32.フルールは助からない
白亜街への階段は三か所ある。一つは中央。下町の大通りから上る階段。あとの二つは東と西にある。うち東はそのまま議事堂へ繋がっている。
不運なことにエンヴィはついにそこまで来ていた。
そして幸運なことにフルール及びエンヴィ対策部隊がすでに待ち構えていた。
「一斉掃射だ! 撃て撃て!」
屋根の上にいる、不気味な黒い影へ矢が放たれる。
エンヴィは傘をさすように自らの手を大きく広げた。盾にしたのだ。
まるで黒曜石の盾に、矢は容易に弾かれ、地面へ転がり落ちて弱弱しく鳴いた。
「あれに勝てるのか?」衛兵の手が震えていた。
「馬鹿言うな。勝てるわけないだろ! だから殺すんだ!」フルールは刺剣を抜いた。
「言ってること無茶苦茶ですよ!」
「知るか! 撃て! 撃て! 矢が無くなるまで撃て! 無くなっても撃て!」
夜を川のように矢が降る。
星々を隠す曇り空さえも隠す矢の軍勢を、また嘲笑うようにエンヴィは手を広げた。
その町さえ握り潰す両手を伸ばして、ぐるぐると回った。まるでコマのように。ドリルのように。
暴風が矢を揺らめかし、ついに吹き飛ばしてしまった。
「嘘だろ」
「だから手を止めるなって! 懲戒処分にするぞ!」
「死ぬよりはマシです!」
「ぐぬぬ……」
「フルール様。どうしますか! 今、都市にある勢力じゃ、あれに勝てるかどうか」
「勝てるさ! 勇者様がいるからな! どこに行ったかわかんないけど!」
「に、逃げたのでは……」
「なわけないだろ! そんなの許さない!」
「フルール様! だったらどうするんですか!」
「時間稼ぎだ! 撃て撃て!」
「もう矢がありません!」
「ふぅ~ん? だったらあげるよ?」
屋根の上にいたエンヴィが屋根を引き裂き、尖がった破片を指の間に挟んで一軍へ投げつけた。
矢は嵐のようにだった。衛兵を簡単に串刺しにした。
フルールは倒れた衛兵を盾にしてなんとか生き延びたが、部隊はほとんど壊滅してしまった。
「役立たず! くそ! 私だけか! 生き残ったのは! どうしろっていうんだ!」
「ええええん!」
「誰だ泣いているのは! 泣いている暇があったら戦え!」
「赤ちゃんに厳しいねえ?」
エンヴィが赤子の頭を掴んで見せびらかした。
泣く赤子は血塗れだった。それが誰の血であるかは明らかだった。
「来いよ。腰抜けちゃん」
フルールに指クイクイ。
フルールにも道徳があったらしい。
「もうどうにでもなっちまえよ!」
フルールは屋根へ飛び上がった。エンヴィと対峙する。その足は――ガタガタ震えていた。
「だって勝てるわけない!」
「コ・ロ・ス♡」
「ひぇええ! くそがぁああ!!」
フルールは刺剣で斬りかかった。
しわくちゃな顔して襲い掛かってくる人間を面白がったらしい。エンヴィは満面の笑みで赤子を投げ飛ばした。
「クソめ! それじゃ私がクズみたいじゃないか!!」
フルールはその子を追って急転換。
「だったら手伝ってあげるよ」
その腹を蹴り飛ばした。
フルールは血反吐を吐きながらも転落する赤子を抱え、地面に転がった。
「外道め」
「魔物に騎士道があるのかな?」
「よし。赤子。逃げろ。逃げられない? ハイハイでいい。ここはフルールがどうにかする。絶対に逃げて、美人な親戚がいたら私の活躍を自慢しろ」
「えええええん!」
「ありがとうございます、フルール様だろうが! クソ」
フルールはシールド魔術で赤子を囲って適当に転がして遠くにやった。
フルールに赤子を抱えて逃げる余裕も戦う余裕もなかった。とにかく遠くへやって、自分がエンヴィを引き付ける。それしか浮かばなかった。
「第四騎士長、フルール。行くぞ!」
エンヴィがずっと高いところにいるからもう一度屋根へ上る。
ものの蹴り落とされるフルール。
もう一度と上ろうとするもまたしても蹴り落とされてガミガミ文句を言う。
「戦う気があるのか!」
「ないよ」
「だったら逃げてもいい?」
「駄目。コロス♡」
「なんでだ!」
「いっひっひぃ~♪」
フルールはガタガタ震えるだけでなく内股になっていた。ちびりそうだった。
しかしこの男も名誉ある第四騎士。決して逃げない。というか逃げられない。ので勇敢にまた屋根へあがった。
