27a.威を借る狐(前)
その夜の発端は白亜街。
煌びやかな街の西側。照らす街灯の橙色が陰っていく。
細い路からみすぼらしい老婆が出てくると人目を引いていた。
老婆は歩く紳士淑女とは逆の白亜街の端のほうへ端のほうへ、ふらつき慌て、走っていく。
「エンヴィだ! エンヴィが出た!!」
老婆はやっと衛兵を見つけると雪崩れるようにその鎧を掴んで喚いた。
「エンヴィが出た! エンヴィが出た! そこを降りてすぐのところだ! エンヴィが!!」
「エンヴィ? 連続殺人犯のことですか?」衛兵が聞いた。
「そうだ! エンヴィウォーカーだ!」
流れ星の様な華やかな星空で白亜街はどよめいた。
衛兵は戸惑った。そこを誰かもわからない紳士が「なにをやっているんだ!」と注意するとやっと走った。
衛兵は急いで下町へ下りていく。
するとちょうど城から衛兵が数十名がやってきた。
「何だこの騒ぎは!」
「エンヴィだ!」
「なんだって?」
「ここの警備にあたっていた兵がいません!」
「一人で行ったのか? 行くなと言ったはずなのに。お前らは現場に急げ、こっちはここの警備をする」
半数の衛兵が走っていった。
そこにあった挑発的な足音は複数の足音に埋もれ、影を消した。
前髪をなぞりながら階段を白亜街へ下りてきた一人の青年がいた。
派手な鎧を着込み、余裕の笑みを浮かべている。
そんなのはフルールしかいない。
「落ち着いてください。皆さま。私はここは安全です。私が保障しましょう」
「フルール様。白亜街からしばらく下りたところで男が死んでいました。死体の状態からして間違いなくエンヴィウォーカーだと」
「被害者の身なりは?」
「恐らく労働者かと」
「そうか」
「現場に足跡が残っていました。足跡は南へ向っていました。途中で途切れていて今、その辺りを探しています」
「ふむ。南か。なら良い。衛兵を戻せ。警備にあたらせよう」
「しかし。ここで追わねばさらなる被害が」
一連の会話を聞いていた周りの淑女がコソコソ。
「え。フルール様ってヘタレですの?」
「犯人をみすみす逃がすとか。ヘタレですわね」
「いいのは顔だけですわ」
「よく見たら雑誌で見たほどイケメンでもないですわ」
ので。
フルールは持ち前の刺剣を月へ掲げた。
「よし。追おう」
「えぇ?」
「私も行く」
フルールは満を持して()下町へ。
淑女紳士が拍手して彼を見送る。
記者もぞろっとやってきてそのイケメンを写真に納めた。
からの一言貰おうとした。
「フルール様。またエンヴィウォーカーが出ました。どうされますか!」
「相手は魔物だ。身の程を思い知らせてやろう」
その内心――次の次の選挙出てみようかな。
言わずとも明らかに浮かれた心と右足一歩。
階段から浮いたところを後ろからぐっと引っ張られ、カメラに驚いて転ぶ間抜け面が映った。
あーあ。
「誰だ! 今は仕事中だ!」
「フルールさん。そっちじゃありません」
「だから誰だと聞いているんだ!」
「これまでの事件からしてエンヴィが下町の住民を狙う理由がありません」
「相手は魔物だ。理性などない。ところでお前は誰だ?」
「習性があります。魔物には。多分、エンヴィは白亜街を狙っています」
ざわざわ。イケメンを困らせるその女に嫉妬する淑女たちざわざわ。
隣りの紳士「もっとやれ」とうおうお。
「わかった。根拠は? あとお前は誰だ」
「勘です。兵はそっちにやっていいですからもう一人くらい人手が欲しいので」
「勘だと? ところでお前は誰だ?」
「いや、あの。勇者ですけど。さっきから見えていますよね? アホなのですか?」
フルールは勉強を頑張って騎士になった努力家。しかし文章ばかり読んでいるとこういったことにもなろうか。
エレノアはフルールの不機嫌を引っ張って白亜街を東へパトロールした。
しようとした。そのとき西の奥、街灯の下に倒れている衛兵を見つけた。
その向こうには門と住宅街がある。
右に引っ張られて左に引っ張られてフルールはまた不細工になったので記者がその写真を撮った。
そのままエレノアは駆け出した。
「まさか。おい、お前。これは誰にやられたんだ?」
「魔物です。猫の。そっちに」血を吐く衛兵。
「……よし。勇者。急ぐぞ」
「酷い傷です。すぐに治します」
エレノアが手を光らせると、フルールは冷たい眼差しを向けた。
「勇者。見誤るな。エンヴィが住宅街へ入った。また被害者が出る。今は討伐が優先だ」やや冷や汗。
「わかっています。フルールさんは先に向ってください」
「違う! エンヴィを倒す。でないと被害が広がる。そいつは助かっても沢山の死人が出る!」だらだらと冷や汗。
「だからフルールさんは早く行ってください!」
「違う! そいつは死を覚悟している。だからだ! 他を!!」
「誰であれ命は等しいです」
「同じなわけ――ぐぬぬ! そうか、これが勇者はルミナ族だったな! 待ちきれん! くそぅ!」
