第三話 追いかけっこ興行
復活から五日。俺は宣言どおり、三ノ三の数え直しをやっていた。
結果から言う。ひどい。
在籍は、ドロテアいわく俺を入れて二十一。ただしこの洞窟で見かけるのは骨ばかりで、立って動けるのが十かそこら。残りは、ドロテアが引き上げていく「裏」にいるらしい。まだ見ていない。壁際の窪みの主も、勘定には入れた。動かなくても、在籍は在籍だ。
数えたのは頭数だけじゃない。番号をインクで書けている骨が四体。呼びかけて、こちらを向くのが六体。向いた上で何か返してくる——あごを鳴らすでも、首をかしげるでもいい——のが、二体。初日は、誰ひとり何も返さなかった。五日、懲りずに呼び続けての数字だ。言葉の通じる相手は、相変わらずドロテアひとり。
武器は、誰かの持ち込んだ錆びた短剣が一本きり。罠はなし、金もなし。あるのは岩と、暗がりと、時間だけ。前の世界なら、企画書の一行目で却下される手持ちである。
「で、数えてどうすんだい」
「分からん。ただ、手持ちも数えずに何かを始める奴は、だいたい失敗する」
「変な骨だね、ほんとに」
——その五日目に、光が来た。
入口のほうでたいまつが揺れて、骨たちが一斉にざわついた。かた、かた、とあごの音がつられて広がって、みんな奥の暗がりへ逃げていく。
俺のあごの付け根も、きしんだ。来た。あの連中だ。
そばかすの少年と、大きな帽子の小さいの。今日は二人だけだ。前にいた大人三人の姿はない。
正直に言えば、逃げたかった。体は覚えている。あの白いひと振りと、転がっていく自分の腕を。
だが、逃げてどうなるかは実測済みだ。この足では捕まる。捕まれば死ぬ。死ねば直るが、直るたびに、中身から何かが減る。それがこの職場の料金表だ。
どうせいつか払う値札なら。
「……せめて、見合うものと引き換えにさせてもらう」
どう遊べば、面白くなるか。
長い付き合いの職業病が、静かに起動した。追いかけっこが作業になるのは、結果が最初から見えているときだ。楽に捕まっても、絶対に捕まらなくても、人はあくびをする。面白いのは「惜しい」の連続。あと一歩で届かない。今度こそ届きそう。その細い線の上に——獲物のほうから、乗ってやればいい。
幸い、こちらには実測データがある。少年の踏み込みは三歩で一拍。曲がり角では外に膨らむ。小さいほうは回り込みが早い。
開演だ。
俺は骨たちが逃げた奥ではなく、通路の真ん中に、ぽつんと立った。
「いた! ……あれ、一体だけ?」
少年が剣を構える。三歩、来る。——いや、前より鋭い。八日ぶんの成長を勘定に入れて、半拍早く。
紙一重でかわす。壁さえ背負わなければ、これくらいはできる。大げさに、慌てふためいたふりを添えて。
「惜しっ……!」
少年の声が弾んだ。よし、つかみは取れた。
走る。ただし全力ではない。最後には捕まる足でも、角を二つ挟めば視界からは消えられる。消えれば客は白ける——捕まるより先に、興行が終わってしまう。だから角では一瞬だけ止まり、姿を見せてから、また走る。道案内つきの逃走である。我ながら、逃げる側の態度ではない。
次の直線で、わざと石につまずいて派手に転がった。
「今だ!」
剣が来る。転がったまま、半回転。切っ先が床を叩く。惜しい。実に惜しい。
「ええっ!?」
「惜しい」を重ねるたび、少年の息づかいが変わってきた。練習で追う息じゃない。夢中の息だ。
小さいほうは、と見れば、壁の出っ張りや天井を目で測っている。回り込みの近道を探しているのだ。いい目だ。それなら——
俺は、これから曲がる角を、指で差してから曲がってやった。
帽子の下の目が、まん丸になった。それから、にやりとした。
