第四十一話 三本目の通路
掘る音は、夜に始まった。
表を空にしない決まりは、生きている。夜番の当番は、今夜も一体、入口に立っている。数える俺と、図を持つピンと、鍋のドロテアと、区画長を除いた、残りの三十四体が、二本目の通路の奥の岩壁の前に、集まっていた。
骨は、眠らない。では夜に何をしているのかを、俺は今まで数えたことがなかった。数えてみれば、何もしていない。壁際に立って、朝を待っているだけだ。その時間を、掘る時間に変える。それだけのことである。
「ここ、うすいです」
ピンが、岩壁の一点を、数え棒で叩いた。音が、他のところより、高い。ピンの図には、二本目の通路の奥から、区画の外の表の道まで、線が一本引いてある。線の長さは、骨の歩幅で、十二歩。岩の薄いところを、ピンは昼のうちに、叩いて回っていた。
「十二歩」
「じゅうにほ、です。あつさは、わかりません。ほるまで」
掘るまで分からないものは、掘って分かる。手は、三十四ある。
◇
最初に岩に指を立てたのは、もっかいだった。
床を指でつつく癖が、岩壁を指でつつく癖になった。つつく。つつく。跡が点になり、点が線になり、線のところで岩が欠ける。誰も教えていない。それなのに、転び教室の生徒が四体、もっかいの隣に並んで、同じつつき方を始めた。
骨の指は、細い。こんな指で岩は掘れない、と、前の世界の俺なら言った。掘れないのではなく、遅いだけである。遅いものは、数で埋める。三十四体が交代で、岩の一点をつつき、その音が、通路に満ちていく。
受けの骨も、追いかけっこの骨も、走る足を止めて、掘った。場づくりの七体は、掘った岩を運ぶ側に回った。芸ごとに手の使い方が違うのに、岩の前では、同じ手になる。
ぱたりが、壁際から動いた。
採点の位置を離れて、掘っている列の後ろに立ち、あごで拍を取る。転びの拍である。あごの拍は、いつもより、少し遅い。三十四の手が、その遅い拍に合わせた。手が揃う。揃った手を、ぱたりのあごが、採点している。
夜の半ば、薄いはずの一点が、進まなくなった。
つついても、点にならない。ピンが叩いた音より、低い音がする。図の線の途中に、硬いものが一枚、挟まっていた。厚さは、掘るまで分からない。分かったのは、ここは違う、ということだけである。手が、止まった。三十四の手が止まると、通路は、夜番の夜と同じ静けさになる。
もっかいが、床を、指で二度つついた。
もう一回。誰にも向いていなかった合図が、今夜は、岩に向いている。ピンが、図を見て、数え棒で、硬い一点の右隣を叩いた。高い音がした。列が、半歩ずれて、つつき直す。掘った分の十二歩のうち、四歩が、無駄になった。その四歩を、俺は帳面に書いた。書かなければ、次に掘るとき、同じ四歩をまた掘る。
ドロテアが、鍋を持ってきた。夜中の飯である。
「あんたら、骨のくせに働きすぎだよ」
言いながら、椀を三十四、並べる。掘っている手が、順に取っていく。取って、食って、また掘る。飯は、直りを速くする。掘って欠けた指の先が、椀のあとで、少しだけ戻った。
俺は、掘らなかった。掘る代わりに、数えた。つつく回数と、欠けた岩の量と、椀の数と、無駄になった四歩と、夜の残り。数える者が一体いないと、掘る者は、いつ終わるかを知らない。
岩壁が、一つ目の裂け目を見せたのは、夜が明ける少し前である。裂け目の向こうから、風が来た。表の道の風は、うちの通路の風より、少し冷たい。冷たい風を、三十四体が、順に、指で確かめた。
◇
朝、岩が抜けた。
最後の一枚が、表の側へ、倒れた。その向こうに、表の道の明かりがある。区画の外の、挑戦者が通る道である。うちの入口の、少し先。入口から見えない角度に、穴が一つ、開いた。
