第三十三話 祝いの夜、数えそこねる
祝いの夜は、三十九体ぶんの椀を数えるところから始まった。
三ノ三の二本目の通路は、昼のうちに本直しが済んで、今夜は宴の場である。岩の観る席を内向きに並べ替え、たいまつを倍に増やした。床は、きしまない。きしまない床の上でやると決めたのは、俺だ。
先触れは、匂いで来た。
裏市場の坂を、大鍋がのぼってくる。担いでいるのは、うちの連中が二人並んで座れそうな肩幅である。マム・グレテは通路の真ん中に鍋を下ろし、腰に手を当てて、店内をぐるりと見た。
「ほら、鍋だよ。……あたしが出前とはね。面白い時代になったもんだ」
笑うと、牙が見えた。ドロテアの鍋と、グレテの大鍋。火がふたつ並ぶと、通路が飯場の顔になる。
「今夜は祝いかい」
「祝いです」と、俺は言った。「全員でやる祝いは、初めてなので」
「なら、あたしの椀は大きいほうで数えな」
全員、には夜番も入っている。表を空にしない決まりは、祝いの夜も生きている。だから当番は順繰りで、表に立つ一体も、半刻で交代して鍋の前に座る。表の当番のところへは、そのつど椀が届く。当番表の紙一枚で、決まりと祝いの両方が立つ。こういう紙を書くのが、前の世界の俺の仕事だった。
◇
宴の頭で、点呼をやった。
当番表の順に、ピンが帳面を開く。せっかくの祝いに点呼か、という顔をする者は、うちにはいない。数えるのが、うちの流儀だからだ。
「てんこ、します」
数え棒が、かちりと鳴る。
「ぱたり」
あごが、ひとつ上がった。
「もっかい」
地面を、とん、とつつく音。
「どろてあ」
「はいはい」
「……くかくちょう、さま」
外套の袖の奥で、明かりがひとつ揺れた。当番表には、区画長の席も書いてある。
「……出ません、と言ったはずなのですが」
言いながら、ヴォルクは鍋の前に座った。袖の明かりが、火の色を映した。
「かたり」
「いる」
それから、番号の衆である。ピンは若い番号から順にぜんぶ読んだ。読まれるたび、骨の鳴る音が、ひとつずつ返る。左腕の番号が深くかすれた骨は、呼ばれる前に、自分から音を返した。ピンは何も言わずに、次を読んだ。番号のなかほどで、誰かが小さく、番号ではない呼び方をした。番号より先に、音がひとつ返った。ピンは知らん顔で、同じ番号を読み直した。俺は帳面に書かない。生えるのは、下からだ。
番号のぶんが、ぜんぶ返った。名のある者とあわせて、三十九。この中には、来たときに自分の番号を忘れていた連中が、十八いる。今夜は、誰も間違えなかった。
最後に、ピンの声が少しためらった。
「……せんぱい」
壁際の窪みは、鳴らなかった。
「いる」と、俺が代わりに言った。「見れば分かる」
「ぜんいん、と、かきます」
数え棒が、かちりと鳴って、帳面に、全員、と書かれた。全員の二文字が、今夜は紙の上だけの言葉ではない。うちは、いつの間にか、村の祭りほどの頭数になった。一座、という言葉を腹の中で使うのは、ずいぶん久しぶりである。
◇
宴は、うちの品書きでやった。
受けの六体が、酔ってもいないのに構えを披露する。追いかけっこが鍋のまわりを二周して、ドロテアに叱られる。ぱたりが、頼まれてもいないのに手本を出し、教室の生徒がそろって続く。転びが決まるたび、つつく音が、あちこちで鳴った。拍手を知らない連中の拍手は、今夜は床の下まで響いている。
宴のなかほどで、受けの一体が、誰もいない通路に向かって、見送りの礼をやってみせた。今夜だけ、客がいない。礼だけが、いつもどおり深かった。笑う声の代わりに、つつく音が、そこらじゅうで鳴った。
歌は、途中から来た。
火が強いから、声も出る。ドロテアの鼻歌に、転びの拍が合っていく。骨の足が、拍を踏む。うちの店のいつもの夜の、いちばん大きいやつである。
