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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
ゆっくりつかまれて

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8/11

2.

 次回の行き先決定。

 真言は神社仏閣が細かく書いてある地図を持っていた。自分で地図アプリにでも入れたのか。すべてが登録してあるとは思えないが、向いた方向に進むと言う。


 なんとなくここ、と表現するのは、力が弱まっているのもあるらしく、確信でないからという。とりあえずそこに向かうことになった。車で行けるが、二時間くらいかかる。高速道路の料金は持たなくていい点と、運転してくれる点は楽。


 都心へ向かっていくらしい。この日は平日だ。学生の希望も少しは聞かなければならない大人としての気持ちが、その申し出を受け入れた。ということはこの次は休日か金曜夜または土日になる。


 有給の申請書に「私用によりお休みさせていただきます」と書いて、提出。幸い、健康体であるため有給を病欠で消化したことはない。両親に感謝だ。

 有給は計画的付与以外ほとんど残っていて、使えなかった分切り捨てられてしまう部分までは、それこそ私用で使ってきた。それを、たしかに私用とはいえ嬉しくない過ごし方に使う。

 特につっこまれることもなく、有給は無事にとることができた。






 当日は水曜日。この日、真言は講義はないという。となると、これからの平日はすべて水曜になりそうだ。


 高速道路を滑っていく車は、前と同じ車。暑い夏、エアコンが効いていて嬉しいが、約二時間後にこの鉄の体から出て羅針盤が示すもとを探さなければならないのは苦痛だ。

 日焼け止め、日傘、つば広の帽子、水分、塩分補給のタブレットなど、色々と装備は万全にしてきた。


 車のなかでも、音楽がかかっている。歌詞が目についた楽曲を選んでおいて、流してもらっている。真言はなにも言ってこないが、多分思うところはありそうだ。最近の曲も多くした。古い曲もある。文句を言われる筋合いなどない。視線は流す。


「あ」

「なに」


 ミラーにかかっていた羅針盤が、ぼう、と光っている気がする。あくまで“気がする”の範囲だが、真言の「あ」でそうなんだと思ってしまった。

 予想よりも、目的地は近いらしい。


「次で下りる」

「任せる」


 次の出口で、高速道路から抜け出す。次に入るのは、どこにあるかわからない、神社の鳥居。


 一度コンビニへ寄り、地図を開く。羅針盤が示す方向には、いくもの神社仏閣がある。調べきれていない場所もあるだろう。


「これが反応したってことは、そう遠くない…… はず」


 はず、はつけてほしくなかったが、仕方ないから近いところから順に潰していくしかない。

 一か所目、外れ。二か所目、外れ。三か所目、外れ。三度目の正直、という言葉を信じたかったが、二度あることは三度ある、のほうが正しかった。


「見つけた」


 当たりを引いたのは、五か所目にあった寺だった。そこそこ有名なのか、平日にもかかわらずぱらぱらと人がいる。嬉しくなかった。自分がどんな行動に出るのかわからない詠としては、見られたくない。

 もし最初のときのように崖に突っ走ったりしたら。手や蔓を見えていない人間の前で、それに怯えて尻餅をついたら。共感したあまり、泣きながら歌っていたら。


 承諾してしまったのを後悔する。後悔したのは、危ないことに付き合わされることではなく、外聞のほうだと自分でもわかっている。


「これが選ぶところって、たしかになんというか……」

「死ぬ要素がある」

「それをあんた、この場で言うの?」


 ——使命ある男が、寺のなかでそんなことを言うか、普通


 だが真言の言うことはもっともだった。研修旅行先は、崖があり落ちれば死ぬ。丑の刻参りのあそこは、落ちてもずり落ちるか転げるかのくらいだったが、それがあったからいかにも呼ばれそうなおどろおどろしい雰囲気があった。


 そしてここは、大きな池。


 池と表現すれば聞こえはいい。鯉が優雅に泳いでいたり、水連が咲いていたり、きれいな水は音とともに流れ、心まできれいに洗ってくれるような、そんな場所。


 が、ここはどうだ。


 茶色に濁った水の色。水ではなく、これは泥に近い。鯉はいるが、ぱくぱくと大きく口を動かして、食べ物を持ってこいと言わんばかり。花の季節は通り越したのか、葉だけが残って彩ひとつない。


