40.電光石火少女VSアスチルベのルビー
晴れやかな空の下。グラウンドの上。白線の五十メートルに沿い、女学生たちが二人並んで走る。
短距離走。体力テストというやつである。
女学生たちがゴールの線を踏無と同時に体育教師の男が時計を止めた。
「はーい。8.8秒、9.0秒! まだ上げられるよ、次、頑張っていこー!」
筋骨隆々の体育教師が息切れする女学生を励ますのを、エレノアとメアリーは離れたところから見ていた。
エレノアが三角座りをして、走る女子を見る隣り、メアリーは入念に準備体操をしていた。
「(セラフィナさんが、失踪者は学力だけじゃなく体力も急激に上昇する、と言っていました。カルロスから貰った名簿には体育の成績は記入されていませんでしたが、犯人は運動能力が低い子を狙っているかもしれませんし、覚えておこう)」
「ミラさん8.0秒なんだ。速いけどまだまだ」メアリー屈伸。
「メアリーさん。やる気満々ですね」エレノアはやや引いていた。
「文武両道。完璧主義なので!」
「凄いですね……」
「見習うべきですよ。首席ですから」
「高慢さも凄いですね!」キラッ。
「そうですよ! え、今、なんて?!」ぐにゃっと屈伸が崩れた。
マリーとドレイクがスタートラインに立った。マリーは手を伸ばしている。ドレイクは欠伸している。
「最近あんまり運動してないから不安かも」
「べつにー女子って運動神経悪くても良くなーい?」
「普通の女子ならね。私は違う」
「流石。お姫様!」
「うっさい。置いていくから」
「いいよ。小さなお尻が好みだから」
「……あんた、いつもそうよね」
「光栄です!」
体育教師が旗を下げる。
「じゃあよーい!――どん!」
旗を上げた。
前傾姿勢からマリーのファーストステップが速い。地面を蹴って軽やかに駆け抜けていく。なぜそんなに速いのか。彼女の小さなお尻ににやついている銀髪パーマ(ポニテ)と比べてみよう。
彼女、ドレイクの身長は172cm。足が長く、美脚が目立つ。走力が足の長さや身長に大きく関係するわけではない。しかし彼女の大きな胸はどうだろうか。あの揺れて大きく弾む巨乳は。
比べてどうだろうか。マリーの細い体は。身長は167cm。小さくて可愛らしい。だけでない。胸もさほどなく、空気抵抗がない。彼女の揺れるのは艶やかな短い髪と、その真丸い目に浮かび上がる闘志の炎だけである。
今、白線を踏んだ。
「7.1秒! あ、あと8.7秒ね。お尻ばっか見てんな!」
「良い眺めでした」手を合わせてごちそうさま。
「報告するな!……まぁまぁね」
マリーはすっと去っていった。
先ほどの解説にはアレンジが加わっている。元々あの解説はメアリーのものであり、彼女の正真正銘とは、
「生まれつきの運動能力とセンス。あとは自分に適した走り方を勉強していたのでしょう。でも一番は貧乳だからで、貧乳だから速いだけですね」
「なんか、私怨がある気がする……」
「そろそろ私たちですよ。エレノアさん、頑張りましょうね!」
「あ、はい」
トコトコと二人は列へ並びに行く。
今はぼさぼさ黒髪の少女が一人、走っていた。
メアリーが止まった。エレノアは不思議に思った。
「8.2秒! あら、随分速くなったね! でも満足せず、次は超えてけよ!」
体育教師の言ったタイムでメアリーは確認していたみたいだ。自分の感覚を。
「どうかしたのですか?」
「いえ。私の記憶が間違っていたのでしょう。あとでノートを確認しますけど」
ぼさぼさ黒髪の少女は教師に褒められても全く嬉しがるようでなく、向こうで平気にしているマリーを見上げていた。暗い暗い顔で。
体育教師は今までの記録を確認していた。
「(次で一回目最後ね。ここまでの最高タイムはマリーちゃんの7.1秒。この感じなら今年もマリーちゃんが学内一位になりそう。でも今年はちょっと変・わ・る・かも♡)」
一方、エレノアとメアリーはスタートラインについていた。
メアリーは依然として肩を回している。
エレノアは特に何もせず――ふみっ――前屈みになった。
メアリーはそれを見て止まった。
「なんですかそのポーズ」
「え、何か間違っていますか?」
「そうではあるけど。べつにいいでしょう。うん!」