穴は、狭い。人が一人、肩をすぼめて通る幅である。天井は低く、床は掘りっぱなしで、歩けばきしむ。組んだ通路ではない。掘った通路である。
「……通る」
俺は、自分で通ってみた。十二歩。きしんだ。きしんでも、通った。
三本目の通路。入口ではない。帰り道である。
ヴォルクが、穴の手前に、来ていた。掘っているあいだ、一度も、来なかった人である。袖の奥の明かりは、動かない。
「ヴォルクさん。穴に、紙は要りますか」
紋には、紙が要った。穴に要るかどうかを、俺は誰にも訊いていない。
「……穴の紙は、見たことがありません」
要らない、とは言わなかった。要る、とも言わなかった。見たことがない、と言った。俺はそれを、帳面の、まだ何も書いていない行に、そのまま書いた。
◇
昼、客が来た。
入口から入って、受けを見て、追いかけっこを見て、二本目の観る席に座る。座って、笑って、立つ。今までなら、来た道を戻った。
戻る客と、来る客が、一本目の通路で、すれ違う。そのたびに、列が、少し止まる。おととい、十四回止まった道である。
今日は、戻らない。
観る席の奥に、穴がある。穴の向こうに、表の道の明かりが見える。客は、そちらへ行く。そちらへ行けば、うちの入口の少し先に出る。出た客は、もう、うちの列にいない。
列が、動いた。止まらない。
ピンが、入口で数えている。俺は、帰り道の穴の脇で、数える。出る者だけを通し、入ってこようとする者は、入口へ回す。穴の脇に立つ理由が、二つある。二人で、両端から数えると、店の中の数が、いつでも分かった。
「にじゅう……にじゅういち……」
ピンの声が、入口から届く。俺は、帰り道の側で、それを聞いている。伝える紋は、要らなかった。区画がひとつなら、声が届く。牛の言ったとおりである。
夕方、ひよこ隊が、観る席から立つ。
テオが、穴を見た。穴の向こうの明かりを見て、ミナを見て、それから、俺のほうを見る。骨の顔を見ても、何も分からないのに、見た。先に立った客が、穴の前で足を止めて、来た道のほうを見ている。テオは、その客の横を抜けて、肩をすぼめて、穴をくぐった。すぼめた肩が、向こう側で、伸びる。
「……帰り道、できたんだ」
向こう側からの声である。足を止めていた客が、テオの背中を見て、続いた。
ミナが、続く前に、観る席を振り返って、拍を一つ、指で取った。
「入口で、並ばなかった」
それだけ言って、消えた。ピンの帳面の、ゼロの行を、客のほうが、先に言った。二人の足音が、表の道を、入口とは逆のほうへ、遠ざかっていく。
◇
夜、ピンが語った。
「かたります。きょう、きたおきゃく。さんじゅういち」
三十一。二十五が、三十一。
「まちきれなかった、おきゃく……ゼロ、です」
ゼロ。
十一が、ゼロ。
入口へ、出てみた。外に、誰もいない。数えるものが、ない。数えるものがないのは、うちでは、いつも、悪いことだった。今日だけ、違う。
席は、増えていない。観る席の岩は、欠けたままだ。増えたのは、出口である。
祭りは、席を増やさない。
出口は、席を空けた。
同じ帳面の、二つ上の行と、今日の行である。二つの行のあいだに、却下の紙と、二重線と、無駄になった四歩と、一晩がある。
◇
帳面を閉じたとき、通路の奥から、声が返ってきた。
三本目の通路の、向こう側である。表の道の、帰っていく客の、声。
節は、知っている。ドロテアの鼻歌の、節である。転びの拍と同じ、うちの節だ。
言葉が、ついていた。
俺の知らない言葉が、うちの節に、ついている。誰がつけたのかは、分からない。知らない言葉で、知っている節を、帰っていく客が、歌っている。
掘ったばかりの通路の、暗がりの奥から、歌。




