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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
なにかやった

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6/11

3.

 ——なんで?


 そう考えた瞬間に飲み込まれ、流れ込んだ他人の記憶。

 今度は、そんなに古くない。同じ丑の刻参りをしていたけど、でもここではない。景色が違う。


 ——この子は、古谷は、綾に救われたんだ。認めてくれる存在は大きい。そして機会がないと思っていた試合にも出られると決まり

 ——がんばった結果を二人で協力して出すと決めて

 ——当日、綾は、ダブルスを欠場してシングルに出ていた


 一緒にがんばろうって約束したのに、裏切られた。

 たくさん努力して、嬉しくて楽しくて輝く時間が大きかったからこそ、裏切られたときの感情はどす黒くなった。


 辛くて、苦しくて、どうしようもなくなった。矛先はもちろん、綾になる。

 でも、綾は身内の不幸で引っ越し。喧嘩も会話もできずに、さよならなんて。


 古谷はいい子だった。だからこそ、綾の不幸に喜んでしまった自分を恥じ、逆に悩んでしまう。

 自分のせいだ、と。


 やったことは間違っていると詠は思う。でも、気持ちはわかる気がした。

 あれはたしかに、どんな事情があっても、裏切りに等しい。





「生きてる?!」


 記憶が入ってきて、終わって、最初に聞こえたのは真言の声。あの蔓に包まれるように飲み込まれて、多分心配したのだろう。

 生きているから立っているのに、なにを聞いてくるのだろう、この男。

 そんなバカな質問に答える暇はない。楽になりたい、と自殺してしまったのだ。古谷は。

 そして今も、救いを求めている。多分この子が知りたいのは、理由だ。綾が裏切った、理由。


 神妙な顔をしていたのか、肩を掴んできた真言の力が弱まる。詠がなにか考えていると、悟ったのだろう。


 ふと、頭に浮かんだ歌詞があった。


 小さく、歌い出す。あのときも今回も、真言は歌ってと言った。

 だから、歌う。

 というより、口遊むくらいに、やさしく流す。


 とある有名アニメーション映画のひとつ、小学生が神隠しに遭い、名前を奪われるも、たくさんの経験をし、助けられ、成長し、もとの世界に帰る話。

 多分これは、エンディングだったと思う。二番だったかな。

 


 ——ねぇ、古谷。あなたのなかにも、あるんでしょ?

 ——負の感情だけじゃないよね?

 ——たくさんの綾の言葉に、勇気をもらったよね?

 ——だから、がんばれたんだよね?

 ——だから、試合がなくなって、悔しかったんだよね?

 ——新しい生活は、これから始まるんだったんだよ

 ——楽になりたかったんだよね

 ——でもさ、もう満たされてたはずだよ

 ——綾の言葉、綾と見た景色は、古谷、あなたのなかに、刻まれてるよ


 ——思い出して


 もう死んでしまった人に、始まりはない。たしかにゼロになってはいるかもしれない。

 それで楽になっていないから、ここで誰かが行った丑の刻参りに寄せられた未練のなかで、古谷の未練が一番強く、訴えかけてきた。


 助けて、楽にして、と。


 古谷を本当に助けられるのは、詠ではない。綾だ。でも彼女は、ここにはいない。




 詠を覆った花弁になった蔓は、だんだんと、記憶で見た古谷の姿になった。がくんと膝をおとし、頭を押さえている。今も苦しんでいる。自分のせいで、という気持ちが大きく膨らんでいる。


 ——届いてない


 思い出したからこそ、辛そうに、苦しそうにしている。蔓は、古谷の背から、だんだんと伸び太くなってくる。辛く、苦しい想いをした他の未練が、古谷に同調して一体化してきている。強くなったら、古谷はもう、昇華しない。






「古谷」


 声が聞こえた。これは。

 綾の声。


「古谷」


 空から降ってくるみたいに、光をまとった綾の姿が見えた。と、詠を見る。まとった光がしゅん、と体を覆った。


 入ってくる、記憶。これは、

 綾の記憶。






 試合の日。古谷の記憶で見た顧問の先生につかみかかり、なにかを訴えている綾。

 映像はテレビのようにすぐに変わり、学校に来なくなった古谷の家に通って家族に呼びかける綾。


 ——なにか、理由があった?


 うん、と綾はゆっくりと頷いた。






 また歌う。今度は違う曲。同じアニメーション映画の別作品。老婆にされた帽子屋の娘と魔法使いの話で聞いた曲。


 一人で戦ってきた。それが二人になって、見える世界が変わってきた。

 毎日が輝いた。

 プレッシャーに押しつぶされそうな日々と、怪我をして落胆され。

 一人でがんばっていたのは、自分だけではなかったと、やっと知ったのは二人になってから。

 遅かった。

 やっとできると思ったら、


「先生がね、シングルスに出ろって言ったの」


 もちろん断った。ダブルスで出ると、訴えた。でも聞き入れてもらえなかった。これで結果を残せれば、進学が楽になるだけでなく、この学校からプロのテニスプレーヤーが生まれたという歴史が刻まれる。怪我を乗り越えて、最後の試合で結果を残したという涙ぐましいエピソードもついて。