「テオ! そっち回って!」
回り込みが早い。予告したくせに、こちらが追い詰められる。役得というやつだ、客が上達していくのを特等席で見られる。
気づけば、妙なことが起きていた。逃げたはずの骨たちが、奥の暗がりから、こちらをのぞいているのだ。逃げもせず、隠れもせず、岩の陰から並んで。追いかけっこを、見ている。観客席が、勝手にできていた。
——調子に、乗った。
一拍、ずれた。白い光が脇をかすめ、あばらが一本、乾いた音を立てて飛んだ。
冷えた。
痛みはない。ないから、なお冷える。なくしたかけらは、戻らない。今のは、線に寄りすぎだ。半歩、下げろ。
それでも、やめようとは思わなかった。もう一周。角で待って、転んで、かわして——少年が、言ったのだ。
「……っ、はは!」
笑ったのだ。ダンジョンの中で、骨を追いかけ回しながら、心の底から。
作ったもののど真ん中で、客が笑っている。画面の数字でも、感想の文字でもなく、生の音で。前の世界で十五年やって、一度も浴びたことのない音だった。
「テオ、時間! たいまつ、帰りの分がなくなるよ!」
小さいほうの声で、追いかけっこは終わった。少年は名残惜しそうに剣を収める。肩で息をして、まだ笑っている。
帰り際、少年は振り返って、俺に——骨に向かって——ぺこりと頭を下げた。
「また、来ます!」
誰に言ってるんだ、それは。
俺の体は、条件反射で礼を返していた。会議終わりの、あの角度で。もうこれは直らない。骨になっても直らないのだから、一生ものだ。
小さいほうが、去り際にもう一度だけ振り返った。帽子の下から、値踏みするような目が、俺と、俺が最後に指を差した角とを見比べている。それから、少年に何か言った。洞窟というのは、声がよく通る。
「……ねえ、テオ。あの骨、へんだよ」
「へんだけど……なんか、楽しかったね。ミナも途中、笑ってた」
「わらってない」
二つのたいまつが遠ざかって、洞窟がいつもの青白さに戻る。
テオと、ミナ。追っ手の名前を、覚えてしまった。名前を知った客のことを、人はもう、ただの客とは思えなくなる。困ったことに。
振り向くと、奥の暗がりに、骨たちが並んでいた。
逃げたはずの連中が、遠巻きに、じっとこちらを見ている。目の穴に光はない。ないのだが——どの顔も、心なしか、疑問符の形をしていた気がする。
「……あんた、何やってたんだい」
騒ぎを聞きつけたらしいドロテアが、呆れ半分、警戒半分で立っていた。
「実験」
「実験て、あんた」
「死なずに済んだ。出費はあばら一本」
言いながら、拾ってきたあばらをはめ直す。かちり。——先が、小さく欠けていた。飛んだときに、どこかで砕いたらしい。欠けたぶんは、もう戻らない。
安い出費だったとは思わない。線を見誤れば、次は拾えないものが飛ぶ。それでも、得たものはあった。
あの少年は、笑った。逃げ回るだけの雑魚骨を追いかけて、たしかに楽しんでいた。面白がってもらえるなら、殺し合わなくても、追いかけっこは成立する。
それが何の役に立つのかは、まだ分からない。分からないが、これだけは前の世界で骨身に染みている——人が面白がる場所には、必ず、何かが集まってくる。
その夜。
眠るという習慣は、この体にはもうないらしい。それでも目を閉じる理由もないので、俺は岩に腰かけて天井を眺めていた。
青白い明かりの、ずっと上。天井の遠くが——ほんのわずかに、明るくなった気がした。
まばたきをして、見直す。いつもの暗い岩だ。
「……気のせいか」
気のせいだと、思うことにした。
思うことにして——指が一本、勝手に折れていた。




