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最弱ダンジョンの数える骨 〜転生骸骨、客商売で成り上がる〜  作者: ざわん
第二部 一章

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第三十四話 幕間・三本槍の綴じ本

門前町ヴェルンの酒場「三本槍」の黒板の下に、釘が二本になったのは、この夜のことである。


一本目の釘には、灰狼の隊の薬師が綴じた写しが、ひと月あまり前から掛かっている。二本目は、まだ何も掛かっていない。亭主が昼のうちに打った。誰のために打ったのかは、店の誰も聞いていない。


戸口をくぐったアデル・ロアは、その二本目の釘を、一度だけ見る。それから、いつもの奥の卓へ。


「……何だ、あれ」


「釘だ」と、白髭のドワーフが言った。「昼に打ってた」


「見りゃ分かる」


バルガスは杯を回しただけだった。聞かれたことしか答えない男である。


   ◇


迷宮帰りで席が埋まるのは、日が落ちてからである。今夜も、埋まった。


三ノ三の話は、もうこの店では珍しくない。珍しくないのに、卓が変わるたびに、同じ話が形を変えて回っていく。転びの数。通路の数。一対十。最後の数だけは、どの卓でも同じだった。語るなら、数を間違えるな、と言った男がいたからだ。


「……で、ぜんぶ数えたあとに、骨が、指を折ったんだって」


「折って、どうした」


「知らない。折っただけ」


「折っただけかよ」


笑いが起きる。誰も、折っただけの意味を聞かない。聞かないから、話が回る。


アデルは杯を持ったまま、卓を見ている。見ているのは、話ではない。話している者の、顔である。


三ノ三に通う顔は、だいたい覚えた。覚えた顔の中に、探している顔はない。それは、ずっと前から分かっている。分かっていて、見る。見るのをやめる理由が、まだ、ない。


骨が、と誰かが言うたびに、アデルは、一度だけ二度見た白い顔を思い出す。思い出して、やめる。やめる理由は、自分でも言葉にしていない。


「隊長」


薬師のエルフが、手帳から目を上げずに言った。


「今夜は、書くことが多いです」


「勝手に書け」


「はい」


シルヴァの黒鉛筆は、止まらなかった。何を書いているのかは、隣からでも読める。人の数。卓の数。三ノ三の話が出た回数。——十四。


   ◇


歌は、店の奥から始まった。


誰が歌い出したのかは、分からない。奥の卓の、誰かの鼻歌だった。鼻歌に、誰かが言葉をつけた。つけた言葉は、二行しかない。


——数えて、転んで、また数えて。


——帰り道には、灯りがひとつ。


二行だけの歌が、卓から卓へ、移っていく。移るたびに、少しずつ、声が増える。


アデルは、杯を置いた。


その節は、知っている。三ノ三の、裏のほうから聞こえてくる、鍋の火と一緒の鼻歌だ。誰が歌っているのかは、知らない。区画の誰に聞いても、知らないと言う。知らない歌に、この町では、言葉がついている。


「……誰がつけたんだ、言葉」


「さあな」バルガスが言った。「誰がつけたかは、もう誰も知らねえよ。三日前から、こうだ」


三日前。


アデルは、三日前を数えた。三日前は、あの区画の祭りの、翌日である。祭りは、見ていない。見ていないが、翌日の朝、迷宮の入口の広場で、そばかすの少年が椅子の上に立って、声を張っていた。骨が二度、指を折った、と。隣で小人族の少女が、拍を取っていたのも覚えている。


歌の輪の端で、その少年——テオが、今夜も口を動かしている。声は出していない。歌えないのではなく、歌わないで口だけ動かしている。隣の少女は、口も動かさずに、指で拍を取っていた。