グレテの大鍋の前には、列ができた。椀を受け取る順番を、誰も追い越さない。列の作り方だけで、この区画の育ちが分かる。俺が知っているのは、列が、まっすぐだということだ。
宴の途中で、グレテが語りだした。麓の店で聞いてきた、うちの話である。うちの品書きで、いちばん高い転びの話は、器を渡ってくるあいだに、もう俺の知らない形に育っていた。歩数を数えながら転んだ骨が、話の中では、倍の歩数を数えている。壁際のくだりでは、受けの六体がそろって音を鳴らし、転びのくだりでは、ぱたりのあごが上がった。自分の出てくる場面で、自分の音を鳴らす。
語りが、骨の散らばるくだりに差しかかると、通路の音が、一度だけ静かになった。グレテは声の調子を変えずに、最後まで語った。最後は一対十、と、話の中でも、そこだけは数が合っていた。語るなら数を間違えるな、と言った男の注文は、山をのぼるあいだも守られていた。
語られる店の中で、店の者が、自分たちの話を聞いている。俺の知るかぎり、店がいちばん強いのは、こういう夜である。
こういう夜を、前にも知っている気がした。
作ったものの前で、作った連中と、鍋を囲む夜だ。前の世界にも、あった。作りかけのまま置いてきたものが、ひとつ、ある。作る側だった、とは思う。あれの中身を、ひとつ、ふたつ、と数えようとして——
指が、止まった。
ひとつも、出てこない。数の入っていた場所が、空いている。
たいまつが、一本、はぜた。
祭りの音が、遠くで鳴っていて、それから、近くに戻ってきた。もっかいが、俺の前の床を、とん、とつついている。品書きにない大技を出していいか、という顔である。
俺は、開いたままだった指をたたんだ。
「出せ。今夜は祝いだ」
もっかいの大技が決まって、九つどころではない息が、いっせいに漏れた。
◇
夜更け、火が落ち着いてから、壁際へ行った。
途中で、ドロテアが椀をひとつ、俺の手に押しつけてきた。
「あんたが数える前に、あんたの分は数えといたよ」
礼を言う前に、鍋のほうへ戻っていった。
宴の音は、まだ後ろで続いている。裏回りの道の奥で、緑の光が二拍、またたいた気がした。見に来て、帰ったのかもしれない。帳面には、書かないでおく。
窪みの前に立って、俺は総決算をやった。
「一部の締めの数字です。月三灯が、十七灯一分。頭数二十一が、三十九。客は、ゼロの日ばかりだったのが、いちばん多い日で二十四。名前は、三つ生えました。ぱたり、カタリ、もっかい。……俺のは、もらいものですが」
指を折りながら、読み上げる。折れる指の数字は、ぜんぶ言った。
「まちきれなかった客の行は、ゼロが続いて、いまは七に戻りました。席が、追いついていない。それから、順位は、四つ目の項で一番。ぜんぶ足すと、まだ二番。……宿題は、二つです」
宿題まで読み上げるのが、うちの総決算である。いい数字だけ並べた紙は、上に出す紙だけでいい。
「死んだのは、二度。二度とも、店は潰れませんでした。……以上です」
それから、いつものぶんを言った。
「ただいま」
こつ、こつ。
と、鳴った。
初めての、二度だった。
鳴る瞬間は、今日も見ていた。一度目の指は、見えた。二度目は、見ている目の前で鳴って、どの指だったのかだけが、分からない。
俺は、三拍ぶん、突っ立っていた。気がつくと、俺の指が、二本、折れていた。数える気もなしに、折れていた。
窪みの中の白い骨は、いつもの角度に戻って、いつものように立っている。
後ろでは、祭りの音がまだ続いている。鍋の匂いと、つつく音と、歌。俺の店の、いちばんいい夜の音である。その手前で、二度の音だけが、俺の側に残った。
二度の音の意味は、分からない。
分からないままにしておくには、惜しすぎる音だった。




