1.
どうやって帰るか。
真言に住所を知られたくないため、タクシーで帰宅。危ないことをしても、お金は入らない。タクシーを使うのは財布に痛いが、仕方ないと諦める。時間も時間で眠いし、そもそも電車もバスも走っていない時間になっていた。
「明日、連絡するから」
交換してしまったアプリの連絡先。これからもやりますよ、という意味が込められているような気がする。早く寝たい、が大きく、嫌だとは言えずに別れた。
翌朝、気づけば昼に近い時間だった。
——え?! もう十一時過ぎてる?!
詠の職場は土日休み。土曜日であることを何度も確認し、大きく安堵する。とはいえ家事やらなにやらをするのが土曜日のルーティンだったため、寝坊をしてしまったのが悔しい。
昨日は遅かったから、を言い訳に、のそのそと布団から起き上がった。
朝ごはんと昼ごはんを一緒に摂る。甘いものが食べたくて、ホットケーキを焼くことにした。ホットケーキミックスは常駐している。
フライパンでじっくりと火を通している間に、洗顔に洗濯をして、気持ちを切り替え。
ふつふつと穴があいてきたらひっくり返す。うまく焼けたらよかったが、油をひきすぎたのか火加減が悪かったのか、丸くぎざぎざな線ができてしまっているのが残念だ。
これで思い出したのは、テニスの二人。一人はもう、この世にいない。もう一人は、目覚めただろうか。病院で親と抱き合っている姿を想像する。
ホットケーキにバター、メープルシロップをたっぷりとかけ、いただく。その間にもう一枚焼いている。こういうときだけは、マーガリンではなくバターを使うのが詠のこだわりだ。
今日は家でゆっくりしよう。昨日は疲れた。
あ、もう今日だったと、そんなことを考える。
——あ
スマートフォンを開くと、何度も電話とメッセージが届いている。ずいぶんとしつこい。
が、電話の内容はわからなくても、メッセージのほうは心配してくれているのが伝わってきて、怒る気になれなくなった。
ホットケーキを食べ終えてから、仕方なく電話する。相手は大学生。アルバイトをしている可能性も高いのだが、メッセージよりも電話のほうが早く済む。
「もしもし」
『もしもし』
——あ、出た
「おは、こんにちは。電話出られなくてご」
『体調は』
「体調? あ、寝坊してさっき起きて、今ごはん食べ終わったとこ」
『そう』
——最初に体調を心配してくれるんだ。そのへんは常識があるのね
「で、要件は?」
『信じてくれた?』
「私がああいうのを昇華? させられるってとこだけは」
『生きた人間を巻き込んでいつかはっていう話はまだってことか』
「うん」
——そう簡単に信じられる話ではないっての
『また、付き合ってくれる?』
「嫌だよ」
『え!』
なぜイエスをもらえると思ったのだろうか。他人の辛い過去を見せられて、いい気分なはずがない。
「怖いし、悲しかったし、苦しかったし、なんか、もう、」
——やりやくない
「まこくん自分でできないの?」
『できたらやってるよ』
むす、というよりも、それこそ情けなさのこもった声が聞こえる。
『詠さんがやらないと、』
「そうやって私に罪悪感埋め込まないで!」
——私がやらないと他人が不幸になる、とか言われたら。私がやらなかったせいで、ニュースに出てくるような辛い想いをしている人が出ている、って思っちゃうじゃん。そんなの、嫌に決まってる
『……』
旅行のときも、昨日も、最終的にはうまくあちら側に送ることができた。
だがそれは、たまたまうまくいっただけなのだ。
『僕の家は代々、寺の行司をやっていました』
いきなり、身内の話になった。敬語で話すのは、真言にとって大切なことのあらわれだろうか。
『ずっとたくさんのお経をあげて、たくさんの人を見送ってきました。そういう力があったんだと思います。いつしか、何代目かはわかりませんが、強い霊が、見送りを求めて寺にやってくるようになりました。そんなときも、お経をあげて、もう一度お見送りしました』
ずいぶんと親切だと思うが、それが仕事だ。お金にはならなくても。
『それがだんだん、増えてきました。現世に残した未練に縛られ昇れない魂が、墓参りなどに来る、生きている人間を、お経ではなく、人間を、求めるようになりました。……未練を断つために』
生きている人間を襲う。呼ぶ。これは一度聞いた話。
見送りではなく、人間を求める、に、いつしか変わってしまったのか。
『人は、慣習として神社に詣で、お寺に参るけど、神様や仏様の存在を信じる人は減っています。ただ、人も神様や仏様になにかを求めるだけ。未練の魂みたいに。感謝を伝えないし、ただお参りすることに満足する。ただの観光です』
詠自身、どんな神様仏様がそこにいるかどうかを、よく考えることはなかった。
『存在を信じず、感謝もされない神様仏様は、その力が衰え、存在自体が薄くなります。神様も仏様も、神主も行司も、求められるだけ求められる。あの未練と同じ。生きた人間は死んだ人間の成仏できない魂と、似た存在になりつつあるんです。求めるだけ求めるって部分が。だから未練は、まだ生きている人間であり自分と似た存在の器を、取り込もうとする。生きていれば、未練を断てるから』
——未練も、生きた人間と、同じ?
