうにかなったけど。ちょっとわかんねえ。どうしよ」
「悩んでいても仕方ないです。もっと色々考えて解きましょう!」
「そうは言うけどな。考えようにもこうさ。もしも今回の試験落ちたらどうなんだろって考えちゃうんだよな。そしたらマジで病む。てか病んでる。なんだって貴族に生まれちまったかな」
「そんなこと言われても」
「エレノアはいいよな。田舎出身だっけ? 失敗しても何にも言われねえさ。でも俺はサクシフラガの結構偉いところの長男だからさ。やべえわ」
「べつに何も良くないですよ……」
「悪かった。べつに傷付けるつもりはなかった。あーくそ。これでもサクシフラガじゃ、神童って呼ばれてたんだけどな。むず過ぎだろ」
「……」
二人の鉛筆が止まった。静まり返ってしまった。
諦め。哀愁が教室に漂い始めた。
コトンコトン。そんなときだった。廊下から固く小さな足音が教室へ寄ってきていた。
「幽霊かも? 実はソナリカ学院には不遇の死を遂げた女子の霊が……」レオンがふざける。
「なら倒します」キリッ。
「え?」
ガラガラ。
――後ろの扉のところにぼさぼさ黒髪の学生が立っていた。思いのほか、幽霊のような見た目。レオンが椅子から転がり落ちた。
「で、で、で出た?」
「違いますよ。エリスさん? ですよね?」
「エリス? ああ。エリスか」
エリスはのらりとエレノアのほうへ歩いていく。
「ごほっ。二人とも。まだ講義室で勉強していたんだ」
「おい。てかエリスはやんなくていいのかよ? お前も試験、危ないだろ?」レオンが立った。
「やんなくていいんだ。だって私、もう誰よりも頭良いから」
「はぁ? 何言ってんだ?」
「もう対策し終わったってことですよ。エリスさんは真面目ですね。尊敬します」
「ごほっ。違う。私は……ねぇ。一緒に来ない? もう勉強しなくても良くなるよ。不安なんか無くなる……」
エリスはエレノアの手を握ると小さく微笑んだ。エレノアは若干、引いている。エリスの怪しい雰囲気を警戒した。
「そんな怖がらなくてもいいのに。ごほっ」
「なぁ。今の話どういうことだ?」レオンが机に座った。
「そのままの意味。ついてきて。そしたら明日の試験。いいえ。ごほっ。これから全部、安泰だから」
エリスは誘惑するようにゆらゆらと、廊下の暗闇へ歩いて行く。エレノアはじっと、その影を睨んた。
「(初めて会ったときとはまるで別人みたい。成績が急に上がった生徒が失踪する。怪しい)」
その隣。レオンが颯爽にエリスについていってしまった。
「ちょっと。レオンさん!」
「行くに決まってんだろ? なんか面白そうだし」
「で、でもメアリーが!」
「知らねえよ。俺は行くぜ!」
レオンは踊るように行ってしまった。
エレノアは戸惑った。が。
「(メアリーさん。ごめん。追わないと)」
レオンを追った。エリスについていくことにした。
ちょうどエレノアが廊下の暗闇、奥へ消えた頃、メアリーが戻ってきた。
「あれ。いない。どこいったのでしょうか?」きょろきょろ。
なんとなく外を覗いた。正門。エリスに連れられ出ていくエレノアとレオンの姿を見つけた。エリスの血色が悪い。真っ白。それにフラフラしている。
「何か変。もう八時なのに。こんな時間に町に行くだなんて不自然」
メアリーは講義室を出て行き、正門を出ると、三人の後をこっそりつけていった。
橙の街灯が並ぶ石の街。夫婦やカップルが仲良く歩いている。立ち並ぶ店から零れる灯り。硝子の向こうにあるコートを彼女が指差し、彼氏が立ち止った。
このソナリカの街の平穏な夜を三人の学生が横切っていく。大通りからだんだんと暗く狭いところへ。
「おいおい。どこにいくつもりだ?」
「ついてきて。ごほっ。大丈夫だから」
「……(人気のないところ、というか衛兵のいないところを通っていってる)」
レオンはキョロキョロと目が落ち着かない。寒さのせいか少し震えてもいた。暗い路地裏を進むから不安になっているようだ。
「本当に明日の試験、合格できるんだよな?」
「はい。信じてください。あの人に掛かれば間違いないです。私だって。ごほっ」
「風邪ですか?」
「ええ。でも大したことないです」
ネズミが走る。二人を睨む猫の瞳が街灯のよう。
すすり泣くように風が吹いた。破れ紙切れになった新聞紙が舞う。
誰もいない。だから誰かに襲われるだなんてことは無い。なのに誰かがいるような視線がある。
レオンはブルブル震えた。完全に恐怖に侵食されていた。しかし後ろに道はない。すでにここは迷路。帰ろうにも道がわからない。
止まった。
行き止まり。
そこに全身黒い衣装の男がいた。男かは定かではない。背は175cmくらいの細身から二人はそう推測した。
顔が見えない。フードと暗闇でわからない。だから男が話しているのかもわからない。
「この二人が君の紹介したい子たちなんだね。いいだろう。ついてきなさい」