零れる冷や汗が足元で凍りついて動かなくなる前にフルールは走った。
街灯の泥赤りが花畑のように煌めく住宅街を急いだ。
エンヴィの血の足跡がわざとらしく残っている。
「くそぉ! 私一人じゃないか! 相手はレベル3相当の魔物。勇者なら簡単なのに。私一人じゃないか!」
ヘタレだった。
妊婦が路で腰を抜かしていた。
フルールが訪ねる前に固まった白い顔と震える目が薄れつつあった血の足跡を濃くした。
「うああああ!!」
屋敷からの絶命響。
内窓に咲いた血の花。
「よりにもよって貴族殺しか。下民ならこのまま逃げられるのに。くそ!」
フルールはそこへ足を踏み入れていく。
重厚な門が打ち破られ、そこを警備していた熟練の騎士が絶命していた。
「なんて魔物だ。一撃か。む。待て――」
門に立て掛けられていた名前に気付いた。
『ラモンテ・エジーン』
フルールは勘ぐった。
勘ぐるというのはおよそ人に向けられるものだ。
刺剣手に汗握りながら中へ入って行く。
玄関で召使いが気を失って倒れていた。
「殺す相手を選んでいるのか? レベルが高い魔物は人の言葉を話すというが、理性もあるのか?――ん。臭う。魔物特有の獣臭。それと吐き気さえする濃い血の臭い。酒の臭さもあるな。階段の上か」
真っ赤のカーペット。足跡が疎らに、飛ぶようにある。
フルールがヘタレゆえに見落としているわけではない。
エンヴィはここを跳ねて上ったのだ。間違いない。手すりに足跡があった。
フルールはそれを辿っていく。
部屋はすぐそこだった。
二階の広間。扉は開きっぱなしだった。
「やっぱり遅かったか」
太い中年の男がその腹から三本の鋭い刃で貫かれ掲げられていた。
その刃に滴る血を辿れば、
――三本の刃に垂れる鮮血はまるで川のせせらぎ。
それがエンヴィの腕から肩、口までくると猫が啜るように血を飲んだ。
エンヴィウォーカー。その姿。まるで猫男。
しかしまだ足りない。
エンヴィは引き裂くようにもう一方の手を男へ突き刺した。まるで縫いぐるみに刺すように。
するとそれを派手に引き裂いた。
――鮮血が花火のように撒き散る。
魔物は息をしてその血を嗅ぐった。
形相はまさしく殺人鬼。
ギラッと、フルールと目が合った。
「ま、魔物め。成敗してやろう」
「セイバイ……」
「喋った!」
フルールが一瞬気を取られたところ。エンヴィが骸を蹴り飛ばした。
フルールは後手に回った。まだ心の準備ができていなかった。
刺剣を出し、骸を避け、開いた視界に、
――エンヴィがいない。
背後は壁。
「ならば上か!」
その通り。
エンヴィは猿の様にシャンデリアでぐらりぐらりと掴まっていた。
しかし違う。
立ち向かおうとフルールが走ったとき、エンヴィは今までの揺れを助走にして大きく突進してきた。
刺剣の刃はもちろん一つ。
エンヴィの刃は左右合わせ六つ。すでにあるスピードに相対速度が加わっていた。
ゆえにフルールはエンヴィの攻撃をとても防御できない。
「くそう!」
フルールはこの一瞬の読み違いで無残に切り裂かれた。
自分の血の色の汚らわしきに反吐を吐いた。
「あーこれだから魔物って嫌だ。おかしすぎんだろ。そんな速く動けないだろうが。ふつうは!」
切り裂かれたのは右の脇腹だけだった。エンヴィの攻撃の当たる寸前に、運よく転んで体勢を崩し、軽傷で済んだのだ。
それでもエンヴィの疾風が凄まじく、フルールは弾き飛ばされてしまった。
「大丈夫そうですね。フルールさん」
「ん?」
ちょうどそこに勇者がいた。
「勇者様。ち、治癒を!」
「死ぬ覚悟をしているのではないのですか?」
「くそぅ!」
バサッ。
エンヴィが勇者の前に立った。
「ぎゃー!」フルール気絶。
エレノアは足にへばり付くフルールを蹴り退け、剣を出した。
エンヴィもこの娘が勇者だと気づいたようだ。口を開いて洗練された息をした。
一方エレノアは決意じみた息をした。奇しくもそれはエンヴィと似たような息だった。
「行きます!!」
攻防はエレノアからだった。刃に光を纏わせ、エンヴィへ斬り込んだ。
エンヴィは一瞬、たじろいだ。その大きな目に光がより輝いて見えたからだ。
されどそれも一瞬。エンヴィは冷静に一歩後退した。様子を見ようとした。
それで十分だった。エレノアは光の刃の右手とは逆の左手で水の魔法を唱えていた。
水の一面がエンヴィに直撃した。
「猫に水。とは言いませんが!」
たじろぎは静寂を挟んで嫉妬になった。エンヴィはやられた分、やり返したくなったようだ。ともかく攻撃しようと踏み込んだ。
エンヴィの耳や嗅覚がぼやつく。それもすぐに止む。関係ない。
踏み込む足が滑る。問題はそこだった。水を吸って重くなった躰、毛皮もそうだ。それよりも水がまき散って滑るようになった床にある。
いいや、それだけでない。勇者の光の刃は依然として輝き続けている。これは、
――追撃だ!