 ただ、学校は、顧問は、綾の復帰を待っていただけだった。これならいけると考えて、乗り換えた。

 それでもダブルスに出るとごねると、結果も出せない古谷は退部扱いにすると言ってきた。これは脅しだ。


 “退部という汚名は、進学にかかわるぞ”


 退部扱いが本当かどうかはわからないが、綾は相棒の未来を選択し、シングルスに出場したのだ。


 相棒は試合がないとわかってすぐに体調不良を訴え帰宅、それから学校に来ない。毎日家に通ったが、家族から追い出されてしまい会話もできない。


 そんなとき、両親が離婚。タイミングが悪すぎるが、母親に引き取られた綾は進学先の第一候補が近くにある、母親の実家に引っ越した。それから相棒とは会えなくなった。


 会えなくなったのは、もう、古谷がいないから。





 ——一人で生きていても、孤独でも、明日は必ずやってくる

 ——思い出じゃない、綾のなかで、古谷は今も生きている

 ——気づいて、聞いて


 そんな思いを胸に、私は、歌い続ける。





 綾はテニスをしたかったが、テニスのラケットを握ることもできなくなり、がんばった結果、精神的なストレスで倒れた。





「あたしの、ため、だったの?」


 届いた。聞こえていた。綾の声。


「うん。そのはずだったんだけど」

「はず?」

「古谷、死んじゃったし、言い訳にしかならないね」

「綾……」


「ごめんねぇ!!」


 ごめん、ごめん、と泣き始める綾の手を、そっと、古谷がとる。


「あたしこそ、ごめん。あたしのせいで」

「古谷のせいじゃない!」


 もともと、離婚の流れはあった。いつか近いうちに、不幸はあっただろう。それよりも、身内の不幸は別にある。


「あたしのせいで、古谷が死んじゃった」


 苦しませた。辛い想いをさせた。人を恨ませた。

 そんな自分が許せない。


「テニスをイメージするだけでも、呼吸ができなくなって」


「ありがとう」


「ありがとう!!」


 綾のおかげで、テニスを楽しいと思えた。試合には出られなかったけど、練習が楽しかった。息を合わせるためという理由でちょっと出かけたり、ごはんを食べたりと、色々な幸せが、今も心ののなかに、


 もう中身の、魂のない身体だけど、幸せに充ちている。


「あたし、行くね」

「気を付けて」

「うん」

「ちゃんと、テニスやってよ?」

「できれば、ね」

「見守ってるから!」


 古谷は最後に、こちらを見た。さよなら、と口が動いた気がする。





 さぁ、と風が流れた。


 蔓が、古谷を押して、階段のように空へ伸びている。あの世とは空にあるんだ、と思った。






「歌、ありがとうございます。うち、帰ります」


 いきなり話しかけてきた綾に、肩が大きく跳ねた。幽霊と話しているなんて。待てよ、と思い返す。前回のときみたいに、なぜ綾は、古谷と一緒に行かなかったのか。


「ああ、うち、生きてるんです」


 倒れ、病院に入院していて、人工呼吸器までついているものの、生きている。

 生霊だった。だから、一緒に行かなかったし、連れて行かなかった。


「これで、うちも起きられます!」


 テニスしなきゃ! と木霊のような元気な声が響いたと思ったら、樹々から伸び出ていた蔓はきれいさっぱりなくなり、夜より暗かった靄は、消えていた。


「その靄、生きた人間引き寄せて食べるみたいですから、気を付けてくださいねー」


 いらない情報まで残して。






「成功したみたいだね」

「はぁ」


 さて。

 となると、未練とやらの存在は本物であり、詠の歌と共感の力も、本物になってしまう。


 未練という形ないものが日本や世界を壊す、ということまでは信じていないが、あの靄は、藁のような蔓は、恐ろしかった。引き込まれたら、戻れないと思った。


 綾はきっと、引き寄せられた側なのだろう。会いたい相手がそこにいて、詠がいたからたまたま、体に還ることができた魂。そうでなければきっと、古谷の未練に飲み込まれていた。そうなれば、体のほうも、死ぬ。


 ——本当なんだ


 未練の塊は、生きた人間を引き寄せ、喰らう。それが続けば、人間はいつしかいなくなる。逆に、飲み込まれた人間がさらなる未練となって、生きた体を求めるかもしれない。


 少しだけ、わかった気がした。


 信じたくなかった。

 信じたのは、自分が歌を使って、未練ある魂をあの世へと送り届けることができる、ということだけ。まだ。世界がどうなるというのは、まだ信じ切れてはいない。


 それよりも。


「眠い……」


 こんな時間だ。それこそもうすぐ、丑の刻になってしまう。いくら明日が土曜日でさえ、これから帰って入浴して寝るには、遅すぎる時間だ。


「帰ろっか」

「うん」


 ——古谷、そういえば、下の名前、聞かなかったな


 高校のとき、詠も友人を苗字で呼ぶことが多かったため不思議には思わなかったが、聞いておけばよかった、となぜか思った夜。きっと真言の名前を聞いたからだろう。


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