アホなエレノアのポーズとは違い、メアリーはクラウチングスタートのポーズを取った。エレノアは間違いなく走れない。ポーズからして明らかだとメアリーはわかった。絶対に自分が勝てる。この優越感への予感が今、彼女の善意を超えた。
「よーい。どん!」
旗が上がる。
メアリーは想定通り。いや、それ以上に最高の一歩を踏み出した。今日は調子が良いと確信した。
「(これなら7秒台を出せるかも!)」
ズィィィン! そこの横に何かが走った。
「え?」
疑うまでもない。メアリーは二歩目、三歩目。顔が上がって嫌でも理解ってしまうのだ。
――金の彗星。
回る脚の影すらとっくに置いて行っている。ぶつかるはずの風さえ、怖がって自ら避けている。
速い。速すぎる。メアリーが前を向いたとき、エレノアは酷く遠退いていた。まるで時空が捻じれているかのように。
メアリーが四歩目を出したとき、エレノアはすでにゴールしていた!
「6.6秒? え、ほんと?」
驚く体育教師の横を黄金の風が通り抜けていった。その姿を確認しようしたとき、彼女はまるで今までそこにいたかのように止まっていた。
「あ、8.1秒ね」体育教師、後ろ向いたまま。
「エレノア。速すぎ。あんなのできないって普通!」半泣きメアリーだった。
「え。6.6秒って言ってたよね?」女子A。
「今のって、エレノアさん?」女子B。
エレノアの走りを見た生徒が噂をし始めた。
遠くからうさぎ小屋のうさぎを眺めていたマリーにもドレイクが教えていた。
「ちょっと。ヤバいって! 6秒台だって!」
「へー」
「聞いてる? ヤバいんだって!」
「聞いてるって。うさぎ可愛いよねって話でしょ」
「うさぎの話なんかしてない! 可愛くないし!」
「は? 可愛いだろ」
「え? 可愛いの?」にやり。
「べ、べつに可愛くなんかねえよ!」照れ。
「マリーのほうが可愛いよ」
「うぜえ。で、なんだよ。6秒台がどうした――って6.6秒!? 誰が!」
「コンマまで言ってないし。聞いてたの?」
女子たちがエレノアのほうへ集まっていく。エレノアは何が何だかわからない感じであるが、なんか褒められているので物凄く照れていた。
マリーはその光景に気づいた。新入生がやったのだと。すると兎を狙う蛇のような怖い顔つきになった。
体育教師がエレノアのほうへ駆け寄っていく。
「あ。ちょっと止めて!」
ぞろっと女子たちが開けた。
「あんた。新入生のエレノアちゃんだったわよね?」
「え、はい。なんで女口調?」
「ごほん……エレノアァアアアアアアアアア!!! 俺と勝負だァ!! お前と俺の限界を引き出すには互いに戦い合うしかねえなァアアア!!」
「えっ、ええ?」
メリメリメリ……体育教師の大胸筋がはち切れんばかりに膨らんでいく。上腕筋がジャージをピチピチにする。そそり出る汗。男の汁。体育教師の身体からは真っ赤なオーラが滲み出ていた。
ドガドガ……男は重機のようにスタートラインへ歩いて行く。エレノアを置いてけぼりにして。
しかしそこにマリーがやってきた。
「先生。先生が走ったら誰が記録をするのでしょうか」
「なんだとォ?」
「記録時計には生徒のタイムが記録されています。あとで確かめるときに誰かが改竄しているかもしれません」
「マリー。そんなちゃちなことをしたら俺がそいつを調教するだけだァ」
「そしたら解雇されますよ。キノコ先生ともお別れですね」
「キノコ先生……そ、そうだわ。そうなるのかしら。あら、でも困ったわ。俺の! 興奮が治まらねぇわ。それにエレノアさんの限界を引き出してあげたいし……」
「我慢してください」
「そんなぁ! 独裁者! 帝国主義! オネエ迫害!」
「言い過ぎ……でもエレノアさんの本気なら私が出させますよ。というか――」
繕い微笑んでいたマリーが殺戮者の如く目を尖らせた。
「次、私があの女を叩きのめすからそこに立て」
「ああ、その目、ほ・ん・と・に、魅力的♡」コイツダメだ。
マリーとオネエの一連を見て状況に混乱しているエレノアの前にマリーがやってきた。
「あんた。準備しておきなさい。全員が走り終えた、最後に勝負よ」
「え、なんでですか? 私、メアリーさんと走りたいです」
「メアリー? そんなやつのどこがいいの? 私と走るの! 絶対に!」
「嫌」
「決まったことだから!!」
マリーはうさぎ小屋のほうへ去っていった。
エレノアは未だ納得できていない様子であるが、メアリーは?