「テオ。声、出せよ」


「だ、出してます」


「出てねえ」


少年は赤くなって、それでも口だけを動かし続ける。ミナが帽子の下で笑う。笑っても、指の拍は止めない。


歌が三度目に回ったとき、アデルは、自分の指が卓の縁を叩いているのに気づいた。拍に、合っている。合わせた覚えはない。


二行目のところで、指が止まった。帰り道の話は、アデルには、歌えない。


   ◇


「……次の区画は、あそこより高くつくと思っていた」


その声は、歌の切れ目に、落ちてきた。


戸口の近くの卓に、男が一人で座っている。大柄というわけでもないのに、椅子が底から鳴った。深いところを長く歩いた者の、荷の重さと、足の置き方である。


石臼の男である。


団の姿はない。男だけが、綴じ本を一冊、卓に置いている。手のひらほどの、紐で綴じた本。表紙はない。


「安かった」


男は、誰に言うでもなく、続けた。


「三ノ三のあとに、五つ、回った。五つとも、安かった。骨は湧く。湧いた骨は、数えない。数えない骨は、安い。……三ノ三は、高かった」


店の中の話が、少しだけ、薄くなった。


「あそこは、値が、書いてなかった。書いてなかっただけで、あった。……そういう区画は、二十層まで下りても、ない」


男は綴じ本を開く。数える者の手つきである。何かを読み上げるのかと、店の者は思う。男は読み上げない。開いた一枚を、しばらく見て、閉じた。


「亭主。釘は、これのためか」


「そうだと聞いた」と、亭主が言った。「置いていくなら、掛ける。掛けたものは、この店の作法で回る」


「回るなら、いい」


男は立ち上がり、綴じ本を、二本目の釘に掛ける。一本目の写しと、並ぶ。並んだ二冊を、男は見ない。見ずに、戸口へ向かった。


「石臼の」


アデルが、呼び止めた。呼び止めてから、何を聞くつもりだったのか、自分でも分かっていなかった。


「……次は、どこだ」


「四層だ。三つ回った。まだ、ある。……四層は、安い」


それだけ言って、男は出ていった。足音が、床を底から鳴らして、遠ざかった。


二本目の釘に掛かった綴じ本を、若いのが一人、外して開いた。読み上げようとして、やめた。数字しか、書いていなかったからである。骨の数。転びの数。列の長さ。それから、最後の一枚に、一行だけ。


——一対十。釣りは、出なかった。


読んだ若いのは、意味が分からない顔で、綴じ本を釘に戻した。意味が分からないまま、その一行は、翌日には町じゅうの卓に回った。


   ◇


歌が、やんだころだった。


「灰狼の。ちょっと、いいか」


声をかけてきたのは、店の隅の卓の男である。攻略者ではない。革の前掛けに、帳面を三冊、紐で束ねて腰に提げている。荷の匂いがした。土と、油と、古い骨の匂い。


バルガスが、杯を置く。


「回収の」


骨を拾って回る、ギルドの者である。門前町に出張所があることだけは、アデルも知っている。


「そうだ。灰狼の隊なら、話が早い。……三ノ三に通ってるんだろう。あそこの骨は、数えるそうだな」


「数えるよ」と、アデルが言った。「それが、どうした」


「明日、あそこの荷が、うちに上がってくる」


男は、腰の帳面を一冊、外す。


「石臼の百二十が落としていった物だ。革の切れ、折れた刃、留め具。迷宮の裏の連中が買い集めて、うちに上げてくる。うちは、外で売る。……悪い話じゃない。先に見るだけだ」


男の帳面は、三冊とも角が丸い。数を書き込んで持ち歩いて、減った角である。


「骨は」


アデルの声が、自分でも思ったより、早かった。


男は、アデルを見た。


「骨は、返す。骨は迷宮のもんだ。どこの骨でも、拾ったら、迷宮に返す。それが、うちの掟だ。……焼く奴もいるがな。焼いたら、うちの商売が立たん。焼く奴は、うちの敵だ」


「返すって、どこへ」


「拾った区画へ。混ざってりゃ、選り分けて返す。選り分けられなけりゃ——」


男は、そこで言葉を切る。切って、帳面を開いた。


「まあ、いい。骨の話じゃない。荷の話だ」


帳面には、数字が並んでいた。品の名と、数字。数字は、二列あった。


「あそこの荷は、いい値がつく。三ノ三の落とし物、と言って売ると、外じゃ、値が違う。話が、ついてくるからな。……歌まで、ついてくる」


男は、二列のうちの片方を、指で隠した。隠さなかったほうの列を、アデルに見せた。


「灰狼の隊で、あそこの荷を、先に見たいなら——いい値で、回す。話の出どころに先に見せるのが、筋ってもんだろう」


「見ねえよ」


アデルは、言った。言ってから、隠された列のほうを、見ていた。


「……見ねえ。骨に返す分だけ、ちゃんと返せ」


「返すさ。掟だ」


男は、断られた顔をしなかった。断られ慣れた顔で、笑った。


男は帳面を閉じる。閉じるとき、隠していた指が離れて、片方の列の数字が、一瞬だけ、見えた。見えた数字は、もう片方の、四つぶんほどの大きさである。


アデルは、それを見なかったことにした。


見なかったことにして、杯を空けた。歌の拍が、まだ指に残っていた。


「シルヴァ。今の、書いたか」


「……はい。数字、二列。片方は、隠されました」


「隠された数字は、書くな」


「はい。書きません」


エルフは、書かないことを、書いた。


回収の男は、帳面を腰に戻した。出ていく前に、卓の上の紙を一枚、丁寧に畳む。何かの、値の表である。アデルは、その手元を見ていた。見ていても、数は読めない。畳んだ紙は、前掛けの内側に消えた。


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