 池のなかを歩いて渡るための歩道が、木で作られている。今ばかりは、これを渡って向こう側へ行ってしまえば、それこそ三途の川を渡ってしまうのではないか、と恐ろしい想像のほうが広がってしまう。


「なんか今年はきれいじゃないわね」

「葉っぱも元気がないし」

「涼もうと思ったのに、湿ってて気持ち悪いわ」


 涼をとろうと歩きに来たらしき奥方たちが、そんな言葉を残して去っていった。いつもなら、こんなのではないのかもしれない。

 というと、やはり。


 思い直す。ここ最近の異常気象で、こんな状況になってしまったのではないか。きっとそうだ。環境が変われば、同じものは残せない。変わってしまうもの。それに順応していかないといけないし、自然相手ならするためのなにかを、考えなければならない。


 一周回ってみたが、お互いなにも見えない。それでも真言はここだと確信しているようで、この寺から動く気はないらしい。真剣な目つきで周囲を観察している。

 いくつもの場所に行き、ここと言われたこの場所は気持ちのいい場所とは到底言えないところ。振り回されている詠としては、さっさと帰りたいと思ってしまい、一時覚悟を決めたはずなのに情けなくなる。


 回ったら次は、やはりこの池の木道を歩くしかない。落ちても死ぬことなどなさそうな浅い池だろうが、今は泥っぽく、底知れないのが嫌なかんじだ。


 反対にまわしたり、どこかと合流したりしている木道。そのなかに、途中で途切れている部分がある。壊れてしまったか。どう考えても木道がない先に進んだりしないのに、その先に行けないよう、柵ができている。


 ぞっ


 背筋に走るこの寒気。


 ——きた。ここだ


 固まった詠の前に進み出た真言。下がれ、と背に庇うよう手を出してくる。


 それは、泥そのものだ。池の水そのものが、持ち上がり、浮いている。

 ねっちょ、ねっちょ、と音まで聞こえる。なかからは、ぺちゃ、くちゃ、と押されるかたちでいくつも出っ張りができたり戻ったりしている。


「これ、」

「うん」

「なに、これ」

「未練の塊」

「そんなのわかってるよ、でも」


 だんだんと、人の顔になってきたのだ。

 殴られているみたいに、顔がくぼんで、戻って、膨らんで、張り裂けて、を繰り返す。


「だめだよ、こんなの、怖くて、なにも、わかんない」

「やりたいほうだいってかんじだ」

「怖いこと言わないでよ!」


 そんなことを言われたら、暴力団の漫画に出てきそうな、何人もの大人が男を殴る蹴るを繰り返しているときの、そんな被害者の顔に見えてしまう。

 この泥の顔にある目はもちろん泥でできていて、なにも見えていない。きっと、こんな夏の日差しだって、届いていない。


 この突き刺してくる太陽の光、この目にも届けばいいのに。


 ——それなら、刺してみる? 物騒だけど


 これは泥だ。目を刺したところで、これは、きっと痛くない。穴を開けたら、どうなるか。

 日傘を閉じて、構える。


「え、なにすん」


 ぶす、


 その先を、泥の顔の眼に、突き刺した。


 目から、血のように泥が溢れて、降りかかる。

 真言は守ろうとしているのか、詠に覆いかぶさる。それを押し返した。


「これで、いいんだと思う」


 今までそうだった。この薄暗いものに触れたときに、記憶は入ってくる。


「守ってくれるんでしょ?」


 ——約束、守ってよね


 どこに記憶があるのかわからない。今日も目的地がわからないまま、いくつもの場所を渡り歩いた。やっとたどり着いたが、本当は、やっぱり怖くて、ここには来たくなかった。


 べちゃ、べちゃ、と降ってくる泥。

 それは詠にだけ当たってくるのか、それともいくつかは真言が防いでくれているのか、わからない。


 だがそれに当たる(たび)に、愛おしいなにかの存在が、伝わってくる。

 強い未練は、今度は、愛なのかもしれない。


 泥のしぶきが体にぶつかっていた。ただそれだけだったのに、未練がなんなのかを思った瞬間、体に張り付いていた泥がどんどん広がって、身体を覆っていく。自分自身が、あの男のようになっていく錯覚。


「守ってよね」


 最後に見えた真言の瞳に訴えかけて、第三者になった。


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