蹴り落とそうとする足を弾いて、屋根の向かいへ。
「早く勇者様。来てくれよ……お願いだから!」
「いっひっひぃ~」
「ひぇ~」
エンヴィがフルールへ飛び掛かり、蹴り飛ばした。またしても地面へ落ちた。
エンヴィはサッカーしたい気分だった。
下町は閑散としていた。選挙会場、屋台通り。酷い光景から惨劇を想像し、エレノアは自分を悔やんでいた。
「私がもう少し早く来ていれば。ここにいた人達だって。それにあの二人だって……」
瓦礫がわずかに崩れた。風かと思ったが、耳を澄ますとわずかに息の音がした。エレノアは急いで走った。そこには強面の男が倒れていた。
「まだ生きてる。治癒をしないと。でもまだエンヴィが暴れているに違いない。治癒をしていたらまた犠牲者が。でも!」
「……行け」
「ごめんなさい……!」
エレノアは男を置いて走り出した。
わざとらしく家の壁に血の足跡があった。屋根を走っていたのだろう。エレノアは飛び上がると駆け抜ける。
そう過ぎ去るただならぬ少女を、ブルドクは微笑んで見送っていた。
「あーでも」
――そうやって恰好ばっかりつけるところが好きじゃない。
だからそいつを持ち上げて俺も屋根を走った。
「どこへいくの!」リューが叫んだ。
「決着を付けに行く」
「ええ?」
「そうはさせないぞ!」
とぞろぞろやってきたのは道場の雑魚たち。ハチマキを頭に巻いてやる気満々って感じだ。
「ここにある死骸は昨日、お前らを倒したヤクザたちだぜ。悪いこと言わねえ。お前らは帰ってろ」
「エンヴィを倒して名を挙げる――だなんてもう思っちゃいない。ここは俺たちの町だ。エンヴィと戦わなきゃ気が済まねえ!」
「気持ちだけにしとけって。言ったって聞かねえんだろうな。好きにしろ。お前らなんかどうでもいいからな!」
下町にだんだんと騒々しさが戻ってきた。
背中でくたばっているブルドクが掠れた声でまだなんか言ってやがる。
「下ろせ」
「断る」
「死なせろ」
「格好つけるなって」
無慈悲な拳骨が瀕死のブルドクを襲った。
エンヴィは家を切り裂いて怒号を上げていた。
ご立腹なのはもちろんフルールのせいである。
フルールは家の陰、浮浪者の横で隠れていた。暴れまわるエンヴィを覗きながら。
「なんだの。あれ」
「話しかけんな。ドブカス」
「金くれんか」
「話しかけんな。ドブカス」
「そうはいわずに」
「ぶっ殺すぞ!」
そう振り向くと、浮浪者が先ほどの赤子を抱えていた。
フルールは勢いを弱めた。
が、もう一度通りを見たときだった。
「み・つ・け・た♪」
キラン。目と目が合った。恋するエンヴィの眼は血走っていた。
もちろんフルールは一目散に逃げる。
「ああ、あああ……」
「げっ、ドブカス!?」
そしてフルールは一目散に逃げた。赤子を抱える浮浪者を引っ張って。
後ろから瓦礫が矢のように飛んできても。
スタイリッシュにまた物陰へ滑り込んだ。
「学院で習ったクソ隠密魔法を使うことになるだなんて思わなかった」
「これが魔法?」浮浪者。
「そうだ。騎士長の名誉ある魔法だ」
「どこだーん?」エンヴィ、くるくるくらり。
「そのまま私を探してくれ……」
「ところでミルクありますの?」
「あるわけないだろ!」
「もう面倒だし、城へ行っちゃおうかなぁ?」チラチラ。
「もう、そのままどっか行ってくれよ」
とフルールが物陰から顔を出すと、そこにはエンヴィの真っ黒な顔があった。
触れそうな距離である。
フルールは気づいた。意外とエンヴィの唇がプルプルしていることに。
「誰得情報だ!」
「み・つ・け・た~ん!」
「うぎゃあああああああああああああ!」
バタン。急げ急げ。ムガムガ。
慌てて逃げようとするも顔を掴まれて足が浮いている無様なイケメンだった。
「やめろ! 私は名誉ある騎士なのだぞ!」
「やめな~い」
「やめろ! これは命令だ!」
「だから私、騎士じゃないし?」
フルールがバタバタと暴れる間、浮浪者はぼーっとその様を見つめ、やや嗤っていた。
が、フルールのアイコンタクトにやっと気づくとノソノソと赤子を抱えて逃げ出した。
エンヴィは遅れて、それに気付いた。
「あんなのを助けたところでどうでもいいんじゃないのーん?」