「私なんか、雑魚なんです。どうせ努力したってあんな逸材には勝てないんです。どうせ裁判官になったって盗賊や政治家に買収されるだけなんです。あはは……」
「滅茶苦茶凹んでる……」
もう一回、自分と走れる様子ではない。エレノアは仕方がないと受け入れた。
次々と女学生が2回目の短距離走を走っていく。体育教師は区別なく生徒たちを励ましたりするものの、本人たちは自分たちの記録よりもエレノアとマリーの勝負に興味を寄せていた。
うさぎ小屋では。
「はいはい。いっぱい食べなー」餌やりにこにこドレイク。
「うさぎなんかクソ喰らえだわ!」入念に準備体操するマリー。
「え? さっき可愛いって言ってたじゃん」
「言ってないし」
「あ。ウサギと亀ってこと? 抜かれんじゃーん!」
ドレイクと網戸の間を剣が通り抜けていった。ドレイクはなおも怪しい面持ちだった。
「冗談だって~マジにならない~」
剣の来た方向、白い肌に血管が浮かんだマリーが手に魔法粒子を込めていた。
「ごめんってー」
「もういい! しばらく口聞かないから! ふん!」
「あー嫌われちゃったー。うさちゃん。こんな私を励ましてー」
従順なウサギにニンジンを食べさせるドレイクだった。
それからしばらく。
ついに勝負の頃が近づいていた。
あっちでは黒髪の子が走り終わっていた。
「7.1秒! はいはい。いい感じね!」
この体育教師、区別が無いというわけではなく頭の中、エレノアのことばかりのようだ。
次の次にマリーが並んでいた。
そこにエレノアが走り込んできた。
「すいません。ちょっとお手洗いに行っていました」
「飛んだ腰抜けだと思ったわ」挑発。
「残念ながら」躱す。
「あっそう」
二人の間に言葉は無かった。この期に及んで所作もない。ただ視界が開けるのに退屈しているだけだった。
ここでドレイクがクラスメイトにインタビューをしているようだ。
「ねぇねぇ。正直、どっちが勝つと思うー?」
「えー。エレノアさんだよね。6秒台とか人間じゃないもん」
「なるほど。そちらの君は?」
「マリーさん。っていつもなら言うけど。無理じゃない?」
「なるほど王族だから贔屓してたけど真実には勝てないと」
「そういうわけじゃないんだけど……」
とことこ。
「べつの子に聞いてみましょう。優等生でお馴染みの、メアリーさん」
「あ。うん。なんだっけ?」
「次の一戦、エレノアとマリーどちらが勝利すると思いますか」
「なんだっけそれ? あはは。ごめん」
「電光石火六秒少女とアスチルベのルビーの戦いですよ!」
「六秒? あはは。私、9.8秒だし。遅くなったし。あはは……」
「ということで現場からは以上です」
どういうことなのでしょうか。
ついに二人がスタートラインに着いたようです。会場にはクラスメイトの女子だけでなく、騒ぎを聞きつけた学生たちが集まっています。
アスチルベ学院始まってからの一戦! 勝つのはアスチルベの姫君、マリーか! それとも電撃転校生のエレノアか! 貧乳のマリーか! ちょうどいいエレノアか!
