第二十話 席が足りない
雨の休みが明けた、昼の三ノ三である。
雨の日、山道は川になる。客は来ない。うちは店じまいだ。そして雨の翌日は、来なかった昨日のぶんまで、まとめて来る。
来た。まとめて。
先客はひよこ隊の二人。追いかけっこの二周目に入ったところだった。そこへ、境の通路から灰狼の隊が入ってきた。三人そろいは久しぶりである。先頭の女、アデルが、にぎわいを見て眉を上げた。
「……盛況じゃねえか」
褒め言葉が全部喧嘩腰の人の、あれは最上級である。常連というのは、休みの明けに、店が無事かたしかめに来るものらしい。
その後ろから、見覚えのある三人組。斧の大男、双剣の細身、盾の寡黙なの。剣の客だ。さらにその後ろに、見慣れない装備が、五人。そのうちの一人が、通路を見回して、連れに言った。
「——三本槍で聞いた話の店ってのは、ここか」
三本槍。町の酒場の名前らしい。語られた話が、客の足をつけて、歩いて戻ってきたのだ。
観測点の岩陰で、ピンの数え棒が走る。
「きた、きゃく……はち……じゅう……じゅうさん」
十三。うちの一日のいちばんは、六だ。灯が倍になった月でも、日ごとの山は六で止まっていた。それを、昼だけで倍以上——帳面の新しい紙が、みるみる埋まっていく。
めでたい。実にめでたい。めでたいが、置く場所がない。
一座、初めての満員である。
◇
手前の広いところに剣の客、奥に口の客、壁ぎわに目の客。まず、そう分けた。
はじめのうちは、回っていた。剣の客は言われなくても受けの列に並び、目の客はいい岩を譲り合い、口の客は追いかけっこの周回に合わせて、いい場所で笑う。作った仕組みが、勝手に回っている。店というのは、こうなると気持ちがいい。
崩れたのは、昼を少し過ぎたあたりだった。
追いかけっこは、走る芸だ。走れば、通路を使う。受けは、受ける芸だ。受ければ、手前がふさがる。目の客は動かない代わりに、いちばんいい岩から動かない。三つの型を同時に回すには通路が一本では足りず、骨の手も足りない。受け手の二体は追いかけっこの角も兼ねていて、角にいるあいだ、受けの列は止まる。三つのうち、いつも半分が欠ける勘定になる。
待たせる、が発生した。
「——おい、こっちが先だろ」
「見ろよ、いまの。転んだぞ」
人間の声だけが、重なって響く。うちの側は、いくら騒いでも、客の耳には届かない。騒がしいのに、店は無音である。
一手だけ、打った。受けの順番待ちの列を、稽古の見える壁ぎわへ寄せる。待つ、を、観る、に振り替える。目の客の岩の隣なら、待ち時間も品のうちだ。
効いた。列の後ろの足が、止まった。——止まらなかった足も、ある。
すれ違いざま、走りながら、ひよこ隊のテオが手を振ってきた。
「きょう、にぎやかですね!」
そっちの声は、届くのである。うらやましい。
詰まった通路の前で、しばらく待って、それから来た道を戻っていく背中があった。追いかける声を、うちは持っていない。
おまけに、裏のほうから、鼻歌が流れてきた。針仕事の音つきである。うたのある日、客は長い——帳面の言うことは、きょうも正しかった。長い。ありがたくて、回らない。
エルフの薬師が、手帳をめくる手を止めて、つぶやいた。
「……きょうのぶんの、ページが足りません」
こっちの台詞である。
◇
ぱたりが動いたのは、昼のいちばん詰まったころだった。
転び手は、いる。だが、あの転びで笑いを取れるのは、一体しかいない。口の客が増えて、追いかけっこの締めの転びが、回らなくなった。奥で、笑いを待つ間が空く。
壁際で、かた、と音がした。
ぱたりが、一歩、前に出ていた。
つながった右腕。指の欠けた右手。あごは、もう上がっていた。
止める理由を、指を折って数えかけた。転びは腕で受ける。その腕は、一度、砕けた腕だ。二つ目を折る前に、ぱたりは走り出していた。
