↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜  作者: ざわん
第一部 一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/66

第八話 センパイ

三ノ三の夜番は、静かだ。


表を空にしない決まりで、夜は当番が一体、洞窟に立つ。今夜は俺の番だった。昼にあれだけ響いた足音も笑い声もなく、結界の青白い明かりだけが、岩肌をうっすら照らしている。いちばん弱い区画に、夜をつぶしてまで来る物好きはいない。表の床の仕掛けは、昼のうちに半歩ぶん引き直してある。


つまり、暇である。


だから今夜は、前からやると決めていた仕事を持ち込んだ。番号の点検だ。骨に書かれたインクの番号は、古くなると薄れる。薄れたまま死ぬと、また腕の取り違えが起こる。薄れた奴を数えて、覚えておいて、朝にピンへ伝える。それだけの、地味な仕事だった。


夜の表に残っているのは、交代で裏に下りない連中だ。下りない、というより、下りることを思いつかない連中。壁に向かって立ち止まったまま動かない一体、座り込んであごだけ鳴らしている一体。その間を回って、ももやら肩やらの数字を確かめていく。


「八十八。ちょっと失礼」


ももの数字をあらためても、八十八はあごを鳴らすのをやめない。俺が来たことに、気づいているのかどうかも分からない。ただ、俺が離れるとき、あごの音がほんの少しだけ、ゆっくりになった。気のせいかもしれない。気のせいでも、覚えておくことにした。


薄れかけた者を、三体見つけた。こうして見ると、夜のうちの区画は、ただの骨の置き場だ。番号だけが、骨と骨との境目だった。


最後に、壁際の窪みの前に立った。


大きくて、白い骸骨。区画の誰より白く、角という角が丸い。左腕の継ぎ目だけが、いつ見ても少し、合っていない。


番号を探した。ももにも、肩にも、あばらにも、ない。回り込んで背中側も見た。ない。どこにも、ない。


薄れたのか、と最初は思った。違う。薄れた跡も、書き直した跡も、ない。最初から、書かれていないのだ。


「あんた、番号は」


返事はない。目の穴はまっすぐ前を向いたまま、微動だにしない。知っていた。この人が返事をしないことは、初日から知っている。


夜半、一度だけ、その右腕が動いた。


すっとひじが上がり、手のひらが横を向く。誰かに——止まれ、とでも言うような形で、二拍ぶん止まって、静かに下りた。


「……今の、なんだ」


返事はない。古い癖の暴発かもしれない。にしては、形が妙に、そろっていた。癖というのは、体に何千回も通した道のことだ。あの腕は、あの形を、何千回も通したことがある。


夜明け前に、ドロテアが表に出てきた。


「なんだい——ああ、今夜はあんたの番かい」


彼女は俺の横を通り過ぎ、窪みの前に立つと、腰の布を取って、白い頭蓋骨を拭きはじめた。慣れた手つきだった。毎晩やっているのだと、手つきのほうが先に言っていた。


「なあ。この人の番号を探してるんだが」


「……見つからなかったろ」


「ないのか」


「ないんだよ」


ドロテアは手を止めなかった。


「昔、聞いたことがあるんだ。番号は、って。……答えなかったよ」


「台帳のほうは」


「給料の帳面を運んでくる子に、頼んで見てもらったことがある。三ノ三の骨のページに、番号のない骨は載ってないってさ。……ページのほうが、一体ぶん足りないんだよ。立ってる骨の数より」


