第十四話 滑った
その三人は、昼前に、うちに来た。
斧を担いだ大男。双剣の細身。塔みたいな盾の、寡黙なの。三ノ三では見ない、そろいの傷だらけの装備だった。傷の色が、この山のものじゃない。
「ここか? 例の、骨が芸をするってダンジョンは」
「くだらねえ噂だ。骨は骨だろ」
「浅すぎだろ。半日で抜けるぞ、こんなとこ」
観測点の岩陰で、ピンの数え棒が、かち、と鳴った。新規、三名。このごろ増えている、まっさらの客——知らない顔だ。いい知らせ、のはずのやつである。
洞窟の奥が、そわ、と揺れた。新規の客。骨たちの間で、その響きはもう「初めての観客」と同じ意味になっている。転び担当が持ち場で、両腕を小さく振り上げては下ろしていた。素振りだ。いちばん大きい、両腕振り上げの転びの素振り。このごろの新規は、いつも奥まで来ずに帰ってしまう。今日こそ見せる気で、うずうずしている。
俺は岩陰で、いつもの段取りを組んだ。新規には、まず「惜しい」を見せる。追わせて、かわして、あと一歩で届かない。それで客の息が変わる。ひよこの二人は、あれで常連になった。
——今思えば、この時点でもう、俺は間違えていた。
◇
開演は、いつもどおりだった。
骨たちが散る。俺は通路の真ん中で「見つかる」。大男が斧を構える。踏み込みは重く、まっすぐで、速い。
かわす。紙一重。大げさに慌てるふりを添えて。
「惜しっ……」
の声は、出なかった。
大男は舌打ちをして、二撃目を最短で振ってきた。遊びのない軌道だった。俺はもう半歩深くかわして、わざと石につまずいて、派手に転がってみせた。いつもなら、ここで客の息が弾む。
「……おい」
大男の声は、弾んでいなかった。
「こいつ、いま、わざと転びやがったか?」
俺は転がったまま、計算を直そうとしていた。違う客だ。息が弾まない。目が笑わない。なら演目を変えるか——変えて、どれに? 追いかけっこの他に、追う客に出せる演目が、うちにはまだない。手持ちの少なさを、こんなときに数えることになるとは。
しまった、と思ったときには、双剣の細身が笑っていた。客の笑いではない。もっと乾いた、嘲笑という種類の笑いだった。
「わざとだろ。見ろよ、こっち見てやがる。……舐められてんだよ、俺たち」
違う。
違う、と言おうとして、俺の口から出たのは、かた、という骨の音だけだった。
そうだった。届かないのだった。俺の声は、こいつらには届かない。届かないまま、あごの音だけが鳴って——それが、とどめになった。
「笑ってやがる」
大男の目の色が、変わった。
それは怒りというより、もっと古いものだった。安い店で、雑に扱われた客の顔。俺はあの顔を、前の世界で知っている。知っていたのに、思い出すのが、遅すぎた。
「ぱたり」と、そのとき、洞窟の奥で音がした。
転び担当だ。誰にも追われていないのに、いちばん大きい、両腕振り上げの転び。
最悪の間だった。
「——上等だ」
大男が、踏み込んだ。俺にではない。転んだままの、あの骨に。
止めろ、と叫んだ。かた、と鳴った。
一拍、数えていた。間に入れるか、を。——数えてしまった。
走った。間に合わなかった。
斧じゃなかった。踏んだのだ。転び担当の右腕を、鉄板の靴底が、まっすぐに。
乾いた音がした。転びの音とは、違う音だった。
◇
三人は、長居しなかった。
大男は骨の腕を一本踏み砕いて、それで気が済んだというより、白けたらしかった。
「なんだよ、この区画。気味が悪い」
「二度と来るか。……行くぞ」
盾の寡黙なのだけが、出口で一度、振り返った。転がった骨と、駆け寄る俺を、順に見た。何も言わずに、出ていった。
洞窟が、静かになった。
骨たちが、遠巻きに集まってきていた。誰も、あごを鳴らさなかった。あんなに鳴っていた洞窟が、音のしまい方を思い出したみたいに、静かだった。
転び担当の右腕は、ひじから先が、砕けていた。骨は死んでいない。踏まれたくらいでは死なない。時間が経てば、繋がる骨は繋がる。
ただ、砕けて粉になった欠片は——戻らない。
俺はそれを、自分のあばらで知っている。あの日の欠けは、今も欠けたままだ。
「動くな。数えるぞ」
散った骨片を、一片ずつ拾って数えた。ドロテアが裏から飛んできて、布を広げた。拾える欠片を全部並べても、右腕の形には、足りなかった。指の付け根から先が、二本ぶん、粉になっていた。
ドロテアは、何も言わなかった。俺を責める言葉も、慰める言葉も、ひとつもなかった。ただ拾い集めた欠片を布で包み、包みの口を固く縛って、転び担当の左手に握らせた。
転び担当は、静かだった。
痛みは、ないはずだ。骨だから。ないはずなのに、そいつは残った左腕で、砕けた右腕の先を、しきりに探していた。ない指で、何かをつかもうとするみたいに。
「……もう、ぱたり、できない?」
あごの音が、小さくそう言った。
できる、と即答した。腕が一本でも転べる。俺が転び方を百通り知っている。だから、と言いかけて、俺は口を閉じた。
◇
夜、壁際の窪みの前に立った。いつもの報告を、しようとした。客、三名。うち、また来る客、ゼロ。損害、指、二本。戻らないぶんだ。
——そこから先が、出てこなかった。
出てこないまま、隅に座って、一人で数え直した。原因——
原因は、俺だ。
あいつらは、間違っていない。ダンジョンで骨を砕くのは、もともと、そういう仕事だ。
三人が入ってきたときから、目つきも、装備の傷も、口の利き方も、見えていた。あれは笑いに来た客じゃない。腕試しに来た客だ。見えていたのに、俺はいつもの開演をした。ひよこの二人に効いた手だから。効いた手を、効かない客に、そのまま出した。
客を、見ていなかった。数えていたのに、見ていなかった。
楽しませることと、からかうことの間には、線がある。こちらがどう思っていようと、その線を引くのは、客のほうだ。
線を、踏んだ。俺が。
間に合う脚が、うちにないことも。持ち場の決めごとが、ないことも。分かっていて、後回しにしてきた。
知らない顔は、いい知らせだ。——その数え方が、間違っていた。
客は、ひとつじゃない——のかもしれない。指を折りかけて、やめた。続きは、明日数える。
観測点の岩陰に、明かりが残っていた。
ピンが、帳面を開いたまま、止まっていた。今日の欄は、途中まで書いてある。来た客、三。帰った客、三。また来た顔、ゼロ。その下の、何も書いていない場所で、数え棒が止まっている。
「どうした」
ピンは、顔を上げなかった。帳面の上で、棒の先が、小さく震えていた。
「……なんて、かけば」




