第十話 隣の一位
休みの半日を使って、俺は隣の区画を見に行くことにした。
三ノ二。同じ第三層の第二区画にして、査定一位の常連。月十九灯、四十体。灯だけで、うちの五倍以上——一位の数字は裏市場では有名税のようなものらしく、これもドロテアの講義にあった。
浮かれない。浮く——数字で。そう決めた以上、やることは決まっている。数字で勝ち続けている店を、この目で見ることだ。幸い、というべきか、うちの噂はとっくに隣まで届いている。今さら隠れて積めるような相手ではない。
ピンを借りる断りついでに行き先を伝えたら、当のドロテアに捕まった。
「オルバスのとこかい。……行儀よくしなよ。あそこは、昔からああなんだ」
「昔から、って」
「あたしが来るずっと前から、一位だよ。で、ずっとああさ」
それ以上は教えてくれなかった。ずっと一位で、ずっとああ。説明になっていない説明ほど、行ってみたくなるものはない。帳面袋を提げたピンが、とことこ付いてくる。
「……これは、しさつ、ですか」
「偵察と言え。手土産のない訪問は、だいたいそう呼ぶ」
道は裏回りを使う。区画と区画は、裏でつながっている。骨が裏市場に通えるのだから、当然といえば当然の話だ。表の、挑戦者の通る道は使わない。
境の通路を抜けた瞬間から、空気が変わった。
まず、床がいい。踏んでも鳴らない。罠の位置が、歩く者の癖を読んで置かれている。壁のたいまつ受けには油の染みひとつない。そして骨たちが——立っている。ぼんやり、ではない。持ち場に、立っている。
「とまれ」
止められた。骨の衛兵が二体、槍を交差させる。ももには番号がくっきりと、消えかけひとつなく書いてある。
「三ノ三の一一四。隣の見学に来た」
衛兵は顔を見合わせもせず、片方が奥へ走り、片方が槍を構えたまま俺たちを見張った。伝令が走る区画である。うちで伝令を頼んだら、途中で用事を忘れて帰ってくる。
通されたのは、区画の最奥だった。
そこに、その人はいた。
目の穴の奥で、緑玉の光が静かに燃えている。そして、姿勢が完璧だった。立っている、というより、据えられている。
第二区画長、オルバス。
「……三ノ三の、数える骨か。一度、見ておこうと思っていた」
声は、乾いた書庫のようだった。
「噂は、そこまで届いてますか」
「届く。私は帳簿で階層を読む。査定の写しは、頼めば階層長が回す——頼む区画長が、私のほかにおらんだけだ。おまえの区画の行だけ、先月から書体が変わったような数字を出している。三灯と、四分。だったか」
査定の総合値を、隣の区画長が分の位まで覚えている。
「用件を言え」
「経営の見学です。一位の区画がどう回っているのか、一度この目で見たかった」
「経営」
緑玉の光が、わずかに揺れた。笑ったのかもしれない。
「客に媚びる骨か。三百年、そのやり方で残った区画はない」
にべもない、とはこのことである。だが、続きがあった。
「見ていくがいい。見られて減るものは、ここにはない。三百年、同じ置き方で勝っている——写して勝てるなら、とうに誰かが勝っている。……小鬼」
ピンが、びくりと帳面を抱え直した。
「何を数えている」
「……ぜんぶ、です。ほねのかず、やりのかず、たいまつの、あいだ」
「間、だと」
「あるきやすい、ところに、あかりが、あります。……かぞえると、わかります」
視線が、二拍、ピンの上で止まった。
「数えていけ」
それだけ言って、オルバスは俺たちに背を向けた。案内はつかない。代わりに、衛兵がひとつだけ指示をよこした。見学は通路側の岩陰から、出るな——客あしらいにまで、しつけが行き届いている。
歩いて、分かった。この区画は強い。それも、力任せの強さではない。四十体が、それぞれの持ち場で、それぞれの仕事だけをしている。奥からは訓練の音。負傷した骨を、決まった手順で決まった場所へ運ぶ列。番号の点検係までいる。うちで俺が夜番の暇つぶしにやったことが、ここでは役職である。
