第五十三話 十二灯
次、は、紙で来た。
監査役が去って四日目の朝である。層外の色の紙が一枚、回状のゴブリンの手で戸口に届く。ヴォルクが受け取り、読まずに俺へ回した。
——第三層第三区画。紋の申請。認可。
認可せず、の紙と、同じ色、同じ厚みで、せず、の二文字がない。理由の欄は、空いている。書かなくていい相手の、空欄である。
もう一つ、欄がある。紋の名を書くところだ。認可せず、の紙には、整える紋、と上の字で入っていた。
この紙には、名がなく、名の下に、線が一本引いてある。線は、書かせる印である。理由の欄に、線はない。どの紋か、こちらで書け、と言っている紙だ。
裏を返すと、払いの欄があり、脇に小さく、認可の月のうちに払うこと、とある。配分の紙は来月まで触れない。この紙だけが、今月、灯を動かせる。
次、と書いた手は、これのことだったのか。
あばらの内側が、一度、大きく鳴った。認可せず、の紙を受け取った朝には、鳴らなかったところである。
「……とおった、ですか」
ピンが、紙をのぞいて言う。数え棒が、せず、のない場所を、二度さした。
「通った。……名前は、こっちで書く」
「ととのえる、もん、ですか」
整える紋、十灯。先に申請して、却下されたものである。通路を組む紋。席を直す紋ではないが、区画を広く使える紋だ。
整える紋、とは書かなかった。
◇
二本目の通路へ、歩いた。歩数は、二十を越える。
観る席の、欠けた岩がある。客が一人、座れない席。二月、見てきた欠けである。その横に、ぱたりが立っている。腕の継ぎ目を、手の陰に入れて。
欠けた岩と、継ぎ目。本直しに、五灯。今月の紙に、そう書いて空けてある。取り置きは、八灯一分。足して、十三灯一分。
今月から増えた灯は、月の頭の紙で、三本目の穴の留めに全部入れた。手で掘った穴は、留めなければ、きしみが増える。動かせるのは、取り置きと、本直しの二つの行だけである。
伝える紋は、十二灯。
払える。払うと、残りは一灯一分で、本直しは来月へ回る。先月、来月に回したものを、もう一度、来月に回す。
伝える紋は、要らなかった紋である。区画が一つなら声は届く、と牛に言われ、そのとおりだった。要らなかったものが、要るようになった。呼びたい相手が、三ノ三の外に、できたからである。
欠けた岩に、指を置いた。五、と数えた。岩と、継ぎ目のぶんである。五のうち、三と九分を、紋に回す。回す、と決めたとき、指が岩から離れた。
岩机へ戻って、紋の名の欄に、書いた。伝える紋。
◇
「……あんた、また、何か払うね。その手つきは」
ドロテアが、鍋の向こうから言う。
「払います」
「いくら」
「十二灯。伝える紋に」
ヴォルクに、何に、と訊かれたときは、答えが先に出て、中身がなかった。いまは、中身から言える。
「席は」
「来月」
「ひと月、客が一人、座れない。あんたが払うのは、灯だけじゃないよ。分かって払うんだね」
「分かって、払います」
ドロテアは、しばらく、柄を握ったまま、俺を見ていた。見てから、火を少し強くする。強くした火の音が、しばらく続いた。
◇
壁際の連中を、岩机の前に集めた。
集めて、話す。先に払う、という言葉を、俺はゲルズの帳場で聞いた。あの人の言い方では、払ったぶんが、戻る。戻る先が、うちの連中には、見えない。
「灯を、十二、使う。席の直しと、継ぎ目の直しは、来月に回る。使ったぶんは、すぐには戻らない」
言い方が下手なのは分かっていて、下手なまま言った。
「使って、何が、きますか」
もどりが訊く。
「紋が来る。……遠くの誰かと、話せる紋だ」
「いつ、きますか」
「分からない。来れば、分かる」
来れば分かる、と、俺は思っていた。
列から、ぱたりが一歩出た。手の陰から、継ぎ目を出して、俺に向ける。白いものが、継ぎ目に、見えている。何も言わない骨である。言わないぶんが、腕に、全部出ていた。
「来月だ。……二度目だ」
「おまえの継ぎ目のぶんを、使う」
言ってから、何も足さなかった。足す言葉を、持っていなかった。
ぱたりのあごが、下がった。下がったまま、継ぎ目を手の陰に戻し、列には戻らなかった。
壁際が、静かだった。長い。もっかいが、床を、指で一度つつく。二度目は、ない。
列の途中から、一体が出る。受けの一体である。給料の日に、椀を一つ受け取って、もう一つは、あとで、と言って受け取らなかった骨だ。
「……あとで、でいい」
それだけ言って、列に戻る。
壁際は、まだ鳴らない。ぱたりは、列の外に立ったままである。
◇
認可の紙の裏の、払いの欄に、書いた。
取り置きより、八灯一分。本直しより、三灯九分。
帳面の、灯の欄に、ピンが払ったぶんの線を引く。二重線である。消した線は消えない。線の下に、残、一灯一分。
書いた紙を、ヴォルクへ回す。ヴォルクは、紙を読む。読んでから、印を持つ手が、紙の端へ下りる。
一拍、待たなかった。
いつもなら、紙の端で、一拍、待つ手である。待たずに下りた印が、紙に乗る。乗った音が、小さく、した。
袖の奥は、暗いままである。
◇
夜、岩机の前から、離れなかった。
紋は、どこに来るのか。ヴォルクのは、手首だった。俺の手首には、何もない。来たら、最初に何を言うかを、口の中で決めていた。決めて、待っていた。
来た、という言い方しかできない。戸口からではなく、岩机の脇の岩肌に、灯の色が一つ、浮いて、沈んだ。
浮いたのは一瞬で、岩机の前にいたのは、俺とピンだけである。ピンの数え棒が、岩肌を、さす。
「いま、なにか、ありました」
「あった」
沈んだところに、形がある。岩の肌の色が、そこだけ少し違う。ヴォルクの手首の内側で見た印と、形は違う。
岩肌に、触る。何も聞こえない。遠くの誰かの声も、来ない。口の中で決めていた最初の言葉が、出る先を持たずに、残った。岩の肌が、ほかの岩より、ほんの少し、温かいだけである。
「……どう、つかいます」
「知らない」
紙の裏に、小さく、費え、一回一分、とある。使えば、一分、減る。使い方は、書いてない。
ピンが、帳面に今日の行を書いている。もん、きた。いわ。じゅうにとう。書いてから、数え棒を置き、指で岩の形を、一度つついた。
「……あたたかい、です」
「それだけだ」
「あたたかい、は、かぞえますか」
「数えない」
鍋の音が、後ろで、続いている。
「飯も増やさないで、何に使うんだい。……十層の、あの牛にかい」
ドロテアが、火を落とす前に、訊く。
「……呼ぶのに」
誰を、は、言わなかった。
岩肌の形に、もう一度、指を置いた。岩のぬくもりだけが指に残って、何も、鳴らない。