声色は老婆のよう。決して若くはない。
キーン。黒の男はすぐ近くの廃屋の戸を開け、二人を誘った。エリスが先導する。
天井からカンテラが一つぶら下がっている。中は机の上に椅子が乗っているように片付けられていた。埃がほとんどない。
ガチャリ。黒い男は後ろを塞いだ。
「……」
黒い男は軽やかか、落ち着いて二人の前へ。そこにタンスがある。黒い男はタンスを開くと、何も入っていない。先板を手で引いた。
隠し扉。奥へ案内する。
奥は。
――円形の石の台座の上に五芒星の描かれた布が乗っている。松明が台座の周りを囲み、壁にはヤギや牛、馬などの首が立て掛けられている。鍋が置かれていて、中には砕かれた骨が入っている。
石の狭い部屋。儀式めいた空間。淀んで重苦しい雰囲気。
そこに白い煙が漂う。黒い男が手に持っているカンテラのようなものから出ている。甘く辛く力の抜けるような香りがする。
「なんか。暖かくなってきたかも……」レオンは落ち着いたようだ。
黒い男は手でレオンを誘った。レオンは台座の上へ寝転んだ。男はレオンの服を脱がしていく。レオンは抵抗しない。ただ眠たいようだ。
エレノアの目つきが変わる。明らかに黒だ。
「今から何をするつもりですか?」
「エレノアさん。見ていてください」エリスがエレノアの頬を甘く撫でた。
「な、なにするんですか!」エレノアは手を振り払った。
黒い男はレオンの身体を撫でながらエレノアへ囁くように見つめた。まるで舐めるようにエレノアへ声色を漂わせる。
「人間は不完全な生き物だよ。欲望はいくらでもあるのに能力はどうしても生まれつき。健気に努力しても都合であしらわれる。必要なのはそれさえも越えうる才能なの。でもどうしても人間には限界がある。だから魔術があるの。でも魔術も使える人が限られている。でも幸運にも君たちはこれくらいなら使える。私は教えてあげているの。あなたたちがもう、自分には価値が無いと思わないようにこの魔術を。あなたたちの劣等感を消し去ってあげる」
エリスがまるで真似したように話し始める。
「私、フライさんに会うまでなんにもできない人間だと思っていた。でも今は全てが素晴らしい。これが愛なんだって気づいたの。素晴らしいことだよね。ねえ、だから分かち合いたいんだ」
エリスはエレノアを後ろから抱きしめてきた。エレノアの身体を艶めかしく触っている。
エレノアはそのせいでやや混乱してしまった。
黒い男は畳みかけた。
「私たちは生まれかわることができる。完全な存在になることができる。お互いに憎まない。争い合わない。愛し合うことができる。だからあなたも――」
男の目はあまりに完璧なまでに真ん丸だった。
そのとき、
――ガタン! 入口の方から物音がした。
途端に今までの甘い空気が消え去り、男がそこへ早歩きしていく。エリスも追った。
エレノアは男がいなくなって正気に戻ったらしい。レオンを叩いた。
「起きてください」
「まだ。俺はまだ。まだ」
「なにかおかしい」
「きゃー!」
悲鳴。エレノアは急いだ。
そこにはすでに。
メアリーが腹から血を出して倒れていた。かなりしんどそうな表情で見上げていた。
血が滴る短刀。
それを握りしめているエリスを。
返り血で真っ赤でなお、目を見開き、人で無いような狂気に満ちたエリスを。
「嘘? なんで?」
エレノアは信じられず、固まってしまった。
エリスがメアリーを刺した。
そもそもなぜメアリーがいるのか。
エリスが何の躊躇いもなくメアリーへ忍び寄るのか。
――メアリーを容赦なく何度も刺すのか。
血が散る。
悲鳴が散る。
血が散る。
悲鳴が。
だんだんと小さくなっていく。
「なんで?」
もうメアリーは動かない。
エレノアは膝から崩れ落ちた。メアリーが死ぬこと、エリスが殺したこと。気持ちの整理ができず、ただ血塗れの現状に見果てていた。
その小さな少女の肩をさっと黒い男は触った。
「もうわかるよね?」
――わからない。
エリスがこちらへ振り向いてきた。まるで何もなかったかのようにさっきまでの幸せそうな表情をしている。その笑窪でメアリーの血が濁っているというのに。
誘惑と殺戮。
エレノアに瞬間、生じたのは
――友達を殺して笑っている女への殺意だった
――それでもエレノアは、、
「何か訳があるはず……」
黒い男はわかっていた。
少女の小刻みに触れる柔らかい肩、熱から。
激動と信念。
だから男はフードを捲った。捲らないわけにはいかなかった。
なぜならまだこの少女は気づいていないのだから。
男はゆっくりと少女のか弱い頬をなぞって、自分のほうへ向かした。
「私も人間よ」
真丸い二つの目。
細い窪みのような三つ目の目。
大きすぎるタラコ唇。
大きく前に垂れ出る鼻。
天へ長く尖がった耳。
――人生最高の笑み。
「まだ自分に魂の自由があると思っているなんて愚かだねぇ」
エレノアの青春は砕け散った。
男は魔物だった。




