第三十五話 引き取りに来た
祭りから五日。骸骨の俺は区画長代行で、宿題は二つで、朝の帳面はピンが読む。それが今の、俺の現在地である。
もう一つ、数に入らないものがある。何かが、薄い。どこがとは言えない。言えないので、帳面には書かずにおく。
「かたります。きのう、きたおきゃく、にじゅうに。まちきれなかった、おきゃく、きゅう」
「九」
「きゅう、です。ぬいた日から、いちばん、おおいです」
ゼロだった行が、七に戻って、九になった。客は増えているのに、席の側が追いつかない。三ノ三の二本目の通路は本直しが済んだが、通路が二本あっても、骨が三十九体でも、いっぺんに回せる演目は五つで頭打ちである。六つ目を回す場所が、ない。
「まちきれの九は、どこで待ってた」
「いりぐちの、そとです。ならんで、かえりました」
並んで、帰った。店の前に列ができて、その列が、客にならずに解散した。前の世界なら、その光景を見た翌日には、俺は誰かに怒鳴られている。この世界では、誰も怒鳴らない。怒鳴らないぶん、自分で数えなければならない。
◇
来客は、裏から来た。
裏回りの道は、区画と区画を裏でつなぐ道で、客は通らない。通るのは飯と給料と、うちの連中だけである。その道から、朝のうちに、荷車の音がした。
先頭は、ゴブリンだった。うちのゴブリン三体より、ひとまわり小さい。背中に、空の籠を三つ重ねて背負っている。その後ろを、水のかたまりのようなものが、床をなめるように滑ってきた。
「……何だ、あれは」
「回収屋だよ」
ドロテアが、鍋の火を弱めながら言った。
「あんたは初めて見るだろうね。うちに来るほどのことは、あの日が初めてだ」
あの日。石臼の団が通った日である。
水のかたまりが通路に入ってきたとき、壁際の列が、半歩、下がった。誰も号令をかけていない。三十九体の骨が、揃って、同じ半歩を下がった。ピンが数え棒を、両手で握り直す。骨を拾う者が、骨の店に来た。それだけで、うちの連中には、足りる。
ゴブリンは荷車を止めると、俺のほうを見ずに、ドロテアに向かって帽子を取った。
「三ノ三の分、持ってきた。骨と、拾い物だ。責任者は」
「そこの、代行だよ」
ゴブリンは、それで初めて、俺を見た。骨を見る目ではない。値札を見る目である。
「骨は返す。拾い物は、買う。それでいいか、代行」
返す。
壁際の半歩が、戻った。音はしない。骨が三十九体、同時に息を吐くところを、俺は初めて見た。骨に息はないが、あれは、そういう動きだ。
うちの骨は、あの日、二本の通路と、その先まで、ずいぶん散った。散った骨は、時間で呼び合って戻るが、戻っていない分はどこかに残っていて、残っている分を誰かが拾っている。それを、俺は今朝まで、考えたことがなかった。
「……いい。まず、骨を見せてくれ」
◇
水のかたまりは、骨運びと呼ばれていた。
床に広がると、中に白いものが透けて見えた。骨の欠片である。小さいものは指の先ほど、大きいものは、あばら一本ぶん。数えようとして、やめた。数えるより先に、見なければならないものがあった。
ゴブリンは、慣れた手つきで、欠片を床に並べていく。二つの山ができる。
「こっちが、三ノ三の。こっちが、よその」
「よそ?」
「石臼の連中は、あんたのとこの次に、同じ層の残りを二つ回って、四層に下りた。靴の裏と荷の隙間に、骨は付いて動く。三ノ三の骨が四層の入口で拾われることもあれば、その逆もある」
その逆。つまり、よその区画の骨が、うちの通路で拾われる。
「どうやって、分けるんだ」
「匂いだ。区画ごとに、骨の匂いが違う。あんたらには分からんだろうが、うちの鼻は、それで飯を食ってる」
ゴブリンは、指の先ほどの欠片を一つ、鼻の前にかざして、右の山に置く。それから、次の一つを、しばらく嗅いで——左の山と右の山の、あいだに置いた。
「それは」
「分からん。どっちの匂いもする」
あいだに置かれた欠片が、三つになった。四つになった。
「……分からないのは、どうなる」
「混ざってりゃ、選り分けて返す。選り分けられなきゃ、ここに置いていく。置いていけば、呼び合う。呼ばれたほうに、混ざったまま、生える」
混ざったまま、生える。
ゴブリンは、それを、天気の話のように言った。うちの連中の誰かが、よその骨の欠片を混ぜて、戻ってくる。戻った本人には、たぶん、分からない。分からないものは、帳面に書けない。書けないものが、今朝から、また一つ増えた。
壁際で、もっかいが、床を指で二度つついた。もう一回、の合図である。何をもう一回なのかは、本人にも分かっていないと思う。
「焼いたりは、しないのか」
聞いてから、聞いた自分に、少し驚く。ゴブリンは、驚かなかった。
「焼く奴は、外にはいる。うちは焼かん。焼いたら、商売にならんからな。……骨は、返す。返した骨が、また拾える。それで回ってる」
◇
拾い物のほうは、籠に三つぶんあった。
革の切れ端。折れた刃。外れた留め具。石臼の百二十が、うちの二本の通路に落としていった物である。落とした側は、拾いに戻らない。拾いに戻らないものを、この連中が拾って、値をつける。
「革が十四。刃が三本。留め具が九つ。合わせて、三十一グリム」
ゴブリンは、指を折らずに言った。折らなくても、数が出る指である。
「……安いのか、それは」
「安くはない。刃は、鍛冶に持っていけば、打ち直せる」
「高くもないんだろう」
ゴブリンは、答える代わりに、腰の袋から、小さな金色のものを一枚出して、掌に乗せた。
「外では、こいつになる」
金貨である。俺の指の骨よりも、少し大きい。表に、見たことのない紋様が打ってある。
「リル、と呼ぶ。外の連中の金だ。うちは拾い物を、外で、これに換える。ここではグリムを払う。それだけの話だ」
それだけの話、と言うときの声が、少しだけ速かった。
俺は、金貨を受け取らなかった。受け取れば、重さを覚えてしまう。外の値も、外の相場も、外で何が売れるのかも、俺は知らない。知らないものは、数えられないままだ。
「三十一で、いい」
「いい?」
「今は、それしか分からない。分かったら、次から、言い値が変わる」
ゴブリンは、初めて、口の端を上げる。
「代行は、面倒な骨だな」
「よく言われる」
◇
帳面のことは、ピンにまかせた。
まかせたが、書くところは見ていた。ピンは、いつもの行の下に、新しい行を書いた。
「ひろいもの、うりあげ。さんじゅういち」
三十一グリム。俺の給料でいえば、八か月ぶん近い。そう思ってから、思った自分の速さに、あばらの内側が、少し冷えた。
売上は売上である。だが、これは客が払った金ではない。石臼の百二十が落として、拾われて、うちを通り抜けていく途中の、通り抜け賃だ。
「ピン。その横に、もう一つ、欄を作れ」
「なんの、らんですか」
「外の値だ」
「そとの、ね」
ピンは、数え棒を置いて、線を引く。まっすぐな線である。線の横は、あいている。埋める数字を、この店の誰も持っていない。
回収屋が去った通路の床に、あいだの山の欠片が、七つ、残っている。誰の骨とも分からないものが、七つ。呼ばれれば、混ざったまま、生える。
三十一グリムは、安いのか、高いのか。俺には、比べる相手がいなかった。
帳面の新しい行の下で、線の横だけが、あいている。