湧いたら台帳に載る。そこだけは律儀なのさ——そう教えてくれたのは、ほかならぬドロテアだ。その律儀な台帳が、この人の行だけ、持っていない。


思えば、給料の列にこの人が並んだのを、俺は見たことがない。気づく機会なら、いくらでもあった。数えていなかったのは、俺のほうだ。


考えられる理屈は、いくつか浮かんだ。どれも、口に出す気にはなれなかった。


「……初めて会った日は、さあね、って言ったろ」


「言ったね」


ドロテアは、悪びれなかった。


「湧いたその日の新入りに、する話かい、これが」


……違いない。あの日の俺は、自分が骨だと飲み込むだけで手一杯だった。


「あたしが来た頃はね」


拭く手はそのままに、ドロテアが言った。


「この人が、いちばんよく喋る骨だった」


はっきり喋るんだね、と言われたのは、復活した日だ。珍しいね。——今は、とも。


あの「今は」だ。


「……この人が」


「新入りが湧くと、いちばんに寄ってきて、いちばん長く喋るんだ。区画のこと、上のこと、逃げ方、直り方。……ちょうど、今のあんたみたいにさ」


「あんたも、世話になったのか」


「あたしが今やってることは、ぜんぶこの人の受け売りだよ。新入りの腕を直してやるのも、番号を書いときなって言うのも」


つまり俺は、初日にこの人の世話になっている。ドロテアの手を、一枚はさんで。


俺は黙って、白い骸骨を見上げた。いちばんよく喋る骨。想像は、うまく像を結ばなかった。


「死んで、直って、死んで、直って。そのたびに、ちょっとずつ言葉が減った。一度にじゃないよ。今日は口数が少ないね、くらいのが、積もっていくのさ。気づいたときには——」


そこで、やめた。布をたたむ音だけがした。


「最後に喋ったのは、いつだ」


「……覚えてないんだよ、それが」


ドロテアはたたんだ布を腰に戻して、初めてこちらを向いた。


「最後だなんて、思ってないからね、こっちは。今日は喋らない日だね、が続いて、続いて——それっきりさ。覚えとくんだったよ」


それだけ言うと、彼女は裏へ戻っていった。去り際、一度だけ振り返って、


「あんまり——」


「死ぬんじゃないよ、だろ。分かってる」


「……分かってるなら、いいけどさ」


足音が消えた。


分かってる、と言った。


分かって、いなかった。たったいま、分かった。


減るんだよ。ちょっとずつ。中身がさ。——復活した日に、そう聞いた。あのときの俺は、それを料金表だと思った。死ぬことの値札だと。違う。値札なら、まだいい。値札は、払う前に読める。これは、払い終わったあとも、自分がいくら払ったのか分からない。今日は喋らない日だね、が続くだけだ。


俺は、自分の指を見た。


それから、折りはじめた。


名前。ある。口の中で、言えた。


歳。三十七。ある。


仕事。作る側だった。最後まで作っていたものの手触り。ある。


毎朝、仕事場の机で飲んでいたやつ。名前は出る。……味が、出ない。


千回は飲んだはずだ。味が思い出せないだけなのか、そもそも味わってなどいなかったのか。その区別がつかないところで、指が止まった。


俺はもう、一度死んでいる。


指を折り直した。名前。歳。仕事。三つ、ある。数は合っている。——今夜のところは。


減るのを止める手は、まだ知らない。あるのかどうかも知らない。それなら、せめて。


数えなおしだ。倉庫から物が消えるときは、いつも静かだ。騒げるのは、帳面を付けている奴だけ。付けよう。毎晩、指を折って。減った日に、減ったと言える側でいよう。


窪みのほうを、見た。


この人が何を持っていて、何を払ったのか、数えた者はいない。台帳にすら、載っていない。区画のことも、上のことも、逃げ方も、直り方も——この区画の元手は、たぶん、ぜんぶこの人が払った。


夜が明けきる前に、俺はもう一度、窪みの前に立った。


番号がない。名前は、誰も知らない。つまりこの人は、呼びようがない。呼びようがないというのは、誰からも呼ばれない、ということだ。


それは、まずい。


「あんたのことは、これから、センパイと呼ぶ」


この区画の誰より古いんだから、文句はないはずだ。


返事はない。まあ、いい。呼び名というのは、返事をもらうためだけのものじゃない。呼ぶ側が、忘れないためのものでもある。


「じゃあ、センパイ。俺は裏で休んでくる。……行ってきます」


返事はない。


薄れた三体のことは、裏に下りてすぐピンに伝えた。それから半日を裏で過ごして、夕方、表に戻った。今日の客はもう帰ったあとらしい。入れ違いに、ピンが手を振って裏へ下りていく。帳面袋が、ぱたぱた揺れていた。


洞窟に入って、窪みのほうは見ないまま、俺は言った。


「ただいま」


こつ、と指の骨が、ひとつ鳴った。


振り向いた先で、センパイはゆうべと同じ姿勢のまま立っていた。目の穴は、まっすぐ前を向いたままだ。


俺は入口に立ったまま、しばらく、動けずにいた。


……今日の数字を、報告しよう。まだ何も数えていないが、ゆうべの分なら、ある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。