『存在が薄くなった神様仏様の力はもちろん弱まる。だから、そういったところの神社も寺も、祝詞を唱えお経をあげても、うまくいかない。うちの力は、弱まって、僕もお経をあげることで未練の魂を送ることができなくなった』
それは、人間のせい、と。
『それでも未練を持つ魂はある。力の強さなんで、関係ない。助けを求めて、うちの寺にもやってくる。でも僕には、うちでは、もう助けられないんだ』
助けられない、お見送りができない魂。
『それらは、生きた人間を』
その後は、やはりもう聞いた話。
『強い未練を見つけて、行ってみたあそこ…… 詠さんの旅行先のあの神社で、詠さんは歌で昇華させた。歌でなくても祝詞でもお経でもなんでもいい、僕にはもう、ない力なんだ、詠さんに、やってほしいんだ。なんにでもすがる。助けを求める魂を放っておけない』
詠は、神社も寺も、観光気分で行っている。彼岸や正月、命日のお墓参りも、慣習として。初詣も、慣習。そういうものだと思って、やってきた。
自分にも、そんな力は、ない。神様仏様の力を弱めている人間に分類される。
『詠さんは、人の気持ちと同調して、共感できる。だから、ふたつの魂の記憶が君に入ってきて、なにが未練なのかがわかった。君は歌い、無事に未練は、消えたんだ』
ほかに集まっていた未練とともに。
『手伝ってください』
真言が助けを乞うのは、助けを求める死者の未練を放っておけない、そういう理由。
『今、僕にできるのは、少しでも未練を減らすこと』
弱くなった真言の力。別の方法で、なるべく減らしていきたい、未練。
できることをなんでもやろう、人に頼っても、なんでも。
電話の向こうから、表情も見えないのに、なぜか覚悟が伝わってきた。
——どうしよう
たしかに、涙もろいと自覚している。人の気持ちを察して、胸が痛くなる。相手が怒ると自分も怒って、喧嘩になる。感動と思っていたけれど、あれはシンクロしていたのか。
シンクロした自分の心に、未練ある魂が、生きた自分の体に入り込む。旅行のときは伸びた手、昨日は花のように開いた蔓。
死んだ人間が、自分のなかに……?
考えるだけで恐ろしい。
だが、不思議と、気持ち悪いとは思わない。二人の記憶を、自分の記憶のように見ていただけ。本を読むように、第三者の視点で、見ていただけ。最初は、キヨになっていた気がしたが、キヨの心になっていたのか。
彷徨う魂を助ける。
それが、誰かの、今生きている人間のためになる。
やらなければ、旅行に行った社員の誰かが飲み込まれていたかもしれない。連れていかれていたかもしれない。
僕には力がない。そう言い切った真言は、諦めていない。力がないと認められる強さがあり、それでもできることをやろうという覚悟がある。
ないのは、詠のほう。怖いのだ。死ぬことが。もしかしたらを考えると、怖い。
内側に入ってきた他人の魂。そのまま乗っ取られることがあったら。
歌がうまく伝わらずに、あの手や蔓とともに黄泉の国へと連れ去られたら。
これが僕の仕事だから、と言われたらとても断りやすかったのに。なぜ。
『絶対、死なせないって、……約束、してくれる?』
——また、助けてくれる? あのときみたいに
『約束する』
「ほんとに?」
『なにかあったら、僕が守る』
「わかった」
『え? いいの?』
「いいのって、頼んだのあんたでしょ。断っていいなら今からでも」
『いやいやいやいやありがとう頼みます!』
ぷぷ、と笑いがこぼれ出る。これから、命をかけた戦いに挑もうとするのにもかかわらず。
助けを求める魂のためを想い動いていると知ってしまった今。
——断れないじゃない
「でも、月に一回くらいでよろしく」
『え! 少ない』
「仕方ないでしょ、私は社会人。仕事があるの」
最初のときは平日だったが、それは研修旅行中。昨日は金曜だからよかったとはいえ、夜はやはり怖いし、今も眠くて辛い。
『せめて、隔週で!』
「土日なら考えなくもない」
『平日がいい。たくさんの人がお参りに来ているところのほうが、生きた人間の魂は明るいから、未練が寄りやすいんだ』