「どうでもいいね。私は名誉ある騎士だ。だからどうでもいいから生きろと言ってやるのさ」
「演じてるよねん?」
「当たり前だろ」
「ふーん!!」
エンヴィはフルールを投げ飛ばした。
少女がちょうどそれを避けた。
そのせいでドブに突っ込んだフルールだった。
が、元気よくすぐ起き上がった。
「なにをする!って勇者! やっときたか!」
フルールは目を輝かせていた。
実際にエレノアが光輝くよりもずっと。
そこに現れた勇者に寸分違わず救いを求めたのだ。
まるで騎士に向けられるべき期待のようだった。
「やっときたかじゃありません。早く逃げてください」
「ああ! そうさせてもらう!」
フルールはお利口にドブを蹴って走り去っていた、
――そうしようとした。しかしフルールは立ち止った。気付いたようだ。
「調子に乗るな。勇者。第四騎士長の私が逃げるとでも? 部下を殺され、逃げる腰抜けだと? 私は騎士だ! 命より大事なものがある! 誇りだ! 逃げる訳が無いだろう!」
「だったらなんで……樽の後ろで震えているのですか」
「ガタガタガタ」もちろん内股。
「茶番は終わったカナ? やっときてくれたんダネ。勇者ちゃん♡」
エンヴィがガタガタ笑っている。目は依然として血走り、見開いたまま。格好の獲物が来たと喜ぶように。魔物らしく怒っているかのように。
「可愛いねぇ」
「話すことは何もありません。すぐに終わらせます」
エレノアは剣を構えると一瞬で光の刃を纏わせた。白く丸い彼女の顔に皴が浮かび上がっている。エレノアは激怒していた。
エンヴィはそれもまた可愛らしいと笑おうと口を開き、真っ白な歯を見せようとした、そのとき
――光の一線がエンヴィの片腕を叩き潰した。
「勇者ァ!?」
「すぐに終わらせると言いました!」
追撃。少女の透き通るほど無慈悲な刃はエンヴィの細い首を狙っていた。
エンヴィは笑う余裕なく、のけ反った。
すればエレノアはその胸へ剣を突き刺そうとした。
エンヴィは危機一髪、長い足でエレノアを蹴り上げる。
「速い!?」
受け身を取るもエレノアは家の上まで飛ばされた。
エンヴィはわざとらしくありもしない額の汗を拭く動作をした。
エレノアはなお空中、水の魔法、水の球をエンヴィへ解き放つ。
エンヴィはそれを受け止めた。
「ほんとに汗掻いちゃった」
着地。
エレノアは恐ろしいスピードでエンヴィへ斬りかかっていく。
エンヴィはそれを受け、カウンターを狙っていく。
しかしエンヴィは真顔だった。ふざける余裕などなかった。
「(反撃する暇がないなぁ)」
凄まじいエレノアの連続攻撃。
身を守るもエンヴィの体の隅々に光の刃がぶつかっていく。
ここで解説役になりたがったフルールが何か気付いたようだ。
「エンヴィ。まさか。怯んでいるのか? だから反撃できない。光の力だ。効いているのか!」
「ダレニイッテルノデガス?」浮浪者。
「黙れ! てかお前、逃げろって!」
エレノアの攻撃を受け、エンヴィは押されていた。
エンヴィの長身と長い手足は至近距離のこの猛攻を防ぐにはミスマッチだった。
「(勇者ちゃんの可愛いお顔が近い。汗掻いちゃって可愛い。舐めたい。でもそんな余裕ないよぉ)」
それだけではない。だんだんとエンヴィの動きが鈍くなっていく。
「光が貫通して麻痺してきているんだ! いける! このままいけば! エンヴィを倒せるぞ! 行け! 勇者様!」
「ヒーローショーのお姉さんみたいデガス」
「黙れ!!」
その通りだった。エンヴィの挙動は確実に遅くなり、ついに、
――勇者の攻撃が直撃した。そして固まった!
「これで終わりだ!」
エレノアは剣に光を纏わせる。今までの比ではない必殺の一撃を刃へ込める。
決して短い時間ではない。しかしエンヴィは完全に麻痺していた!
「いける! やれ!!」
叫ぶフルール。
光の剣を振り落とすエレノア。
「喰らえぇええええええええええええ!」
少女の柔らかくも勇敢な声が響いた。ともに閃光が煌めいた。
闇一色のこの夜に流れ星がやってきたかのように。
流れ星はそうして落ちるのだ。
光の後にあったのは、
――切り裂かれ、倒れた少女の姿だった。