「ちょうどいいエレノア~!」歓声。
「誰だ!」エレノアがキレた。
今、二人がそれぞれ独特な前傾姿勢とクラウチングスタートの姿勢をとりました。ゴール地点にいるロック先生が旗を下ろし
「よーい!――どん!」
今、旗上がりました! 二人、一斉に飛び出した!
マリー。炎のファーストステップ! 前傾姿勢からの見事な二歩三歩! 先ほどよりもスムーズにそして大胆に一歩、一歩! 強く地面を踏んで加速し、駆け抜ける!
速い! 速い! マリーの前には誰もいない! 何も無い! 黄金の雷撃も! 風でさえも! 揺れる胸も!
「貧乳のマリ~!」歓声。
「殺す!」キレた。
しかし変だ! ならエレノアはどこにいる?
少し時間を戻そう。
今、旗が上がりました! 二人、一斉に飛び出した!
エレノアは!
――ズドン! ズドン!
ズドン……。
つま先を地面にぶつけ、頭から地面へ! 盛大に転んだ!?
見事な転倒。エレノアはスタート地点、ファーストステップで転んでしまった!?
思わず観客一同、
「え?」
唖然だ。あれだけ熱狂していた会場が静まり返っている。
当のエレノアは起きない! 嘘のように! 布団のように倒れている! 頭をひどく打って気絶したのでしょうか?
「(やらかしちゃった。恥ずかしい。起きたくない。うわぁ、無いよね。こんなの。あはは)」
起きない! エレノア、このまま医務室送りか? 自分で盛大に転んで医務室に行くのか?
「いや、そんなの馬鹿すぎる!」
起きた! 走った! ゴールした!
タイムは、
――11秒。
「……頑張った。俺はそう思うよ」
と、体育教師の暖かくも冷たい手がエレノアの肩に乗った。
観客たちは不平不満を言いながら散っていく。
最悪の雰囲気であるが、向こうに一人だけ楽しそうにゲラゲラ笑っている青い髪の男がいるような、いないような。
こうして注目の一戦は幕を閉じた。
エレノアはマリーの後ろ姿を見つけると、申し訳なさそうに声を掛けた。
「あ、あの――」
「話しかけないで。興覚めだわ」
「あはは……」
――キンコンカンコーン。そのまま授業が終わって昼休みになった。
体操着の女学生たちは散り散りになっていく。
恐ろしいほど静かなマリーの背中をドレイクが乗ってきた。
「えーい! しょげすぎてワロス!」
「べつにいいでしょ」
「うん。よかった! 6.5秒でしょ? あとちゃんとエレちゃんの記録破ってたじゃん」
「本当はそう思ってないでしょ? 絶対、アイツ、本気出してない。一回目も」
「そうかな? 私、あんな派手に転べないよ。演技でも」
「演技なら殺してるわ」
「怖い顔してるよ? やめな?」
ドレイクが指でマリーの頬を抓んでニコッとさせた。
マリーはうざったそうに振り払った。
「恥かいたわ。忘れてやる。あんなやつ」
「それがいい。私は死んでも覚えてるだろうけど」
「あっそ」
一方でエレノアは一人、グラウンドの真ん中。泣くことも無く下を見ていた。
転校生エレノア。その正体は勇者であるが、早くも量産される黒歴史に耐えうるほどの勇気があるのかは懐疑的だ。
「あはは。私ってやっぱり……」
そこへ黒髪の子が悪笑滲ませ、近づこうとする。
しかし話しかける前に。
「……でも気にしてもしょうがないか」
とエレノアは寂しそうに言葉を吐いて、食堂へ歩いて行ってしまった。
食堂へ行くとメアリーがエレノアの席を取ってくれていた。彼女なりの優しさだった。エレノアは少しだけ気持ちが軽くなった。