「有給消化しろと?」
『未練を昇華させるために!』
「ダジャレ言ってるときじゃないでしょ!」
『だめか』
「それでまるめこめると思ってるなら甘すぎる」
『平日と休日順番に、隔週で!』
「交通費と給料出してくれるなら考えなくもない」
『それはちょっと』
「じゃぁ下り」 ます、と続ける前に
『承知しました!』
詠はこれで、月に二回、未練持つ魂を見送るべく、真言に力を貸すことになったのだった。
その後、翌日日曜日、相談会ということで、前と同じ料理屋で落ち合った。ランチ。
「なるべくたくさん、曲聞いておいて」
「聞いても、覚えられるわけじゃないんだけど」
ふと浮かんでくるだけ。歌詞に込められた意味も、イメージも、なにもかも違うと思っている。あの二回はうまくはまっただけだ。
「それでも、お願い」
「……わかった」
「あとは、別のジャンルも」
「別って?」
「詠さん、アニメーション映画の曲ばっかりだから」
「ばっかりって…… 歌ったのまだ三曲なんだけど」
「とにかく、アニメじゃなくて、他のやつとかも。あとはいろんな感情が込められてる作品も」
「わかったわかった、聞くだけね」
画がついているほうが、そのときの状況がイメージしやすい。合っているかはさておき、今はこんな気持ちなんだな、と勝手に心の中で描く。
「もっと楽しい曲とかも。どんな未練があるかなんて、わかんないんだから」
「未練に楽しいとかある?」
「あるでしょ。今の詠さんなら、別のメニューおいしそうだった! みたいな」
「それって後悔じゃないの? 楽しいの?」
「次に来た時食べようって、そう思ったら次来るの、楽しみでしょ」
「ああ」
そういう考え方もあるのか、と少しだけ勉強になる。
「聴くよりも先に、歌詞読んでみる」
これだ、と思う歌詞が、頭に浮かぶように。
「ありがとう」
泣きそうに笑っている。なぜそんな顔をするのだろう。これから目標を果たそうとしているのだから、もっと決意を固めた顔をする気がする。
「どういたしまして」
共感しやすい、と言われたため、どんな顔をしていいかわからず、しかめ面をすることで真言の言葉と感情が入ってこないよう、シャットアウトした。
「で、次は休日ね。または金曜、仕事の後なら平日でも許す」
「なんか偉そう」
「なに?」
「いいえ!」
先に気になっていたことを尋ねる。
「ねぇ、あの場所、どうやって見つけたの?」
丑の刻参りなんてされていたら、きっと話題になっていた。そう大きくない神社だったが、SNSで持ち切りになるはずだ。
「これを使ったんだ」
取り出されたのは、羅針盤。懐中時計のように鎖がついていて、少し錆びてはいるが手入れされている。古いのがわかる。
——あれ
「これ、北向いてないじゃん」
北を指すはずの針が、ぐるぐると揺れている。これを見たら、壊れていると思うのが一般的だろう。ただ、真言の話を聞いてしまった今、なんとなく理由がわかる。
これが、強い未練を、指すのだ。
「一昨日は、これがあの神社の方向を指したんだ」
古くから受け継がれる代物だそうだ。未練をどうにもできなくなった頃、どうにかしたいと考えていた当時の行司が、露店で見つけて購入したという。
「よくもそんなのを信じたね」
「僕もそう思う。買った後、その露店、すぐ消えちゃったんだって」
「で、どうに使うの? 今はぐるぐるしてるじゃん」
「こう使う」
蓋をするように、羅針盤の上に手をかぶせた。
『僕らの行くべき道を示せ』
ふわ、と真言の体が浮いた気がした。風が吹いたわけでもないのに、髪がほのかに揺れている。そして羅針盤そのものが、光った。
かぶせていた手を持ち上げると、針が一点を向いていた。指すのは、北ではない。
「こっちのどこか」
「ものすごくおおざっぱだね」
「不便ではあるけど、これしか方法がない」
あとはたまたま行った先で、見つけるだけ。
地図を広げて、あたりを付け始める。
だから聞くのを忘れてしまった。
さっき、これになにをしたの? と。




