第四十六話 査定の前日
月末の前の日、三ノ三。帳面の日である。
査定の前の日に、その月の帳面を、頭から読み返す。俺が決めた仕事ではない。ピンが、いつからか、そうしていた。俺は、隣で聞く。今月は、聞くことが、多い。
「かたります。こんげつ。きた、おきゃく。いちばん、おおいひ……さんじゅうよん」
三十四。三本目の通路が通った日が、三十一だった。それから、三十二の日が二度、三十三が一度、三十四が、きのう。
「さんぼんめ、とおってから、じゅうしちにち。まちきれなかった、おきゃく。ゼロのひが、じゅうろく。ふたり、が、いちにち」
十六日、ゼロ。一日だけ、二。二の日は、雨明けだった。山の上の話が、うちの列になる。二人は、入口の外で待って、待ったまま、帰った。ゼロが続いたあとの二は、祭りのあとの月の九より、重い。それでも、二である。
「はなしを、きいて、きた、おきゃく。ななじゅう、と、すこし」
七十と、少し。粗い数である。聞ける分だけ聞いた数だ。先月が六十三だった。
「ひろいもの、うりあげ。ごじゅうに。そとのね、にひゃく。あわない」
あわない、まで、ピンは読んだ。読む声は、ほかの行と同じ速さだった。
「とりおき。きゅうとう。にじゅうせん」
二重線の上の、九灯。来月には、八灯一分になる数字である。掘ったので、紋には使わなかった。使わなかった数字を、ピンは、消さずに読む。
「ほりました。さんぼんめ。じゅうにほ。て、さんじゅうよん。ひ、ひとばん。むだ、よんほ」
無駄、四歩。書いておいてよかった行である。次に掘るときは、同じ四歩を掘らない。
「なまえ。よっつめ。もどり」
「せんぱい、います」
ピンの数え棒が、そこで、一拍、止まった。
読み終えて、ピンは、数え棒を耳に挟んだ。帳面の、今月の行は、そこで終わりである。明日、フォスカが読み上げる行は、この帳面の外にある。上の帳面の行だ。そこには、三十四も、ゼロも、あわないも、四歩も、載っていない。あるのは、頭数三十九と、灯の数だけである。
明日の数字を、俺は、だいたい持っている。持っているが、書かない。書いていい数字は、読まれた数字だけだ。ピンも、書かない。数え棒を耳に挟んだまま、帳面の、来月の最初の行を、指で、なでた。まだ、何もない行である。その行を、来月、だれが書くのかを、一度だけ、考えた。ピンの字で書く。写す元の数字は、上にある。
◇
夕方、裏市場へ下りた。
グレテの店は、給料日でも祭りでもないのに、混んでいた。うちの連中ではない。よその区画の骨と、ゴブリンと、名前の分からない連中である。大鍋の向こうで、グレテが、おたまを振った。
「明日だろ」
「そうです」
「あたしは、数えないよ。あんたのとこの子たちが、勝手に数えるからね」
奥の卓で、うちの骨が四体、椀を前に、並んでいた。教室の子たちである。もどりが、いちばん端にいる。四体が、椀を持ち上げる前に、声を、揃えた。
うちの節だった。転びの拍と同じ、ドロテアの鼻歌の節。それに、言葉が、ついている。
俺の知らない言葉である。三本目の通路の奥から返ってきた、あの言葉だ。帰っていく客が歌ったものを、教室の子たちが、覚えて帰り、裏市場で、歌っている。よその区画の骨が、椀から顔を上げて、聞いている。
「……それ、どこの節だ」と、よその骨が、ひらがなの声で訊いた。
「三ノ三の節だよ」と、グレテが答えた。「一杯一グリム。聞くだけなら、ただだ」
「あれ、なんて言ってるんですか」
「知らないよ。人間の言葉だ。あたしにも分からない」
グレテは、おたまで、拍を取った。
「分からなくても、歌える。あんたのとこの節だからね」
歌は、椀の一杯ぶんで、終わった。四体は、椀を持ち上げて、飯を食い始めた。もどりが、いちばん遅れて、椀を持ち上げる。戻った指が、椀の縁で、一度、滑った。滑って、持ち直した。何を歌ったのかを、四体とも、たぶん、知らない。知らない歌を、うちの節で歌う骨が、うちの区画の外で、四体、飯を食っている。
◇
ドロテアが、鍋の火を落としながら、言った。
「あんまり、数えるんじゃないよ」
「数えるのが、仕事です」
「今日は、休みな。明日、数えられるんだから」
明日、数えられる。フォスカが読み、ピンが書き、俺が聞く。今日、数えても、明日の数字は変わらない。変わらない数字を、前の世界の俺なら、それでも、数えていた。数えては、眠れなかった。
骨は、眠らない。代わりに、店を閉める。閉める前に、壁際へ行く。
◇
壁際に、立った。
「ただいま」
鳴らなかった。
窪みの中の白い骨は、いつもの角度で、いつものように、いる。鳴らない日である。これで二度、数えた。鳴った日の数え方は、もう、決めてある。
しばらく、見ていた。
見ているうちに、白い骨の傾きが、指一本ぶん、こちらに寄った。代行になった日に、見た傾きである。あの日は、気のせいにして、帳面に書かなかった。今日も、書かない。ただ、見ている。
寄ったまま、止まった。
俺は、動かなかった。動くと、傾きが戻るのか、戻らないのか、分からなくなる。そのまま、見る。
戻った。
通路の明かりが、窪みの縁で、一度、揺れた。
いつもの角度に、白い骨が、戻っている。寄ったのが先か、戻ったのが先か、俺には、順番が言えない。言えないことは、帳面に書かない。今日、見たことだけを、数に入れる。二つ。寄った。戻った。
「明日、抜きます」
返事は、ない。返事がないのは、いつものことだ。左腕の継ぎ目は、いつ見ても少し、合っていない。
それから、通路を、一度、回った。一本目。二本目の、欠けた岩の観る席。三本目の、掘りっぱなしの穴。穴の向こうに、表の道の明かりがある。明かりの下を、今日の最後の客が、帰っていった。
壁際の列が、朝を待っている。もっかいが、床を、指で、一度だけつついた。もう一回、ではない。今日の分は、もういい、という合図に、俺には見えた。
岩机に、帳面を置いた。ピンが、帳面の隣に、数え棒を置く。
「あした、かぞえます」
「明日は、聞くだけだ」
「きくのも、かぞえる、です」
そのとおりである。聞いた数を、書く。書いた数を、数える。明日の仕事は、それで足りる。明日、フォスカが来る。来て、読む。読まれた数字を、ピンが書く。それを、俺が、聞く。それだけの日が、明日、来る。
店は、緊張していなかった。しているのは、俺の、あばらの内側だけである。内側の音を、数えずに、閉めた。
壁際の窪みに、白い骨がいる。今日、一度寄って、一度戻った、いつもの角度。