からくりのひとつは、たぶん単純だ。強い骨は、死なない。死なない骨は、減らない。積み上げの利く体のまま、三百年。うちとは、遊びはじめる前の持ち点が違う。
途中で、本物も見られた。
挑戦者だ。駆け出しを出たばかりの風の三人組が、気合いの声とともに踏み込んでくる。俺たちは言われたとおり、岩陰から見た。三ノ二は騒がなかった。持ち場の骨が二体だけ前に出て、正面から受け、正確に削り、三人の息が上がりきる寸前——すっと引いた。深追いをしない。
挑戦者たちは荒い息のまま顔を見合わせ、悔しそうに、それでいてどこか誇らしげに引き上げていった。あれはまた来る。「歯が立たなかった」は、酒場で語るには上等の土産だ。強いから、挑まれる。挑まれるから、語られる。うちとは別の答えが、ここでは三百年、動き続けている。
……気づいているのだろうか。生かして、帰して、また来させて、語らせている。彼のやり方は、彼の軽蔑する言葉で呼べば——上等の、客商売である。言わないでおいた。言って、帰れなくなる気がした。
少し、震えた。
ただ、ひとつだけ気づいたことがある。
強くて、正確で、無駄がなくて——誰も、楽しそうではない。持ち場の骨が一体、ピンの帳面をちらりと見た。見て、何か言いかけて、やめて、姿勢を戻した。それだけのことが、この区画では乱れに数えられるらしい。
まねられるところは、まねて帰る。伝令の仕組みは無理でも、たいまつの間隔なら、数えれば済む。ピンの帳面には、もう写してある。
帰り際、もう一度、最奥に寄った。礼くらいは言っていく主義である。
「勉強になりました」
「そうか」
オルバスは、こちらを見もしなかった。石板の帳簿に、細い骨の指が数字を刻んでいる。
「ひとつ、聞いても?」
「言え」
「あんたは——客を笑わせることを、考えたことはないんですか」
指が、止まった。
「考えなかったと、思うか」
緑玉の光が、初めてまっすぐ俺を向いた。
「考えた骨を、三百年で三百は見た。攻略者に手心を加えた骨。見世物を打った骨。客となれ合った骨。……どれも残っていない。名前もだ。私が覚えているだけだ」
「……」
三つ数えられて、二つまでは、うちでやっていることだった。
「帳簿は嘘をつかん。つくのは、書く者だ。おまえの四分が嘘でないなら、続けてみせろ。——嘘なら、隣で見ていてやる。消えるところを」
取り付く島もない。俺たちは一礼して、区画を出た。
境の通路で、ピンがおずおずと言った。
「……おこられ、ました?」
「半分な」
「はんぶん?」
答える前に、背中に声が届いた。振り向くと、通路の奥、緑玉の光がこちらを向いていた。
「……数を数える小鬼は、いいものを拾ったな」
それだけ言って、光は区画の奥へ消えた。
拾ったのはどっちだ、と思ったが、言わないでおいた。ピンは自分が褒められたことに気づいていない顔で、耳だけが、ぴこぴこと動いていた。
帰り道、ピンが帳面を開いた。
「さんのに。ほね、四十。やり、十二。わな……たくさん。……かず、だけなら、うち、まけて、ます?」
数字だけ見れば、勝負にもならない。四十対二十一。十九灯対、三灯と四分。三百年対、ひと月。
「いいや」
俺は、通路の先を見た。うちの洞窟の、頼りない明かりが見えはじめている。傷んだ床。継ぎだらけの結界。数字に名前のついた、うちの帳面。
「考えた骨は、三百いた。やり切った骨は、まだいない。——三百年、誰もやり切らなかったなら、まだ誰も負けてない」
ピンが、ふん、と鼻息で返事をして、歩きながら帳面の隅に何かを書き付けた。のぞくと、正の字の一画目だった。何を数えはじめたのかは、教えてくれなかった。