走って——
ぱたり、と。
両腕をふり上げ、天井をあおぎ、砂をまき上げて、うちの通路がいちばん揺れた転びだった。音の大きさの割に、骨はどこも飛んでいない。教科書に載せたい転びである。
奥で、笑いがはじけた。初見の新規が三人、声をそろえて笑った。テオの声が、いちばん大きかった。ミナが飛び上がる。
「いまの! いちばん、おっきい!」
老ドワーフは、今度は笑いをこらえなかった。壁の盾の男が、起き上がったぱたりに向かって、浅く、うなずいた。
ぱたりは壁際に戻り、あごを、これ以上ないほど上げてから、また採点の角度に戻った。何事もなかったような顔で。骨に顔はないが、そういう顔だった。
つないだ継ぎ目のあたりに、細かい白いものが、うっすら吹いていた。——砂かも、しれなかった。
ピンが記帳する。
「ぱたり、ふっき。ころび、いち。……おおきさ、いちばん」
◇
夕方、客が引けてから、勘定をした。
来た客、十三。笑って帰った客、十一。あとの二人は——待って、待ちきれずに、帰った。
ピンの帳面。ぱたりの行と、かたりの行。その下に、見たことのない行が、増えていた。
「かくところが、なかったので……つくりました」
行の名は、ひらがなでこうある。まちきれなかった、おきゃく。数字は、に。
あの夜、「なんて、かけば」と数え棒を止めた小鬼である。
二、という数字を、俺は何度か読み直した。
きょう、うちは客を取りこぼした。品が悪かったからじゃない。品を出す席が、なかったからだ。
数えてみる。通路は一本、すれ違える幅は大人二人ぶん。骨は二十一体、芸に出せる手は役を兼ねて回して、それでも足りない。演目は三つ——追いかけっこ、転び、受け。同時に回せるのは、二つ半。
足りないのは、客じゃない。席だ。
狭いな、と言った一位の声を思い出した。あの人は、入って三歩で、きょうの二人を数え終わっていたわけだ。
そして、きょうの十三は、来月には写しに載って、隣の岩机でも読まれる。匂いをさせすぎたか、とも思う。——それでも、匂いは商売だ。帰った十一人は、きょうのぱたりを、どこかで語るだろう。語られた話は、また客の足をつけて、戻ってくる。
◇
夜、岩机の前に呼ばれた。
区画長ヴォルクの袖の淡い明かりが、いつもより暗い。報せは、静かだった。
「三ノ四が——次の査定で、取り潰しになる」
第三層の区画は、四つ。うちが二位に上がった月、三ノ四は、びりに落ちた。
「……うちが、抜いたから、ですか」
「順番が、来ただけだ」
袖の明かりは、揺れなかった。揺れないように、しているように見えた。
「取り潰しの区画は、どうなるんですか」
「畳んで、空きになる。骨は、割り振りだ。……引き取り手が、あれば、だが」
「……何体、いるんですか」
「十八だ」
即答だった。この人は、隣の区画の頭数を、そらで言えるのだ。袖の奥の帳面に、事なかれの顔で、そういう数字をずっと書いてきたのだろう。
十八。うちが、二十一。……ほとんど、もうひとつのうちだ。
俺の帳面のどこにも載っていない場所で、勘定は続いていたのだ。
俺は、昼の帳尻を思い出していた。足りなかった席。取りこぼした二人。回らなかった持ち場。それから——行き場のなくなる、十八体。
「区画長。……引き取り手の申し出は、どこに、出すものなんですか」
袖の明かりが、今度は、はっきり揺れた。
◇
壁際へ歩いた。白い骨の定位置の隣に、ぱたりも戻っている。いちばん古い先輩と、きょういちばん働いた審査員に挟まれて、俺は今日の数字を言った。来た客、十三。取りこぼし、二。ぱたりの復帰と、いちばん大きい転びが、一。
返事は、待たなかった。代わりに、指を一本折って、俺は声に出して言った。
「席が足りないなら、増やせばいい」
新しい帳面の、まだ白い行が、頭に浮かんでいる。
「……隣が、空くらしい」