エレノアはそのまま一回転。勢いを乗せてより輝く刃をエンヴィに叩きつける。
「これでトドメです! 喰らえ!!」
渾身の一撃。
エンヴィウォーカーは大きく吹っ飛ばされ、壁に激突して倒れた。
その身体はパッタリと動かなくなった。
ちょうどフルールが起きた。
「やったのか?」
「……変です」
「なにがだ? 動かないようだが?」
「感触が。それよりなぜ身体が残っているのか。光を受けた魔物は消え去るはずなのです」
「なんだと? いやいや。これを見ろ。死んでいるだろう」つんつん。
バサッ!
ちょうどツンツンしたとき、エンヴィが起き上がった。
フルールは腰を抜かし、奥歯をがたがた震わせた。
まだ生きている。効かなかったのか。
しかしエレノアは妙な気持ちを抱いた。確かにエンヴィがふらついていたからだ。
力が抜けている。いいや、よく見ると腹が割れている。
「何か変……」
「あわわわわわっ!」
またしても足元へへばり付いてきたフルール。それも蹴り飛ばす。
エンヴィは……。
「いやぁさ。驚いたよ。まさか勇者が女子だったなんてねぇ。その割には結構力あるんだな」
バリバリ……。
破く音である。エンヴィが破いている。
自分の躰を。
いいや、自分の躰ではなかったのだろう。
エンヴィはエンヴィではなかったのだから。
バリッ……バリッ……。
――猫の魔物だったものの背から何か細い、より邪悪な形相の何かかがまるで羽化するよう。ドロリとした液体に溺れながら。
「ぬふぅ……」
角の様な尖った小さな耳。
泣いているのか鋭い瞼。
尖った鼻。
狂喜的な口元。
凶器のようにギザギザした鋭利な歯。
魔物にしてもあまりに細く貧相な躰。
爛れるように長い腕。
恐怖を鷲掴みする大きな掌。
笑う。哂う。
猫の着ぐるみはやがて抜け殻になった。
前に屈んで頭から床へ着いた。
あれほど恐ろしかった両手の爪さえ、崩れ落ちた。
笑う。哂う。
手よりも長い脚が露わになるとアンバランスな躰が畏怖を強めた。
それでいて長身は2mにも及ぶ。
痩せこけた腹には湶が浮き出て、あまりに不格好であるのに、ここに顕現したのは恐怖そのものだった。
そう。
笑う。哂う。その不気味さが。
怪物を、
――悪魔と知らしめる。
強烈な不気味。恐怖。
哂いが惨状にしても華やかな貴族の一室を暗く陰惨と歪めていく。
力ではない。圧倒的なこの不気味さがここにあった光を勇気を窄めていく。
「ひゅひぃひぃっ! じゃあ!!!」
ノロノロと、エンヴィは窓から外へ出ていった。
そこまで萎縮していたエレノアがやっと正気に戻った。
同じく窓から飛び降りてその後を追おうとした。
エンヴィは――
「ひゅひぃひぃっ。ふぅ~!」
住宅街を陽気に踊り走っていった。
エレノアは飛び降り、その姿を追った。
ものの、エンヴィは月にまで跳ぶ勢いで家を跳び越え下町へ飛び降りた。
暗闇に姿を消した。
「逃がしません!」
「はぁ……はぁ……無謀だ。やめておけ!」フルールが追いついた。
「でも逃がしてはおけません!」
「いいか。これはべつに下民がどうとかって話じゃない。エンヴィは結局のところ、白亜住居地区に現れた。これも誘っているだけかもしれない。深追いしても奴の思う壺だ」
「魔物に理性などないって言ってませんでした?」
「あれを見てそう信じ続けられる方が理性がないだろう。とにかく今は王へ報告だ。それから警備も見直さなければ」
フルールは刺剣をしまうとちょうどやってきた衛兵を白亜住居地区に送った。
すぐに城へ走っていった。
エレノアはまだ暗い町を見つめていたが、しばらくしてフルールを追った。




